第8話 むっくん

 小鬼は例外だったのだ。地獄の生き物とくれば、棍棒を振り回す悪鬼など相場は決まっている。


 きっと骨が見えたから、獣のように啼く髑髏なのかもしれない。だが自体は思いの外斜めだった。


「ちーっす、小鬼」

 耳に届いてきたその軽い声音に、私の眉間に自然と力が入ったのは言うまでもない。

 それはそうだろう。覚悟していたような恐怖は降って来ず、来たのは町に居そうなチャラ男の声だ。


 おそるおそる窺うように瞼を開け目の前を見れば、ロッカーを背景に髑髏が片手を上げこちらに挨拶をしている風景が飛び込んできた。

 そいつは理科室にあるような骨格標本そのまま。あれが動いている。そういえば、小学校にそういう怪談あった。


 動く人体模型に骨格標本。もちろん眼球というものが存在しないから、視線が合うとかっていう感覚なんてないはず。でもそれなのに、なぜかばっちりと視線が交わったから不思議。


 なんと例えれば良いのだろうか。見えない目のようなものがある気がする。

 私にとってみれば人間と対面しているような雰囲気。あれは骸骨だが。


「あ、新入りじゃん。たしか桜ちゃんだっけぇ~? 結構可愛い系だね~」

 空耳であって欲しかったが、この声の主はやはりこの骨。

 カタカタと音を立てて動く部位を見ればそれが確実だと二度目に告げている。


 これはあれか? 誰か糸でこれを動かしているというオチ? と、念のため目を凝らし、腰を落としたりとか、体を動かし角度を変え、ピアノ線とか探してみるけれども見つからない。

 どうやらそいつは、私が願っていたタチの悪い悪戯ではないらしい。 


「もし新入りが私を指すならば、人違いだから」

「人違いじゃないってー。君は地獄の加護に包まれているからね。すぐわかるよ。禍々しくも深く甘美な空気。それはまさしく地獄。その右足の拘束が解かれない限り、君は地獄の従者さ。というわけで、桜ちゃんは新入りなの」

「いや、骸骨。あのさ~」

「むっくんだってば。みんなそう呼んでいるから、桜ちゃんもそう呼んでよー」 

「じゃあ、むっくん。どうして私の事を知っているの?」

「それは君が地獄で有名だからに決まっているじゃんか。それに僕は小鬼とは友達なの。だから君の事を良く聞いていたんだ。小鬼は時々人間界にて、君を監視していたからね。しかし、どうして振られたの? 結構良い感じだったって聞いたよ」


「振られた……?」

 骸骨が口にしたそのフレーズに、最初は脳内の検索に引っかからなかった。


 だがしばらくあれこれ思案して過去を遡っていけば、何の件を言っているのかやっと理解できた。



「ちょっと! それ中二の頃、佐藤君に振られた話じゃないでしょうね!?」

「そうそう、佐藤君だっけ。図書委員会で一緒だったんだよね。委員会が終わって一緒に帰ったりしてさ、結局佐藤君は同委員他クラスの吉川さんが好きだったと」

「人がとくに消化した昔の話なんて思い出させないで。大体、地獄ってプライバシーって概念がないわけ? むかつくからその骨一本抜き取らせなさいよ」

「月山。気持ちはわかるけれども、一旦落ち着こう」

 あの骨に向かって足を一歩進め距離を縮めていこうとしたら、後ろから大原に拘束されてしまった。

 腰に手を回され、あいつに伸ばした右手は手首を掴まれ動かせない。



「悪気があって言っているわけじゃないようだし、許してやって」

「なんでそうやって大原は、またあいつらの味方するわけ?」

「俺は別に味方してないよ。とりあえず、骨取られたらあの骸骨困るだろうし」

「そんなの知らない」

「でもさ、あんま大声出して騒ぐとマズイと思う」

「……」

「だから冷静に話し合おう。な?」

 言われてみればそうだ。滅多に来ないといえども、見回りに先生が来てしまう可能性がある。

 こんな所見られたら、先生の絶叫が棟内に響き渉るだろう。

 リアルお化け屋敷。こいつら慣れてしまえば怖がる要素皆無だけれども。



「ごめんなさい。大人気なかった」

 そうだ。私が感情的に怒鳴れば怒鳴るほどこいつらと同等になってしまう。人間として理性的に振る舞い、やつらへ見せつけてやらねば。


「いや、きっと誰だって取り乱すよ。だから気にするな」

 項垂れる私に振ってきたのは、大原の暖かい言葉と掌。

 頭上では優しく往復する大きな手の感触がむずかゆい。

 頭撫でられるのは、かなり久し振りだ。恥ずかしいけれども、なんだがそれが心地よい。


「ちょっとこの子バイオレンス系? もしかしてこの性格で失恋したのかい」

 せっかく大原のおかげで浮上したのに、またあいつらに荒らされてしまった。初対面の人間に、しかも挨拶もそこそこだ。

 そんな人間に失恋話を話題に振ってくるのはどうかと思う。

 デリカシーがなさ過ぎる。

 百歩譲って話す事がないと仮定する。だったらせめて天気の話でもすればいい。



「こっち来い、骨。もう一度私の前で言ってみなさいよ。性格の事は言うな。たしかにサバサバしていて、そういう風に見る事はできないって言われたわよ。それがどうした」

「あ、こっちの人間は魂が澄んでいるね。とびっきりの上玉だ」

 骨の視線は私を通り越し、後方にいる大原を見ている。



「スルーかい! というか、また!?」

 私は自由になっている体を半回転させ大原を見上げれば、彼と視線がかち合う。

 ゆらゆらと蝋燭のように一定に定まらない彼の瞳は、ただ困惑を全面に押し出しているみたいだ。



――魂が違うっていうけど、どうやってわかるのよ? あれか? 日頃の行いか?



「えぇ。むっくんも気づきましたか。悟様の魂は本当にすばらしいですよね」

「マジですげぇ。こんなの初めて見たぞ。こいつは俺の次にモテる男だ」

「それはそうでしょう。悟様は博識。その上とてもお優しい。勉学だけでなく文武にもすぐれ、剣道では大会の常連なんですよ。身も心もすばらしいお人です」

 好きなものを語る時って、実に生き生きする。 私だって他から見ればきっとそうなのだろう。それはまるで魚が制限のない海で悠々自適に泳ぎ回るかのように。

 同じように小鬼は、大原の事を饒舌になっていた。



「ねぇ。それぐらい私の事も話なさいよ。私だって良いところはあるんだから」

「えー。じゃあ、たとえばどんな?」

「たとえばって……ん~、急に言われても……」

 小鬼の言葉に私は即答できなかった。


 そんな事改めて言われても、考えても見たことすらない。浮かんでなんて来ない。

 隣の芝生は青いってわけじゃないけれども、他人の事ならよく見える。でも自分の事は見えない。


 これって結構ありがちで、短所はすぐに言えるけど長所が言えない。

 人って自分の事を思う以上に理解していないのかもしれない。



「月山にも沢山良いところあるよ。この間日直が休んだ時、代わりにやってあげていたじゃないか。他にもクラスに馴染もうと頑張っている子に、積極的に声かけていたりしているし。クラスの奴らも、そういう所を知っているから、月山の周りに人が集まって来るんだと思うよ」

「日直は友達が休んだから、たまたま代わりにやっただけだよ。髙橋さんの件は人見知りが激しいからクラスに入り込めない。って、相談されたから……私がやっているのは余計なお世話だし、ただの自己満足だよ。面倒だったら最初からしないし」

「そうだとしても、それを実行したじゃないか。自分に関係ないってスタンスを取る人間がいるのに、月山は違う。そういう所俺は好きだよ」

 ここで一つの発見をした。どうやら私は単純な性格らしい。大原に言って貰えば、なんだかそうかもって思えてきてしまった。



「大原って優しいね」

「俺が?」

 大原は首を傾げ私を見つめた。


「うん。だってさ、なんか菩薩様みたいに心が広い。こんな面倒な事に巻き込んじゃったのに手伝ってくれるっていうし。それに小鬼やそこの骸骨みたいなのにも、優しさを分け与えているから」

「俺にとって小鬼達は人間とあまり変わりはないように感じるんだ。もちろん中には害を与えるものがいる。でも小鬼達は違うだろ」

「良い人だね、大原。私なんて見慣れても小鬼と喧嘩だよ」

 相性というものが存在するならば、きっと悪いはずだ。おそらく磁石のS極とS極並に反発しあうのは目に見えている。

 一瞬だけ同族嫌悪という言葉が浮かび上がったが、私は首を横に振って振り払う。


「悪いのだけれどもさ、俺さ~仕事中なわけよ。んで、用事ないならば、また暇な時に呼んで貰ってもいい?」

「ごめん、むっくん。小娘が連絡手段わからないなんて言うので、呼んじゃったんだ」

「へー。連絡手段知らないとかって、初歩的な事じゃんか。さすが新人。俺も最初はわからない事ばかりだったから、少しずつ覚えていけばいいよ」

 なんだか会話が企業に入社した新人社員と先輩社員っぽい。悪いけど全く入社する気が全く起きない。


「じゃあ教えておくよ。地獄との連絡は通常俺ら骸達が担当者。そうだなぁ、人間界の郵便物屋みたいなものだ。そう思ってくれて構わないよ。俺達を仲介して手紙や書類を相手に渡すような感じだ」

「ねぇ。むっくんは、私にも呼び出せるの?」

「もちろん。地獄の加護を受けし者だからね。さっき小鬼が呼びだしたようにすれば可能だよ」

「へー」

 つい頷いてしまった自分に気づき、ぴたりと動きを止めた。

 非常にマズイ傾向だ。完全にこの空気に飲み込まれてしまっている。こいつらが本当に先輩な気がしてきた。



「じゃあ、またな。仕事がんばれよ」

「うん。むっくんもね」

「またなー」

 むっくんがバイバイと私と大原に手を振ると、あの火口から体育館の照明のように強い光がむっくんを包んだ。

 それは夏の太陽の日差しのように強く輝いている。

 銀世界のように周りが変化してしまい、清らかさに邪悪なものは浄化されそうだ。


 あまりの眩しさに一旦目を閉じ、収まった頃に再度開けるとむっくんがいない。



 ……成仏した? と思ったが小鬼が、地面に座り、


「さて連絡手段もわかった事ですし、そろそろお仕事のお話をしましょうか」

 と小鬼が話しを始めたので、どうやら帰ったらしい。

「ます最初の魂は――曽我義弘です。彼の魂を見つけ出し回収すること。それが今回の仕事です」

「曽我義弘? 誰それ? 昔の武将って感じの名前っぽいわよね。何か資料とかないの?」

 そう口にすれば、なぜか視線が私に集中。しかもみんな引き攣った顔をしているし。

 私、何か変な事言ったかなぁと小首を傾げた。





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