第2話

 一時間目の授業の数学が始まった。三角関数の公式はすっかり覚えることはできたのだけれど、それを応用した証明問題になると途端にわけがわからなくなってしまう私は、先生の板書を丁寧に書き写し、一言も逃さずに授業を聞いていた。


ノートを走るペンの音が教室に響いているなかで、シャーペンの先でコツコツと机を叩く音が聞こえてきた。おしずさんだ。彼女は授業が退屈になると、いつもこうしている。貧乏ゆすりみたいなものなのだろうか。教育実習生が授業をやっているときも同じことをしてプレッシャーを与え、注意されると声を荒げるでもなく、ただ外を眺めながら「たいくつ」と呟いたのだ。それを言われた実習生は泣きそうだったが、終業のチャイムに救われ、なんとか涙を見せずに済んだ。

 私はペンケースの中に入れてある手鏡で、三つ後ろの右隣の席に座っているおしずさんを盗み見た。彼女は私の背中を見つめながら机をペンで突っついている。彼女が私のことを見ているのは、これもまたいつものことだ。鏡で後ろを映すたびにそうなのだから、常に監視されていると思っても間違いないだろう。


「さっきの問題、くわしく教えてほしいんだけど」

 去年のことを思い出していたら終業のチャイムが鳴り、一〇分間だけの休み時間がはじまった。わからないところは教科書朗読専門の先生に聞くよりも、前の席に座っている委員長に聞いたほうがいい。

「いいよ。ノート借りるね」

 こちらを振り返った委員長は私のノートに途中式とワンポイントアドバイスを書きながら説明を始める。

「くんくん、なにか小物くさいと思ったら、しずこさんじゃないですか。しずこさんは脳みそまでちいさいんですねえ。あーやだやだ。高二の数学で行き詰っちゃうなんて」

 隣の教室からやってきたおしずさんが大きく肩をすくめ、こちらに近づいてきた。私はノートを見つめ、委員長は説明を続ける。

「せっかくだからわたしが教えてあげましょうか。そんな性格ブスよりもわかりやすいですよ?」

「邪魔しないで」

 委員長はおしずさんのことを見ることなく、言葉だけをぴしゃりと投げつけた。

「ちょっと黙っててもらえます? 今はわたしとしずこさんのフリートークタイムだってことがわからないんですか? あなたは格下相手に偉ぶることができて優越感に浸れるでしょうけれど、しずこさんの学力向上のためには誰が適任かなんて議論を待つまでもないじゃないですか。そこ、どいてもらえます?」

 おしずさんが延々としゃべっているなか、委員長も証明問題を解き続け、私はどちらの話も耳に入ってしまい、問題に集中できない。

 結局、よくわからないまま始業のチャイムが鳴った。

「性格ブス、ほんとむかつく。後悔するのはそっちなんですからね」

そう言ったおしずさんは舌打ちし、自分の教室に帰っていった。

「どっちが性格ブスなのよ」

 委員長は前を向き、次の授業の教科書を取り出した。私のノートは見開き二ページにわたってびっちりと計算式が書かれており、半分以上は次回以降やる問の答えだった。


 二限目は古典だった。たいていの生徒はやる気がないので、睡眠学習者数ナンバーワンの授業だった。その例に漏れることなく、私もつい、うつらうつらとしてしまう。


年寄りの先生が百人一首を読み上げているなか、私は窓に反射して映るおしずさんを眺めていた。彼女はにやにやしながら電子辞書をいじって何かを検索しては、ノートに書き記していた。古典が好きなのかもしれない。

 先生に指名されたおしずさんは、きれいな声で唄を詠む。終わって席に着いたときは少し得意げで、大人びた彼女のかわいい一面を見たような気になった。


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