第11話 閻魔大王


「貴方が閻魔大王っ!?」

 壁となっている大原の背から左側へと体をずらして顔を覗かせれば、その石榴色の瞳と視線がかち合う。すると彼は目を細めクスクスと喉で笑って見せた。

 イメージとはなんて怖いものなんだろう。閻魔大王といえば、真っ赤な顔をして岩より遙かに大きな男を想像していたのに、こんな普通なイケメン兄さんだった。



 しかも、凄く派手。着物をよく見ると蜘蛛の巣柄なんですけれども。

 これは地獄製品なのだろうか。人間界にも探せば既製品で似たようなモノあるが。


「やぁ、初めまして。桜の名を継ぐ僕の可愛い下僕」

「げ、げぼ…下僕っ!?」

 そんな台詞を聞いて、私の頭にはあの蒲鉾腹が浮かぶ。初対面のくせに人の事を小娘と連呼したあの小憎らしい可愛くない生き物。


 どうやらやはり、この人はあの小鬼の上司だ。地獄の人間は人格的におかしいのか。

 初対面なのに、下僕扱い……


 そんな感情が行き着く先にあるのは、今まで行き場のなく仕舞い込んでいた憤りだ。

 元凶がここにいるのだ。当然文句の一つや二つ言ったってバチなんて当たらないだろう。


「私は下僕じゃないっ! いいかげんこの呪い解いてくれませんか? 大体どうして私がわけのわからない先祖の取引なんかに利用されなきゃならないわけ? 無関係です。しかも霊感ないし。それでもやれと言うのならは、特殊能力でもオプション付けて下さい。なんでも敵を倒せる剣とか」

 指を指し、お兄さんに自分の思いをぶつけた。

 つい出てしまったソレ。今の私には小鬼にマナーをとやかく言う資格はない。

 きっとこの場にお母さんがいたら、小鬼と私はもれなくきっとブチ切れられること間違いなしだ。



 うちはマナーには煩い。この間なんて、襖を足で開けたのを見られて説教を食らった。

 母は強し。口答えしようものなら、倍になって戻って来る。

 だからお小言モードの時は、大人しく借りてきた猫のようにして何を逃れるのが一番だ。


「っていうか、私に業を背負わせるなんて理不尽すぎ。自分が天国に行きたいだけなのにさ」

「天国……?」

 閻魔様は細長い指で自分の顎に添え首を傾げると、赤い三日月のように目を細めどこか遠くを見つめだした。だがそれでも思い付かなかったのか、やがて視線で私を捕らえた。


「僕の可愛い下僕。君は何か勘違いをしていると思うよ?」

「……え?」

「いくら考えても、あやつが天国に行けるはずがないからね。それに現に、あやつは地獄におるぞ。今も地獄の業火に焼かれもがき苦しんでいる」

「苦しんでいる……?」

「そう。ほら、見てごらん」

 ふわりと白檀のような線香の香りを風に乗せ、閻魔様の伸ばした手が私の頬を輪郭に沿うように撫でつける。氷のように冷たい手。

 冬になると冷え性で末端の血流が悪くなり体温が下がるけど、あれはどうってことがないように思えてくる。


 生き物には温もりがあるとインプットされていたから、急にそんな氷を頬に当てられ、反射的に身を強ばらせた。

 冷たさがじわじわと頬から体全体へと浸食していく。


 まるで私がその冷たさの一部とばかりに、感覚がなくなりぐらぐらと意識が揺れ動き出す。

 その上最後の一撃とばかりに、ガツンと後頭部を鈍器で殴られたかのような感覚に襲われ、私は床に座り込んだ。


――気持ち悪い……


 吐きそうになり咄嗟に手を口元に当てようとしたけど、力が末端まで入らなくて腕を動かせない。

 こうなってしまえば糸が切れた操り人形。


 思うように動かない自分の体が、他の第三者の物のように思える。意識はあるため、私は自分と同じ形をした人形をテレビか何かの媒介を通じ、見ているみたい。


『――……ィ』

 それでもなんとか抗おうと力を入れていると、耳元で何かを引っ掻くような音が聞こえた。

 その瞬間、頭の中に勝手にとある映像が浮かび支配していく。

 それは――男が鎖で両腕を括られ、鉄の柱に縛られ業火にやかれている姿だ。周囲を包むのは燃え盛る業火。


 その男は、年の頃は二十五・六ぐらいで着物を着ている。


 彼のやせ細りくぼんだ目元、開かれた唇から覗くのは黄色い歯。髪は頭を振り回しているせいか、あちらこちらに乱れている。顎には髭が無造作に生え伸びていた。


 彼は白目をむきながらも、拘束具を外そうと何度ももがく。

 だが、虚しく響くのは金具の音と自らが出した声にならぬ叫び。周りには同じような人達の姿が数名窺える。その人達も同じような状況だ。

 それが私の脳を蝕んでいき嫌悪感を抱くが、それを打ち破るほどの力も気力もない。

 あるのはただ諦めと、そんな彼らを見て何も出来ないことの罪悪感。


――なにこれ……


 地獄。そう呼ばれる世界が描かれた絵図を何度か見たことがある。

 どこだったか、家族旅行で行った先の寺でたまたま拝見することが出来た。

 たしか特別展示物だった気がする。鉈で鬼に体を切り裂かれようとしている人、針山に刺されている人々……


 あの時見たものとあまり大差がない光景。それが私の先にある。手を伸ばせば届くぐらいの距離にて。

 ここは博物館だ。地獄じゃない。

 だからこれらは全て幻覚。だから聞こえないはず。そうだ。叫ぶように慈悲を求める声も、きっと幻聴。


 いくらそうわかっていても、ただ目にするには惨い。


「――っ」

 まただ。再び頭蓋骨にまで響くような一撃が襲って来た。

 そして今度は、白黒の世界へと切り替わる。


 さっきの地獄とは打って変って、今度は時代劇のテレビのワンシーンのような光景。

 江戸の町並みを、あの男――柱に括りつけられた男が歩いている。

 今と違い、髪も整え衣服も着古した感はあるが地獄で着用していたのよりもまだマシ。

 そいつは鳥居をくぐると本殿へと向かわず、道を左に反れ、木々の群れがある場所へと向かった。


 そこに居たのは、育ちの良さそうな町娘だ。

 年は私とたいして変わらなそう。彼女は男とは対照的に上質の着物を身につけている。

 彼女は彼を見ると、木漏れ日が差す場所で温かく微笑んだ。全てを包み込むような彼女に、彼もぎこちないながらも笑みを返す。


――なんで急に見ず知らずのカップルの逢瀬を……?

 

 かと思えば、またまた場面が一転。一旦闇に包まれたが、光が戻って来た。

 そこで私の瞳に映し出された光景に息を飲んだ。真っ白い雪の上、あのさっきの女性が横向きで倒れていたのだから。

 それも腹部から漏れる液体が大きな赤い染みを作り広げていっていた。


「大丈夫ですか!」

 私は駆け寄りしゃがみ込むと、彼女の意識を確認しようと手首に手を伸ばす。

 だが彼女に触れる事が出来なかった。私の体がまるで幽霊のように、その人をすり抜けてしまったのだ。


――幻覚だったんだっけ……


 だが幻覚とはいえ、何も出来ないなんて口惜しい。せめてこの後、誰かが助けに来てくれれば。


『――ら』

 雪と共に降り注いだのは、音として不完全な声。振り返ると、男が立っていた。

 さきほど彼女と微笑みあっていたあの男だ。男は彼女を捉えると、目を大きく見開き、すぐさましゃがみ込んで彼女の体を胸にかき抱いた。



 やがて目を伏せ、大きく首を左右に振ると、獣のように鳴き叫んだ。それは一つの命が終わった事を告げていた。ぽたりと私の目から雫が落ち、雪に吸収される。


 彼女は殺されたのだろうか。


 彼女の腹部は鋭利な刃物で切り付けられたかのように、斜めに一本の線が入っていた。

 どれぐらい時間が経ったのだろうか。ほんの数秒かもしれないし、数時間かもしれない。

 時間の概念がよくわかってないこの空間では正確な時は存在しない。

 打ち破ったのは、可愛らしい声だった。


「みゃ~」

 この場面にとって、それはまりにも不釣り合いな、鳴き声。


 ……猫?


 いつの間にか足元に猫が立っていたようだ。白と黒のブチ猫。


――マタタビ?


 それはうちの猫と似ていた。きっと入れ違いになっても気づかないだろう。

 兄弟か親と言われても違和感がないぐらいに、顔がうちのマタタビとそっくり。

 黒のブチの位置まで同じだ。


 その猫は、虚ろな目でその光景を見つめていたが、やがて「みゃ」と一つだけ鳴くと、雪に足跡をつけ、彼女の元へと辿り着く。

 そして着物の色が濃くなっている部分を舐めはじめた。

 たぶん傷塞ごうとしているのかもしれない。


 でも彼女の顔色は雪のように、血の気がないまま戻らない。おそらく、もうすでに……


「月山っ!」

 突如打ち上げ花火のような声と共に、ふとテレビのスイッチを切ったかのようにブチっと切断される音により、映像が遮断され真っ暗闇の空間に連れて来られた。


 それと同時に心地よい温もりが体を包み込んで守ってくれた。

 戻って来た世界は、薄暗い室内から明るい外へ出たときのように、なんだかぼんやりとしている。


 そのため何度か瞬きをして調整すると、黒っぽい布が視界に広がっていく。それから、キラキラと輝く王座の証も。

 頬に当たるごわごわとした質感がちょっとばかりくすぐったかった。



「良かった。戻って来てくれた……」

「大原?」

 耳朶に直接触れる声に対し、そう返事をすれば安堵の息が耳に吹きかかる。


「何が良かったの――……って、なんなのこれっ!?」

 いろいろ視線に入るものや感触を指で一つ一つ確認し、どうやら私は大原に抱きしめられているらしいという結果に辿り着いた。

 そう判断した途端、顔面に血液が集中したのは鏡で確認しないでもわかる。


 さっきの寒さはいずこへとばかりに今は体が熱を持ち、尋常じゃない汗が体に吹き出し始めている。


「あ」とか「う」とか、素っ頓狂な言葉をしゃべりまくる私に対し、大原は何を言わずただ抱きしめている。そしてやがてゆっくりと息を吐いたかと思うと、体を少しだけ離し、私の頬に手を添え撫でた。何度も何度も往復する指。それはまる私の存在を確かめるよう。



「本当に良かった……顔色も悪く無いし、体温もちゃんとある」

 大原は言うと、緩んだ腕を以前のように戻し、力を籠め私の体に腕を絡ませる。

 さきほどより拘束が強くなったため、ちょっとだけ苦しいが、なんとなく言いづらい雰囲気。


「悪かった。もう少し早く助けたかったんだけれど、地獄の干渉が強く手間取ってしまったんだ……」

「もしかして、大原がアレを何とかしてくれたの?」

「あぁ。月山はアンクレットのせいで、元々半分地獄に足を踏み入れていた状態だったんだ。だから地獄とリンクしやすく、あちらの世界に精神体だけ行ってしまったんだよ。だからやけにリアルな情景だっただろ? その上、地獄に居た誰かの記憶干渉も受けてしまった。だからそれを切り離し、正常に戻したんだ」

 ちょっと待って。なんかその話聞いていると、私って地獄に行っていたの? じゃあ、私が見ていた光景って……――




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