二十歳の誕生日はあなたと共に。だから邪魔しないでください。
「不安にさせて悪かった」
「……」
清水さんに不信感を抱いていた私は、先輩の話をすべて聞かずに、大泣きしてしまった。
よくよく聞いてみたら、先輩は清水さんをあしらっていたと言う。嫉妬心を爆発させて泣きじゃくる私の顔中に先輩がキスを落として宥めてくるから、私はすっかりおとなしくなっていた。
「俺はバイトに行くけど、あの女に声かけられたら逃げろよ」
そう言って先輩は私の唇にキスを落とした。
長期休暇でもないのに、急なヘルプでバイトに出ることになったという先輩を見送った私は、まぶたを腫らした状態で講義に参加した。私のそのひどい顔を見たナナが訝しげな表情をしていた。
「…あやめどうしたのその目」
「……」
ナナのために黙っておこうと思ったけど、巻き込まれてしまった今となってはもうダメだ。講義の後に時間を作ってもらい、この間から起きていることをナナに一から説明した。
ひと通り話し終えると、彼女の顔色は悪くなっていた。
「…まさかあやめにまで…ごめん、ちゃんと話しておけばよかったね」
ナナは私に謝罪すると、フッと目をそらした。窓の外を見て、どこか遠くを見つめながらある昔話を始めたナナ。
…話すその表情は暗く憂いに満ちていた。
「…高校の時は普通の子だったの。どこにでも居る普通の子だった。だけど…」
ナナの話によると、大学に進学して清水さんは変わってしまったという。
清水さんの所属する学科は定員100名に対して女子が3人。その環境で清水さんは男子生徒にモテるようになったのだ。高校生の時とは違うその環境に彼女は自分磨きを始め、きれいになっていったという。
そこまでは良かった。大学生になって垢抜ける人はたくさんいる。それは大して珍しいことでもないからだ。
だけど清水さんは性格まで変わり始めた。幾多もの男性とデートをして、親密になっていく友人。時折此方を見下すような発言をするようになってきて、とうとうナナは距離を置くようになった。
当時ナナにはお付き合い一歩手前まで来ていた男性がいたのだが、清水さんはそれを知った上で彼に接近したという。自分の知らないところで彼に甘えたり、悩み相談をしたり、差し入れをしたり…そうして彼が清水さんに惹かれて行ったことが、縁を切る決め手だったらしい。
自分に魅力がなかったと言われたらそれまでだけど、変わりすぎてしまった彼女と友人でいられる気がしなくなったナナ。完全に連絡を絶った後は清水さんを避けるようになったらしい。
「まさか喋ったこともない赤の他人であるあやめの彼氏まで盗ろうとするなんて想定しなかった…ごめん…」
…人のものが欲しくなる人…なのかな。
でもこれはナナが悪いわけじゃない。ナナは被害者なのだから謝らなくていいと慰めていると、ナナが「今、あやめの彼氏さんは?」と尋ねてきた。
「先輩なら午後から講義入って無いから、今はバイトに出てるよ。…ゴールデンウィークもバイトなんだよねぇ…天気良さげだから一緒にどっかに出かけたかったのに…」
「…法学部だっていうし…未來とはそこまで接点はないよね?」
だと思う。
あんなひょっこり出てきた女に、私と先輩の絆が切れるとは思いたくはない。
…あとで先輩に連絡してみよ。事情知らずに暴走して先輩のことタコ殴りにしちゃったし改めて謝らなきゃ。
私はちょっとだけ強がっていた。強がっていたけど、その不安は全くの杞憂であった。
■□■
「遅くなって悪い。あやめ、もう行けるか?」
「…先輩、結局どこに連れて行ってくれるんですか?」
「ついてからのお楽しみ」
私の誕生日である5月18日、大学の図書館で先輩と待ち合わせをしていた。
私は講義がなかったので図書館で暫く勉強していたのだけど、先輩は先程まで講義だった。講義が長引いたのか先輩は待ち合わせの時間より少し遅れてやってきた。
今日のこの日まで結局どこに連れて行ってくれるのか教えてくれなかった先輩。私はノートや教科書を鞄にしまうと、席を立ち上がった。
まぁいいや。先輩と一緒にお酒が飲めるんだし、それを楽しみに行こう。
「あのっ、橘さんっ」
私のハタチの誕生日。よりによってその日に清水さんが現れた。なんでこのタイミングで現れちゃうの? 私になにか恨みあるんですか?
ここしばらく接触がなくて安心していたけど油断していた…
先輩はため息を吐くと、うんざりした表情で清水さんを見下ろしていた。
「…また君か…今度は何だ」
「…あの私……」
「何度来ても同じことだ。俺には彼女が居る。君の気持ちは迷惑だ」
私を放置して二人は私の知らない会話を進めている。
…え? なに、私の知らないところで清水さん何度も先輩に会いに来ていたの? …しかも、まるで告白して玉砕したような言い方…
「先輩…?」
「行くぞ、あやめ。予約の時間に遅れる」
「橘さん待って!」
先輩を引き止めるかのように腕にしがみついて来た清水さん。
私はそれにイラッとして彼女に苦情を申し立てようとしたのだが、先輩はらしくもなく、乱暴にそれを振り払った。
私はそれに目を丸くした。あの先輩が。女性に優しい先輩がこんな乱暴な動作をするとは思わなかったからだ。
振り払われた清水さんはフリーズしていた。
「…いい加減しつこい。今日はあやめの誕生日なんだよ。…邪魔しないでくれないか」
先輩は冷たい視線で清水さんを見下ろしてはっきり拒絶していた。
あ、今の感じ橘兄に似てるな。メガネつけたら橘兄にそっくりだと思うよ、うん。
先輩の絶対零度の瞳と、取り付く島もないその態度に怖気づいた清水さんはポロポロと涙を流し始めたが、先輩はお構いなしで私の腰に腕を回した。
むにっ
「!? 先輩! 今ここで私の横腹の肉を揉みしだくのはおかしいと思います!」
歩きながら私の横腹の肉を揉んでくる先輩。お腹に触るなと毎回言っているのに! 太ったって言いたいのか!
今日は私の誕生日なんだから羞恥プレイはやめてください!
大学を出て最寄りの駅につくと、家とは反対方向の電車に乗り込んだ。二駅先の駅で下車すると、駅前からちょっと離れた位置にちょっとお高めの高級レストランがあった。
誕生日祝いでそこのレストランに連れてきてくれたらしい。思いっきり大学通学用の普段着なんだけど大丈夫かなと思ったけど、そのお店はドレスコードはそう厳しい場所じゃないから、カジュアルOKだって言われて安心した。
場所によっては軽装不可だったりするからドッキリしちゃったよ。
先輩はわざわざ予約をしてくれていたらしい。お店の人に席へと案内されると、窓際の見晴らしのいい席に通された。
店内はまだそんなに人は多くない。店内はなんだかオトナな雰囲気が漂っている。こういうレストランだからか、お客さんも大人しかいなかった。
椅子を引かれたり、お世話されたり…なんだか落ち着かない。私はお店に入ってからずっとソワソワしっぱなしだ。
自分には分不相応な気がするんだけど…
始めは緊張しっぱなしだったけど、初めて食べる料理に興味津々になった私はいつの間にか緊張が溶けていた。
高級料理の味を忘れないようにしっかり味わい、先輩に熱く感想を言っているつもりが、料理を運んできたウェイターさんに聞かれていたらしく「そこまでお気に召されたのであれば当店のコックも喜ぶでしょう」と声を掛けられて恥をかいてしまった。
そして私は初めて飲むお酒に深く感動していた。先輩のおすすめのお酒、甘くてすごく飲みやすかった!
先輩お酒に詳しいな。甘いもの苦手なのにこのお酒よく知っていたね。
「えへへぇ〜もう飲めなぁ〜い」
「飲めないならグラスから手を離せ。帰るぞ」
「うーん…」
「…飲むペースがわからなかったか…仕方ない」
先輩が勧めてくれたお酒は飲みやすくて、つい飲みすぎてしまったようだ。
ふわふわするのが気持ちよくて、私は終始上機嫌だった。
「ほらあやめ、おんぶしてやるから」
「はいっ」
先輩がしゃがみ込んで背中を向けたので私はその広い背中に抱きついた。先輩の背中広くて安定感がある…
「お車をお呼びしましょうか?」
「あ、いえ大丈夫です。歩いて帰るんで」
先輩がお店の人となにか話していたけど、私は先輩の背中に身を任せて微睡んでいた。
外に出ると生暖かい。日中はほどほどに暑いけど夜になると…この気温は眠気を誘うな…
私はすごい眠気を感じていたが、先輩にどうしても言いたかったことがある。
「…しぇんぱい…」
「…吐くか?」
「んーん。…おいしかった」
「そうか良かったな」
おんぶされているから、先輩の声の振動が身体越しに伝わってくる気がする。それが妙に心地良い。
「ありがと……しぇんぱい、しゅき」
「…知ってる」
「しゅきだよぉぉ〜」
「もう寝ろ酔っぱらい」
お酒が飲みたいって言っただけなのに、こんな高そうなお店に連れて行ってくれた先輩。
お金の問題じゃなくて、その気持ちが何よりも嬉しかった。
「…とくべつに、おなかもんでいいれすよ…」
「言ったな?」
「ん……ねむぃ…」
私はとうとう睡魔に負けて寝入ってしまった。
翌朝起きたらベタなことに二日酔いに襲われた私は、午前は予定がないことをいいことにベッドの上の住人になっていたのであった。
私のハタチデビューは二日酔いに全て持っていかれた気がする。
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