石黒勝
「次」
警官が入ってきた。ドアを挟んで、右の警官は定年間近の警官は何度か見た顔だ。左の警官は初めて見る顔、新米だろうか。
「ヒラタ先生。ご無沙汰しています」
初老警官は、警官帽を取ると恭しく挨拶をした。隣の若手警官も左に倣って挨拶をする。
「やあ、成嶋さん。お元気そうで」
「右のこいつは近藤です」
「近藤です」
「どうも」
「そして、後ろのこいつが石黒です」
成嶋が手に持っているヒモをぐいと引っ張ると、若そうな青年がつっかえながら二人の後ろから姿を現した。
「おい、急に引っ張るなよ」
「黙れ」
成嶋が声色を変えて、青年を正す。
「そいつが例の一家集団殺人犯か」
ヒラタはカルテを一枚めくると、青年を仰ぎ見た。拗ねたような顔からは、青年の不機嫌と不愛想がうかがえる。
「はい。詳しくは先に提出した書類に記してあります」
確かに、カルテの後ろに留めてある書類にはびっしりと石黒の事件での行動、言動そして半生が記されている。
「ところで、なぜ石黒を前にして移動していないんだい? 普通、罪人は警官の前を歩かせるものだよ」
「前にしておくとヒラタ先生に飛び掛かるともわかりませんし……というのは冗談で、こいつはもう何ら抵抗することはないんですよ。所内でも模範囚でしてね。ただ口が悪いだけです」
「信頼しているんだな」
「けっ、何だよ。何が信頼だ」
なるほど、口は悪そうだ。
「おい、さっさと座れ」
「ヒラタ先生。こいつは治りそうですか?」
「質問してみないことにはわからないな。成嶋さん、こいつはもう死刑囚だって書いてあるけど、治療したところで意味はあるのかい?」
「刑務所長が治療させろと言うんだ。治療した建前というか、どうにもならなかったという世間体の問題だろうな。仕方なく連れてきたってわけだよ」
若手警官、近藤が話に割って入る。
「法廷では精神疾患について、責任能力の有無だとかを揉めていたらしいですが、そんなことよりこいつ自身に反省の色が見えない。計画的殺人、贖罪なし、死刑になって当然ですよ」
「近藤。ここにいる間お前は口を閉じていろ」
成嶋が鋭い目つきで近藤を睨みつけると、近藤は不服そうに下を向き、以後喋ることはなかった。
「無駄になるとわかっているのも癪なものだ」
「先生、お願いします」
「それじゃあ質問を開始するが、なぜ殺しを行った?」
「殺しは何となく」
なるほど典型的なサイコパスらしい。人間を殺すことに抵抗がないというところが特にそうだ。
「資料によると、殺したのは計四人。父親と母親と長男、そして次女。四人を殺した後に家の中を掃除し、捕まるまでの二日の間、その家で生活したと書いてあるが間違いはないか?」
「ああ。だが、先生さんよ。俺が嘘をついていないとも限らないぜ」
ニヤリと石黒は笑う。
「そんなこと踏まえてやっているから、お前ごときに心配される義理はない」
「あっそ」
再び石黒は拗ねたような顔つきに戻る。精神年齢が低いということもあるだろうが、サイコパス特有の傾向でもある。
「掃除はなぜした?」
「記念に」
「記念? 証拠隠蔽などではなく?」
「綺麗にしておかないと、せっかくの殺人の記念にならないじゃないか」
「それじゃあ、殺人を犯した現場ですぐ逃げるわけでもなく、その場に居座って寝泊りしたのは?」
「家族っていいよな」
「は?」
石黒は手を組み、幸せそうに天井を見つめている。
「家族団らんを眺めていたんだよ。すぐ近くにいた方が良く見えるし、楽しいじゃないか」
近藤が嫌悪感に満ちている凄まじい形相で石黒を見ている。
「それで現場に留まった、と」
カルテをめくり、次のページに何やら書いていく。
「殺し損ねたんだ」
「被害者は5人家族だったな」
資料には事件当時長女は修学旅行で外出中と書かれている。
「一人だけ。独りぼっち。かわいそうだ」
「ふむ。かわいそうとは思うのか」
「だから、家族のもとに送ってあげたいんだよ」
「ヒラタ先生。こいつは独房の中でずっと、そのことばかりを言っているんです。裁判所でもこの発言から反省の色無し、弁解の余地なしとして、死刑が下りました」と、成嶋。
「母親の肛門に複数の裂傷あり、ということだがこれは?」
「それは、トイレに行きたいって言うから……」
トイレに行きたいと言った?
「何だ、まだその時は生きていたのか」
「ああ、どうだったかな。生きてたっけ、死んでたっけ。多分死んでたんじゃないか」
「死人は喋らない」
「じゃあ生きてたんだよ」
言動が支離滅裂なことに本人は気づいているのだろうか、否気づいてはいないだろう。直感で動くタイプのサイコパスだ。それに幻聴が聞こえる類、一番面倒なやつだ。
「まあいい。トイレに行きたいと言われてなぜ臀部を傷つける必要がある」
「でないでない言ってたから、肛門を広げてやったんだよ」
カルテには殺害された一家の母親の腸は全て無くなっていたと記されている。おそらくトイレで流れたのだろう。
「なあ、お前はいま何がしたい?」
何を言っているんだ、とでも言いたそうな顔で石黒はヒラタを見つめる。
「何って、送ってあげるんだよ。殺し損ねた彼女を、家族のもとへ。だってあまりにもかわいそうじゃないか。ほら、今も俺の耳元であいつらが囁いている。娘を返せ、娘に会いたいいてなぁあア」
石黒は耳をすませるように自身の耳に手を当て、まるで隣に誰かいるかのように相槌を打ちながら、泣きそうなほどに目を潤ませ始めた。
「そうか。それで満足か……なら、お前が死刑になる前に少しは病状が良くなるかもな」
石黒勝。両親に幼いころ捨てられている。愛に飢えているのだろう。
「はっ! 何が良くなるだ。ちっとも良くなるようには思えないがな」
ヒラタは時計をちらと見た。
「今日はここまでだ。次の予約があるんでな。さあ、帰った帰った」
「何だよ。結局何しに来たんだか」
ヒラタは追いやるように二人の警官と一人のサイコパスを追い出した。
石黒と近藤が部屋から出た後、成嶋が何かに気づいたように振り返る。
「ところでヒラタ先生。今日はいつもより生き生きとしているような気がするんだが、気のせいかい?」
「ああ、今日はこの後とっておきの患者が来るんだよ。それと、石黒の始末はこっちでしておくよ。面倒にならないようにしておいてくれないか」
「しかし……」
暫く成嶋とヒラタのやり取りの後、成嶋は敵いませんな、とだけ言い残して、診察室から出ていった。
「それがこいつにとって最良の処方箋になるよ」
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