第4話 小説には使えないトリック3 すりかえ

 仕事で出張にでかけたときの話である。


 前日の夜遅くまで仕事が入っていたので、出張当日になってから慌てて準備をして駅に向かった。駅で電車の時間を確認したところで、自分が忘れ物をしていることに気づいた。もちろん仕事の書類を忘れるといった初歩的なミスはしていない、忘れたのは電車の中で読むため本である。

 新幹線に2時間近く乗る予定なので、何も無しはさすがに厳しい。本当なら仕事の資料にでも目を通せば良いのだが、移動時間ぐらいは息抜きをしたかった。


 どうしたものかと周囲を見回してみると、幸いにも駅のすぐそばに古本やら漫画、CDなどを扱っているチェーン店があった。店に入って、何か面白いそうなものはないかと本棚に目を走らせるが、これといったものが見つからない。電車の時間が迫ってきたので、ワゴンで安売りされていた本の中で、適当に目についたものをレジに持っていくことにした。自分の好みにあわなくても、安ければ納得ができるという判断である。


 新幹線の席に落ち着いたところで、さきほど買った本を鞄から取り出す。

昔の本で、ジャンルは戦記物である。あらすじを読むと、冷戦下の世界が舞台で、小国同士の小競り合いがエスカレートして第三次世界大戦に発展してしまうという内容だ。この手の設定は、ソビエト連邦が崩壊してから少なくなってしまったような気がするが、自分としては割と好きな方である。さっそく本を開いて、本文から読み始めた。


 冒頭では、いきなりアメリカを中心とする西側諸国が反撃のための大作戦を開始したことが描写されていた。どうやら、西側諸国はソビエト連邦を中心とする東側諸国に押されて、窮地に陥っているようである。おそらく、最初の方にインパクトのある場面をもってきておいて読者の興味を引こうというやり方だろう。

 読み進めていくと、多くの人物がほとんど説明もなしに登場し、こちらが知らないようなことを平気で会話している。おまけに戦記物なので、戦争の状況を説明するために場面がころころと変わってしまう。最前線の兵士、後方の将官、会議で火花を散らす政治家などが、それぞれの状況で描写されている。

 彼らの会話から、どうして現在の戦況になったのかが、うっすらと読み取れるのだが、どうも説明不足に感じてしまう。少し読みにくいな、と思ったのだが、外国の小説なのでこういう流儀なのだろうと思い直した。いずれ、場面を巻き戻して第三次世界大戦が始まったきっかけなどが描写されるだろう、そう思って読み進めた。


 ところが、いつになっても戦争の始まりについて説明がされないのである。

 それどころか、アメリカの反撃作戦はどんどんと成果をあげていき、このままでは上巻で話が完結しそうな勢いである。

 ここにいたって、私は不審に思って表紙を確かめてみた。もしかしたら、下巻を上巻と間違って読んでいるのではないかと疑ったからである。だが、読んでいる本の表紙にはきちんと「上巻」と表記されていた。釈然としないものを感じたが、きっと作者に何か意図があってやっているんだろう、と思って読み進めていくことにした。


 上巻の終盤に差し掛かると、重要そうな人物が亡くなったり裏切りがあったりと結構劇的な場面が続く。そして、ソビエト連邦内でクーデターが勃発、アメリカは新政府と交渉して和解にこぎつける。

 ここからどう下巻に続くのか、と期待しながらページをめくったところで「終」の文字が記されていた。


 事態が理解できなかった私は、もう一度表紙を見たが、やはり上巻の表記がある。

 ならばと思って下巻の方を読んでみると、ストーリーは東西ドイツの国境と朝鮮半島で不穏な動きが起こっている描写から始まっていて、まだ戦争は起きていない。どう考えても、こちらが上巻の内容である。

 だが、こちらの表紙には紛れもなく「下巻」の文字があった。


 しばらく考え込んだ私は、ふと思いついて表紙のカバーを外してみた。

 予想通りというべきか、上巻のカバーの下から現れたのは下巻である。同じように下巻のカバーを外すと、こちらは上巻だった。

 つまり、どういうわけか本のカバーが上下巻で入れ替えられていたということである。


 なぜ、こんな現象が起こったのか。

 仮説としては、古本屋が本を売る前の点検でカバーを外して戻すときに間違えてしまったのか、元の持ち主が何らかの理由でカバーを入れ替えて売ってしまった、というところだろうか。

 どちらの仮説であっても故意に行われたとは思わないが、私はこのすり替えにすっかり騙されてしまったというわけだ。


 ところで、いくら表紙が上下巻で入れ替わっていても中身を読んだら気づくのでは、という指摘があるだろう。

 だが、私は電車内の暇つぶし用として買ったので、よく考えずに本文から読み進めてしまったのである。多少の違和感は覚えていたのだが、表紙が上巻だったので、中身が下巻であるはずがないという先入観も大きかったと思う。


 さて、このすり替えトリックはいかがだっただろうか。

 実際に体験した私は非常に驚いたのだが、これを小説などで使ったら批判が殺到するだろう。

 何しろ犯人は不明、動機も不明、しかもトリックが成立した大きな要因は、私の注意力不足だったのだから。

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