第4話「再会」④

 ああ、私はなんで来てしまったんだろう。


 そんなことを考えてしまっている自分に、内心で溜息が漏れる。こんなの聴こえちゃったら、由唯になんて言われるだろうか。


「桜ー、こんなに飛ばしてて大丈夫?」


 そう言いつつも、由唯は特に苦も無く並走している。確かに、言われてみれば結構なスピードで漕いでいるかもしれない。そんな私に、こうしてついて来れるのは、さすが、向こうの学校でもバドミントン部エースと呼ばれている由唯だ。


 うちの部活では、普通に走っているだけでも、下級生はおろか、同級生も誰一人ついて来れる人はいなくて、よく「桜、速すぎ。あんた、絶対おかしいでしょ」なんて、ひどい言われようを受けることも度々ある。


「ごめん、ちょっと速かった?」

「ううん、私は別に大丈夫だけど、さすがに後半キツくなっちゃうかもなー、って」


 確かに、今回の道のりは約四十キロくらいあると聴いている。四十キロと言われると、いまいちピンとこないが、到着予定が夕方四時くらいということなので、充分に遠いことだけは分かる。


 軽くブレーキを掛けて、由唯の横に並ぶように減速する。横までつくと、由唯はその可愛い微笑みを浮かべていた。


「よーし、それでいいのだ」


 どこかのパパの口ぶりでおどける。


 由唯は可愛い。それに、すごく綺麗だ。会うのが久しぶりっていうわけでもないけど、数か月ごとに会う度にどんどん綺麗になっていて、その度に内心ドキッとする。


 今日にしてもそうだ。炎天下の中を、自転車で四十キロ近く走るっていうこともあってか、由唯の格好はすごくシンプルだ。水色のプリントTシャツに、デニムのショートパンツ。すごくシンプルであるがゆえに、意外とこういった格好がちゃんと似合う子は少ない。実際、自分でやってみても、何だか顔が子どもっぽくて、あまり似合わない。


 でも、由唯はこんなにも似合っていて、しかもそれでいてとても大人っぽい。


 それが、どうしようもなくずるいと思ってしまう。


「それにしても、暑いよねー、今日。一日で、一気に日焼けしちゃうかも」

「そうだねー」


 元々、同じテニス部だった由唯は、高校に入ってからバドミントン部に変わった。中学の時も運動神経の良かった由唯は、転校の関係もあって二年から女子テニス部に入ってきたが、前の学校で一年にしてレギュラーだったということもあり、あっという間にうちのレギュラーメンバーを倒していった。そして、中三の時はエースとして私と組んで試合に出ていたけど、バドミントンに種目が変わっても、相変わらずエースと呼ばれているらしいから、さすがとしか言いようがない。


 しかも、テニス部からバドミントン部に移った理由が、「日焼けしたくないから」という、いかにも女の子っぽい理由で、変わらずテニス部に入った私は、何となく女の子っぽさで負けてる気がする。


「でも、桜はテニス部なのに、全然日焼けしてないよねー。その白肌、本当羨ましい」

「えっ、そうかな?そんなこともないと思うけど…」

「いいや、白い!あーあ、せっかく室内競技にして、桜と同じくらい美白になれるかと思ったのに、これでやっとドローかなー」


 テニス部時代の由唯は、確かに黒かった。基本、夏の練習は半袖とハーフパンツスタイルでやるので、露出している肌のところは綺麗に小麦色に焼けていて、明るく活発な由唯には、その小麦肌がとても似合っていた。


 それも、バドミントン部になって、確かに今は大分白くなってきて、綺麗な白肌になっている。それもそれで、由唯の綺麗さを際立たせている気がする。


 桜と同じ美白、か。


 由唯にそう言われると、素直に嬉しくて、頬が緩みそうになる。


「でも、確かに由唯、この三年間ですごく白くなったね。私は、中学校の時の小麦色の由唯も可愛いと思ってたけどなー」

「本当?桜にそう言われると、素直に嬉しいなー。でも、やっぱり女子たるもの、目指すは美白でしょ!」


 高らかに宣言すると、拳を高く突き上げた。その言い方と格好に、思わず吹き出してしまう。


 由唯は、いつもこうやって周りを元気にしてくれる。由唯自身がとても明るいから、それにつられて周りも元気になるっていうのもあるけど、何ていうか由唯は、それ以上に周りを元気にしようと色々気を遣ってくれる。


 そんな由唯と、高校が離れた今も仲良くしていられること、こうして一緒に旅行に行けること。それが、純粋に嬉しい。


 でも、由唯が私をこの旅行に誘ってくれた理由。そして、自分自身でもこの旅行に行こうと決めた理由。


 それをちゃんと持ってきたはずなのに、皆と顔を合わせるなり、その決意が早くも揺らいでしまっている。


 あいつの、あの顔。


 思い返すと、心が疼く。


―――


 それは、夏休みが始まったばかり、七月の終わりの夕方だった。家で勉強をしていると、突然携帯に電話が掛かってきた。


 表示を見ると、それは由唯だった。


「もしもし?」

「もしもし?今、大丈夫?」

「大丈夫だよー。むしろ、勉強で疲れちゃったから、ちょうど良かった」


 由唯からは、たまにこうして電話が掛かってくる。その内容のほとんどは、学校どう?とか、部活大変?とか、最近これにハマってるとか、他愛無いことばかりで、特に用事があって掛かってきたことはなかった。


 しかし、その日は違った。


「さすが、桜。昼間から、ずっと勉強してたんでしょ?」

「うーん、まぁ、一応してたことになるんかな?ちょいちょいサボっちゃってたけど」

「そんなそんなご謙遜を。桜のことだから、小休憩挟むくらいでしょ?私みたいに、勉強開始十分で部屋の掃除始めるのとは違うよ」


 勉強を始めて、すぐにシャープペンシルを投げ捨てる由唯が思い浮かんで、思わず口元が緩んだ。


「あっ、それでね、実は今日は桜を旅行に誘おうと思って電話したんだ」

「えっ、旅行!」


 それは、思いがけない提案だった。夏休みとはいえ、高校三年生の夏ともなると、その予定はほとんど毎日勉強だった。補習のせいで学校に行かなくては行けない日も多く、友だちと数日遊びに行く約束はしたが、遠くに行くような予定は立てていない。


「行きたい、行きたい!いつ?」


 反射的に飛びついた。高校生最後の夏だ。何か、夏の想い出が欲しいとちょうど思っていたところだった。


「おっ、桜乗り気だねー。一応、お盆前の平日、一泊二日でどうかな?って言われてて、皆の日程調整して決定することになってる」

「一泊二日?いいねいいね!」


 そこまで、私はすごくテンションが高かった。旅行に行けることで舞い上がってしまっていて、具体的に誰と行くのかとか、そこまで考えが及んでいなかった。


 だけど、今思えば、テンション高い私に対して由唯のテンションはやけに落ち着いていた。


「よし、じゃあ、桜も参加決定だね。この日が良いとかってある?」

「平日だったら、今のところ大丈夫かな。何とでも調整できると思うし」

「オッケー。じゃあ、決まったら連絡するね」


 そこまで来て、ようやくメンバーを知らされていないことに気付いた。


「あっ、由唯、メンバーって誰?彩子とか、里佳とか?」


 中学校からの一番仲の良いメンバーの名前を挙げた。去年の夏も、この四人でピクニックに行ったことがあるので、今年はそれをもっとグレードアップしていくものだと思った。


 しかし、私の質問に対して明らかに由唯は言葉を詰まらせた。


「えっ?……いやー、実は、今回はそういうメンバーじゃないんだ。ちょっと、桜にとっては珍しいメンバーかも」

「そうなの?誰だろう?」


 中学校の友だちを何人か思い浮かべてみたけど、特に珍しいと思うような子は一人もいなかった。友だちは、由唯とほとんど共通していたので、その中ではまず特に珍しさは感じないし、由唯だけが友だちという子は、二,三人くらいしか思いつかなかった。


 ほんの少しの沈黙の後、思い切ったように由唯が切り出した。


「実はね、他のメンバーは全員男子なの」

「えっ?」


 予想外の回答に、思わず声が裏返りそうになる。


 しかし、言ってしまってから由唯は「いやー」と電話の向こうで笑いながら続けた。


「私も、急に誘われてびっくりして、どうしようかなーとも思ったんだけど、せっかく高校生最後の夏休みだし、何か想い出欲しいなー、と思ってたし良いかなー、と思って。あっ、でも変なメンツじゃないし、桜にちょっかい出すようなやつは一人もいないから安心してね!」


 畳み掛けるように言う由唯の声が、少し遠い。


 由唯が、私に対してここまで言い訳を重ねるような話をすることは珍しい。基本的に由唯は私に対して隠し事はしないし、嘘も苦手なのでどんなことでも言い淀んだり躊躇ったりすることはない。


 そんな由唯が、明らかに私に言うことを躊躇っている。


 その時点で、私は今回旅行に行くメンバーが誰なのかをほぼ予想していた。


「誰、なのかな?」


 努めて冷静に。そう思ってたのに、声が喉にへばり付いているのが分かる。唾を飲み込みたかったけど、電話越しだとその音が聞こえそうで、我慢した。


 電話の向こうの一瞬の間が、やけに長く感じた。


「えーっとね、何となく想像ついてると思うけど、井川,吉川,あと理久君」


 やはり、井川と吉川は予想通りだった。中学時代から、男子とも分け隔てなく仲が良かった由唯だったが、中でも井川と吉川とはよく一緒にいる所を見かけて、仲もすごく良さそうだった。


 理久君は少し意外だったが、由唯との接点以上にそもそも理久君は井川と吉川とも仲が良かったから、いるのは全然不思議じゃない。


 しかし、そうなると余計に、明らかにいるはずのあいつの名前が出ていない。


「そして、あと一人」


 息を、止めた。


「昇も来るよ」


 分かっていたはずなのに、心臓がトクンと跳ねた。


 ここで、黙っちゃいけない。そう思っていたのに、すぐに会話の流れを進めたのは、由唯だった。


「実はね、あの三バカ+理久君と、自転車で氷見まで行こうなんてバカみたいな旅行に誘われてね。一応、私もオッケーは出したんだけど、やっぱり一泊二日の旅行に、女子一人はちょっとね……と思って、誘ってみた」


 正直なところ、由唯が挙げていった他のメンバーについて言えば、特に問題はなかった。


 井川と吉川は、小学校からの幼馴染で、小学校の頃は結構一緒に遊んでいたこともあった。中学になってから、話す回数は減ったが、それでも他の男子に比べればたまに挨拶くらいの会話はしていた。


 理久君も、同じテニス部で部長をやっていたこともあって、何気に話す機会は多かった。


 なので、他の男子は問題ない。


 しかし、問題はやはり、


「桜、どうする?」


 あまり沈黙を続けると、由唯に気遣いばかり掛けてしまう。そう思っているのに、言葉が出てこない。


「……やっぱり、昇が来るの気になる?」


 由唯には、全てお見通しのようだった。


 由唯に先にその名前を言ってもらったおかげで、ぐるぐるしていた頭の中が少し整理された。乾いた喉がばれないように、慎重に声を出した。


「……うーん、まぁ、正直そうかな」

「うーん、だよねぇー」


 電話の向こうで、何やらバサッという音が聞こえた。たぶん、由唯がベッドの上にダイブしたんだろう。


「桜、昇のこと苦手なんだよね?」

「苦手っていうか……」


 由唯には、昇のことについては、何度か話をしている。だからこそ、こんな風に恐る恐るといった感じで聴いてくるのだろう。


「私は、あいつから嫌われてるからねー」


―――


「どうやったら、綺麗な美白になれるのかなー」

「えっ?」


 由唯の言葉に、今に引き戻された。


「だから、美白だよー。でも、今日と明日で確実に日焼けしちゃうよね」


 そう言いながら、由唯は恨めしげに太陽を睨んだ。空は、雲一つない青空で、とても日焼けを防いでくれそうにはない。


「でも、その割には由唯、半袖ショートパンツだね」

「うっ、それを言われると何とも……」


 由唯の恨めしげな顔が、こちらに向けられた。


「迷ったんだけど、この炎天下の中、日焼け対策と熱中症対策、どちらを取るかっていったら、やっぱり後者じゃない?あとは、機能性重視!」


 後半の開き直りにも近い理由は、実に由唯らしく、思わず笑ってしまう。


「こんな暑い中、やっぱり長袖,長ズボンで行ったら死んじゃうからねー。迷いに迷った挙句、これにしました!以上!」

「あはは、何それ」


 おどけている由唯に、笑いが止まらない。漕いでいる自転車が、不安定にグラグラと揺れる。


「そう言う桜こそ、今日は何となく服の雰囲気違わない?」

「えっ?」


 思いがけず、矛先が自分の格好に向いて、思わずドキリとする。


「ど、どうして?」


 口をついて出た声は、少しつっかえてしまった。


「だって、なんていうか、いつもの可愛い感じじゃなくて、今日のはすごく大人っぽい。自転車で、遠出する格好には、見えないねー」

「そ、そんなことないと思うけど……!」


 今日の格好は、細めの七分丈ブルージーンズに、薄手の白ブラウスを合わせたスタイルだ。悟られたら嫌だなー、と思いながら選んできたのだが、やはりこういうところに由唯は鋭い。


「これは、最近買ったお気に入りで、せっかくだから着ていこうと思っただけ!このブラウスも、軽いから結構風通しとか良いんだよ」

「ほほぅ、なるほどねー」


 由唯の声が、段々と意地悪くなっていく。


 これ以上この話題を続けると、まずい。


「由唯ー」


 泣きそうな声で由唯に訴えかける。これは、「これ以上この会話禁止!」のサインだ。


「あはは、分かった分かった。でも、その恰好、桜すごく似合ってるし、可愛いよ」


 グッと親指を立てて、笑顔で言ってくれる。その由唯の優しさにほっとして、頬が緩む。


 どうして、この服装を選んだのか。その理由を思い出すと、また胸の奥が疼く。

そうだ、なんでこの格好にしたんだろう。


 これから、まだまだ氷見までの道のりは長く、気温もどんどん上がってくるだろう。普段から、あまり汗が出る体質ではないけど、さすがに何時間も炎天下の中で自転車をこぎ続ければ、汗だくになるのは目に見えている。


 そう考えると、確かに由唯の軽装が羨ましくなってくる。


 それでも、考えに考え、悩みに悩み抜いて、この格好をしてきたのだ。


「…………」


 思わず、後ろの方に意識が行ってしまう。


 すぐ後ろでは、井川と吉川が何やら二人で盛り上がっている。どうやら、話題は「自分の学校の可愛い女子について」らしく、二人ともやけに熱が入っている。


 その後ろ。


 顔が向けられないので、何となくの雰囲気だけしか分からないが、あいつは理久君と何やら話をしているみたいだ。元々、二人ともこの後ろの二人みたいに大声で話したりする方ではないので、どんな話をしているかとかは全く分からない。


 ただ一つ、確実に分かることは、


――その会話の中に、私は100%登場していないということ。


 そんなのは当たり前なはずなのに、それがやけに寂しかった。

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