3

「お預かりしたトカゲが脱走しました」

そんな連絡が役所から川端先生のところに来たのは3日後の事だった。


川端家から増島家に連絡があり、更にますじから私に連絡が来たのはその日の深夜。

トカゲは「被験1号」とかなんとか堅苦しい名前をつけられ、保健所の屋上に簡易的に作られた檻に収容された、らしい。

映画なら害獣として駆除される、そんなところかと思っていた。しかし研究機関との調整が先、とのことで命の危機は当面回避されたようだ。

サイズ的にはあれ以上大きくなることはなかったようだが、餌として大根の葉っぱを与えたら途端に元気になり檻を破壊して猛スピードで逃走していったのだという。

まさしく川端先生の協力の元、役所経由で日本各地の生物学の権威に相談していたところだったという。


私はバイトを終えた後に蒲田駅屋上のベンチで増島を待っていた。

今日は増島のお母さんのお店で髪を切って貰う約束なのだ。最近お店が移転したというので道案内役の増島を待っている。

カラフルなミニ観覧車をぼんやり見つめながら、私はカロリーメイトを齧っていた。

その時。


空を大きな鳥が飛んでいる。


最初はそう思った。

しかし目をこらしてよく見てみると、その大きな鳥は見覚えのあるピンク色だった。

私は目が良い。それだけが取り柄だ。だから写真を撮っている。

慌ててカメラのシャッターを切った。

しかしこの辺りから羽田空港も近い。

あんなのが空を飛んでいては空の便は混乱しないのだろうか。バードストライクだって心配だ。

私のそんな心配をよそに、そのピンク色の飛行物体は、くるくると旋回した後に羽田の方に消えて行った。


増島と駅前の焼肉屋で安い焼肉を食らっていると、彼女のスマホがテーブルのすみっこでピカッと光った。肉を焼く手を止めた増島はニヤリと笑う。

「あのトカゲ、先生の家の庭に帰って来たって」

帰巣本能か。

「どーすんだろうね」

「さあ?」


トカゲは首にレースのリボンではなくGPSと小型カメラを装着したベルトをつけられていた。

むしろこれが嫌で逃亡を図ったように思える。

増島が再び「これ、一番安いのだけど学生にはバカになんないんだよ、心して受け取れ」と言いながらレースを持ってきた。

いや、そのレースは私がコスプレ衣装を作った際に余ったから増島に寄付した物だ。

安物なのは否定しない。だがしかし。

そんな私の思いをよそに、トカゲは嬉しそうに体を揺らす。

「リボンが気に入ったとか、この子は女の子なのかねえ」

川端先生は呑気にそう言いながらGPSとカメラに掛からないように気を配りながらプールに水を足す。

私はむしろこの小型カメラに何が写っているのかを知りたくて仕方ない。


川端先生の庭でアイスをご馳走になっていると、区役所の人と保健所の人が「研究施設の偉い人」を連れてやってきた。

わあ、まるで映画みたいだね。

そんな言葉が思わず溢れてしまう。

だってその偉い人は白髪混じりで眉間にシワを寄せて全身から「私は偉い人です」というオーラを発していたから。


このトカゲは一先ず伊豆の大きな山の近くにある研究施設に引き取られる事が決まったそうだ。

「中学校の林間学校で行った、伊豆」

私がそう言うと、増島は「私は小学校の移動教室が伊豆だった」と言う。

「伊豆に大田区の保養所みたいなのがあるからね」

川端先生がそう教えてくれる。

仕方ないのでビニールプールごと軽トラックの荷台に空飛ぶトカゲを乗せる。

でも移動中に水が溢れるだろう、そう思いながら見ていると、とりあえずまた区役所に移動してから再び対策を練ると言われた。

後ろのドアを閉める時、私も増島も川端先生もトカゲに手を振った。トカゲはこちらを見て、軽く羽を揺らした。

「なんか愛着湧きそう、早く見えなくなるまで遠くに行って欲しい」

増島の言葉に私と川端先生は何度も頷きあった。

私は去り行くトラックの背中を写真に収めた。


その夜は川端先生の家で夕飯をご馳走になった。

まさか拾ったトカゲ1匹のために、友達の隣人の生物教師とまで仲良くなる日が来るなんて思わなかった。

先生はどんな馬鹿馬鹿しい質問でもわかりやすく答えてくれた。

もし自分の高校にこんな生物教師がいたら、理系に進んでいたかもしれない。でもそうしたら増島とはここまで仲良くなっていなかったかもしれない。


それから1ヶ月後。

私と増島と川端先生は再び川端家裏庭に降り立ちきょとんとした顔の大きなトカゲを見下ろして「うーん、どうしよう」と話し合っていた。


トカゲはのんびりとした動きで、はむはむと草を食べている。


「もう先生が飼いなよ」

増島がそう言うと、先生は「でも家はもう犬がいるからなあ」と困った顔を見せる。その犬は軒先で寝ている。トカゲには余り興味が無いようだ。

私はまたトカゲをカメラに収めた。


表に出せない写真になるのはわかっていても、撮らざるを得なかった。

トカゲが何度もこの地を目指す本能があるように、私にも撮りたい物を撮る本能がある。


外で車が止まる音が聞こえた。そして呼び鈴を押して裏庭にやってきたのはやっぱりあの眉間にしわを寄せた白髪混じりの研究所の偉い人だった。

偉い人も困り果てた顔でトカゲを真っ直ぐと見つめていた。

「君は一体どうしたいのだい………」

立派なおじさんがピンクの不思議な生き物を前に項垂れている姿はとても可愛らしかった。

私が思わず「写真、撮ってもいいですか?」と聞くと、増島に頭をはたかれた。川端先生は笑いをこらえている。

でも、目の前の風景が余りにも平和だったから。


トカゲはどう見ても川端先生とますじになついている。


私達はトカゲの事を他言しないよう、役所の人に何度も念を押され書類にサインまでさせられた。川端先生は「この子達はまだ学生なのにそんな事までさせるのか」とぶつぶつ文句を言いながら立派な判子を押して書類を突き返していた。

役所の人は「悪いようにはしませんので………」と言いながら頭を下げてトラックに乗り込んだ。


それから1年後の夏。


私とますじは川端先生に引率され伊豆の山奥に来ていた。

改めてピンクのトカゲのために作られた山奥の小さな研究施設。プレハブで出来ている。

我々はトカゲの秘密を守る代わりに、夏場に避暑も兼ねて格安で近くの民宿に泊まらせて貰える事になっていたのだ。

遊びに来ても良いけれど秘密は守って下さいね、という取引。

川端先生に「2人とも、大学を出て就職したら気軽に一緒に遠出するなんてそうそう出来なくなるよ。折角だから一緒に行かないか?」と持ち掛けられ、成る程と思ってOKした。


研究施設の裏庭にある小さなプール、そこで更に一回り大きくなったトカゲが気持ち良さそうに泳ぐ姿を私達はじっと見つめていた。


どこからやってきたのかわからないピンクのトカゲ。

研究施設の人は「恐らくトカゲの仲間の突然変異みたいなもの、だけれど何故都心の公園で発見されたのかはわからない」と言っていた。でも、これからどこかで似たような種が見つかるかもしれないからこの子の研究をひたすら続けるしかない、とトカゲの瞳孔をチェックしながら教えてくれた。

トカゲはとても元気そうで、人が近付いても怯える事も威嚇も無い。

大型犬、と思えば家でも飼えそうな、そんな気がする。

でも東京はめちゃめちゃ暑いから無理だよ、砂漠より暑いよ、とますじは笑う。


あの夜、増島は私に問い掛けた。

「あのトカゲが本当にゴジラみたいな怪獣だったらどうする?」と。

私はただ、日常として受け入れるしかない、と今ならそう答えるだろう。

そして今度は一緒に写真を撮るんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怪獣とタイヤの話。 タチバナエレキ @t2bn_3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る