第12話 切り札はいつもここに

「嫌だ!」

「だめだ!」

 病院のロビーで言い争う声が聞こえる。その様子を見る人々はみんな迷惑そうにその中心を睨んでいた。

 そこには真っ赤に染まった服で包帯を巻いた男と、それに対抗するおっさんがバチバチと火花を飛ばしていたのである。

 そう、文了と台東である。

「医者から一日安静に病院で寝てろって言ってるだろうが! おとなしく病室へ行け!」

「嫌だ! 病院食って少しの量しか出ないだろ! 私なら大丈夫だから帰る!」

「お前についてはこの病院はよくわかってるからそれぐらいの配慮はしてくれるはずだ、だから、病室にハウスだハウス!」

「私は動物じゃないし、ハウスっていったら事務所に帰るからな!」

 ギギギ……と互いがにらみ合い、なかなか言い争いは終わる兆しはない。

「あんたら、ここが病院だと思ってやってるんかい! ちっとは静かにしなさい!」

 そんな二人を背後から看護服に身を包んだ、年配の女性がバインダーで背中を思いっきり叩く。

「ってぇ!」

「ったぁ!」

 その衝撃に台東も文了も悶絶していた。

「婦長! 私、怪我してるんですよ。怪我!」

 文了は痛そうに背中をさする。

「怪我してる頭を狙わなかっただけありがたいと思いなさい。まったく、親子が二人仲良く神聖な病院でうるさく口喧嘩なんていい度胸だね。いい迷惑だよ!」

「いや、このおっさんと親子になった覚えはないよ! 好き好んでもありえない話だよ!」

 文了はそう訂正を入れる。

「でも、戸籍上は何がどうあれ親子だろ? だから、紙を渡したんだ」

「あぁ! あの結果渡したの婦長なんだな! 駄目でしょ! 先生の許可がなかったら」

「うるさい」

 またバシンと背中を叩く婦長。

「いってぇ!」

「これに懲りたらとっとと用意された病室に戻りなさい。ちゃんと助手さんにも連絡を取ってあるから、稽古が終わったら来るそうだよ」

「そうだ、さっさと病室へ行け」

 台東が婦長に続く。

「でもぉ、倒れた奥さんのことが気になるし、それに、お腹空いてきたし……」

「文坊のためにこの病院でとびっきり可愛い看護師を担当につけたから安心しなさい。それに、私お手製の筑前煮をたんまり持って来てあげるから、それで、今日は大人しくしときなさい」

「えっ、じゃあ一日安静にしときます!」

 文了は婦長の言葉に目を輝かせていた。

「まったく、お前の性格の単純さと言ったら……」

 そんな様子を見て、台東は頭を抱えていた。


 病院から用意された105号室へと入り、血でべったりと染まった服を脱いでいく文了。

「それにしてもアンタが探偵業をやるとは思わなかったねぇ」

 婦長は病院着をスツールの上に置きながら話し始める。

「そんなに意外かなぁ。適度に収入が入っていつでもご飯にありつけるのが探偵業しか思いつかなかったから」

「まぁ、文坊の場合は一般的な職は無理だとは思ったけどね」

「おっさんといい、婦長といい、酷いなぁ。これでも私の心は結構繊細なんだよ。それに、探偵業は本当の夢を叶える第一歩だと思っているから、今のうちにお金は稼いでおかなくちゃ」

「ほぉー? どんなことをしたいんだい?」

「干し芋農家!」

「は?」

 自信満々に答える文了に婦長は狐に抓まれたような表情をする。

「干し芋農家になって、自分で芋を干して自分で食べる! これぞ最強のサイクルじゃない!?」

「ははっ。実に文坊らしい発想だなぁ。そのための資金調達で探偵を選ぶところもなんとまぁ、血を争えないところがあるねぇ」

「おっさんのかい? いやいや、そもそも血のつながりのないただの他人だよ。戸籍上は親子だとしてもね」

「……じゃあ、例の犯人を自分で見つけ出して捕まえようとでもしているのかい?」

 婦長の問いに文了は真顔で婦長を見る。

「ははっ、まさか。あの事件はすでに時効だし、それに……」

 文了はニコニコしながら、婦長が置いた病院着に袖を通し始めた。


「ぶっちゃけ、あの人がいなくなって私は清々しているよ」


 そういう文了の表情にはどこか影が見え隠れしていた。

「そうかい。それならいいんだがね。あまり無理はするもんじゃないよ。アイツも心配しているからね」

「アイツっておっさんのこと? いつも私に近づくなとか言ってるだけだから、心配なんてこれっぽっちもしていないと思うよ」

「アイツもそれなりに不器用な男だからねぇ。事件に巻き込まれたら困るからと心配しているのに、お前にかける言葉が出てこないだけさ。私はいろんな患者と出会ってきたからそんなことくらい朝飯前さ」

「ふーん。そういうもんかなぁ……」

 文了は床に転がした衣類をビニール袋へと詰め込む。

「そういうもんさ」

 婦長はそう優しく微笑みかける。

「着替えは終わったか?」

 ちょうどそのとき、台東が文了の病室へとやってきた。

「え、もしかしておっさん、私の生着替えでも見に来たの? えっ、愛息子の着替えシーンを覗くなんて破廉恥の極みじゃない!?」

「誰が愛息子だ! お前の着替えなんて覗きたくないわっ! 例の落下事故の調査が終わったから、お前に知らせに来ただけだよ!」

 台東はそうツッコミを入れる。

「ちぇー。あっ、そうだ。おっさんに見せたいものをそういえば現場で拾ったんだ」

「おい、勝手に現場に落ちているものを拾ってくるなとあれほど……」

 台東が言い終わる前に文了が取り出したのは、ところどころ文了の血がべっとりと付着している一枚のカードだった。

 そこには、


『はジめの事件ハ、成功だ。またオまえの周りデ誰かガ消エる』


「これは……」

 台東はそのカードをじっと見つめる。

「たぶん、脅迫状第二弾だね」

 文了はそのカードを持ってニヤリと笑っていた。

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