第14話 月下の賊

 それから彼は、異母妹に関する噂が真実か否か確かめるため、密かに手を尽くした。主要な情報は、鴛鴦殿で明楽に仕えていた女官を捕まえ半ば無理に聞き出したものである。

 その女官とてかつての主君の窮状に心を痛めていたのだろう、一度口を開いたら後は早かった。そして、その内容は宝英から聞いた話とぴたりと一致していた。


――あいつめ!


 公子は憤りを新たにするとともに、心に鈍痛を覚えた。それは、立場や後宮での暮らしによるもろもろの憂いから逃れるために、自分自身が異母妹から離れられなかったのではないか、という疑念であった。



    *****


「……今日はもう終わりにいたしましょう」

 星衛は木剣を構えたまま、桂舜に静かな口調で語りかける。

「何故だ」

 おとがいと額に汗を浮かべ、相手は唸るように答えた。しばらく休んでいた剣術の稽古に復帰した桂舜だったが、師父の王準は、自分ではなく星衛を相手とするよう伝えて寄越したのだった。

 いつかは星衛と稽古で手合わせをしてみたいと願ってはいたものの、素直に喜ぶことはできない桂舜ではある。


――こんな気持ちのまま星衛と剣を交えたくはないが。


 案の定、平素より気合を入れて剣を振るったつもりでも、星衛に動揺を見破られているのは明らかで、よく打ち合って相手はしてくれたが、ときどき諭すような剣の筋でもって桂舜を阻んでくるのが、彼の苛立ちをつのらせる。

「まだまだ!」

 だが、鋭く胴を薙ぎ払おうとした公子の剣は武官のそれに絡めとられ、したたかに突き放された。

「つっ……」

 手首と肩に痛みを覚え顔を歪ませる公子を前に、星衛は剣の切っ先を降ろし、また口を開いた。その声は先ほどよりも厳しさを増している。

「あなた様の剣には殺気があります」

「悪いか、私はそれほど真剣なのだ。それのどこが不満か?」

「お気持ちが動揺するご自分を殺気で解決するのですか? 私は殺気を帯びた剣を恐れはしません。恐れているのは、怒りがあなたのお目を濁らせ、気を散らしていることです。稽古でしかも木剣とはいえ、そのようなお気持ちで剣を振るえばどうなりますか?」

「……」

 しばらく相手を睨みつけていた桂舜だが、やがて木剣を降ろすと踵を返した。



 その日、ある時は落ち着かずにひたすら辺りを歩き回り、またある時は誰も近づけずに書斎で沈思黙考していたが、とうとう何ごとかを決心したと見え、夜もまだ浅いうちに黒い微行用の装束に黒い鉢巻をしめ、剣を腰にさして忍び足で紅霞殿を出た。眼は怒りに燃え、はやる気持ちが足音を立てさせてしまう。


「……どちらに行かれますか」

 半ば予期していたことだが宮城の外に出て間もなく、灯りが自分を照らし、ついでぬっと壁のごとき男が現れて行く手を塞いだ。

「そなたはついて来るな」

「そうは参りません、微行の随伴が本官の任務なれば」

「この目で確かめたいことがある。だが巻き込みたくないのだ、そなたを」

 星衛がそれを聞いてすっと眼を細めるのが、彼の手に持つ灯りに照らされてよく見えた。


「お出かけ先は、本官の予想するところですか?」

「知らぬ、だがそなたは知らなくても良いことだ。愚かな息子が、愚かな真似をまた一つ重ねるだけだ。あえてものを言うとすれば、行き先は私が表門から堂々と入ることができぬ家だ。わかったな、ならばさっさとそこをどくがいい」


 苛立った調子で答えた桂舜は、相手の次の行動に驚いた。星衛はすっと身を沈めると公子に対し深く首を垂れた。その声には張り詰め、絶対に譲らぬものを窺わせる。

「たとえ拒まれても、お伴についてまいります」

「……死ぬぞ。たとえ還宮しても。それがなぜなのか、わかるだろう?」

「わかっております。ですがどうか」

「勝手にしろ」


 星衛のただならぬ様子に驚いたものの、どうせ、でも動かぬ相手であることはわかっている。捨て台詞を投げつけ、桂舜は空を仰いだ。


     *****


 宮城の北側から東周りに城壁を回り、さらに南に向かうと竜湖大街りゅうこだいがいがあり、目指す邸宅はそのとっつきにあった。


――明楽に直接会って、様子をこの目で確かめたい。それがどんなに愚かで危険なことであるかはわかっている。だが、もし彼女が私の予想通りの状況に陥っているなら……。


 欧陽の、高い家格を誇るがごとき大きな正門を避け、黒装束の男たちは七尺あまりの塀を伝い歩き、西北の角近くで顔を見合わせて頷く。

 今日は満月に近いこともあり、月の光がいつもより明るい。二つの人影のうち大きなほうがかがみ込み、小さなほうがその上に乗って塀に手をかける。そのままするするとよじ登り、塀の上で身体を傾けると下の人間に手を差し伸べた。もう一人も大柄な割に身軽で、あっという間に上がってくる。


「大丈夫か?星衛」

「ええ、公子こそ」

星衛はそう答えると、桂舜と一緒に辺りを窺った。

「後房はあちらでしょうか……しかし、夫君とともにおられるのであれば」

「いや、大丈夫だ。今夜は宮城の宿直でおらぬはずゆえ、今日を選んだのだ。ここに使いに来た鴛鴦殿の女官によればだが」

「確実な情報でしょうな、それは」

「もちろんだ。早く降りよう、塀の上は目立ちすぎる」


 桂舜と星衛は邸の北側の、家族が暮らしている後房へ向かって慎重に進んだ。房の一つから灯りが漏れ、何やら人の話し声が聞こえてくる。

 黒衣に顔の下半分は覆面、まるで盗賊のいで立ちをした二人はぴたりと窓の下に貼りついた。


「……まあ、そう仰られても公主さま。ご辛抱なさるより仕方がありませぬ。今さら宮城に帰れるわけでもありませんし。明日はお庭の池で舟を浮かべ、せめてもの憂さ晴らしでもいたしましょう」

「でも乳母や、辛いわ。あの方は顔を合わせれば私をなじってばかり。子を産めそうにないほど細い身体だとか、おとうさまとおかあさまへの孝養が足りぬ、お前は公主であることを鼻にかけ、この欧陽の家門や俺を馬鹿にしているのだろうとか……」

「公主さま……」

「帰りたいわ、お父さまとお母さまのところへ帰りたい。世子のお兄さまと桂舜のお兄さまにお会いしたい。それに妹たちにも。ここでの暮らしは、一日が千年にも思えて、気がおかしくなりそう……」


 声はそこで途切れ、すすり泣きが聞こえてきた。桂舜はと歯ぎしりし、星衛が袖を引くよりも早く飛び出し、そのまま戸口をくぐった。

「誰ぞ!」



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