第16話 口数の多い仮想人格
ガイア連邦の首都ガイアはオケアノス海に面した海辺に発展した都市だ。
マミと直樹の乗るモスキートがガイア本土まであと1時間ほどで到達できる距離となった時、新たな護衛戦闘機が現れた。
首都直衛制空部隊のワスプ戦闘機8機は着かず離れずマミの機体を護衛する
彼方に陸が見え始めると、そのうちの4機が前に出て先導し次第に高度を下げていく。
行く手には半円形の湾に面した大きな港町があり、マミの操縦するモスキート水上機は港の外の海面に滑るように着水した。
静かな海面上を航走するモスキートの上を8機のワスプ戦闘機がローパスして行った
「任務終了のご挨拶だ。」
マミのつぶやきがインカムを通じて直樹の耳に響いた。
港から出てきた軍のカッターに導かれてマミはモスキートを真新しい浮き桟橋に横付けした。
駆け寄ってきた連邦軍の兵士がモスキートを舫っている間に、直樹とマミは出迎えの高級そうな自動車に押し込まれた。
直樹たちの到着は秘密にされていたらしい。
高級車は人気がない桟橋から市の中心街とおぼしきエリアを通過し、行く手には宮殿のような建物が見える。
「何処に連れて行かれるんだろう」
直樹がマミに尋ねた言葉が聞こえたらしく、前列に座っていた事務官らしき男性が振り返る。
「グレートマザーの宮殿にご案内します。マザーサキ様がお目通りするためにお待ちです」
マミがぽかんとした顔で直樹の顔を見た。
「サキ様がお会い下さるなんて、あなた何者なの」
この世界の事情に疎い直樹は話について行けない。
「サキ様って何者だよ」
マミはシートからずり落ちかけたが、気を取り直すとかみ砕いて説明し始めた。
「マザーというのは、この国の象徴として国事を担っている方なの。私たちがこの星に入植した時の指導者の直系の子孫が代々引き継いでいるのよ」
「この国って王制だったの」
「ううん。国政についてはプレジデントと議会が動かしているけど外向的な事で表に立ってくださるのよ」
直樹には詳細が理解できないが、今から会うのが偉い人なのは間違いないようだ。
直樹たちを乗せた自動車はかなりの大きさの都市を走り抜けていく。控え目に見ても数百万人の人口を擁していそうだ。
ビルディングが林立した都市を走っていた車は、都市の一角でそこだけ森になったエリアに到着した。
森の周囲は塀に囲まれ、入り口には大勢の衛兵が詰めた頑丈そうなゲートがある。
直樹たちの乗った車を見るなり衛兵達は道を空け、ゲートはすんなりと開いた。止まることさえなく車はゲートを抜けていく。
ゲートの中は外部とはうってかわった深い森だった。森の中を走ること数分。視界が開けたところに建物が見えた。
「マザーサキ様の宮殿です」
前列の男性が説明した。
直樹は宮殿と言われてヨーロッパの中世の城をイメージしていたが、その建物は質素な佇まいで機能性を重視しているようだ。
宮殿内に通された直樹達は謁見室に通された。直樹たちの格好は飛行服のままで、6時間を超えるフライトでよれよれだ。
案内してきた事務官もそれに気がついたようだ。
「お疲れの所すいません。本来ならまず休養を取っていただくのですが、サキ様が一刻も早く会いたいとおっしゃりますので」
彼の言葉が終わらないうちに奥の扉が開いた。
入ってきたのは、ローティーンの女の子だった。
着ているのは連邦軍の軍服とほぼ同じ仕様の上下だ。
背後には従者とおぼしき少年を引き連れている。
「あなたが、親衛隊の紋章に伝承どおりの修正を書き加えた方ですね」
直樹は酔っぱらってリボンを書いただけだと言おうとしたが、マミが余計なことを言うなと小声で囁いたので黙ってうなずく。
「旧世界の地名や名前を告げられたそうですが。私に直接教えていただけますか」
立場を考えるとものすごく丁寧な口の利き方だ。直樹は素直に答えた。
「名前は国定直樹。住所は日本の東京都板橋区大山東町です」
彼女はメモ書きしようとしていたペンを取り落とした。
「これはたちの悪い冗談ではありませんよね」
直樹は無言で首を振る。
マザーサキは毅然とした様子でお付きの少年に告げた。
「地下の霊廟の封印を解いてシステムを起動しなさい」
「あの場所は非常時以外は誰も立ち入ってはならないとされておりますが」
「今がその非常時です。行きなさい」
少年は恐縮した様子で駆け出した。
「あなたに見せなければならない物があります。私に着いて来なさい」
そう告げるとマザーサキは足早に入ってきたドアの方に向かった。直樹とマミは慌てて追いかける。
マザーサキは年齢的には十代半ばにしか見えないのだが、尋常ではない威厳があった。
ドアを出ると廊下には式典用のような衣装を着た衛兵が十人以上ひしめいていた。
「地下の霊廟に行きます。同行するのはアレクセイとモリタだけにして。他の者はこの場で待機していなさい」
衛兵達が一斉に敬礼する中で、隊長らしき1名と、直樹たちを案内してきた事務官だけが付き従った。
長い廊下を歩いた後で、エレベーターに乗り、直樹たちは地下に降りる
地下といっても単純に1フロア下に降りただけではないようだ。高速エレベーターでしばらく下降した感覚の後、おもむろにエレベーターの扉が開く。
エレベーターの前は広間になっており、奥の出入り口で、先に降りた少年が何かを操作していた。
「準備が出来ました」
少年が告げた。
「あなた達はここで待っていなさい」
マザーサキが告げると、上階から付いてきた2人はかしこまって礼をする。
出入り口の扉を抜けるととそこは周囲をのっぺりとした壁に囲まれた何もない部屋だった。
壁面がタッチパネルになっているらしく、所々発光している部分がある。
マザーサキが自らその部分にふれて操作すると、壁面の発光部分が微妙に配置を換えた。
何も起きていないと思って目線をうつした直樹は室内にもう一人、人の姿が増えていることに気がついた。
フォログラムだ。
人物だけではなく小さなテーブルと椅子もセットで立体映像が投影されていた。その人物をよく見た直樹は愕然とした。
「さゆみ」
その人は、直樹が爆弾テロで死んだときに一緒にいたさゆみそっくりに見えた。
だが、場所と時間を考えるとそんなことはあり得ないはずだ。
「やっと現れてくれたようね直樹。あなたが死んでからいろいろな出来事があったので、まずそこから説明しましょう」
そこまで言うと彼女はよっこいしょとかわいいかけ声と共に椅子に腰を下ろした。
「別に疲れるわけではないけど、脳をマッピングしたときに私は相当な年寄りになっていたから癖になっているのね。」
彼女は苦笑しながら続ける。
「あなたの記憶にあるのはお台場でテロに遭ったときの事だと思います。その時あなたは私をかばうようにして爆発物の破片を浴びて即死しました。私はあなたのおかげで軽傷を負っただけで生き延びることが出来たのです。」
周囲を見ると、マザーサキもマミも凍り付いたようにフォログラムを見ていた。
フォログラムのさゆみは高校生くらいに見える。そして、メイド服を着てケイティちゃんのぬいぐるみを抱えていた。直樹と彼女にだけわかる冗談なのだろう。
「その後、私は充実した人生を送りました。仕事と伴侶に恵まれ、子供達を育てて幸せな老後を送ることが出来たのです」
直樹に関係ないから一言で端折ったようだが、言外にその重みが感じられる。
「人生の最後に私は病魔に冒されました。治療の甲斐無く打つべき手だてが無くなったとき、私はもう少し世のために貢献したいと思いました。若くして死んだあなたのことがいつも心の片隅にあったのかもしれません」
フォログラムは直樹の方を向く。
「その時、ダイダロス計画というプロジェクトが進められていました。バザードラムシップで人の凍結受精卵を別の星系まで送り、人類の版図を広げようというものでした」
彼女の話は、以前シオリから聞いた話と一致していた。
「受精卵は人工子宮で育てることができるが、誕生後に世話をする者が必要です。AIでは心許ないので育児用アンドロイドに人格を提供する志願者が募られました。当時の技術では量子マッピングで人格をデータ化するには被験者の脳を跡形もなく破壊してしまう必要がありました。私はそれに志願したのです」
「そんなことを志願したのか」
直樹は思わず口に出していた。するとフォログラムは直樹の質問に答えた。
「どうせ死ぬなら何かの役に立ちたかったのよ」
彼女は直樹を見て微笑んだ。
「量子マッピングを受ける前夜、私は夢を見ました。遙かな未来。私が前途に絶望したときナオキが現れて、助けてくれるという内容でした」
直樹は録画とばかり思っていたがそのフォログラムは双方向で応答が可能なようだ。
センサーが直樹たちの反応を読み取り、応答する仮想人格が存在しているのだ。
「エリシオンに入植後私たちはここをユートピアにするべく働きました。何より、地球から争いの種を持ち込まないように宗教やイデオロギーの対立の芽をつみ取ったのです」
直樹たちは無言でフォログラムの少女を見つめた。
「エリシオンは発展しました。しかし、高度な文明を持つまでになった時、この星の人類を根絶しようとする愚か者が現れたのです。」
マザーサキが口を開きかけて止めたように見えた。
「彼は私たちの文明が隣接する宇宙を破壊してしまったと信じ、破壊した宇宙から救い出したと主張する知性体が元通りに暮らせるようにするために、人類を抹殺しようとしたのです」
直樹にとっては意味不明な話だった。
「宇宙を破壊するなんでどうすれば出来るんだよ」
その時、マザーサキの従者の少年が前に進み出た。
「私が説明しましょう。私達の祖先が作った古代文明は隣接する宇宙との真空の持つエネルギーの差を使ってエネルギーを得ていました。クリーンで最高のエネルギー源と思われたのです」
さゆみのフォログラムは黙って彼を見つめる。
「しかし、グレートマザーのおっしゃる愚か者、今はハデスと名乗っていますが、彼は強い人間論理に基づいて我々の行為がエネルギーを汲みだした隣の宇宙の生きとし生けるものをすべて滅ぼしてしまったと主張しました」
直樹とマミは話の方向性がわからなくて互いに顔を見合わせた。
「物質とは波のような性質を持っています。直樹が生きていた時代にも波動方程式という概念はあったはずです。それによれば、物質の状態は観測者が存在することによって確率的に分布する状態から初めて確固とした状態となるのです」
さゆみが話を引き継ぐ。
「強い人間原理とはそこから発展したもので、簡単に言うと物質の性質や物理法則は観測者の存在によって変わりうるというものです。ハデスの主張は私達のエネルギープラントが隣の宇宙からエネルギーを汲みだしたときに、観察者としての私たちの意識の数が相手の宇宙の観察者の数を上回ったために、向こうの宇宙の物理法則が変容してしまい、その宇宙のすべての生命が無に帰したとするものでした。」
直樹は漠然としかわからないが、その理論に穴がある気がした。
「その話が本当だとしても、人類が滅びたからと言って相手の宇宙が元に戻るわけではないはずだ」
「その通りです。彼がそこまで拘泥したのは既に正気では無かったとしか思えない」
さゆみはため息をついた。
「彼は私達の文明にに取り返しのつかないダメージを与えました。私は絶望の淵の中で、タナトスを駆ってハデスと戦ったのですが、私は彼に破れて命を落としました。」
居合わせた人々は沈黙した。
「それでどうなったの?」
直樹が続きを促すとフォログラムは答える。
「ハデスはその後、何らかの計画に基づいて眠りにつきました。私はバックアップとして保存された人格データなのですが、ハデスに対抗する策を密かに研究していたのです」
話が一区切りついたと思えたので直樹は、自分がこの星系で目覚めた事情を聴くことにした。
「僕の記憶はどうやってここに持ち込まれたんだ?」
直樹の問いに答えてホログラムは再び話し始めた。
「端的に言ってそれは私の趣味の産物です」
直樹は自分が趣味の産物だと言い切られて沈黙した。
「私が若いころから亡くなったペットの犬や猫のクローン個体の作成はペット愛好家の間でひそかなブームとなっていました。クローンの犬や猫が死んだペットとそっくりの反応や仕草を見せると言われていたからです。」
彼女は地球で見かけた犬や猫の画像を部屋の中空に出現させた。
「私は直樹の遺伝情報をひそかに持ち込んでいました。入植が成功した後も人工子宮による受精卵からの人の育成も続いていたので、そこに紛れ込ませて直樹のクローンを作ることもしました。でも、遺伝情報では人格までコピーすることはできません。誕生して成長したのは気立ての良い若者で、この星の発展のために努力してそして死んでいきました。」
直樹は愕然とした。
リオルの外見が自分とうり二つだったことを思い出したからだ。
「私はもうひとつこっそり持ち込んだ物があったのです。それはあなたの人格情報でした。あなたが死んだ場所の近くに、コールドスリープ施設があったのを憶えているかしら。私は爆発の後であなたの死が避けられないと悟って、あなたを引きずってエターナルウインド者のゲートをくぐったの。もう死んでいるから無駄だと言うエターナルウインド社の人にすごんで見せたり、再後は泣き落としを使ってあなたの脳髄を冷凍保存させたの。後に、人格情報の保存ができる時代になってからあなたの凍った脳をスキャンして人格情報を取り出す操作をしたけれど、私の行為はどうしても上手くいかなかったの。この星にランディングした際に宇宙船が大きく破損したためあなたのデータを入れたチップも行方不明になり私はその件は諦めていたのです」
直樹は自分の両手を見つめながら独り言のように問いかけた。
「それならば、僕はなぜ今こうしているのだろう。」
さゆみは直樹を真っすぐに見つめて説明した。
「リオルの両親は連邦政府の国民だけどラダマンティス帝国への協力者だったの。研究医だった彼の両親が生まれたばかりのリオルに旧世界人の記憶が宿ったチップを埋め込んだという話を聞いたことがあるわ」
マミが話すとさゆみとマザーサキは同時に驚いたしぐさを見せた。
二人は顔立ちやしぐさまでどこか似ている。
「遺伝情報と記憶を収めたチップがたまたま正しい組み合わせで移植されることなんてあり得るのかしら。あなたの顔はまるでクローンみたいに本来の直樹の容姿にそっくりよ」
さゆみが怪訝な表情でつぶやくが、マミは再びさゆみたちに説明する。
「私とリオルが育ったのはファーストステップの町なの。初期の入植者が作った町と同じ場所に再建されているのが自慢だったし、周辺から古代の遺物もよく出土していた。ラダマンティスは出土した遺物の情報からどうにかして正しいクローン体を作ってそこに記憶チップを埋め込んだ。きっと手間の掛け方から推定してチップに含まれた記憶に重要な情報が含まれていると誤解したのではないかしら」
直樹は親衛隊の紋章の件を思い出した。
「それでは、親衛隊の紋章は僕のための仕掛けだったのか?。」
「そのとおりです。アンドロイドの筐体を持ったバージョンは破壊されたのでデータのみの私はこの霊廟から動けません。私は側近達に旧世界の記憶を持つ人間を吊り上げる方法を伝え、データチップの記憶が発現したらあなたが私の前に現れるようにしたのです。あなただけが使える生体認証の装置があるのもそのためです」
親衛隊の猫のマークはその一つだったようだ。
この世界を探したら直樹とさゆみにだけ理解できるプラクティカルジョークがあちこちにばらまかれているにちがいない。
「側近達は年寄りの戯言と思ったにせよ言いつけ通りにしてくれたようです。あなたが今ここにいるのですから」
「あの」
マザーサキがおずおずと声をかけた。
さゆみのフォログラムがそちらを向いた。
「私はあなたの子孫のサキといいます。私たちは、滅亡するかもしれない危機に瀕しています。どうかあなたの英知で私たちを助けていただけませんか」
さゆみのフォログラムは目を細めてマザーサキを見つめた。それは孫を見つめる祖母のような表情だ。
「量子的な損失の積み重ねのために人格プログラムの欠損も見られるようになったので私たちは引退しました。タナトスに同化した指導者に顕現をゆだたのと同じ過ちを犯してはなりません」
「でも、こうして対話ができるのですから助言していただければどれだけ助けになるかわかりません」
「あなたならわかるはずです、神格化するあまり、ポンコツとなったプログラムに依存することがどれほど危険か」
さゆみの言葉を理解してマザーサキが落胆するのがわかった。
「でもね。あなたの愚痴を聞いて、気休めを言ってあげることなら出来るのよ」
マザーサキの表情が少し明るくなった。直樹はその表情を見て彼女の孤独を理解した。
「すいません。話の途中で」
マザーサキはさゆみが直樹との話の途中だったことに気がついて謝罪した。
「いいのよ。話はもう終わるところでした。直樹あなたにお願いしたいことがあります」
フォログラムは再び直樹の方を見た。
「このサキをはじめエリシオンの人達全てが私の子供です。どうかこの星の窮状を救ってください」
「彼女の味方をして一緒に戦えばいいのか」
直樹が問いかけるとフォログラムはうなずいた。
直樹は先ほどから感じていた違和感の正体に気がついた。
さゆみは直樹の知っている姿を取っているが、気が遠くなる程の歳月を生き抜いて、この星の人々ルーツとなっていた。直樹の知る彼女とはかけ離れた存在だったのだ。
直樹は、傍らにいるマミやサキそして彼女の侍従らしき少年に目を向ける。
この人たちを助けて生き抜いていかなければと直樹はひそかに決意していた。
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