金の亡者の餌食となるもの【三人称視点】


「ねぇ君! あぁ待って待ってそこの背の高い君だよ!」

「…?」


 いきなり見ず知らずの男に声を掛けられた青年は訝しげな顔をしていた。それに気づいているのか、敢えて気にしないふりをしているのかはわからないが、スーツ姿の男は長身の男子学生にある話を持ち出してきた。


「いい儲け話があるんだけどさぁ、君なら月30万以上はイケるかも! 方法は簡単だよ。女の子を誘って一緒にお酒を飲むだけ! 研修があるから…」

「いいえ、間に合ってます。用事があるんでもういいですか?」


 男は甘い言葉で誘い込もうとしたものの、青年は興味が湧かなかったようだ。歯牙にもかけない態度で横を通り過ぎようとしたのだが、スーツの男は諦めが悪かった。


「待って待って待って! 一度うちの店で体験入店しない!? キャッシュで給料支払うし!」

「いや、本当に結構です」


 ちなみにここは青年の通う大学構内であるが、この大学は一般の人も入れる仕組みになっているので時折宗教の勧誘やネズミ講のお誘いでやってくる人間が複数存在するらしい。

 大学側も学生たちに注意喚起をしているが、防止策は注意だけで収まっている。引っかかってしまったら自己責任というわけだ。


 そんなことよりも青年はここの所ピリピリしていた。理由は彼女と喧嘩したからである。喧嘩して1週間経過するが、相手から連絡も接触もない。青年からも一切アクションを起こしていない。大学で遭遇してもお互いに無視しあっている。

 青年の親友からは「また痴話喧嘩したのかよお前ら。しょうもねーな」と呆れた目で見られたものの、青年は本気で怒っていた。

 そんなときに声を掛けてきたスーツ姿の男もタイミングが悪かったのであろう。それがなかったとしても多分断られていたであろうが。 


 甘い言葉で誘ってくる、如何にも怪しげな男に塩対応をして、青年は早歩きで突っ切っていく。

 後ろで悪態つく男のことなんてどうでもいい。うまい話には裏があるものである。どうせろくな仕事じゃないだろうと青年は予想していた。



「あれ? セイヤさん…? どうしてここに?」

「あっ千夏ちゃーん♪ 千夏ちゃんここの学生だったっけ? ねぇねぇ誰か紹介できる子いなーい?」

「あ…ごめんなさい、七緒ちゃんに邪魔されちゃって……」


 ナナオ。その名前に青年はピタリと足を止めた。

 何故かと言うと彼女の友人の名前と一致しているからである。珍しい名前ではないが、数多くいる名前でもない。


「そっかー…七緒ちゃんと…ギャル風のあの子…うちの店に合わなかったんだね」

「折角楽しいお店を紹介してあげたのに、恩知らずですよね!」

「遊び慣れている子だったのかな。合わなかったのなら仕方ないよ。…そうだ千夏ちゃん、ウチのユウヤが千夏ちゃんに会いたいってボヤいていたよ?」

「えっ…」


 青年は二人の会話に聞き耳を立てていた。ギャル風のあの子…という単語にピンときたのだ。それと同時にまた怒りが湧いてきた。

 ……彼は、彼女が言っていることを疑ってはいなかった。だけど、それを自分に内緒にしていたこと、そして短時間だとしてもホストクラブにいたことに激怒して、彼女をきつく詰ってしまった。それに嫉妬心が含まれていないかと言われたら嘘になる。ホストクラブだぞ!? …色恋を売る店なんかに…俺というものがありながら…と、かなりショックを受けていた。


 彼は別に彼女を人形扱いしているつもりはない。…心配だから注意をしていたのだ。

 自分のサークルの飲み会のことを話に持ち出された時、耳が痛かった。…本当なら彼女が参加する飲み会にも気持ちよく送り出したいけど、何かに巻き込まれるのではないかともう心配で心配で仕方がない。それを束縛だと思われているのは薄々気づいていた。

 確かに…自分は彼女を縛りすぎたのかも…いやでも…気がついたら何かに巻き込まれているから…

 彼は先程まで思い出しイラをしていたのだが、今度は思い出してドヨンと沈み込んだ。



 その後、スーツの男と千夏は何やらよくわからない会話を続けていたが、話の内容を掻い摘むと千夏はホストクラブの人間といい雰囲気らしい。

 …大学生なのによくそんな遊ぶ金があるなと彼は呆れていた。自分の彼女はもう行かないと意思表示したとわかっていたからもう彼らに関わることはないだろう、と何処か他人事のように傍観していた。


 …だけど何故だろうか。

 彼は胸騒ぎを覚えていたのだ。




■□■



『ねぇねぇ君、ちょっといい?』

『えっ…私?』


 街なかを歩いていた女性に声を掛けたのは女性と同年代の見目の良い青年だ。女性は急に声を掛けられたことに構えていたが、その場で誘われてお茶に行き、青年の話術に引っかかった。

 度重なるメッセージのやり取りとお茶を経て、完全に相手に心を許すようになっていた。心の弱い所を見つけてくれる、自分が求めている言葉を掛けてくれる青年。大学進学のために単身で一人暮らしをしている女性の心の拠り所になっていたのだ。

 相手は頭が良く、会話も面白い。何よりも自分のことをよく理解してくれていた。優しい言葉を投げかけてくれた。…彼女は彼の事を完全に信じきっていた。

 相手は段階を踏むようにして、次は自分が働いているという店に誘い込んだ。入店初回は5千円と聞いていたが、請求されたのはそれよりも高い金額。サービス料金が別途かかると請求時に言われた彼女は、夜のお店だからそんなものなのかと思って黙って支払った。

 なぜ、おかしいと口にしなかったのか。なぜなら疑うことすら出来ないくらい、彼女はホストの彼に惚れてしまっていたからである。


 彼女は彼に会いたくて、親からの仕送りからホストクラブに払う費用を捻出していたが、次第にお金が足りなくなったのでアルバイトを始めた。週に3日ほどだったバイトだが、それでも足りない。次第に学業が疎かになるほどシフトを増やしていった。

 なぜなら2回目以降は金額が跳ね上がったからだ。そして指名料にボトルを入れないと彼を独占できない。何よりも彼に上へと登り詰めてほしかったからだ。


『この店はツケもできるよ』

『ツケ?』

『買掛金って言ったらわかるかな? 後日支払ってもらえば大丈夫だよ』


 そのうち、足りない分はツケができるよと声がかかり、疑似恋愛のはずのホスト相手に本気になった彼女はツケでホストクラブを利用するようになったのだ。ツケ総額がどんどん膨れ上がっているのに、金銭感覚が麻痺していた。

 彼女は自分の身の程にあったお金の使い方が出来ていないことを自覚していなかった。

 女性の恋心と独占欲、お金に関する管理の甘さ・認識の弱さを悪用したホストは、自分が稼ぐためにどんどん彼女を利用したのだ。


『俺今月ノルマヤバいんだ…助けると思って…お願いっ』

『え…でも私もうツケが…』


 ホストクラブに通い詰め、ツケてきた金額は100万円を超えていた。彼女は決して少なくない金額をホストクラブにツケていた。遅れてアルバイトの給料で支払っているものの、支払いは間に合っていない現状。自転車操業どころではなくなっていた。


『だーいじょうぶだよ、千夏ちゃん、うちは無利子だから…あ、そうだ。今のアルバイトより稼げる方法があるけど、紹介してあげようか?』

『ホントですか!?』


 儲け話に飛びついた彼女は、毎日お金のことばかり考えていた。お金さえあれば、もっと彼に会える。彼のために高いお酒を入れたら彼は喜ぶし、独占できるはずだと。

 だが、肝心のアルバイトの詳細はまた今度先方と面談をする際に説明すると話され、どんな仕事なのかはわからない。だけど今のスーパーでの仕事よりはきっと稼げるはずである。

 そうと決まれば今のバイトを辞めると言わないと…


 彼女は良くも悪くも無知で純粋だった。

 相手の思惑にハマり、そして奈落の底へと引きずりこまれようとしていた…


『千夏、悪いことは言わないからあそこにはもう行かないほうがいいよ』

『七緒ちゃんには関係ないでしょ。指図しないで!』


 友人が心配して注意する言葉よりも、よくわからない得体のしれない男の言うことを信じていたのだ。

 そして、また今日もホストクラブでご執心の相手を指名して、相手の気を引くために大金をツケていった。




 だがいつまでもそんな日が続くわけもなく、彼女は現実を知ることになる。

 …その3日後、ホストクラブのオーナーから紹介された【アルバイト】に戸惑い、その上、夢中になっていたホストの真実を知ってしまったのだ。

 彼には愛する彼女がいて、彼女のために高級ブランド店でカバンを購入してあげている姿を目撃してしまったのだ。支払ったお金には自分が通って支払ったお金が含まれているのであろう…


 ホストの彼は彼女とお付き合いをしているということを匂わせていた。マメな連絡に愛の言葉をささやき、デートを重ね、体の関係だってあった。彼女は彼を信じていた。彼を支えないといけないと思っていたのだ。だけどあれはすべて真っ赤な嘘。

 彼女は単なる金づるだったのだ。


 失意の彼女に残されたのは250万という、学生にはとても払えない額の負債ツケだけであった。



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