攻略対象の風紀副委員長に拾われたけど、柴犬ってなにしたらいいの? りたーんず!【前編】


 ──ガチャリ

 私の可憐な三角形の耳に、玄関のドアが開かれた音が入ってきた。


「ただいま」


 お母さんだ!

 私は犬用ソファから飛び降りてお出迎えに走った。玄関では靴を脱ぐお母さんの姿。私は飛び跳ねておかえりの気持ちを表現した。

 お母さんはここ最近泊まり込みでのお仕事が多かった。職場の仮眠室に泊まって、大きな案件を片付けていたそうだから久々の帰宅なのだ。

 私はお母さんが帰ってきたのが嬉しくて熱烈歓迎したが、なんだかお母さんの顔色が悪い。…大分、お疲れのようだ。


 彼女は小さく「あやめちゃん、ただいま」とつぶやくと、私の横を通り過ぎていった。

 現在の時刻は正午すぎ。パパ上はお仕事、ご主人とお兄さんは学校、そしてお祖父ちゃんは老人会の集まりで、お祖母ちゃんは昔からのお友達と遊びに出かけている。

 つまり、家にいるのはお母さんと私だけになる。


 …これは、私がお母さんをお世話してあげなくては!!


 使命感に燃えた私はスタートダッシュを掛けた。

 私はソファに座ってぐったりしているお母さんの隣に登っていき、ごろんとお腹を見せた。パパ上も保健の先生も私をモフったら元気になるんだ。だからお母さんも私をモフればきっと元気になれる!

 そう私は確信を持っていた。


「ふふ、撫でてほしいの?」


 お母さんはいつもの優しい笑みを浮かべて、私のお腹を撫でてきた。私の元気をお母さんに分けてあげるよ。

 ナデナデとお腹を撫でられていた私はお母さんの温かい手のひらに安心しきっていたのだが、その手はどんどん動きが鈍くなり…

 ナデナデが気持ち良くて閉じていた瞳をパチッと開けると、お母さんはソファに背中を委ねて眠っていた。その目元には隈ができており、息をしているか疑ってしまうくらい静かに寝息を立てていた。

 私はお母さんの手の下からそっと抜け出すと、周りを見渡した。

 今の時期は夏だ。今日は今年最高の暑さが予想されていたので、橘家のリビングは現在冷房を効かせている。私が犬で体温調節できないから冷房を入れっぱなしにしてくれているの。それでも一応エコ温度なのだが、このままでは寝冷えしてしまうってものだ。せめてお腹だけでもなにか掛けるものをと捜索に出かけた私。


 お風呂場横の洗面所にはタオルがかかっているが、小さすぎる。バスタオル類は高い棚に収納されている。いくら私がジャンプしようと届くわけがない。

 お祖父ちゃんお祖母ちゃんの部屋は扉がしっかり閉まっていて開けられない。リビングには敷物が敷かれているが、これでは流石にあんまりである。

 続いて私は2階へと階段を登って向かった。お母さんのお部屋開いていないかなと思って扉を鼻で押すと、キィ…と扉がゆっくりと動いた。やったね。運がいい。

 私はジャンプしてお母さんのベッドの上に乗ると、綺麗に畳まれた薄手のタオルケットに噛み付いてそれを引きずり下ろした。ボテッと着地に失敗したけど、タオルケットがクッションになっているから痛くはなかった。

 問題はここからである。そう、今しがた登ってきた階段である。下手したら階下まで滑り台みたいに転げ落ちるパターンである。


 こんな時子犬の身体が憎くなる。もしも成犬だったらもっと力があるだろうし…もしも私が人間なら…

 しょん…と落ち込んでしまいそうになったが、今は落ち込んでいる場合ではない。お母さんのポンポンを守るために私はタオルケットを一階まで届けなければいけないのだ!

 そう覚悟を決めたなら後はなすがままよ!

 私はタオルケットを咥えると、慎重に階段を降り始めた。だが予想以上に作業は難航した。なんたって自分の体よりも遥かに大きなタオルケット。薄手といえど、可憐な子柴犬の私には大荷物である。

 だが私は諦めなかった。一歩一歩、しっかりとした足取りでタオルケットを階下へと運んでいた。…事件が起きたのはその時だった。


 ずりっと階段を踏み外した私はバランスを崩したのだ。


「ワウッ!?」

 

 タオルケットを口に咥えたまま、私は階段を転げ落ちたのだ。階段に叩きつけられるのを覚悟して、ギュッと目をつぶっていた私。


「あやめっ!?」


 ──ポスっと軽い音を立てて激突したのは冷たい床ではない。階段でもない。…この感触は毎日ぐりぐりするあの…


「バカ! 危ないだろう何してるんだ!」

「キュヒーン…」


 ご主人の胸である。ナイスキャッチありがとうございます。

 あれ、まだお昼だけどもう帰ってきたの? 今日早いね、テストか何かだったの? 私は思ったよりもご主人が早く帰ってきたことが嬉しくて尻尾をパタパタ揺らした。

 だけどご主人はお怒り気味だ。私は怒られた。私はただお母さんのポンポンを守るためにお布団を持ってきただけなのに…ご主人に叱責されながらしょぼんとしていると、リビングにつながる扉がゆっくり開かれた。

 

「…亮介? おかえりなさい。今日は早いのね」

「母さん。帰ってきていたのか?」


 眠たそうに目をこすっているお母さん。今の騒ぎで(騒いだのはご主人だけど)起きてしまったようだ。彼女はご主人と私の足元に落ちているタオルケットを見て目を瞬かせると、苦笑いをしていた。


「あら…あやめちゃん、お布団持ってきてくれたの? でも危ないからそんな事しなくてもいいのよ?」

「キュフ…」

「寝るならお布団で寝なきゃね。…ちょっと休ませてもらうわね」

「あ、あぁ…おやすみ」


 私がグシャグシャにさせてしまったタオルケットを拾い上げると、お母さんはゆっくり階段を登り始めた。私は彼女のことが心配になってその後を追いかけようとしたのだが、ガシッと腹回りを掴まれてご主人に捕獲されてしまった。 


「キャワン!」

「いいかあやめ、もしも階段から落ちていたら骨折していたかもしれないんだぞ。お前は猫じゃないんだ。高いところから落下して必ずしも着地できるわけじゃないんだ」

「キャウ!」


 知っているよ私は柴犬だもん! だって仕方がないじゃないの、私の可憐な姿ではタオルケットを運ぶのは大変困難を極めるのよ、お母さんのポンポンを守るためにしたことなのよ! もっと褒めてよ! 私は褒められて伸びる柴犬なの!

 だけど私の言っていることがご主人に伝わることはなく、芋虫のようにウゴウゴ動いてご主人の拘束から逃れようとしていた私はそのまま、ご主人の小脇に抱えられた。


「ギャウ! ワゥウッ!?」


 ご主人最近私への愛がなくなってる! 倦怠期なの!? 扱いが雑だわ!

 罰としてその日のお散歩はご主人に拘束されたままの動物病院デートに変わったのだ。

 ワクチン3回目とか言われて注射された。注射するとか聞いていない。私はこれまでに散々注射されたのにまだ打つの?! 柴犬虐待よ!

 とても痛かったので、八つ当たりでご主人のお腹にパンチを繰り広げておいた。だけど全然ダメージを与えられなかったらしい。

 狂犬病予防接種と同じく毎年するものだから、また来年も来てくださいねって獣医さんが言っていた。嫌だ! もういいです、注射嫌い!


 家に帰ると、フィラリア予防の薬とか言っておやつくれた。おやつの中に薬が含まれてるみたい。…これならいくらでもいけるんだけどなぁ。でも1個しかくれなかった。ご主人のケチ。



■□■




「…亮介、最近学校はどうなんだ」

「あぁ…変わらないよ」

「アゥッ」


 ご主人! ナデナデの手が止まってる! ナデナデしてくれなきゃやだ!

 ソファに座っているご主人のお膝の上でナデナデしてもらっていると、パパ上が帰ってきた。いつもは玄関までお出迎えするが、今はナデナデタイムなので出来なかったの。ごめんねパパ上。


 度重なるワクチン接種を受けさせられた私は怒っているのだ。痛いんだよ。ご主人だって注射嫌いでしょ?!

 だから私はご主人の膝に居座ってナデナデを要求していた。撫でてくれないと注射された場所が痛むんだ。もっと撫でてくれ。


「…どうしたんだ? 随分機嫌が悪いな、あやめは」

「今日三回目のワクチンを接種してきたんだが、帰ってからずっとこの調子なんだ。…あやめ、風呂に入ってくるからそろそろいいか?」

「グルルル…」


 まだ撫でが足りない。私はご主人のお腹に顎をくっつけて目で訴える。お風呂から上がったら再び私をナデナデすることを命ずる。わかったね?

 フンッと鼻を鳴らすと、私はご主人の膝から降りて、自分の後ろ足を使ってカカカッと横腹を掻いた。


 ご主人がお風呂に行くと、ソファの空いたスペースにパパ上が座ってきた。パパ上は私に手を伸ばすと、いつものスーパーモフモフタイムを始めた。

 パパ上お疲れのご様子ね。お母さんも疲れた様子で帰ってきて今もまだ眠っているみたいだ。ほら、私のこのモフモフのお腹を撫でてもいいのよ。


「…あやめは大きくなったな。最初見た時はあんなに小さかったのに」


 私が橘家の一員となってもう半年近くになる。真冬の寒い日に引き取られた私はまだよちよち歩きの子犬であったが、今では子犬の域は抜けないものの、立派に成長をしている。

 そういえば、パパ上は当初私を飼うことを渋っていたな。昔飼っていた犬が亡くなった時にパパ上が一番落ち込んでいたから、寿命が短い犬との別れが怖いのだろうとおばあちゃんが言っていた。

 そんなパパ上も今ではこの家で一番か二番目に私を可愛がってくれている気がする。


「…あいつも、いつの間にか俺よりも大きくなった」


 小さな呟きが聞こえてきたので、私がパパ上を見上げると、パパ上は懐かしそうに微笑んでいた。だけどそれはどこか寂しそうでもあった。

 パパ上は時々私に向かって独り言のように語りかけてくることがある。


 お兄さんとご主人の話が多い気がするけど、そのどれもが息子を心配し、息子を愛している発言ばかり。

 私がこの家に来た時、みんなどこかギクシャクしていたけれど、最近はちょっとずつ会話も増えた。

 私思うんだけど、別に橘家のみんなは嫌い合っているわけじゃない。ただどこかズレてしまっただけだと思うの。

 もっともっとみんなが仲良くお話してくれたら私嬉しいんだけどな……


 もふもふもふもふと絶妙なタッチで撫でてくるパパ上。こればかりは誰にも引けは取らない。

 うん、パパ上のゴッドハンドマジでヤヴァアイ……ぐーすぴー…


 私は安定の寝落ちをしたのである。

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