第3話

終業のチャイムで目が覚めた。どうやら私は眠ってしまい、去年の夢を見ていたらしい。ノートは白紙のままだったけれど、古典は家でもできるので、何も問題はない。

「かなさんどーって沖縄の方言らしいですけど、なんだか百人一首の中にありそうですよね。しずこさんごときには一生無縁そうですけど」

 チャイムが鳴ったばかりだというのに、もうおしずさんがやってきた。私の学校は九〇分授業であり、午前と午後にそれぞれ二回ずつしか授業がない。つまり、今は昼休みなのだ。

「さてと、ブロイラーの代名詞であるところのしずこさんはいつも何を食べているのでしょう。やっぱりアメリカで大量生産されたトウモロコシですか?」

 おしずさんは机の横にかかっている私のカバンをあさり、弁当を探し始めた。乱雑ないじり方で、弁当がなかにはいっていたらシェイクされてしまいそうだった。

「あら? あらあら? 見つかりませんねえ。間抜けだ間抜けだとは思っていましてけれど、まさかお弁当を持ってくるのを忘れてしまうほどだったなんて。ダメですよ、しずこさんは光合成ができるほど優れた生物じゃないんですから。ただでさえちんちくりんなんだから、ちゃんと食べないともっと小さくなって消滅してしまいますよ」

 決して忘れたわけではない。以前、おしずさんが私の弁当をいつの間にか食べているという事件が連日起きたせいで、それ以来私はお弁当の持参をやめたのだ。持ってくることをやめてからは、おしずさんと昼休みに会わないようにしていたので、彼女は今までお弁当がないことを知らなかったのもしかたがない。だから、今日は私が姿を消す前にこの教室に来たのだろう。

「仕方ないですねえ。ママが作った上等なお弁当を家畜の如きしずこさんに分けてあげるなんてもったいないお化けから天罰が下ってしまいそうですけど、優しい優しいわたしはそんなことに屈することなくしずこさんに施して差し上げましょう。嬉しいですか? 嬉しいですよね。じゃあ、少し待っていてくださいね。お弁当を持ってきますから」

 当然のことながら、そんなものを待つつもりはない。どうせエビのしっぽを押しつけられるのだろう。

 私はいつも通り教科書の入ったカバンを持って教室を出た。


 うちの学校は遅刻者が多いせいか、そんな生徒たちでも学校に入れるよう、自転車専用の入り口はいつも開いている。私は自転車に乗って、いつもそこから脱走していた。休み時間中の外出は原則禁じられているのだけれど、警備員や監視カメラがあるわけでもないし、校舎からは使われていない教室からでも見ない限りは見つからないので、私はこっそり家に帰っているのだ。私の自宅は自転車で五分のところにあることから思いついた、おしずさんのお昼ご飯妨害作戦の対抗策だ。お昼ごはんはお弁当だが、インスタントではあっても食後に温かいコーヒーが飲めるというのはなかなかいい。もう暑い時期だから、お昼をそうめんにしてみるのもいいかもしれない。

 学校と自宅のあいだにある唯一の信号につかまることなく走り、暑い日差しの中で吹く生温かい風を感じた。先生に目をつけられない程度には真面目な私の不良行為。最初はどきどきびくびくしたけれど、今ではルール違反を楽しんでいる自分がいた。


「ただいま」

 二階建アパートの角部屋に入る。挨拶したところで、お母さんが働きに出ているこの家では、返事をしてくれるものは誰もいない。留守番電話のランプが光っていないことで、お母さんが職場で倒れたり、事故に遭ったりしていないことを確認する。

 自室の入り、午前中に使った教科書と午後から使う教科書を入れ替える。持っていく教科書を二つに分けることでカバンが軽くなることも、家に帰ることの利点だ。昨日出た消しかすが机に残っていたのを見つけ、それを集めてゴミ箱に捨てる。

 玄関にカバンを置き、キッチンに入って電気ケトルに水を入れる。ガスコンロでお湯を沸かすよりも時間が短縮されるので、一時間しかない昼休みには重宝している。このアパートに引っ越してきたときに買った黒いシンプルなマグカップを取り出し、インスタントコーヒーをスプーン二杯入れる。

 突然、インターホンが鳴った。誰だろう。今日が日曜日だったなら、いつもこの時間に宅急便がくるけれど、平日も同じ時間に訪問していたのだろうか。だとしたら、毎回不在届けを書かせて申し訳なかったなと思う。しかし、おしずさんの嫌がらせが終わらない限り、私はここで昼食をとるつもりなので、配達員に手間をかけさせることなく対応できそうでよかった。

 キッチンの出口のすぐそばについているインターホンの通話ボタンを押し、訪問者の声を聞く。型が古いせいでカメラがついていないこのアパートでは、音声のみで相手を知るしかない。

「はい、どちらさまでしょうか」

「最近、お昼休みになると姿が見えなくなっていると思ってはいましたが、まさか学校を脱走して家に帰ってるなんて思いもしませんでした。どうりで学校の敷地内をくまなく探しても見つからないわけです。真面目な人だと思っていたのに、とんだ悪い子しずこさんだったんですね。尾行して正解でした。待っててって言ったのに。ここ、開けてもらえます? 温和で有名なわたしでも今回はさすがに、滅多にないことなんですが非常に珍しくイラついています。騒ぎにしたくないですよね、違反者の身としては。しずこさん、母子家庭でしたよね。愛娘が校則破って不良みたいなことしてるなんて知ったら悲しむでしょうねえ。いいんですか? 大切なお母さんを悲しませることになっても。わたしとしては全然まったくどちらでもかまわないんですけどお、しずこさんのためを思って忠告してるんですから、その通りにしたほうがいいと思いません? ほらほらほら、こんなぼろアパートには平日の昼間から家でごろごろしてる社会不適合者もいるでしょうから、わたしがここでこんなことをしてたらしずこさんの家が目をつけられることになるんですよ。あー怖い怖い。何をされるかなんてわかったもんじゃないです。だからここを開けてください。開けなさい。開けて。開けてって言ってるでしょう。開けろ!」


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