すずの涙とパパの言葉

※※※ ※※※





「みやびぃーーーっ!」


空気を切り裂くようなその叫びに会場のざわつきが一瞬止まる。


「誰?どこ?」


生徒達の視線が一斉にその声の主を探す。


あそこ!


誰かが叫ぶ。

体育館後方の上階の通路、天窓から吹き込む風にショートボブの黒髪がさわさわと揺れる。

手すりに身を乗り出すようにその子はいた。

手には弓らしきもの、既にそれは目一杯に張られ、その弓先はみやびに向けられている。


「立花巫子・・・」


「あの子が」


キャーーーっ!!


悲鳴が会場全体を包むなか放たれた矢がその場のざわめきをを鎮めるように唸りをあげて宙を舞う。


「くっ・・」

小さな呻き声が聞こえた。

その矢は半身に構えていた北白川みやびの左の二の腕を通って鎖骨へと突き抜けた。


「それは私の分!」

立花巫子が叫ぶ。


「これが理子の分!!」

弾き手の右腕がぶるぶると震える。喘ぐような息づかいがピタリと止まる。

まるで獲物を求める生き物のように金色の矢先がギラリと鈍く光る。


「殺る気だ、あの子」

みやびはと見れば、袖口から滴り落ちる赤いものには委細構わず、

薄笑いさえ浮かべ、その半身の姿勢を崩さない。

彼女のプライドが隠れること逃げることを良しとしていないようだった。


「ダメだって!」

すずの手を振りほどく。

体がその血の臭いに惹かれるようにみやびへと導かれていく。


────── あいつに死なれたら困るんだよ、私は


放たれた矢がまるでスローモーションのように飛んでくるのが見えた。

それは久しく忘れていた感覚。



「マグナム銃から放たれた16ミリの弾丸であろうと見切れる、

それほどの地獄をお前は見てきたはずだ」

 アルカイダから解放された時、村の長老は涙で顔をくしゃくしゃにしながら私を抱きしめ、そう呟いた。


あの砂漠の戦場で捕虜になること、それはそのまま死を意味した。

戦力にも娼婦にもなりえない子供たちを生きながらえさせておくほどアラブの風は優しくはない。


週に一度、彼らは神の配分と称して儀式を行った。

両手にココナッツの実を持たせて子供たちを立たせ数十メートル先から銃で撃つ、何のことはない単なる口減らしの殺戮ゲーム。


もうこの時点では私達は変に生きようなんて考えは捨てていた。大きく外れて脳みそなり心臓を打ち抜いてくれれば楽に死ねる、そんなことばかり考えていた。

指を砕かれ内臓に16ミリ弾がめりこみ三日三晩断末魔の叫び声をげながら死んでいった九歳の女の子。

みんなそうはなりたくはなかった。


ただ三回四回、回を重ね生き残るにつれ、そんな修羅場を生き抜くと不思議な感覚に襲われた。

弾丸の道筋が見えるようになる、というよりも撃ち手の微妙な呼吸に合わせれるようになる。それでココナッツの場所を微調整した。

生きんがため。私達の感覚、埋もれていたシックセンスが研ぎ澄まされていったのかもしれない。



「はるか!」


気がつけば目の前に大きく目を見開いたみやびの顔があった。


「・・・ソルトか」


背中の痛みは不思議と感じなかった。

その代わりに白檀の香りが鼻につんときた。

そしてなぜか愛しさに近い感情が駆け巡り胸の隙間をスッと埋めていく。


「なんで取るんや、その弓矢はうちのもんや、ソルト・・」


そう囁くとみやびは私の髪を撫で、抱き抱えるように後ろ手で背中の弓矢をそっと抜いた。

意識が遠退くなか、あのときと同じように遠くでサイレンの音が聞こえていた。









※※※ ※※※









心臓の鼓動に合わせるように血液がぐぶぐぶと音をたてて流れていく。

私はどうも死ぬようだ。

辺りに漂い始めた血の匂いがそう教えてくれている

死への恐怖はさしてない。

こんな安らかな死に様はあの子達に較べたら夢の中へと落ちていく眠りとさほど変わらない。


唇がまるで石化したようにカサカサになり、泥水の入ったペットボトルを小さな胸に抱いて息絶えたサーシャ。

ソ連制T-55戦車の12.7ミリ機銃にお腹を撃ち抜かれ、向こうの景色が見えるほど大きく開いたその孔を呆然と眺め、薄笑いを浮かべながら死んでいったサミーラ。

そう。私は死ぬべきだったんだ。

あの時、あの地で、あの子達と。

だから・・・・




そうなの?


(・・・・・誰、あなたは?)


誰って。あなたのなかのあなた


(私の?)


見切れたんじゃないの?

それがソルトじゃないの?



(・・・・)



矢は肩甲骨で止まっている。幸いじゃない、あなたが外した。

生きようという意志があなたの暫く眠っていたシックセンス呼び起こした。

巫子の矢は、肩甲骨を打ち砕いて、胸郭筋に届き、心臓の一センチ前で止まった。



(じゃあ・・この出血はどうやって止める?)



ふっ、死にたいんじゃないの、あなた?



(・・・)



まぁいい。できるはず。気を集中して一部の筋肉を収縮させ血の流れを止める。タクラマカンのあの日のあなたを思い出せばできるはず



(・・・・・・・)







✳✳✳







視覚は未だに暗闇の中、けれど私の意識はもう既に戻っていた。心電図モニターがせわしない音を響かせる。サイレンの音、ゆれる室内。傍らには数人のざわめきが聞こえる。救急隊員だろうか、そのうちの一人が何かを叫ぶ。


「諦めるな!やることはまだある」 


「でも(心臓?)止まってから、五分も・・」


意識はあるのに心臓は止まっている。

(そんな事ってあるの?)

そして、彼らの声に混じって耳元ではいつものあの人の叫び声が聞こえていた。


「はるか!戻ってきて!戻ってくるんだよ、はるか!」


(戻ってるって、すず)


声は出そうとするけど出ない。かろうじて、呻き声とも吐息ともとれない声が口の隙間から微かに漏れる。


えっ・・・??


「はるか?はるか、戻った?戻ったの!」


「退きなさい!」

救急隊員の人の声がすずの声に取って代わる。


「聞こえますか!聞こえたら、指でも瞼でもどこでも良いです。動かしてみてください!」



呼吸をひとつ整える。口には酸素吸入器、少し吸っただけで大量の酸素が肺に送り込まれてくる。両手に繋がれた複数の管からは何かしらの液体が体の入って来ているみたいだ。

おそらくそのうちのひとつは血液だろう。


「はるか!死んだら、この足の事一生恨むからね!私の事一生守ってくれるんでしょ!」

「もう、あなた少し黙って!」


泣きじゃくるすずを手で制して救急隊員の人が再び耳元に口を寄せる。聞こえてる、そんな大きな声を出さなくても私の耳は聞こえてるんだ。


「動かしてください!どこでも良いです!今動かさないと一生動かないかもしれない!頑張って!」

そしてその男の人は思い直したように乱れた呼吸を整えてからもう一度叫ぶ。

「頑張れ!はるかさん!動かして!」


動かせ?手は?動かない、ピクリとも反応しない。指?何処にあるのかさえ確認できない。瞼?


そう思った瞬間、光が見えた。瞼がゆっくりと動く。その隙間から

顔をすり付けているすずの大きな黒い瞳が見えた。


「心臓動き出しました!」


だれかが叫ぶ。明らかに先程とは違う電子音が辺りに響く。

握られた掌の感触がゆっくりと伝わる。小さくて暖かで柔らかだけど、でもいつも少しカサカサして、握ると爪を立てる癖。。




痛いよ・・すず・・・


そんな漏れ出た声に救急車の車内は再びすずの泣き声に包まれた。









✳✳✳











夢を見ていた・・・・・




なぜママは行かないの?


どうしてママは行かないの?



そのとき二人の間にはもうどうしようもないほどの亀裂が生まれていることなど10歳の私には知る由もなかった。


「パパに聞いてみたら」


それがママの答えだった。


私をイラクへ連れて行く連れていかないのやりとりは裁判寸前にまで及んだそうだ。


もうすでに離婚調停が進んでいた二人には私の親権争いまで浮上していた。


でも安定した地位も収入もあるパパが私の親権を得るのは誰の目にも明らかだった。


「はるかの気持ちはどうするの?」


「10歳の子に何を判断させようと言うんだ、おまえは」


そんな二人の言い争いを見るたびに私の心は深い闇へと吸い込まれていくようだった。


ママの言葉は私にはいつも正義でパパの声はそれに抗う強者の論理。


彼女は九州は鹿児島の人で向こう気が強い。薩摩おごじょの血はどこまでも真っ直ぐな瞳で物事を突き詰める。京都で生まれ老舗の造り酒屋でボンボンとして育ったパパがどこでそんなママと知り合ったのかは詳しくは私は知らない。


でも冷静で感情が高ぶってもきちんと言葉を選んで話すパパが遠い存在に見えたのは私にママのふるさとの薩摩おごじょの血が色濃く流れているその証なのかもしれない。


「置いていったら、とられるとでも思ってるの」


「俺の子だ、傍らに置くのに何の問題があるんだ」


「そんな砂漠と戦争しかない国に」


「知ってるかあの子が学校でどんな日々を過ごして居るのか」


・・・・


お前が気にしているのははるかが良い子になること。

勉強ができること。親の言うことを素直に聞けること。

それだけ。

それがあの子にどんな影響を及ぼしているのか

お前はかんがえた事があるのか

はるかが何をしたいのか私達に何を望んでいるのか

考えた事があるというのか」


「・・・・・・・」


「逃げるんじゃない。強くなって戻ってくるんだ、その為に俺は連れて行くんだ」




そんなことは全然知らなかった。

帰って来てママに聞かされるまでは。


なんでこんなところに。そうずっと思い続けた五年間だった・・・















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