第3話「再会」③

 長い、海へと向かう旅が始まった。

 

 遅れるといけないから、ということで、原田と芹沢が先頭を走り、その後ろに亮と健吾、そして最後尾に俺と理久が走るということになった。と言っても、その都度自由にポジション替えはしても構わないということで、成り行きに任せて走って行こうとなった。


 それぞれ、二列になって公園をそのまま通り抜けて、商店街の道を進んでいく。そして、うちの近所、河川敷の道へと進んでいった。


 この河川敷は、地元では桜並木が綺麗なことで知られていて、春はこの道がどこまでも桜色で埋め尽くされる。そんな桜並木も、真夏の今は葉を目一杯繁らせ、太陽の光を受けて輝いていた。


 太陽直下は、今の時間でもすでにうんざりするくらい暑いが、木陰の下を通ると思いの外涼しく、吹き抜ける風が気持ち良かった。


 眼前には、この桜並木から名前をとった「桜大橋」が見えてきた。川の向こう側とこちら側を繋げる橋で、桜の季節にはその名の通り桜が橋全体を覆いつくすのだが、そのときの風景は、桜の名所が多いと言われている京都にも負けないほど綺麗だ。


 ふと、先頭を走るロングの黒髪が目について、思わず顔をしかめた。


 イライラしているな。


 意識せまいと思っているが、明らかに不機嫌になっているのが自分で分かる。


 皆と会う前は、あんなにも久しぶりに会うことを不安に思っていたのに、皆に会った途端にほっとした。久しぶりに会った皆は、数年ぶりの再会が嘘のように、中学時代とほとんど変わっていなかった。


 原田は、見た目が大人っぽくなっていて、そのことに正直ドキッとしたが、俺たちとのやり取りや性格はあの当時のままだ。


 他の三人に関しても、見た目,雰囲気共に、その変化のなさにむしろちょっと呆れた。と言っても、向こうも同じような感想を俺に対して持っているかもしれないが。


 そうして、楽しい旅が始まると思っていた。


 それが、予想外の参加者の登場。しかも、よりによって芹沢桜ときた。


 原田が、男子四人の中に女子一人で一泊二日の旅行ということに、少なからず抵抗があるのは分かる。いくら原田と俺たちが中学からの友だちとはいえ、お互いにもう高校生だ。あの当時のように、何も気にせずというわけにいかないのは当然だ。


 しかし、それにしても一言くらい相談してくれてもよかったではないか、という恨み言は、否応にも浮かんできてしまう。


 そして何より、原田は俺と芹沢の関係について知っているはずだ。


 いや、だから隠していたのか。


「……昇?」

「えっ?」


 声を掛けられた方を見ると、並走する理久が、じっとこちらを見つめていた。


「ど、どうした?」

「皆から、離されてるよ。もうちょっとスピード上げよう」


 見ると、確かにいつの間にか前を走る亮と健吾と、結構距離が空いてしまっている。普通に漕いでいたつもりだったが、どうやら先頭の原田と芹沢が結構速いらしい。


「ごめん、ごめん。ペース上げるわ」


 慌ててスピードを上げる。それに合わせて、理久も並走してついてきた。


「大丈夫?もう疲れた?」

「まさか。こんな序盤で疲れてたら、氷見になんて行けるわけないだろ」

「そうだよねー」


 そうして、理久は笑った。


 理久は、特に俺のイライラや動揺には気付いていないようでほっとした。しかし、そういえば、理久は俺と芹沢のことは知らないのだ。中学時代、俺たちのグループに芹沢が混じったことはない。だから、理久が俺たちのことを知るはずがない。


 亮や健吾だったら、おそらく今俺がイライラしていることには勘づいてるはずだ。


 そう思うと、まだ心の整理がついてない今の段階で隣を走ってくれているのが理久というのは、好都合だったかもしれない。


「理久と会うのは、本当に久しぶりだな。リアル二年ぶりくらい?」

「あぁ、確かにそれくらいかもしれないねー。テニスの大会では、何度かすれ違ってたけど、全然話はできなかったしね」


 理久と俺、そして目の前を走る亮と健吾も中学は同じソフトテニス部で、理久が部長,俺が副部長をしていた。お互いにポジションが後衛だったこともあり、一緒にダブルスを組んで試合に出ることはなかったが、練習相手となるとほとんどの相手は理久だった。


 互いに、高校に入っても同じくテニス部に入ったので、大会に行くとその都度顔は合わせたが、大会中であり他校ということもあって話をすることはなかった。


「理久は、部活引退した?」

「まだだよー。何とか七月の県大会で勝ち上がれたから、九月には地方大会があるから」


 七月に行われた県大会は、ほとんどの三年生がその試合を最後に引退する大会だった。ベスト8にまで上がれれば、九月の頭に行われる中部地方の大会に出ることができるが、それまでに負けてしまってはその大会を最後に引退することになる。県大会ということで、県内全域の学校がエントリーしており、ベスト8まで上がっていくのは相当難しい。実際、俺も何とか三回戦までは勝ち上がったが、そこで接戦の末負けてしまった。


「すげぇな。結局、ベスト何位まで行ったの?」

「なんとか、ベスト4までは」

「すげぇな!流石、我らが部長」

「もう、止めてよ。中学の時は、昇の方が強かったでしょ?」


 確かに、中学時代は俺が二番手で、理久は三番手のポジションでレギュラーだった。ちなみに、遺憾なことに一番手は目の前の亮&健吾ペアで、そのポジションは一度も覆せなかった。


 実力的には、俺たちの方が上ではあったが、理久の真面目な性格が先生や部員からの信頼を集めて部長を任され、強かったがお調子者だった亮と健吾には副部長は任せられないということで、俺が副部長を任された。


「あの頃はあの頃だろ。今戦ったら、俺たちの誰も理久には勝てないよ」


 俺と亮は高校に入ってもテニスは続けていて、健吾は高校に入ってから陸上部に入った。亮は、高一の頃までは上位選手の中でも名前を挙げられていたが、高二になってからはほとんど名前を聞かなくなった。俺も、最高成績としては県大会ベスト16くらいで、上位争いに食い込めることはなくなった。


「理久は、高校も強いところ行ったけど、俺と亮はそんなに部活真剣にやるつもりなかったからなー」


 行った高校の部活への力の入れ具合次第で、中学時代の実力なんて簡単に覆ってしまう。理久の高校は、ほぼ休みなく部活に明け暮れるようなところだから、そんな学校とのらりくらり部活をやる高校に入った俺たちの今の実力を比べるなど、おこがましい。


「ベスト4で地方大会かー。ここまで来たら、そのまま全国行っちゃえよ」

「いやー、さすがにそれは難しいと思うよ。各地方のベスト8揃いだから、一回戦勝ち上がるのもどうかなー?」


 そう言って、言葉では冗談めかして笑っているが、声は全然冗談に聞こえなかった。本当にそう思っているなら、こんなに真っ黒に日焼けするまで練習なんてしてないだろう。


 部活を引退して、室内で受験勉強の日々を送っている俺と比べて、理久は今も毎日炎天下でコートを走り回っている。それを想像すると、まだ部活に打ち込めている理久が羨ましいような、すっかり実力差が開いてしまってなぜか切ないような、何とも言えない感情が湧いてくる。


「それにしても、それならよく今回休めたな」

「うん、これに関しては、本当に運が良かったんだー。運良く、この四日ほど夏休みだって言って休みがもらえて」


 地方大会出場が決まり、レギュラーである理久は、当然毎日のように部活があるはずだ。なので、一泊二日の旅行は厳しいかと思っていたが、運良くこの旅行の日程で休みがもらえたみたいだ。


「先生が、『高校最後の夏休みだから、各自希望出してくれたら四日間だけ休みをやる』って言ってくれてね。それで、何とかこの二日間は休みにしてもらったんだ。ただ、この後の夏休みは多分地獄だけどねー……」


 言いながら、理久の声は尻すぼみになっていく。旅行後のことを考えて、早くも気持ちがめげたらしい。


「ま、まぁ、この旅行は楽しもうよ!なっ?」


 努めて、明るい声で励ます。これが、自転車を漕いでない状態であれば肩でも叩いている。


「うん、ありがとう。今は、部活のことは何も忘れて、思い切り楽しむよ」


 そうして、理久は片手ハンドルでグッと拳を握りしめた。

 その仕草に、思わず笑ってしまった。


「気合入りすぎでしょ」

「えっ、そうかな?楽しむと言っても、まずはこの四十キロを乗り越えないといけないからね。気合い入れないと」


 言って、両手を離してマッチョポーズで気合を表現する。その途端にバランスを崩して、「うわぁ!」と慌ててハンドルを握った。


 その慌てぶりに声を上げて笑った。「バカだなー」のオマケ付きだ。


 日々、クタクタになるまで練習して、疲れも溜まっているだろうに、こうして四十キロの道のりを自転車で向かう、なんていう馬鹿な旅にそんな素振りを見せずに参加してくれたこと。そのことが素直に嬉しい。


「それにしても、自転車で出かけるなんて、いつ振りだろうね」

「あぁ、いつ振りだろうな。あっ、でもそういえばさ、昔もこうやって皆で自転車でどっか行ったことなかったか?」

「あぁ、あったあった!確か、亮と健吾と一緒に、うち来たんだよ」


 言われて、思い出した。


 確か、中学一年の夏。まだ、理久とは仲良くなったばかりの頃に、理久の家に遊びに行こうとなったのだ。


 理久の家は、俺たちの住む街よりさらに南に五キロほど行った山の中にある。この山は、隣の県との境にあって、ちょうどこの山を越えれば、隣の県に行けるようになっている。その山の中腹に理久の家はあった。


 町に住んでいた俺たちからすると、その山というのは、夏になったらクワガタやカブトムシを探す山で、その山の中で誰かが住んでいるなんて思ってもみなかった。だから、理久と仲良くなって、理久がその山の上の方に住んでいるということが分かったら、俄然興味が湧いた。


「なぁ、だったら理久の家って虫取り放題なのか?」


 正直、興味が向いた先は理久の家というよりは、その周辺に棲むクワガタやカブトムシだった


 まだまだ、小学校を卒業したばかりの中学一年生というのは、結構まだまだ子どもだ。俺たちは、理久んちに遊びに行くという目的が二割で、残り八割はクワガタ,カブト目当てで理久の家に行くことにした。


 しかし、そんな浅はかな考えは、山を上り始めたと同時に吹き飛ばされた。


「南、毎日この坂道を通ってきてるのか?」

「そうだよー」


 道路はちゃんと舗装はされているが、左へ右へとカーブを繰り返している坂道はどこまでも続いていて、いつまで上っても下りにならない上り坂をずっと上っていた。もう随分自転車も漕いできたのに、一向に理久の家に着く気配はなかった。


 もう、すっかり全員汗だくで、息も上がっていた。車が上がってくることがなかったので、車道の真ん中を堂々と四人で走っていたが、それが次第にフラフラとしてきて、むしろ一車線いっぱい使って蛇行運転して行かないと、上っていくことなんてできなかった。


 途中で、健吾が「誰だ、クワガタを取ろうなんて言ったのはー!」なんて身も蓋もないことを言い出して、今にも坂道を逆走して駆け下りて行こうとするのを、俺と亮が全力で止めた。ここまで来たんだから、一緒に頑張ってゴールしようぜ!なんていう友情的な気持ちはサラサラなく、逃がしてなるものか!という、死なば諸共的な気持ちで健吾の逃走を食い止めていた。


 何度カーブを曲がり、何度足を止めたかも分からないまま、いつの間にか俺たちは理久の家に到着していた。


 当然ながら、到着するだけで俺たちはもうへとへとで、結局理久の家でシャワーを浴びさせてもらって、そのまま帰ることにした。


 一体、何をしに行ったのかよく分からなかったが、ただ上ってきたのが辛かった分、帰り道で坂道を駆け下りて行くときに感じた風は、本当に気持ちよかった。


「……そう言えば、クワガタ取ろうって言って行ったのに、結局皆へとへとになって、そのままシャワー浴びて帰ったことあったな」

「そうそう!特に健吾が行く途中で何度も『帰る!』ってなって、それを昇と亮が必死に止めてたのは面白かったなー」

「理久、俺たちの気も知らないでゲラゲラ笑ってたもんな。俺たちは、裏切り者を逃がさないように必死だったのに」

「まぁ、初めてだと途中で帰りたくなっちゃう気持ち分かるからね。あの坂道は、今でもしんどいもん」

「そうか、理久は今も当たり前のようにあの坂道往復して毎日高校行っているのか」

「そうだよー。部活でボロボロになって、あの坂道の前で自転車止める時、いつも何の苦行か、って思うもん」


 理久があの坂道の前で立ち尽くしている姿を想像して、思わず切なくなった。


「大変だな」

「しみじみ言わないでよ。何か悲しくなってくる」


 そうして苦笑いを浮かべる理久に、「悪い悪い」と片手で拝む。


「でも、あの日は結構寂しかったなー。家着いて『やっと皆と遊べる!』と思ったら、皆フラフラでシャワー浴びるなり『帰る!』だもんねー」

「うっ……それは、ごめん」


 確かに、あの日俺たちが来るのを一番楽しみにしていたのは理久かもしれない。


 ずっと山の学校に通ってた理久は、小学校時代の同級生が八人しかいなくて、それも女子が多くて、あまり男友達と遊ぶということはなかったとのことだった。


 そんな中、中学に入って最初に仲良くなったのは俺たち三人だった。中学に入って初めてできた友だちが家に遊びに来たというのに、それがシャワーを浴びたらすぐに帰ってしまったというのは、なかなかに切ないだろう。


 なので、恨めしそうな理久の口調もあながち冗談ではないかもしれない。


「今度、またリベンジで遊びに行くよ。健吾は羽交い絞めにして」

「ははは。そうだね、健吾はそうしないと来る前に逃げそうだから」


 そうして、お互いに笑い合う。また、あの日のように理久の家に行くことが本当にあるかどうかは分からないが、その日が来たらまたあの日のように楽しくワーワー言いながら四人で坂道を上っているかもしれない。


 想い出の断片を拾い集めて、それを繋ぎ合わせて想い出を取り戻していく。忘れていた想い出も、こうして蘇ってくる。それは、あの楽しかった日を一緒に過ごした友だちといるからこそだ。


 特に、この男子メンバー四人は、中学時代色んなことを一緒にやったメンバーだ。多分、これから亮や健吾と喋っても、また色んなことを思い出すのだろう。


 そして、その中には原田もいる。あいつも、結構俺たちとは色んなことをしていたのだから、まだまだ色んな想い出を思い出していくのだろう。


 だけど、


「……」


 ふと、頭に過った顔が前方を走る黒髪と重なり、無理やりそこから視線を逸らした。


 そうしたことに、なぜだか自分で腹が立ち、そうして自分自身が腹を立てていることに、また腹が立った。


 今、ふと思ってしまったこと。それが、こんなにも自身を苛立たせている。それがばれない様に、また何でもない会話を理久に振った。



『だけど、芹沢が俺たちと作る想い出は、これが初めてなんだな』



 と、不覚にもそんなことを思ってしまったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る