流れる星は暁に抱かれ ~涼国賢妃伝 外伝~

結城かおる

第1話 酒家公子

――暁天ぎょうてんを流れる星を一つ残らずすくい上げたい、と思った。



    *****


その夕暮れ時、りょう国の都城にある一軒の酒家しゅかでは、大騒動が持ち上がっていた。


 ――がちゃん‼ がらがら。


 派手な音と悲鳴が広間に響き渡り、殴られた巨漢が卓上の酒瓶をなぎ倒して転がる。時を置かず、首に前科者の入れ墨を刺した男が蹴り飛ばされて鼻血を噴く。


「野郎、やりやがったな⁉ 」


 入れ墨男に華麗な回し蹴りを食らわせたのは、黒衣に青い帯を締めた若い男。卓上に立ち、余裕があるのか、自分に歯を剥くならず者たちを愉快げな目つきで眺めまわしている。


「そりゃ、やるさ。ここでたまさか一杯やるのが私の幸せなのに、そなた達に邪魔をされては、な。踊り子にしつこく言い寄ったばかりか、無理やり抱こうとしたならず者、酒の肴としては実にまずいゆえ早々に立ち去れと忠告したはずだ。それを聞かなかったばかりか、徒党を組んで飛びかかってきたのはそちらではないか?」

 声も高らかに言い放つと、猫のごとく身軽に飛び降りる。


「何だと…?この首も細いひよっこが偉そうに‼ 」

 だんびらをかざし打ちかかってくる小太りの中年男にとすると、若い男はすらりと剣を抜き、自分も相手に駆け寄る。まるで飛鳥ひちょうのような動きだった。

「ぐふっ…」

 柄でしたたか脇腹を突かれて息を詰まらせた中年男は、さらに背中を蹴られてひっくり返った。

「さあて、次は誰なのかな?こうも手ごたえがないのでは面白くない……」

 黒衣の男の語尾は途中で消えた。なぜなら、ならず者たちの残りが舌打ちやら「覚えていろ」やら陳腐な捨て台詞を残し、傷ついた仲間を庇いながらの体で酒家を逃げ出して行ったからである。

 

 男はほっと息をついて剣をおさめ、まずは、柱の陰で震える若い踊り子に微笑みかけた。

「怪我はないか?とりあえず追っ払ったから大丈夫だ」

 そして、壊れた椅子や粉々になった茶碗、台無しになった料理などで埋めつくされた広間を見回して、遠巻きにこちらを眺めている客たちにはに手を上げて応え、ついで女将を手招きした。懐に手を入れ、重そうな巾着袋を差し出す。

「店内の修繕など何かと物入りだろう、取っておくが良い」


 ――だが、河岸かしは変えないといかんかな。せっかく酒も肴も美味で気に入っていたのに。惜しいことをした。

 そう呟いて、男はすたすたと店を出て行った。

 月の明るい晩で、彼は鼻歌を気持ち良さげに唄いながら北へ向かって歩く。

「……おや?」

 西水潭せいすいたんの岸を回り込んだところで、目を凝らす。橋の一部が崩れて、通行止めとなっていた。

 ―—この橋、たしか予定ではとっくに修理が終わっているはずなのに。これでは都の者が不便ではないか。担当の者は何をしているのか。

 さらに、橋の下には人影が見える。気になって近寄ると、こもにくるまって身を寄せ合う母子だった。男が怖いのだろう、二人はびくりとしてぎゅっと互いの身をくっつけた。

「いや、怪しい者ではない。安心せよ」

 母子は揃って継ぎだらけの服をまとい、ろくに口をきく元気もないのが月明りではっきりと見て取れる。若者はしばし考えこんだが、腰に手をやって佩玉を外した。

「これを」

 蓬髪ほうはつの母親の手にしっかりと握らせる。

「売るか質舗しちほに入れるがいい。何がしかの銭にはなるだろう」


    *****


 すっかり日も暮れ、人がおじけづくほど明るく大きな満月が、虚空から都城を睥睨へいげいしている。

 そろりと、不審な人影が王宮の壁を乗り越えた。周囲よりやや低くなっている壁の上にうずくまり、辺りを見回して人気ひとけがないのを確認したのだろう、すとんと飛び降りる動きはましらのようだった。着地しても警戒を解かぬまま物陰伝いに進んでいく。

「――!」

 ふいに、不審人物を灯りが照らした。灯りの先には佩剣の若い男が眼をしばたいている。先程の、酒家で大立ち回りを演じた黒衣の客であった。

「――劉内官りゅうないかん

 灯りを掲げているのは中年の宦官で、彼の後ろにも幾たりかの宦官と女官が控えている。


「……このような時刻まで、どちらにいらっしゃいましたか?桂舜けいしゅん公子さま」

 「公子」と呼ばれた若者は、眼をすっと細めて鼻を鳴らした。

「わかり切った答えを聞きたいのか?」

 劉内官は溜息をついた。

「あのように、堂々と壁を乗り越えてこられるとは……」

「ん? 不用心だと思うなら、警護の数を増やしてはどうだ? 王宮を出るのも戻るのも簡単だぞ」

「どうせ、あなた様はお忍び歩きのため、別の算段を思いつかれるに決まっています。見回りの時刻をどんなに不意打ちで変えても駄目、ここに兵を張り付かせたこともありましたが、結局は出し抜かれてしまったではありませんか」

 

 内官の長広舌を「はいはい」と言った表情で聞き流していた桂舜公子ではあるが、次の言葉にぎくりとしたようであった。

「主上からの厳命にございます。桂舜公子の還宮があれば、いかに遅くともただちに建寧殿けんねいでんに来るようにと」

「……わかった」

 今度は公子の唇から溜息が漏れる。そして、後宮の中心を指し大股で歩いて行った。劉内官たちは団子になってその貴公子の後を追う。

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