第12話 桜

「まさか、あそこが本物の地獄だなんて。ほんとうに戻ってこられてよかったわ。助けてくれてありがとう」

「いや……」

 ただ一言そういうと、大原はそっぽを向いてしまった。


 私から視線を外すと同時に私に回していた手も一緒に外してしまい、なんだかそれがちょっとだけ残念な自分がいる。


「大原。もしかして照れているの?」

 彼の頬がわずかに色づいている気がする。それがなんとも可愛い。

 教室では絶対にこんな姿見せてくれないから。

 この件が無ければ、私はきっと大原と話す機会なんてなかったと思う。

 これだけは私にとってちょっと良いって思える事かもしれない。



「照れてない。こっち見るな」

「えー。いいじゃん。減るもんじゃないし」

 ここぞとばかりに私は大原の両手を掴むと、まじまじっと見まくった。やっぱり赤い。


 見られているせいか、余計に大原の顔が赤く染め上げられていく。


「大原可愛いね」

「からかうな」

「からってないよ。だからこっち向いて。ねっ?」

 私は大原が怒らない事を良いことに、ちょっとだけ遊んでいた。

 教室でいつも本を読んでいる大原と違うから。こんな普通な事でも新鮮すぎる。


「あれ~。なんか暑いなー。なんだかここだけストーブがあるように暑いよー?」

「はい?」

 その声でやっと思い出した。この人の存在を。



「僕もいるのに、二人して放置なんて酷いよ。結構地獄では偉いのに」

 閻魔様は右手に所持している扇子で、扇ぎながらニヤつき、私達を見ている。

 彼を見て「どんな冷やかし方だ!」と問い詰めたくなるぐらいに。

 小学生っぽい閻魔様の言い回しに対し、私は無性に腹が立つぐらい余裕が出てきているからもう平気っぽい。

 もしかして小鬼効果かも。ある程度忍耐力ついたみたいだ。


「閻魔様。月山は生身の人間です。あのような事はお辞め下さい」

「悪かったよー。地獄の加護を半分受けているのをすっかり忘れちゃっていてさ」

「ちょっと。そんな大事な事忘れないで……」

 こっちはあんなトラウマ決定な光景見せられたんですけれども。

 絶対に天国に行こうと思った。なるべく良いことをしよう。


「こちらで伺っているのと話が違います。月山の先祖・五郎衛門が天国に行く代わりに、月山がそちらの手足となり働くのではないのですか? なぜ彼が地獄に?」

「なぜ可愛い下僕も大原の者も、そんな風に捉えているのか僕にはわからないよ。大体、殺人以外行なった悪党が、天国に行けるわけがないじゃないか。それがまかり通るようならば全員天国行きだろ? それに僕の裁判は公平公正。これは世の理だ。乱すわけにはいかぬ事」

 パチンと音を鳴らせながら扇子を閉じたら、閻魔様はきっぱりとはっきりと言ってのけた。


 そしてウサギ目で私達を映すが、瞳に優しさや慈悲なんてありゃしない。

猛禽類の如き力強さだけがある。



「最もそれを覆すほどの何か善良な事をしていれば別だよ。だから奴はこのたびの契約を結べたのだからね」

「どういうことですか?」

「あやつは二つの死にゆく魂を救った。女と猫。無論、それだけだと天国には行けぬ。せいぜい罪状を軽くさせるレベルだ。でも奴はそれを望まず、とある条件を僕に差し出して来た。全く、恐れ知らずな人間だとは思わないかい? この僕に条件を持ち出すなんて」

「それが今回の発端?」

「そう。桜の名を継ぐ者の契約さ。初めてだったよ。通常の人間ならば、僕にすがりつくのは地獄から救って欲しいという懇願なのに。あやつは天国にいる恋人・桜にたった数秒でもいいから逢いたいという願いだったんだ。無論、やつの良き行いだけでは不足。そこで代償として正当な対価を貰い受けるのを条件に契約は締結された。そこからの話は大体わかるだろう。それであやつが指名した名を継ぐお前に白羽の矢が当たった。それはアレも知っているはずだが、聞かなかったのかい?」

 私はそれに対し、ただ首を横に振った。

 小鬼め、博物館の展示を見ている場合ではないだろうが。


 重要な件を言い忘れているじゃないか。


 こうなってくると、ちょっとばかり話が変わってくる。

 自分の罪を私に押しつけて天国に行ったと思っていた。


 それが、実は恋人にたった一度だけ会いたかったってのが真実。

 なんだろうか。同情心でも芽生えたのだろうか。


 仕方がないと割り切っている自分もいる。

 ただ腑に落ちないのは変わりない。私なら絶対に罪が軽くなる道を選ぶ。


 もちろん、一秒たりとも躊躇わずに即答。


 けれども五郎衛門は桜さんに逢いたいからその道は選ばなかった。ほんのわずかな奇跡のために。



――いつか私もそんな全部投げ打つ恋とかするのかなぁ……?



 もしその時が来るのならば、この五郎衛門の行為に全面的に肯定する時だと思う。



「おかしいな。アレは知っているはずなのだけれどね。まあいいか。大して重要な事じゃないし」

「重要な事でしょうが。閻魔大王様がこんな適当でいいの?」

「僕にとっては理由なんてどうでもいいのだよ。ただ契約通り、君がちゃんと働いてくれるならね。それに仕事に関しては至極真面目だから問題はないよ。ねぇ。そんなに一々細かい事ばかり気にしていたら、きりないって思わないかい? 君はその辺にある服を着るくせに、こういうのには細かいんだね。あと前から言おうと思っていたんだけど、寝癖直すのが面倒だからといって、毎日ポニーテールって飽きないかい? たまには違う髪型すればいいのに」

「なぜそれを!」

「せっかく桜に似て可愛いのに、中身が伴ってなくて残念だよ。君も見たでしょ? あの映像を」

「もしかして、私が見たのが五郎衛門の記憶なの?」

「そうだよ。君が見たのが、あやつと桜だ。あぁ、あと飼い猫のマタタビも居たね」

「へー。偶然ね。うちのもマタタビって言うの。先祖かなぁ」

そう口にすれば、お兄さんは腹を抱えて笑い始めてしまう。

「何か?」

「いや、君は気づいてないのかい? まぁ、そのうち分かるから気にしないで。それより、君が見た通り先祖の桜は、大和撫子って言葉のままの人間だっただろう」

「……え? 私は五郎衛門の子孫でしょ? もしかして母方の子孫が桜さんなの?」

「君は月山五郎衛門と桜の子孫だよ」

 それってもしかして――月山五郎衛門と桜さんの子供が居て、私はその人の子孫って事。


 私は自分の答えがあっているのか、閻魔様の顔を見た。

 彼はそれが正解とばかりに頷くと、言葉を発した。



「そうだよ、可愛い下僕。桜は、庄屋の娘。罪人のあやつとは正反対に清らかな人間。だから余計惹かれたのかもしれない。人間は他人のモノに憧れ、己が持つモノに気づかないからね。簡潔に説明すれば、二人は人目を忍び逢瀬を重ねた。その結果、子が出来たのだ。その幸せも長くは続かず、庄屋にバレて二人は引き離された。元々終わりしか見えない恋だったのだよ。だが、それすらも打ち消すようなものが愛でもある。落ちる時は落ちる。年の差や身分差ゆえ、決して結ばれる事のない二人だとしても」

 身分違いの恋か。蝶乃姫の事もそうだけど、今の世の中ってあまりそういうのを聞かない。

 玉の輿とか逆玉って言葉聞くぐらいだから。


 そんな風に言われる自由な恋愛が出来る時代が来るなんて、きっと思わないぐらいに、あの頃はそれが当たり前だったんだろう。



「彼らが生きて逢う事は二度となかった。生まれた子供と共に駆け落ちをし二人共再会を前に殺されてしまったから――」

「殺された……? それってあの映像の事だよね。あの後、五郎衛門も殺されたの?」

 なんとか絞り出した声に、閻魔様は頷くとゆっくりと目を閉じ、首を縦に動かす。

元々線の薄い人だと思っていた。


 その場にいるのが不思議なぐらい、今にも消えそうで散りゆく桜のような儚さを含んでいる。



「その後二人は死後導かれ、それぞれの僕の元を訪れた。彼らのそれまでの過程は血なまぐさく決して気分の良いものではない。だから話すのは控えるよ」

 おそらくその言葉から察するに、二人の結末は決してハッピーエンドでは無かったと推測できる。

 だから私も大原もそれ以上の事を閻魔様に聞くことはなかった。


「月山」

「ん?」

 呼ばれて大原を見れば、なにやら表情が強張っている。



「一応俺の傍に居て。それから離れないで。閻魔様。御存じかと思いますがこの空気は……」

 大原の言葉に、私はきょろきょろと辺りを見回すが何も変わらない。


 静まりかえった館内の空間には、ただ空調の音だけがわずかに聞こえてくるばかりだ。



――別に変な匂いとかもしないしなぁ。澱んでもいないし。



 首を傾げ大原を見ると、彼はただ閻魔様の瞳を射ぬいていた。


 それを受け閻魔様は苦笑いを浮かべたかと思うと、右手を上げ指揮を取るようなしぐさをしている。回を重ねるごとに不規則な動きで、何をしているのかさっぱり。


「何しているんですか?」

「んー。僕の部下が待ち切れずにこっちに来ようとしていたから、ちょっとあいつが開いた入り口を塞いだだけ。生真面目すぎて煩いんだよね。少し人間界に行くって言ったら、そんな暇あるなら仕事しろって。息抜きも必要だと思わないかい?」

「確かに」

 私は閻魔様の言葉に同意した。

 ずっと勉強してろって言われたら、集中力切れてしまう。

 だからたまに休憩挟んで頭を沈めてからの方が捗る。



「さてと」

 閻魔様は腕を降ろすと、息をふぅっと吐いた。

「そろそろ行くよ。その前に聞かせてくれるかい? この件を引き受けてくれるかどうかを」

「断れるの?」

「もちろん。ただし問答無用で死後、地獄行き決定だよ。永久に僕の手伝いして貰うからね」

「それって……」

 拒否権ないに等しい。私はひくつく口元を感じながら、この選択しかない現実の無情さを蹴り倒したくなった。


 たとえば、「これが終わったら何でも願い事を叶えよう」っていう御褒美なんて甘いものがあるなら別だが。

 だが、そういう事は絶対にないと言いきれる状況だ。彼は地獄の主だからそういう願い事は叶えてくれそうにない。



「……やる。大原も手伝うって言ってくれているし、雷蔵もいるから」

 うな垂れながらも私は閻魔様そうに返事をした。死後永久に地獄なんて嫌。私は出来るかぎり天国に行きたい。だからこの世でやる。


「そうか。大原の者が手伝ってくれるのなら大丈夫だろう。僕の可愛い下僕を宜しく頼むよ。この子、魔を払う力もないし、風呂嫌いだしで手が掛かるけれども」

「ちょっと待って! おかしい。閻魔様、今おかしい事言ったわよ」

「可愛い下僕。お風呂は毎日入った方がいいと思うよ」


「入っているってば! ただちょっと面倒くさくて、入るのが遅くなってお母さんに怒られるだけよ」

「お風呂が楽しくなるグッズとか揃えたらどうだい」

「だからちゃんと入っているってば! 誤解を招くような事を言うのを辞めてよ。それに私は、お風呂自体好きなの。ただ入るまでが面倒なだけ」

 小鬼のやつ、どんな報告を……プライバシーがダダ漏れじゃないか。

 後で合流したら、あのほっぺた挟みの刑だ。それから、おやつ抜き。


 不機嫌オーラ全開の私を見て、閻魔様は、喉で笑っている。


「――じゃあ、何かあったら知らせてね。出来るだけ対処するようにするからでは、君達がどんな縁を紡ぐのか地獄で楽しく見守っているよ」

「えっ、ちょっと。待って。まだ話が……」

 閻魔様は私が引きとめるのを聞かずに、バイバイと手を振り微笑むと、彼が霧に包まれたかのように徐々に薄くなっていき、消えてしまった。


 それはもう見事に音もなく。


 もしかして本当は閻魔大王じゃなくて、ただのイケメンの手品師じゃないのだろうか。そう疑りたくなるぐらい、個性が強かった。




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