第8話 エンゲージ

「ジョージにしばらく休んでいなさいって言われたんじゃなかったの」

 ミツルが問いかけるとマミは右舷側の海を向いた。直樹たちからそっぽを向いた形だ。

「モスキートにの同乗者は行方不明。たった一人の同郷の幼馴染は魂を消されて別人になって帰ってくる。確かに楽しい出来事ではないけどそんなことで気を遣って、皆が腫れ物に触るように扱うのが帰ってうっとうしいわ」

 艦内の軽作業用らしい制服のグレーのチェックのスカートがぱたぱたとはためいていた。

「ごめんよマミ。僕たちもどうして良いかわからなかったから」

 ミツルがつぶやくとマミはこちら側に向き直る。その向こうで立ち込めていた雲間から、エリシオン星系の主星の光が差し込み始めた。

「私に気を遣う暇があったらアーク強奪作戦に注力すべきよ」

 マミは引き締まった表情で断言し、クールな実務家タイプの性格をうかがわせた。

 その時、砲塔に立てかけたはしごを登ってきたシオリが顔を覗かせた。

「マミ、直樹を手伝うなら防寒ジャケットとフローティングベストをつけなさい。吹きさらしだから風邪を引くわ」

 既に品物を持ってきていたらしく。はしごの下からジャケットとベストを放り投げている。

「ありがとうシオリさん」

 マミは素直に上着を着始めた。シオリは他にも物資を持ってきていた。

「待機中は冷えないようにこの断熱シートを敷いて座っていなさい。ソニンに軽食と飲み物を用意させたから3人でお茶でもしていたらいいわ」

 はしご越しにいろいろ手渡すのは大変そうだった。

「これから砲塔の天蓋の上で作業するならこの辺に、はしごを溶接してしまえばいいわね。今度レミーに頼んでおくから」

 シオリが艦内に戻った後、直樹らは言われたとおりに砲塔の上に防寒シートを敷いてピクニックを始めた。

 おおむね時速50キロミーターで疾走する艦の前甲板、しかも砲塔の上にいるから見晴らしはい良いが、風が強くて寒かった。

「レティシアたちがヒルデガルドを発見しました。距離50キロミーター。速度差を考慮すると1時間足らずで目視できるはずです」

 インカムをつけていたミノルがブリッジの情報を伝え、直樹とマミもインカムをつける事にした。

 インカムはレミーの手で仕様が変更されていた。赤いボタンに加えて、青いボタンが増えていて、前者がブリッジとの通話用で、後者が直樹と支援スタッフの通話用だ。

 ブリッジ内の会話はオープンで流れているので艦内の様子はある程度推測できた。

「モスキートは戻ってこないのか」

 直樹の問いに真美はコーヒーのカップで両手を温めながら答える

「戦闘中は着弾観測をするから飛びっぱなしよ。必要になれば煙幕も張るし」

「滞空時間が長いんだね」

「メインフロート内のタンクに離陸重量の限界まで燃料を積んだら嫌になるくらい長い距離を飛べるわ」

 モスキートはレトロに見えて相当な航続距離があるらしい。

「見えた。前方にヒルデガルドのマスト」

 ミツルの声に直樹は艦首の彼方の水平線に目をこらしたが何も見えなかった。

「敵はどれくらいの距離から撃ってくるのだろうか」

「ヒルデガルドの最大射程は3万5千ミーター前後よ。

 主砲は前甲板と後甲板に前甲板に2連装砲塔が一基づつ」

 マミの言葉と重なるようにインカムからブリッジの音声が聞こえてきた。

『ヒルデガルド回頭しました。進路は北西方向。距離3万6千ミーター』

 直樹たちは顔を見合わせた。

「撃ってきますよ。主砲の全門を斉射するために舷側をこちらに向けたんです。僕たちが近寄る前に撃沈するつもりです」

 ミツルが叫ぶのと同時にブリッジの監視員の声が聞こえた。

『ヒルデガルド発砲を確認しました』

 直樹にとってはそんな遠くから撃ち合いをするのが意外だ。

 この世界の技術レベルで命中は難しいだろうと直樹が思った時、シュルシュルと空気を切り裂く音が聞こえてくる。

 次の瞬間、サンドックの前方右側に大きな水柱が上がるのが見えた。次に前方左側、さらに艦の進路前方に2つの水柱が立て続けに上がった。少し遅れて、地響きのような低い爆発音と衝撃が伝わってきた。

「この船の装甲で何発くらい耐えられるのかな」

 直樹が聞くと、マミはあきれたような表情を浮かべた。

「一発でも直撃を受けたらこの船は瞬時に沈むわ。至近弾が艦の真下で爆発しても爆発の圧力で船体が二つに折れるかもしれない」

 なんてもろい船なんだと直樹は嘆息しながら船を取り巻く冷たい海面を眺めた。その間にも立て続けに直樹たちの前方に水柱が上がる。

「いやだな。遠距離なのに正確に撃ってくる」

 ミツルがぼやいた。

「2発目の発射がやけに早いな」

「自動装填で発射速度が速いんですよ。サンドッグをなめているから足を止めて撃ちまくる気です」

 直樹たちがまだ水平線の辺りにいるヒルデガルドを双眼鏡で眺めているとブリッジからはジョージが指令してきた。

『直樹。発射態勢を取ってくれ』

 直樹はおもむろに砲身にまたがるとアニヒレーターのそばにしがみついた。

『インカムのテストよ。聞こえる直樹』

 はしごや脚立を片付けながら、マミが通信してくる。

 直樹はインカム付属の青いボタンを押して答えた。

「大丈夫。聞こえているよ」

『私たちはあなたの後ろにいるから用があったらいつでも言って』

「了解」

『ミツルです。アニヒレーターの発射態勢が整いました』

『ジョージだ。ヒルデガルドの船体が見えたら発射する。待機してくれ』

 ヒルデガルドは水平線上に上部構造物が見えてきているが船体自体は見えないほど遠距離にいる。

 その時再び空気を切り裂く音が聞こえ、今度の着弾は右舷のやや後方だった。

 2発目は左舷のやや前方寄りに着弾した。

『夾叉された。至近弾来るぞ』

 ブリッジの声と同時に右舷側の目の前で大きな水柱が上がった。艦体が文字どおり持ち上げられるような衝撃で前甲板には海水のしぶきが降り注いだ。

「冷たい」

「艦長は何してるのよ。回避運動しないと次が来たら直撃されるわ」

 後ろでミツルとマミが大騒ぎをしているのが聞こえた。

 左舷側で着水した砲弾が船体の下の海中を通り抜けて爆発したのだ 。

 さらに艦の左に水柱が上がり艦体は大きく動揺する。

 その時、砲塔がわずかに左に動いた。照準を合わせたのだ。

『直樹射撃準備だ。カウントダウンを開始する3、2、』

 ジョージのカウントダウンは相変わらず余裕のないところで始まり、直樹は返事をする余裕もなくトリガーに指をかけた。

『1、撃て』

 直樹は引き金を絞った。アニヒレーターからはブンというハム音が聞こえ、光の柱が遙か彼方の水平線まで伸びた。

『命中したのか』

『外れました。着弾の波で艦首が持ち上がったようです。ヒルデガルドのマストをかすめました』

『だったら早く再発射の準備をしろ』

『もうやっていますよ』

 艦長とジョージのやりとりが聞こえる。ジョージの言葉どおり、主砲塔は微妙に方位の指向を変えた。

『直樹発射準備だ。3、2、1、撃て』

 直樹は再びトリガーを引いた。目の前の照準用サイトを見ても光柱の残像以外は何も見えない。

 ブリッジでは望遠鏡で観測して着弾を確認していた。

「命中しました。ヒルデガルドの舷側装甲帯中央部が白熱しています」

 直後に、ヒルデガルドの主砲弾の着弾の水柱が艦の両舷で数発立て続けに上がった。

『敵の主砲弾の散布域に完全に包まれている』

 ミツルがつぶやくのが聞こえた。命中弾がないのは運が良いだけだ。

『距離2万5千ミーター。直樹再発射だ。3、2、1』

 再びアニヒレーターの光柱が水平線まで伸びていった。

『命中したようです。ヒルデガルドが右舷側に傾斜しています』

『何故右舷だ。左舷側から攻撃しているから傾くなら左舷だろう』

『アニヒレーターが命中した部分との温度差で装甲板が割れて崩落したのではないかな。装甲は硬度を上げるために炭素鋼を使っているから脆くなる』

『ヒルデガルドの傾斜はどれくらいかわかるか』

『15度くらいです。かなり傾いています』

『それだけ傾斜したら側距儀を始めとした射撃指揮装置は使えない。今の射撃は適当に撃っているだけだな』

 ブリッジから聞こえてくる会話を裏づけるように、次の着弾はサンドックから大きく外れて、遠くに4発分の水柱が集中していた。

『直樹、発射準備だ。3、2、1、0』

 アニヒレーターからの光柱が水平線上の、ヒルデガルドまで伸びていった。今度は直樹のサイト上でもヒルデガルドの艦体上で光点が瞬いたのが見えた。

『ヒルデガルド艦体の中央後寄りで爆発を確認。火災を起こしています』

『いいぞ、再攻撃して奴を沈めてしまえ』

 その時直樹はアニヒレーターのエネルギーゲージが0を示しているのに気がついた。

『ミツルどうしよう。アニヒレーターのエネルギーがない』

『あなたがチャージすればいいじゃないですか』

『今やろうとしたがうまく出来ない。どうもアニヒレーターの銃口を上に上げることが必要なようだ』

 ミツルはあわててブリッジと連絡を取った。

『レミーさんにアニヒレーターを一旦取り外すのにどれくらい時間がかかるか聞いてください』

 ブリッジから艦内でやりとりしている脇で、ジョージの声が響いた。

『ヒルデガルドは左舷側に注水を始めたようだ。艦の傾斜が水平にもどりつつある』

 水平に戻ったらまた正確な射撃が再開される。距離も近づいているからいつ命中弾を受けても不思議でなかった。

『ミツル。レミーさんは射撃精度を上げるために頑丈に固定したからはずすのに30分はかかると言っている。』

『ヒルデガルドとの距離2万ミーターに接近。』

『アニヒレーター以外の武器ではまだリーチが足りない。』

 直樹はミツルの方を振り向いた。彼は途方に暮れているようだ。

『直樹、砲の砲身ごと上に向けるのでは駄目かしら。主砲は対空用を兼ねているから仰角70度まで上げることが出来るの』

 マミの声がインカムに響いた。

「いけるかもしれない。やってくれ」

 直樹は叫んだ。ヒルデガルドが注水で艦体を水平に戻すまでもう猶予がないはずだ。

 マミがブリッジのスタッフに事情を説明したらしく、すぐにジョージが呼びかけた。

「直樹、話は聞いた。今から砲身を最大仰角まであげるからしっかり捕まってくれ」

 直樹は、十分心の準備をしているつもりだったが、70度という角度は人間の感覚としてはほぼ垂直だった。

 真上を向いた砲身に大木にとまる蝉よろしくしがみついた直樹は文字通りストラップでぶら下がっている状態だった。

「リロードだ」

 口に出さなくても良いはずだが直樹は必死に叫ぶ。

 その時アニヒレーターから聞き覚えのあるハム音が響き、エネルギーゲージはフルを示して。

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