もう二度と触れることのできないあなたへ

silvester

あなたが残していってくれたもの

 彼は一人である場所に訪れていた。


 そこには多くの墓標が並び、それには不釣り合いなほど美しく月の光をそのまま写したような花々が下に眠る骸に寄り添うように咲いていた。


 彼は一直線に、墓の並ぶ霊園の間を歩き、今はもう触れることのできなくなってしまって久しい人と、この場所で対面するのは何度目なのかさえもわからない彼女の前で立ち止まった。


 そして彼は思いがけず息を漏らすように書いてきた手紙の上の言の葉を紡いだ。一番聞いて欲しい人には届いているのかも分からず、少なくともそれに返す声はないというのに。




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 拝啓 愛しい君へ


 手紙にこれから言うことを書いてきたのは、そうでもしなければ君との思い出が言葉と一緒にあふれて言葉にすることができずに、いつも僕を急かすせっかちな君が焦れてそこから飛び出してきてしまうのではないかと思ってね。


 えーっと、別に悪口じゃないからね、うん。君が僕を今まで引っ張ってきてくれたっていう意味だから怒らないでよ?


 もう君には会えないと分かっていても、気づいたら君宛の手紙を書いたり君に会えるんじゃないかと思って思い出の場所に行ったりしてるんだよね怖いよね。


 君は忘れちゃってるかもしれないけど、枝垂桜が一本だけ咲いているあの丘とか、初めてのデートで行った植物園とかね。そういえばあのときのデートで僕5分くらい遅れちゃって、君にガミガミ怒られたよね。あの時なかなか機嫌直しくれなくてちょっと焦ったよ。


 僕が働き始めて仕事に熱中してた時、君をほったらかしにしちゃって逆に君が僕を無視してたこともあったよね。


 僕は昔から不愛想でいつも人の裏を読んで、危なげなく立ち回ろうとしてたけど、君は勝手にその壁を破ってそれまでの僕をぶち壊しにきた。あのときはただただ戸惑うことしかできなかったけど、今は感謝してるよ・・・本当だからね?


 こうして頭に浮かぶ思い出だけを言葉にしてもまだまだ足りないほどの多くのことを、あなたは僕に残していってしまったね。ある昔の人は、男の人に花の名前を教えておけばその男は相手のことを思い出すだろうと言ったそうだよ?


 花が毎年必ず咲くからという理由を聞いたときには納得しちゃったけど、さしずめ僕は君との思い出がその代わりかな。本当困った人だよね、君って。思い出作るだけ作っといて君は僕を置いてあっという間に先にいっちゃうんだもん。これって独りよがりっていうのかな?


 僕が君のことを傍に捕まえておけなかったのは、そうなるはずの定めだったのかな、それとも僕の力不足かな。


 もし前者だったとしたら、カミサマはなんて僕たちに優しくなくて、世界はこんなにも僕たちに残酷に作られているのだろう。君なしで僕に輝いて見える世界などありはしないのに・・・


 君が僕とともに思い出を紡いでくれていた日々はもう随分と昔のことのはずなのに昨日のことのように感じられるよ。ねぇ、君が僕に残していったものは多いけれど、僕はあなたにそれに値する何かをあなたの心に残せていたのかな?もし残せていたのならいいな。


 僕は君の残してくれたものを抱えてこれからも歩んでゆきます。見守っててね?


                        あなたを愛する一人の男より


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 彼は手紙を読み終えた後も、瞼がくっついて離れなくなってしまったのではないかと思われるほど長い時間目をつむってそこに立ち尽くしていた。


 するとそこへ、15、6ほどであろうか。まだ幼さをのこす少女が彼に走り寄ってきた。


「ちょっとお父さん、私を置いて先にお母さんの墓参りを済ませようとしないでよ。私だって言いたいことあるんだから。」


 彼女は彼の娘のようだ。顔立ちが似ている。


「どうせ他愛のないことでしょう?すぐに済ませてしまいなさい。」


「そんなことないよ!例えばお父さんが雨が降りだしても洗濯物取り込んでくれないとか、こないだの授業参観こなくていいって言ったのに見に来たかと思えば終始だらしない表情だったこととか、なんか最近加齢からくる匂いがお父さんからし始めたこととか、お母さんに聞いてもらわなくちゃいけないんだから!」


 彼の娘は少々彼にあたりが強いように思われる。彼は顔を抑えてうつむいた。


「そんなことお母さんに言わないでよ!ただでさえしっかりしてない男だと思われてたのに、それ聞いたらお母さん僕を嫌いになっちゃうよ!」


「まぁ、言うけど。それにお母さんがお父さんのことを嫌いになるなんてありえないと思うし。」


 彼女は彼の言動を無視してお母さんに告げ口をするらしい。


「もうすっかりお母さん似の娘に育っちゃったなあ・・・」


 父親は父親で、しょうもないことで感慨に浸っている。


「お父さんに似てるって言われるのは癪だけど、お母さんに似てるっていいうのは嬉しいな、私。叔父さんたちがお母さんは綺麗な人だったって言ってたし。」


「まあ、お母さんのほうが綺麗でかわいいけどな。」


「うっさい、妻バカ。」


 胸を張って妻を自慢する父親に、娘は冷たく返した。


 正直この父娘の喧嘩を母が見ていたなら、照れながら二人の頭にげんこつを落として喧嘩両成敗としていたところだろう。というか早く墓石をきれいにして供え物を供え、線香をあげろと思ってるかもしれない。


 それを知ってか知らずか二人は墓石を磨き線香をあげた。


 父に遅れてきたために、お墓に眠る母と話しそびれていた娘は母に語りかけ始めた。半ば念じるようにしかめっ面で手を合わせていた娘に吹き出しそうになったが、一生懸命にしていた娘に悪いからと口を押さえていた。


 父も心に残る淡い思い出をかみしめるようにそっと目を閉じ今は亡き愛しき人にこう告げた。


(君が残していってくれたこの娘を大切にして、君のいないこの世界でもなんとかやっていくよ。いつまでも愛しているよ。)


「じゃあ、帰るか。」


「まだ私お母さんに言わなきゃいけないこと半分も言ってないのに!」


「どうせ告げ口でしょ?もう帰るよ。ついてこなかったらここにおいてくからなー。」


 ごねる娘を軽く脅す父。悪口を言われることをどれほど嫌がるのか。


「分かったから待ってよ~。」


 置いて行かれてはかなわないので娘は父を追いかける。こういうところが告げ口されると思うのだが。




 道半ばにして願いを叶えることができず死にゆく者、願いを叶えて幸せな死を選ぶことが出来た者、いずれにせよその死にゆく者たちを己の道の途中に置いて行ってしまう生者たちは、もしその人生という長い道が目に見えたとしたら生者は非道に映るだろうか。我思う、答えは否と。ともに歩んでいた者が転んで立ち上がれなくなったとしても、それを残されたもう一人が思いを理解して受け継いでいくだけでも死にゆく者は幸せなのではないだろうか。


 人の想いは残される者たちへバトンタッチされるからこそ、儚くも尊いのではなかろうか。



 

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もう二度と触れることのできないあなたへ silvester @daikikai1231

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