赤沼修二
「次」
ドアを叩いて入ってきたのは初老の男性。
「やあ、久しぶりだね」
「どうも、赤沼先生」
ヒラタが赤沼先生と呼ぶ彼は、帽子を取ると持っている杖を軸に静かに椅子に腰かけた。
「最近の調子はどうだい?」
「仕事も体調も順調ですよ」
「まさか、君が私の後釜になるとはね。最初に会った時には思わなかったよ」
赤沼が乾いた笑いを漏らす。
「自分もまさか、この道に進むとは思っていませんでしたからね。面食らっていたのはこっちですよ」
「私のこの天才的な手腕で完治しない者はいなかったよ」
このサイコパスめ。自分の仕事を増やすために、一般人をサイコパスにするなど。しかも、サイコパスを治す医者でありながらこの私がサイコパスにされていたなどと。
「ええ、おかげさまで。おい、クロス」
奥からずんぐりと巨体が姿を現した。その姿を目にした赤沼は愕然とした。
「き、君は。死んだはずじゃ。なぜ、なぜそこにいる。幻覚か、錯乱か」
「いえ、先生。現実です」
赤沼は過呼吸気味になっていた。杖に体重をかけ、座りなおすとようやく呼吸を落ち着け始める。
「だ、だが良かった。私も二人の元患者と会えるとは嬉しいよ」
「元? 患者?」
ヒラタは赤沼に問い正す。
「…………」
相変わらずクロスは無口だが、拳は強く強く握られていた。
「実験体の間違いでしょう? 先生」
「実験? ははは、何を馬鹿なことを。平田君、仮に実験だとしても、成功しているんだからいいじゃないか、君はこうしてまともな人間に更生しているのだから」
「クロスを見てなお、よくそんなことが言えますね」
「黒須君には本当に申し訳ないと思っている。あれは私の軽はずみだった」
「あなたは自身の行ったことがわかっていないようだ。あなたは自身の元に訪れた身寄りのない人間を選び、その頭蓋骨を開け直接脳を弄ったんだ!」
「止めろ! 違う、違うんだ。話を聞いてくれ」
「何が違う! その結果がこれだ! クロスはろくに喋れない!」
ヒラタはクロスを力強く指さす。
「私は純然たる研究を――」
「何がサイコパスを治す、だ。サイコ野郎。お前はクズ野郎だ」
怒鳴り散らすヒラタに戦々恐々としたのか、赤沼は椅子から転げ落ちる。
「君も医者ならわかるはずだ、平田君。医者は患者を治すんだよ。患者はいなかったら作らなければならない。なぜそれがわからない」
「その作られた患者は今あなたの前にいる。洗脳、教育、手術をして、あなたは今! 目の前に狂人を作り上げた」
「君の人生もそんなに悪いものじゃなかっただろう」
「どの口がほざく。サイコパスにされた人間がこの社会に適合するなどできない。それを教えたのは赤沼先生、あなただ」
「あーぁあああ! なぜだ、なぜ黒須君がいる! 平田君、君も黒須君に会うまではまともだったのに」
「マトモ?」
ヒラタの口が止まる。赤沼も何かを察したのだろうか。喚き散らすことをやめた。
「…………」
「いつから自分がマトモだと?」
「君はまともだ! 平田君!」
「いいえ、先生。あなたは勘違いをしている」
「黒須君と君が会遇していたことかね?」
「あなたはサイコパスを作ることには成功した。だが、この世にサイコパスを治す方法なんてないんだ」
「あぁ……」
クロスがため息をつくように口にした。
「わたしは、あの日からずっと、ずっと」
「…………」
「サイコパスだ」
沈黙。
無音。
静寂。
赤沼は絶句した。そして腰を抜かしながら、ドアに近寄ろうと震える手で宙をかいた。
「クロス。やれ」
赤沼の絶叫が室内に響く。
「赤沼先生。これは私があなたに贈る処方箋だ」
血が噴き出す。クロスは返り血で全身が鈍色に染まっていた。
赤沼の絶叫は強弱があった。特に声が大きかったのは四度だ。
診察室は返り血で模様替えされた。その中央には四肢をもがれた赤沼がヒクヒクと痙攣しながら、涙を流し、泡を吹き、気絶していた。
ゴミでも見る目で赤沼を見下ろすと、ヒラタは四肢の切断面に包帯を巻き止血した。
「クロス、こいつを手術台に運んでおけ」
クロスは豚でも担ぐかのようにひょいと赤沼を持ち上げると、奥へと消えていった。
ヒラタは携帯を手に取る。
「浅井涼香さん。ちょっと来てくれませんか。プチッとできる人物を用意したので」
「ええ、あなたでも簡単にグチャグチャにできる状態ですので安心してください。死んでも大丈夫ですよ。ええ」
携帯をポケットにしまうと、タオルで両手を拭い、椅子に腰かけた。
「私もあなたと同じだ。ずっと処方箋を出し続けてきた」
赤沼のカルテを投げ捨てる。
赤沼修二。
処方箋。四肢——(血で汚れて見えない)。
「これは、サイコパス『へ』の処方箋じゃない。サイコパス『から』の処方箋だ」
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