第3話

ひとり立ちを決心した僕は、夕食前、まずは父親にそのことを話した。

そうしたら、当然そんな突拍子とっぴょうしもないことを言われた父親も、

「何を言っているんだ?」みたいなリアクションをした。

僕ももちろん負けてはいない。

「もうおれも子どもじゃないんだし、自分でできるところまで

自分でやりたいんだ。別に親子のえんを切るってわけじゃないんだし・・・

一か月に一度は顔みせに帰ってくるから。」


いろいろ、言葉をしぼって説得をしてみた。しかし、父親も

「一人暮らしってのはな、いろいろ準備が大変なんだぞ?

電化製品もそろえなきゃいけないし・・・それに、お前ももう9年目だろ?

新社会人が春休みじゅうにやるんだったらわかるけどよ・・・」


そうなのだ。僕はタイミングをあやまったのかもしれない。

新社会人がやるようなことを、今頃やるのは、まとはずれだと言われているようなものだった。

それがどうした。カップラーメンを開発した偉人は、

「人生に、遅いということはない」という名言を遺している。

遅かれ早かれ、僕は自分から苦難に直面した生活にいどもうとしている。

間違っているとは思わない。


親になんと言われようと、ひとりになってやる。―――そう思っていた。


その夜。

僕がトレーニングジムから帰ってきた時だった。

「ただいまーー」

夕飯が食卓に並べられている。まだみんな手をつけていない。

献立は、大好きな回鍋肉だ。


父と母は、黙って向き合って座っていた。

「・・・どうしたんだよ、まるでお通夜つやだぞ?」


おもむろに口を開いたのは、父のほうだった。

「なあ、母さんさみしいってよ。お前が居なくなって」


「・・・やっぱ話したのか」


そう。何のことかは、すぐにわかった。僕の独り立ちのこと。今日中に話さなく

てはならなかった。自分の決めた判断が正論かどうかにとらわれて、母に話すのを

すっかり忘れていた。


「あんた、ひとりでやってけるの?」

ついに母が口を開いた。僕は黙ったままだ。

「一人暮らしってね、大変なんやよ?炊事、洗濯とか、できるの?

なんでもひとりでやらなかんのやよ?わかっとる?」


僕も、反撃に出る。

「そんなことわかってるよ。おふくろと親父に相談する前に、いろんな

人に相談した。会社の先輩は、”炊事、掃除、洗濯ぐらいできればひとりでも

生きていける”って言ってた。おれもそれくらいの苦労は考えて・・・」


「じゃあ、どうしてここを出たいと思った?」

父親が言う。

「どうしてそんなに逃げ出そうとするんだ?父さん母さんが今まで

干渉しすぎたからか?なにひとつ、不自由ないようにしてたのに・・・」


「そ、それは・・・・」


言いたいことは山ほどあった。でも、うまく言えなかった。


言ったら、逆ギレというか・・・キレられるのが怖かったのだ。

それで今まで溜め込んできた。ロクに両親にも相談できなかった。


「おふくろも、言ってたじゃない。こんな田舎、とついできて

失敗だったって。東京みたいな都会に住みたいって。だから、おれも

おんなじ気持ちだったからさ」


「そんなこと言うたって、住めばみやこだわ。とついで来たんだでしゃあない」


それは、手の平を返すような言いぶりだった。なんとしてでも、僕を引きとめようとしているのだ。


「不満があったら、言えばいいじゃないか。ずっと溜め込んだままだと、

お前・・・そのうち爆発しちゃうぞ」父は言う。


「・・・怖かったんだよ。なんでもかんでも話せるもんじゃない。

なんか、話したら、キレられることもあると思って・・・」


「キレられるって・・・そりゃあ、あんたが小さいころはムキになったけど、

あんたももう大人なんだから、オトナ相手にキレるなんて、みっともないことは

しないと思うわよ・・・」


「・・・ホントかよ」


ようやく、僕の気持ちを理解してもらえるところまで漕ぎつけたのか、

両親はこう言った。


「まあ・・・今まで干渉しすぎたみたいだ。これからは、なるべく

なんやかんや言わないようにしてあげるか・・・・それに、お前が

やりたいって言うなら、背中押してやるかだよな。」


「うん、まあ、やってみんせえ。まず、一か月くらい挑戦してみて、

心細くなったら、いつでも帰ってきていいから。もう何も言わんよ」


そう言われた。


やっと、夢の一人暮らしの許可をとれたと言うのに・・・なぜか心は

複雑な気持ちにかられていた。


それから、ようやく僕らは夕食の回鍋肉ホイコーローに手をつけることができた。

無言で囲む食卓となった。


そこまでが、僕が20代後半におこした印象的な出来事だ。

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