一章

お教え願えませんでしょうか、姫殿下?

「さーて、事情をお聞かせ願いましょうか、姫殿下? いきなり逃げろなどと、いつの間にか張り付いていたお子様に言われる覚えは、わたくしめには、どこをどう思い出しても見当たらないのですがあなた様は如何いかが御座ございましょう?」


 あからさまに不機嫌な声が、空々そらぞらしい明るさをともなって言葉をつむぐ。

 一晩、とはいっても隊列を逃げ出した時点で真夜中だったから実質は数時間。

 走りに走って目晦めくらましも多種多様に仕掛け、冬場は熊の安眠地のような洞穴に入り込んでいた。唯一と思われる入り口には、気休め程度の護符を仕掛けているらしい。


 三人。

 一人は十四、五の少女、二人はせいぜいが十七、八といった青年。

 男のうち片方は何やら面白そうに眺めているが、主に口をいているもう片方の視線に容赦はない。


 睨みつけてくる青年の容貌は、見栄みばえがする。

 華があるというわけではないのだが、顔や体を構成する要素がそれぞれに調和を伴って整っているため、地味に美形だ。

 美形なだけに、身なりを整えると、とてつもなく人目をく男にも変化するだろう。

 今は無骨な近衛隊の防具とローブを身に着けているが、だからといって美形が怒った際の威圧は少しも軽減されていない。

 もう一人の方は、ずっと笑ったような顔をしている。たれ目のせいかもしれない。

 農場を走り回る子どもがそのまま成長したような感じで、肌も若干、日焼けのためか黒い。

 こちらも防具とローブを着込んでいるが、見習い兵士の印象が強かった。二人が並んでいればまず間違いなく、年少に見られるだろう。

 途中で一度うっかりとそうげてしまったところ、ランが老けてるんだ、とうそぶいて額をぺしりと叩かれていた。

 そんな二人に見つめられ、身を縮める。


「そ…そんなに嫌味ったらしく言わなくったって…わかってるわよ…っ」

「それでは、何をご存知なのか、凡愚のわたくしめらにもお教え願えませんでしょうか、姫殿下?」


 二人の視線の先で小さくなっているのは、逃げ回ったために身なりも乱れてしまっているが、蝶よ花よと育てられた姫だ。

 一般的には末姫と呼ばれるが、他には姉が二人と兄が一人いる。

 いくらか汚れてしまった白い上品なローブを頭から被ったまま、目をうるませた。

 さほど美人ではないが可愛らしく、気さくな微笑みに、国民からの絶大なる支持を受けている。

 例えば、この状況が国の農夫にでも目撃されれば、まず間違いなくこの二人は袋叩きにあうに違いない。近衛兵の装束をしていようとも、そこはお構いなしのはずだ。


 しかし青年は、それを冷然と見つめ返した。

 ついひるみ、しかし、思い切って顔を上げる。


「わ、私だって、ここまで事を荒立てるつもりはなかったわ! だからはじめは、小声で呼びかけたじゃない!」

「はあ?」

「はあ、って、ちゃんと丁寧に呼びかけたわ! そりゃあ、はしたないことだけど、でもそれを勝手に勘違いして、よ、夜這よばいは他に行けって、言ったのあなたじゃない!」

「は? 俺?」


 怪訝けげんそうな青年に、いきり立って立ち上がり――横穴で狭い天井に頭を打ち付け、声もなくうずくまった。

 もう一人が、あーあー、と言いながら、ローブの上から、小さな頭をさすってくれる。

 青年は、駆け寄ろうともせずに首を傾げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る