あなたがわたしを見つけた
あなたがわたしを見つけた[1]
「ねえ、俺とデートしない?」
キリさんに誘われたのは、パーティー会場の隅だった。
師事しているゼミの教授の著作がとある文学賞を受賞したのは、わたしが大学4年生のときだった。
その授賞記念式典の後の懇親会でのことだ。
初めてのフォーマルな式、初めての立食形式のパーティー、背広を着こんだたくさんの大人たち。
わたしは戸惑い、身のおきどころなく、カクテルグラスを持ったまま会場の隅にたたずんでいた。
この日の主役である
いくら、わたしが──先生の恋人であっても。
教授の奥さんを見たのは、初めてではなかった。
秘密の恋が始まった夏、教授の家の前をさりげなくうろついていたら、両手にレジ袋を下げた女性が入ってゆくのを見た。
その袋からまっすぐに伸びていた青々とした長ネギのことを、なぜだか彼女の顔よりもよく覚えている。
その女性は今、カクテルドレスを着てにこやかに教授に寄り添っている。
壇上で、祝賀スピーチが始まった。
どこかで名前を聞いたことのある文芸評論家が登壇し、今回の受賞作を手放しで褒め讃える。
そのスピーチを熱心に聞き入るひとたち、この隙にとばかりに料理に群がるひとたち。
ここはわたしの居場所じゃない。
帰りたい。今すぐに、自分の存在をこの会場から消し去りたい。
あるいは今すぐに教授とふたりで、よく行くあのラブホテルにワープしたい。
居心地の悪い思いをさせてごめんね。ほんとはきみのことだけ見ていたよ。そうささやいて抱きしめてほしい。
けれど、貧乏学生としては8千円も支払った会費の元をとりたい気持ちもあって、わたしはビッフェのテーブルに歩み寄った。
鴨のパテ、麻婆豆腐、ペンネグラタン、いちじくの生ハム巻き、ラディッシュのサラダ。
統一性のない多国籍の料理を少しずつ自分の皿によそい、壁際に戻ってひとり、もそもそと食べた。
有名ホテルだけあって味は格別だが、ちっともおいしく感じられない。
それでも、貧乏根性でデザートまで食べた。立方体に切り分けられた小さなケーキ。
300人はくだらないだろうと思われる客たちは、グループに別れて飲食しながら笑いさざめいている。
見事なまでに誰からも話しかけられない。
同じ大学の国文科の教授を見かけたけれど、向こうはわたしの顔など知らず、肘をぶつけながら通りすぎていった。
わたしの存在なんて、ここでは空気かそれ以下なのだ。
コーヒーを飲んだら、帰ろう。
この居場所のなさも、不倫なんてしてませんという顔でちやほやされる教授を遠目に見ているのも、苦痛すぎて限界だった。
そのとき、ひとりの美しいひとがこちらへ向かって歩いてくるのが視界に入った。
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