第15話 水上機のエース

 急降下を始めると、マミはもう一度機体を180度ロールさせた。

 急降下からの引き起こしに供えて機位を元に戻したのだ。

 しかし、後部銃座に後ろ向きに座っている直樹はほぼ真上を向いていることに変わりない。

 直樹のキャノピーの脇を猛スピードで白い靄が流れて行くのが見えた。

 マミは、雲の中を降下し続けている。

 スピードが上がったモスキートのメインフロートから、風のうなりがサイレンのように聞こえた。

「マミ海面にぶつかったりしないよな」

「何のために高度計が付いていると思ってる」

 直樹の質問に、にべもないマミの答えが返ってきた。

 長い時間に感じられた急降下の後、マミは操縦桿を引いて機体を引き起こした。

 足の方に強いGがかかり直樹は目の前が暗くなる。

 直樹が危うく気を失いそうにった時、機体は雲を抜けた。

 マミの声がインカムを通じて耳元で響いた。

「直樹、敵が見えたら撃て。そいつは2万ミータ先でも直接照準でねらえるんだろ」

「はいよ」

 後方を見ると、雲を抜けて3機の紺色の機影が追尾してくるのが見えた。

 急降下では振り切ることが出来なかったのだ

 直樹はアニヒレーターの照準サイトで敵機を狙ってトリガーを引いた。

 しかし、そう簡単には命中しなかった。4発、5発と撃っても当たらず、何事もなく迫ってくる敵の編隊を見て直樹は焦った。

 システムが加熱すると予期しながら、直樹はトリガーを引いたまま銃身を振り回した。

 射出したレーザーの光束を振り回して敵機を捕らえようとしたのだ。

 直樹の目論見は当たり、3機編隊の右端の機体の尾部がまばゆく光った。

「当たった」

「本当か。よくやった。」

 航空機の構造材は薄く、レーザーが当たった部分は瞬時に燃え尽きたようで。爆発は起きない。

 しかし、垂直尾翼の大半を失った敵機は安定して飛べなくなり編隊から脱落した。

 無理な使い方をしたアニヒレーターからは警告音と緊急冷却のアナウンスが響く。

「来るぞ」

 マミは、海面近くの低空で機体を大きくロールさせると急旋回を始めた。

 直後に逆方向にロールさせて切り返す。ロールシザースで残った敵の攻射撃をかわそうとしているのだ。

 感覚的には真横を向いているように感じられる機体に、敵の銃撃が着弾した水しぶきが迫ってくる。

 ぎりぎりで銃撃をかわしたと思った瞬間、マミは機体を反転させた。

 ロールシザースから緩やかにらせんを描いて背面飛行に入った時、モスキートの主翼からドンドンと機関砲の発射音が聞こえた。

 モスキートは複座の水上機だが、戦闘機に匹敵する武装と機動性を備えていた。機関砲の口径は20ミリメートル程の大口径のものだ。

 背面飛行するモスキートのキャノピーの横を右の主翼を3分の1ほどもぎ取られて海面へと傾いていく敵機がゆっくりと通り過ぎていった。

 マミが機体を水平に戻したとき後方では大きな水しぶきが上がった。

「まずは1機」

 マミはエンジンをフルパワーにすると機首を引き起こし、垂直上昇からループに入った。

 目の前で僚機を落とされたもう1機の敵機は、モスキートを追尾してループで追いかけてくる。

 艦上戦闘機は速度も運動性も水上機より秀でている。

 しかし、マミのモスキート追尾する戦闘機はオーバーシュートしないようにフラップを下げて速度を落としたため、自らの利点を封印する羽目になった。

 マミの駆るモスキートは単純な宙返りの動きから、斜めにらせんを描く動きに入り、水平位置に戻った時には両翼から機関砲の射撃音が聞こえ始めた。

 マミのモスキートが螺旋状の軌道を描く間にシンプルな旋回を続けた敵の戦闘機はオーバーシュートして前に出てしまったのだ。

 マミは敵機の後ろに張り付いて攻射撃を続け、敵機はパワーを上げて逃れようとするが、機体が重いためパイロットが意図するほど加速しない。

 シート越しに機体の前方を覗くと、エルロンやラダーをむやみに動かして逃れようとしているのが窺える。

 しかし、統一のとれた動きでないと飛行機は動かない。

 マミは至近距離から機関砲弾を叩きつけた。

 ジェット戦闘機のバルカン砲は1分間に3,000発も発射するが、モスキートの機関砲はドンドンと発射音がわかるくらい回転速度が遅い。

 しかし、至近距離から命中する機関砲弾は確実に敵機に大穴を開け、ジュラルミンやキャノピーの樹脂片や燃料、そしてパイロットの血が飛び散っていく。

 マミが機体を軽くロールして離れると、燃料に着火した敵の機体はモスキートの横で炎に包まれやがて海面に突っ込んでいった。

 高度を上げて、水平飛行を始めたときインカム越しにマミの笑い声が響いてきた。

「あははは。水上機相手に艦上戦闘機が3機もやられていれば世話はない」

 墜落地点の炎と煙が遠ざかっていく間、インカムからマミの笑い声が響いていた。

「マミ、バウンドドッグ編隊はどうなったんだろう」

 直樹がインカムで呼びかけると、マミも護衛の戦闘機隊の存在を思い出したようだ。

「そうだな。無線で呼んでみよう」

 マミは無線モードに切り替えた。

「バウンドドックリーダー応答せよ」

 マミが無線で何回呼びかけても返事はなかった。

 敵が3機も追ってきたことを考えると、バウンドドック編隊のワスプ戦闘機は敵編隊の残りの3機を相手に戦って共倒れで全滅した可能性が高かった。

「仕方がない。予定どおりガイアに向かおう」

 あっさりと見切りを付けたマミは徐々に高度を上げて巡航態勢に戻った。プロペラ機でも経済的に飛ぶにはある程度高度を上げる必要があるのだ。

 断続的に浮かんでいる積雲の間を縫うようにしてモスキートは跳び続けた。周囲の雲は雪を頂いた峰のように上空までそびえている。

 雲の合間からはエメラルド色の海面が時折覗くき、下を見ていた直樹は海面近くで何かがきらりと光ったこと気がついた。

「マミ海面近くの低空を何かが飛んでいる」

「ほんとだ。行ってみよう」

 直樹の指摘で気がついたマミは、90度ロールして一気に高度を下げた。

 そしてそのままの姿勢で旋回して低空を飛ぶ飛行機に接近する。

 近距離から視認した機影はワスプ戦闘機のものだった。

「さっきの空戦の生き残りだ。あちこちに被弾している」

 マミの説明を聞くまでもなく、ワスプ戦闘機の主翼や胴体のあちこちに着弾痕があった。コクピットのキャノピーも割れている。

「バウンドドッグ引き起こせ、そのまま飛んだら海面に突っ込むぞ」

 徐々に高度を下げていくワスプ戦闘機の先には海面が迫っていた。

 パイロットはコクピットで突っ伏しているように見える。被弾して気を失っているのかもしれない。

「バウンドドッグ起きろ」

 マミがひときわ大きな声で怒鳴ったとき、パイロットが身じろぎした。はっとしたように顔を上げると周囲を見回して並行するモスキートに気がついた。

「バルキリー1無事だったのか。追尾していた敵機は振り切ったのか。」

「2機撃墜、1機撃破。」

 マミは手短に答えた。

「本当か。奴らは手強かったのに水上機で落とすなんてすごいじゃないか。こちらはバウンドドッグ4だ」

 会話をするうちに彼は少し元気が出たようだ。

「他の3機はどうした」

「我々が突入して乱戦になったが敵は2手に別れて3機が君たちを追ったのが見えた。リーダーは最初に被弾していた僕に、バルキリー1を守りにいけと言った。」

 リーダーは被弾した彼を逃がそうとしたのかもしれないと直樹は思う。

「被弾していたせいで僕は雲の中で意識を失った。今までどうやって飛んでいたかわからない」

 並行して飛ぶワスプ戦闘機とモスキート水上機の間を断続的にガスが流れていく。沈黙を破るようにマミが言った。

「バウンドドッグ4その機体は燃料が漏れている。西に200キロミータほど飛べば、ガイア連邦が駐留する小島があるはずだ。誘導するからそこの臨時飛行場に着陸しろ」

 ワスプ戦闘機のパイロットは主翼の状態を眺めているようだった。

「わかったそうさせてもらう。護衛に来たのにすまない」

「気にしなくていいからちゃんと飛べ」

 マミはぶっきらぼうに答える。

 連邦軍が駐留しているエレボス島までの飛行は長く感じられた。

 水平線上にエレボス島が見えてきたとき、マミは無線で呼びかけたが島からの返答はなかった。

「返事がなければ勝手に降りればいい」

 マミはつぶやきながら緩やかに機体の向きを変えた。

「バウンドドッグ4。ランディングスロープに乗せるまで誘導するから付いてこい」

 マミの言葉にバウンドドッグ4は黙って従った。彼は負傷しているためか時折意識を失いかけているようだ。

 島に向かって降下していき、彼方に小さな飛行場を視認したときマミは呼びかけた。

「バウンドドッグ4、ギアダウン、フルフラップだ。ここまで来たんだからちゃんと降りて見せろ」

 ワスプ戦闘機はギアを降ろした。

 安定した姿勢で着陸態勢に入るのを見て、直樹もほっとする。

「そうだいいぞ、そのまま滑り込め」

 マミはワスプ戦闘機と並行して高度を下げていく。水上機が着陸速度で地面に近づいていくのは危険だが、マミは意に介していなかった。

 直樹とマミが見守る中で彼はきれいにタッチダウンした。だが次の瞬間何かが機体からはじけ飛ぶ。

 左の主脚が折れたようだ。空中戦で被弾していたのかもしれなかった。

「何をやっているんだ」

 マミがつぶやくのが聞こえた。

 ワスプ戦闘機は主翼を水平に維持したまま速度を落とし、最後に主脚が折れた方の主翼を接地させた。

 火花を上げながら、機体は左に弧を描いて止まる。

 しかし、漏れていた燃料に引火したらしく、ちろちろと炎が上がり、やがて炎の固まりが機体を押し包んだ。

「あいつ脱出できたのかな」

 一人言のように直樹がつぶやいた。

 航空機の速度ではあっという間に距離が離れて、パイロットの様子まで確認出来なかった。

 振り返って後方を見ていたマミが答えた。

「やつは強運に恵まれている。きっと生き延びているよ」

 そしてマミは前を向くともう振り返ることはせずに高度を上げ始めた。

 ガイア連邦の本土までは、さらに数時間の飛行が必要だった。

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