ひとりでできるもん! 私はやってやるぞ!


 私は幸本さんの腕を掴んだまま、走りに走っていた。追手を撒くのではなく、最短距離で駆けてく。通行人がギョッとして私達を目で追ってくるが、それを気にしている余裕なんてなかった。

 捕まるわけにはいかないのだ。狡猾な手段で女性を陥れようとする男たちなんかに屈してはならない!


 幸本さんに檄を飛ばしながら走り続けると、大学の最寄り駅の直ぐ側にある交番がやっと見えてきた。交番の入口に特攻した私は大声で助けを求めた。


「すいません! 追われています助けてください! ついでに追いかけてきた人を捕まえてくださーい!」


 奥の方でお仕事をしていたお巡りさんは目を丸くして此方を見ている。驚かせてすみません。だけど危機なんです。助けてください。

 私は安全なテリトリー内から外の様子を窺った。外には私を追いかけてきたホストの姿が人混みの中にあった。相手は交番を見て狼狽えている様子であった。


「あいつです! スーツのホストっぽい男がこの子を風俗に売り飛ばそうと大学構内にまで入ってきたんです!」


 私は声高らかに犯人を指差した。相手はお巡りさんに怖気づいて後ずさっていたが、動きが不審だったこともあり、交番から出てきたお巡りさんに捕まって職務質問をされていた。


 私に引っ張られながら走って来た幸本さんは苦しそうに呼吸しているが、彼女にはまだまだ任務がある。休んでいる暇はないよ。


「ほら幸本さん、被害を打ち明けなさい。泣き寝入りしてたら、お水の世界で働かなきゃいけなくなるよ」

「でも…私は」

「散々人に迷惑を掛けておいて、自分が親に怒られたくないからって言い訳はよしてね?」


 幸本さんの瞳には涙が滲んでいたが、私は容赦しない。お巡りさんの前に座った私は幸本さんの腕をしっかり握って、口を開いた。


「私が事情を知ったのは、彼女の騙し討ちでとあるホストクラブに連れて行かれた時なんですけど…」


 私が知っている事情をお巡りさんに説明し始めると、幸本さんが隣でウックヒックとしゃくりあげ始めていたが、私はそれに構わず続けた。


「それで…」

【♪♫♬…】

「あーもうこんな時に! うるさい!」


 聴取中にタイミング悪く先輩から電話がかかってきたので、留守電設定にしておいた。今忙しいんだよ! 

 私が一生懸命説明しているのを隣で聞いている内に幸本さんも腹をくくったのか、ボソボソと事情を語りだした。時折感情的になって泣き喚いていたので、お巡りさんが苦笑いしていた。

 だけど彼女は、ホストの夢からようやく目が覚めたようで、私はホッとしていた。


 

 事情聴取の際、事を重く受け止めたお巡りさんによって幸本さんのお母さんに電話が行った。警察から受けた電話にお母さんはすぐにこっちに向かうとのことだった。多分これで幸本さんはもう大丈夫であろう。

 幸本さんの実家は隣県のためお母さんの到着は時間がかかったけども、高速道路を飛ばして急いでやってきたようだ。化粧なんて申し訳程度で、服は普段着。本当に娘のことを心配して慌ててやって来たように見えた。


 幸本さんのお母さんは娘を見るなり、キッと目を吊り上げていた。そして右手を振り上げると、娘の頬を思いっきり張ったので、パーンという破裂音が交番内に響いた。


「何してるのあんたって子は! …こんな事させるために大学進学させたんじゃないのよ!」

「ご、ごめんなさい…」

「学生の分際で何をバカなことしているの! ホスト? 風俗? …お父さんが聞いたら泣くわよ!? 勉強しないなら大学を辞めてしまいなさい!」


 幸本さんは頬を抑えて項垂れ、泣いていたが、これはお母さんの愛のムチなのだと思うよ。しっかり叱られなさい。


 私はそこでお役御免となった。私の被害は少額だし、訴えても金は戻ってこない気がする。

 何かあれば証言しますとお巡りさんに連絡先だけ渡しておいた。


「あの、田端さん!」

「…幸本さん?」


 交番から出る手前で幸本さんから呼び止められた。お母さんに今しがた叩かれた頬が赤く腫れている幸本さんは泣き顔だが、どこか安心したような表情をしていた。


「一緒に逃げてくれてありがとう! それと迷惑かけてごめんね」

「本当にありがとう。この子が迷惑かけてしまった分のお詫びは後日改めてさせて頂きますね」


 幸本親子からお礼を言われた。

 電話番号聞かれたので、お母さんに連絡先を教えて、そこで彼女たちと別れた。

 お節介だったかもだけど、いい事したなと私の心は晴れ晴れとしていた。無事やりきってみせたぞ!

 自分へのご褒美になにか買って帰ろうかなとスッキリした気分で交番から一歩外に足を踏み出した。


 すると何故か、交番の外には彼氏様(絶賛冷戦中)がいた。彼は植え込みのレンガの囲いを椅子代わりにして、参考書を開いて座っている。

 私が交番から出てきたのを確認すると、参考書を鞄に戻してゆっくり立ち上がった。


 …えっ? 何でここにいるの? 

 私のスマホ、GPSか何か設定してたっけ? 電話も会話せずに切ったのによく居場所がわかったね。


「…何か用ですか?」


 私は先輩を胡乱に見上げた。

 お説教なら結構。私はひとりでやりきりましたから怒られる謂れはなくてよ。


「…大学内でお前が男に追いかけられてるのを見かけた。その後を追いかけたけど姿を見失ったから、その辺りの人に聞いて回ったんだ。…見つけた時は事情聴取中だったから、交番の外でずっと待ってた。……何してるんだ本当に」


 苦々しい表情で私を見てくる先輩。

 また…過保護か。私の中に残っていた反発心が飛び出てきた。


「もう解決しました。先輩が心配するようなことは何もありませんよ。私はひとりでも解決出来るんです」


 私は仁王立ちをして自信満々に言い放った。

 どうだ、私は成長したんだぞ。いつまでも彼氏に甘えきっている子供じゃないんだからな…!


「…お前」

「私だってやればできるんですよ! 風俗に売られそうになった女の子を見事救出してみせましたよ。すごいでしょう?」


 なんなら褒めてくれてもいい。今の私は達成感に満ちていた。


 ブニュッ

「……なにひゅるんでふか」

「…俺も悪かったから…1人で暴走するのはやめてくれ」


 言ってる事とやってる事が矛盾してるよ。なぜ私の頬を握りつぶすんだこの人。


「男に追い掛けられているのを見かけて…心臓が止まるかと思った」

「……」

「…束縛野郎だと罵ってもいいから、危ない事に足を踏み入れるな。心配かけさせないでくれ…」 


 私はジト目で先輩を見上げた。彼はシリアスな空気を醸し出しているが、私は頬を潰されてとてもブサイクな顔にされている。シリアスにしたいのか、コミカルにしたいのかどっちだ。まさかこの顔も可愛いとか言い出すんじゃないだろうな。

 …そもそも、私が一番イヤなのは束縛ではない。先輩が合コンもどきの飲み会へ参加してるのが私は大変不満なのだ。

 それを先輩は全く理解していない。私は頬を掴んでいる先輩の大きな手を振り払い、キッと睨みつけた。


「…束縛野郎、私が不満に思っていることはそれじゃありません。幾らサークルの先輩に逆らえないからって合コンに参加していることが許せないのです」

「…それは」

「束縛野郎は私の飲み会にはついてきて行動を制限しますが、私は信用されてないようでとても悲しいです」


 私のことを少しは信用してくれないか。束縛ということは信じてもらえない事と同義だと思うのだ。

 私の言葉に先輩は難しい顔をしていた。理解してもらわないと、また同じことでぶつかる。それならここでハッキリ決断してほしい。


「束縛野郎」

「やっぱりその呼び方止めてくれ」


 自分で罵ってもいいって言ったくせに。


「…先輩が私の飲み会の制限をしないなら、私も先輩の飲み会には目を瞑ります。それが出来ないなら先輩は剣道サークルの飲み会には参加しないで下さい」


 私の出した2択に先輩は、究極の選択を迫られたかの様な表情をしていた。そんなに迷うような事じゃないのに。


「…4年の相模先輩という面倒くさい先輩がいなくなるまでだ。…もう少し耐えてくれないか?」

「じゃあ先輩も私の参加する飲み会にはついてこないでくださいね」

「それは駄目だ。酒が入ると人間は豹変するから」


 おい、また振り出しに戻ってるじゃないか。先輩はわがまますぎる! 過保護をやめろと言っているだろうが!

 

「…なら私も先輩のこと束縛しますよ? 飲み会に着いていきますし、女性との接触をことごとく邪魔する重い女になりますよ? …それでもいいんですか…?」


 先輩と同じ事をするよ? それにうんざりする事間違いなしだ。

 ほら嫌だろう? 鬱陶しいだろう? どうなんだ?


「…ついてきてもつまらないぞ。俺が言うのは何だが、サークルの相模先輩という人はすごく癖があって、性格も良くないから…お前が嫌な思いをする可能性だってある」

「知りません。先輩が私を束縛するなら、私だって束縛し返します」

 

 そんなこと言っても私は引いてやらないよ。面倒くさい4年がいるのは聞いてた。だけどそんなの気にしない! 

 私は決めたぞ。先輩を束縛してやると。そうと決まれば剣道サークルの飲み会で先輩にベタベタくっついて牽制してやる。先輩を酒に酔わせてお持ち帰りを狙う女達なんて私が追い払ってくれるわ。

 

 先輩は「本当に楽しくないぞ?」と念押ししてくるが、私は曲げない。行くったら行くんだよ。私の意志が固いとわかると先輩は複雑そうな顔をして押し黙っていた。

 …先輩は私がどれだけ不安を感じているかわかっていない。私がホストクラブに行ったとわかって嫌な気分になったでしょう。それと同じくらい嫌な気分なんだよ。


「…先輩はひどい。私は先輩のこと大好きで大好きで愛しているのに、私の不安な気持ちを理解してくれないんですから」

「そういう訳じゃない。ただ…」

「私がホストクラブに行ったと知ってどう思いました? 嫉妬しませんでした? 他の異性に会いに行ったと知ってむかつきませんでした? …私は、先輩が飲み会に行く度にその気分で見送ってきたんです」


 私の言葉に先輩は苦々しい表情で閉口した。

 2週間ぶりくらいだろうか。先輩の顔をこんな近くで見たのは。…やっぱりどんなホストよりも先輩の方がかっこいい。

 ホスト……

 そういえば私は、先輩という彼氏がいながらホストクラブに行ったんだったな…これは善意有過失の浮気未遂になるんだろうか?


「…私もすみませんでした。浮気みたいな行動をとってしまって…だけど決してやましい気持ちで行ったのではありません! それだけは信じてください!」


 元はといえば、私がホストクラブに行ったことが冷戦の原因なのだ。自分の意志ではないとはいえ、自分の非は詫びないと。この間は虫の居所が悪くて、ついつい不満をぶちまけるついでに先輩に反発しちゃったけど、全面的に私が悪いよね。


「……こういう事を秘密にするのはやめろ。お前の口から聞かされるのと、別の人間から聞かされるのとじゃ受取り方がだいぶ変わるんだから。…もう行くなよ」

「行きませんよ! だって先輩よりもかっこいい男はいませんでしたもん。どんなに口説かれても先輩に敵う男なんていません…黙っててゴメンなさい」


 8千円払うなら、先輩と美味しいもの食べに行ったほうが楽しかったに違いない。…黙っていたことは本当にごめんなさい。

 先輩はまだなにか言いたそうな顔をしていたが、私の頬をまた掴んでブニュッと潰してきた。これで仲直り成立らしい。

 なぜ彼女の頬を潰してブサイクにしたがるのか。悔しいから私もやり返していたけど、先輩は頬の肉があまりないので思ったような顔にはならなかった。

 顔を潰してもイケメンだって言いたいのか! それとも私が太ったと言いたいのか!


 交番前で先輩と頬潰し合戦をしていたが、私だけがチャウチャウ犬みたいになっていると「そこにいるバカップルは亮介と田端姉か?」と帰宅途中の大久保先輩に声を掛けられた。


「今回の喧嘩長かったな。…亮介はお前と何かあるとイライラして始末に負えないからあんまり喧嘩すんなよ」

「…すいません」

「コイツ、お前が追われているのを発見した時の行動速かったぞ。流石、田端姉のセ○ムだよな」

「健一郎、余計な事言うな」


 そういえば大学から追いかけてきたんだよね…だけど今回は1人で大丈夫だったし。…セコ○ってなによ。人を監視対象みたいに…


「ご心配には及びません。私は今回、1人でか弱き女性を救う事ができましたので!」

「今回はたまたまだ。調子に乗るな」


 ゴチッと軽く小突かれた。痛くないけど口から「あいてっ」と言葉が漏れる。


「まぁ痴話喧嘩も程々にしろよ。じゃーな」

 

 大久保先輩は私達を冷やかして、アッサリ去って行った。


「お前は退化してないか? 高2の時に逆戻りしてるじゃないか」

「そんなことないですよ! 失礼な! 私は二十歳の大人の女性なんですよ!?」

「大人ならもうちょっと落ち着いてくれ」


 長めの冷戦期間をおいていたが、仲直りを終えると喧嘩なんて何となかったかのように、私達は肩を並べて駅の改札まで歩いて向かった。何も言わずにお互いの手をつないで、二人仲良く帰宅したのであった。




 あの悪質ホストクラブ事件の後日談になるが、私達だけの被害で終わるかと思っていたこの一連の流れ…話はドンドン大きくなっていき、自分たちが思っていたよりも被害者の数が多いということが判明した。

 あのホストクラブでは違法脱法を繰り返していた。料金形態の説明をおろそかにした挙句、わけのわからないサービス料をつけたり、ツケの請求で言葉巧みに、時には脅しをかけて売り飛ばした風俗店の紹介料だけでなく、売上金から数%天引きして、その上ツケという名の借金も取り立ててボロ儲けさせていたそうだ。

 その悪巧みは店全体、グループ店全体で行われており、沢山の人間が悪事に加担していたそうだ。他にも新たにボロが出てきていて、現在余罪を捜索中だそうだ。


 金づるとして狙われたのは地味めな如何にも男慣れしていなさそうな若い女性。特にモノの善悪の付かなそうな純粋な女性、一人暮らしをしている女性をターゲットにしていたそうだ。

 頼れる親が傍におらず、慣れない地にひとりの心細い女性のその心の隙間を利用して甘い言葉をかけ、依存させて、借金漬けにしたら風俗に売り飛ばす。そんな手口を繰り返して、年間数千万円の収入を得ていた。

 そしてホストとして女性を落としていたのは、ホストクラブの人間からスカウトをされた見目の良い若い男性達。彼らは金儲けの話を聞かされてそれに乗ったというわけだ。女を騙して手に入れた金は、生活費、学費に、あるいは遊ぶ為・別の女性に貢ぐ為に使われたという。


 やり方が完全に裏社会の人間のやっていることだったので、お店にガサ入れが入って、その後そのことを知った被害者女性たちが続々被害を訴え始めたと言う訳らしい。

 加担した奴らはもちろんタダじゃ済まない。無傷ではいられないであろう。

 あとは警察におまかせコースである。


 幸本さんは後日お母さんと一緒に詫びを入れに来てくれて、私に感謝していた。それと、今後は心を入れ替えて勉学に励むと言っていた。もう変な男に引っかかるなよ。



 蛇足だけど、彼氏様が私のママンにホストクラブ事件の顛末をチクったので、私は二十歳にもなって般若の顔をした母さんに説教された。彼氏の前で公開説教されたのだ。

 先輩やっぱりまだ怒っているでしょう…なんでチクるのさ…


 過去のことを振り返っても人は前に進めないのよ!


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