彼の計画【橘亮介視点】


「せんぱーい、もうすぐ私の誕生日じゃないですか。おねだりしたいんですけどぉ」

「高いものは買ってやれないぞ」


 そう言ったものの、あやめが高いプレゼントを望んだことはない。

 …俺の周りの人間はやれアクセサリーが欲しい、やれブランドの何かが欲しいと高価な誕生日プレゼントを彼女におねだりされて買わされているという話を聞くから、それを考えるとあやめは無欲な方だと思う。

 高3の時はシャープペンで、去年の大学1年の時は大学通学用のカバンだったかな。あやめが欲しがったものは両方ともブランドではない品だったし、俺の懐が傷まない程度の出費で済んだ気がする。

 

 俺の言葉にムッとした様子のあやめは膨れた様子で睨みつけてきた。

 うん、そんな顔も柴い…いや、かわいいな。


「もうそんなんじゃないですってぇ! 私今度ハタチになるじゃないですか。先輩と一緒にお酒飲みたいな…?」


 …上目遣いは卑怯だぞ。そのおねだりに俺が弱いってことを実は知っているんじゃないだろうかこいつは。

 しかし酒か…


「一緒にお酒を飲めたらそれで満足なので、私を居酒屋に連れて行ってください!」


 俺は斜め上を見上げて考えた。

 20歳を迎えて漸くアルコール解禁となるなら…折角だから背伸びをしていい店でゆっくり飲ませてやりたい。居酒屋なら気楽に行けるけど、折角の機会だ。


「わかった」

「…あの、私のお願いそんなに難しいことですかね?」

「いや、大丈夫。こっちで店は決めておくけれど大丈夫だな?」

「まぁそれは大丈夫ですけど…」


 不安そうにしているあやめの頭を撫でると、俺は午後からの講義に遅れるからと彼女を送りだした。

 そして彼女が遠ざかると、スマートフォンを取り出してある場所に電話をかけた。


「…あ、もしもし橘ですけど…お疲れ様です。あの、ちょっと短期間だけシフト入ってもいいですか? …ちょっと入り用があって」

 

 電話に出たガソリンスタンドの店長にバイトのシフトに入れてほしいと頼んでみた。俺はあやめの誕生日のために、長期休暇しか入らないアルバイトに臨時で入ることにしたのだ。

 あやめにはサプライズにするつもりで、彼女には適当にバイト先で欠員が出たから臨時でバイトに入ることになったと誤魔化して。


■□■


 あやめは所属している学科内に数人女友達がいる。もともと理工学部は女子比率が低いから心配していたが、新しく友人になった子とも仲良くやっているようだ。


 その友人の内の1人が高校時代の同級生と微妙な雰囲気であったこと、そしてその相手があやめに絡んできたことについて相談を受けた。俺はあやめに変なことに巻き込まれて欲しくないがために「余計に悪化するから首突っ込むな」と念押ししていた。

 あやめも行動には気をつけているようなのだが、何故かおかしな人間に付き纏われるんだよな…



 とある土曜。剣道サークルの練習試合に応援へ来てくれていたあやめと一緒に、俺は道場の隅に座って昼食をとっていた。そこで突然乱入してきたその人物は当初から馴れ馴れしかった。

 清水未來と名乗ったその人物はサークルのメンバーの知人友人でもないようだし、一体ここへ何をしに来たのだろうか。

 

 その後、関係者でもないのに何故か剣道サークルの懇親会に清水さんは参加していた。俺の隣に座ってきたと思えば、突然泣き出し「私…お友達の彼氏を好きになってしまったんです…」と俺に相談してきた。

 さっきまで笑っていたのに…情緒不安定な人間なんだろうか。


「それで私お友達を怒らせてしまったみたいで…怖い顔で叱ってきたんです…」

「…俺じゃなくて別の女友達に相談したほうがいいんじゃないのか」


 語りだした所申し訳ないが、相手の話にストップを掛けた。

 俺に言われても困るんだが。そもそも相手を全く知らないし、俺は悩み相談員ではない。

 

「め、迷惑ですか…?」

「迷惑と言うか、困惑している」


 そもそも男には、女のように気の利いた返事を期待しないほうがいいってものである。


「迷惑じゃないんですね。良かった…橘さんって優しいですね」


 …清水さんは目元を擦りながら俺に笑顔を向けてきた。あやめは彼女をモテてる女子だと評していたが、これにクラリと来る男はたくさんいるだろうな。

 だが…俺はその泣き方に違和感を覚えた。


 俺の彼女のあやめが泣いた時はそんな綺麗な泣き方をしなかった。あやめなら感情を爆発させて泣くのだ。目元の化粧が全部落ちるほど泣くというのに…なんだろうか。

 あやめの泣き顔を何度か見てきた俺は…清水さんの泣き方が作り物めいて…ドラマや映画の女優の泣き方に見えて仕方がなかった。

 …あんまり思い出したくないけど元カノもこんな女優風の泣き方をしていたんだよな…


 帰り際に「一人が怖いから送ってほしい」と頼まれた。だが誤解されるような真似をしたくなかったので、彼女の駅を聞いて、同じ方向のサークルメンバー(女子)と一緒に帰らせた。

 面倒事になりそうなのであんまり関わり合いにはなりたくないなというのが俺の感想である。



 変な人間だなと思ったので、翌朝彼女に警告がてらその話をしたら、あやめは突然怒りだした。


「先輩の浮気者! 実はくらっとしちゃったんでしょ! 先輩のエッチ!」

「そんな話はしてないだろう! なんでそうなるんだ!?」

「あの女、先輩のことを狙ってるんですよ! どうしてわからないんですか!? 私に飽きたんですか!?」


 うぇぇぇ…と泣き出したあやめの泣き顔を見て「ほらやっぱりちがう」と納得していたら、あやめは泣きながら俺の胸をドコドコ叩き出した。太鼓じゃないんだから叩くな。


「バカー!」

「だから違うって。適当にあしらったし、全然全く心揺れてないから。帰りだって砂野と一緒に帰らせたから、二人きりにはならなかったし」

「でも一緒に飲んだんでしょ!」

「ごめん、俺もまさか部外者が参加してるなんて思わなくて」

「先輩のあんぽんたん!」


 嫉妬を全面に出して泣きじゃくるあやめを抱きしめてなだめたものの…あやめの機嫌を直すのにかなり時間がかかってしまった。


■□■


「ありがとーございましたー!」


 ガソリンスタンドのバイトは初夏に入ると働きやすくなったが、これが夏になると暑くてたまらない。

 しかし、水が冷たくないというのは大分助かる。冬のガソリンスタンドは我慢大会の連続だからだ。


「橘がいると助かるわ〜ずっと入っててほしいくらいだ」

「ははは、すいません、それは親がいい顔しないんで…」


 大学1年の長期休暇で入ったこのガソリンスタンドだが、気のいいスタッフばかりでなんだかんだここまで続いている。


「しゃーねーよ。…しかし頑張るな。彼女をちょっとお高めのレストランに連れて行く為だったか?」

「二十歳になるから酒を飲みたいと言われたんで折角だから背伸びしようと思って」

「いいなぁー。絶対喜ぶぞ彼女」


 だといい。

 目星をつけた店はあやめの誕生日の5月18日でしっかり予約はしておいた。景色が良く見える窓際の席にしてもらって、誕生日用のプレートも頼んであるし、初心者が飲みやすい酒を電話で確認しておいたので、完璧だ。


 後はバイトでしっかり稼いで、当日あやめを驚かせるだけ。

 彼女の喜ぶ顔を想像するだけで、元気が湧いてきた。もっと頑張ろうと意気込んで帽子を被り直した。


「橘さーん♪」

「……」

「来ちゃいましたぁ」


 なぜここに居るんだろう。 

 …バイト先を教えた覚えがないんだが…バイトしていることすら教えていないのに…


「差し入れ持ってきました。これ皆さんで食べてください」


 にっこり笑って、手作り感満載の何かを渡してきた清水さん。俺はそれを受け取らずに、じっと見つめた。きっと眉間にはシワが寄ってしまっていることであろう。

 …相手には色々と聞きたいことがあるけど、今は仕事中。手短に済ませよう。


「…バイト中だから、帰ってくれないか」

「えぇ? 迷惑ですかぁ?」


 元はといえばあやめが不機嫌になったのはこの女が出没してくるからだ。危うくあやめの誕生日の計画が喧嘩別れによって無駄になるところだったんだ。


「……そうだな、迷惑だ」

「! …そんな、私はただ…」

「…もしも俺に好意を持ってくれているなら、申し訳ないが、俺には大事な彼女がいるんだ。諦めて欲しい」


 俺はあやめのことが他の人間と比べようもないほど大切なんだ。本当に誤解を生むような真似はやめて欲しい。


 期待をさせないように俺はハッキリキッパリ断った。だが…相手は差し入れの品をその場に落とすと、口元を手で覆いながら泣いて走り去ってしまった。


「色男〜いいのか〜?」

「追いかけても余計にこじれるだけです」


 その気もないのに追いかけても仕方がないだろう。…これで相手も俺に言い寄ってくることはないはずだ。 


「憎いね〜。それ、どうすんの?」

「皆さんで食べてください。俺甘いもの苦手なんで」


 俺は店長に甘い匂いを放つ紙袋を手渡すと、新たにスタンドに入ってきた車を誘導する作業に移ったのであった。

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