個人的に愛でるだけ。大丈夫だ問題ない。


 蛯原に手を踏まれて負傷した私の手の甲はかさぶたの他にもほんの少し腫れていた。とはいっても包帯や絆創膏を貼るほどじゃないからそのまま放置している。

 

 昨日植草さんのお宅で植草ママンから「湿布貼る?」と聞かれたけども、植草兄から「関節は問題なく動いているし、このまま何もしないでも数日で青アザになって自然に治るよ」とアドバイスを貰ったので何もしないで置いている。

 異常があれば病院に行くけど、取り敢えずそのまま様子を見てみることにした。

 


「あと数日で先輩が卒業なんて寂しすぎますー! 卒業してもあたしと遊んでくださいねー!?」

「もちろん。でも植草さんは自分のために女友達を作る努力もするんだよ?」

「…う、…はぁい…」 


 今はお昼休み中。植草さんがうちのクラスまで遊びに来てたから教室の前で少し話をしていた。

 植草さんはまだ女友達らしい女友達がいない。……しかし変化はあった。植草さんと同じクラスの彼女…何度か植草さんを呼ぶように頼んだことのある一年の女子生徒だ。


 最近植草さんの口からその子の名前が出てくることがある。正直クラスの女子の名字を全部覚えているのか怪しい植草さんだが、彼女の名前はちゃんと覚えているみたいだ。

 ペアになる必要がある体育の授業の時も彼女が気を遣って一緒にペアになったりしているみたいなので、植草さんが心開けば彼女と仲良くできそうな気がする。見た感じ面倒見が良さそうな子だから誰かがボッチになっているのを放っておけないタイプなのかもしれない。

 チャンスを逃さずに友達作りを頑張るんだよ植草さん。


「あ、そうだ私売店に用があったんだ」

「ならあたしも行きます!」


 水筒のお茶がなくなったからお茶を買いたい。

 植草さんと一緒に並んで売店まで移動していた私だったが、昨日のことがあったので中庭をショートカットするのをやめて、遠回りになるけど校舎の中を移動していた。


「先輩、卒業式には彼氏さん来るんですか?」

「…保護者じゃないんだから来ないよ」

「なーんだ」


 亮介先輩は私の彼氏であって、お母さんじゃないのよ。彼女の卒業式に来る彼氏とかいるのか? 「彼氏さん来ると思ってた」と植草さんが呟くが、私の彼氏はそんなに過保護に見えるのか?


 植草さんと話をしていた私は後ろから迫りくる気配に気づかなかった。…それは邪な感情を隠さずにその腕を大きく広げて、私に襲いかかってきたのだ。


「アーヤーメーちゃーん」

「ぎゃっ!?」


 ガバァと後ろから抱き着いてきた人物の正体は振り向かずともわかる。この学校でこんな事をするのは下半身節操なしだけだからな!

 私は片足を持ち上げると、背後の不埒者の足の甲目掛けて踵落としをかました。


 ゴスッ!

「いってぇ!」

「あんたも学習しないな!」

「アヤメちゃん痛いよ〜」


 私を拘束する腕が緩んだ瞬間を見逃さずに私は相手と距離を取った。

 ほんっとにこいつは…! やってることが一年前と変わらないじゃないか!


「えーなにー? チカーン?」

「そうだね、風紀という名の警察呼ぼうか」

「なにそれ酷い酷い。俺はスキンシップを図っただけだよ〜」

「じゃあ私の踵落としもスキンシップってことで」


 久松はいつもと変わらないヘラヘラした軽薄そうな笑みを浮かべていた。…こいつのこの顔見てたら、思いっきり顔の中央に拳を叩きつけたくなる。

 …だめよあやめ、暴力はいけない。


「アヤメちゃん、可愛子ちゃんと一緒に何処いくの〜?」

「売店。じゃあね」

「えー待ってよ〜もっと話そうよ〜」

「お話することは何もありません」


 何故かマスコミに追われた人みたいな返しになってしまった。

 こいつは花恋ちゃんが好きなはずだ。なのに特別と言っておきながら全く変わる気配がない。花恋ちゃんに告白するわけでもなく、どうするつもりなんだろうか。大学は別の所に進むらしいし……よくわかんないな。

 絶対に応援はしないけど。


「あんたもさぁ、花恋ちゃんが好きならもう少し身持ち固くしなよ…今のあんたじゃ間違いなく振られるよ?」

「心配してくれてるの〜?」

「どっちかと言えば苦言かなぁ?」


 私の顔は間違いなくひきつっていたと思う。こいつ相手に取り繕う気もないから別にいいけど、あいつはそれに気づいていないようで、妙に色気のある笑顔を私に向けてきた。

 …私にはそれ効かないからな。


「大丈夫だよ〜花恋はやさしいから…あ、そうだアヤメちゃん、アプリのID交換しない?」

「しない」

「ツレナイなぁ」


 するわけがないだろうが。この脳内お花畑男め。あとそれ、花恋ちゃんのことさり気なくナメきってる発言だからね? 最低だからね?

 植草さんと歩く私の横に並んで来て、久松は凝りずに絡んでくる。私には話しかけてくるけど植草さんには絡まない。寂しがり屋同士だから食指が動かないの? でもこんな美人を放っておくのもおかしいって話だよね。


「あのー。あやめ先輩は彼氏いるんですけど、しつこすぎませーん?」

「大丈夫だよー遊びだから」


 見かねた植草さんが久松に注意するとこりゃまた最低な返事が返ってきた。


「…植草さん、こいつと話したら孕むから無視しなさい」

「だから避妊はきっちり」

「だまりなさい」


 久松の鼻っ面目掛けて思いっきり、手のひらを叩きつけてやる。パチーンといい音がした。

 今のは正当防衛。大丈夫セーフ。


 顔を抑えて唸っている久松を放置して、私は植草さんの背中を押してその場から逃走……立ち去った。

 売店に行くだけで何でこんなに疲れなきゃならないんだ。告白現場遭遇リスク覚悟で中庭通ればよかったというのか…!

 



「せんぱぁい」

「なに?」


 売店で買い物をしていた私に植草さんが話しかけてきた。

 どうした。お金が足りなかったのかな。

 私は彼女を見上げたのだが、彼女は頬を赤くして何やらもじもじしていた。


「…あたしのこと、いい加減『紅愛』って呼んでください…」

「……へ」

「いつまで経っても植草さんって呼ばれるの……他人行儀みたいでなんかやだ……」

「………紅愛、ちゃん」

「………なんですか? 先輩」


 美少女のハニカミ笑顔を直視した私は、30秒くらい息を止めてしまった。

 …私は、ギャルゲーの主人公なんかじゃない…違うんだからな……


 私が植草さんと同じ仕草しても、誰も絶対ここまでときめかないだろう。

 本当に美人はすごいな。


 今まで何となく植草さんと呼んでいたけど、その日から私は彼女を紅愛ちゃんと呼ぶようになった。



☆★☆



「和真君絶対連絡ちょうだいね? あ、道場には遊びに行くから!」

「俺、暇じゃないからそんな返事出来ねぇよ」

「いいの! これで一歩前進だから!!」


 帰り際、下駄箱で靴を履き替えていたらそんな声が聞こえてきた。

 その声がする方に廻って見に行ってみると案の定、和真と林道さんがいた。二人はスマートフォンを持ってなにか操作をしている様子である。

 …連絡先交換でもしたのだろうか。林道さんすごいな。その粘り強さがすごい。


 …あの二人、これからどうなるんだろう…別の意味で気になる。和真が林道さん好き好きになったら……面白いような怖いような……


 下駄箱の影から目立たないように二人の進展具合を見守っていたつもりだった。だけど、それが怪しかったのか通りすがりの生徒に不審者に向ける目で見られたので、私は慌てて昇降口を出た。



「あやめ先輩! 私と一緒に帰りませんか?」

「室戸さん。そうだね。これが最後になるかもだから一緒に帰ろうか」

 

 ちょうど帰り途中だったらしい小動物系女子・室戸さんに声を掛けられたので、私は彼女と駅まで一緒に帰ることにした。

 あぁーさみしいな。この小動物アニマルセラピーはもう受けられないのか……


 明日の登校日のあと土日を挟んでから卒業式。

 亮介先輩も去年言っていたけど、本当に三年間あっという間だった。


「先輩が卒業したら寂しくなります」

「私も室戸さんと会えなくなるの寂しいよ」

「先輩、良かったらメッセージやり取りしません?」

「いいよいいよ! いつでもメッセージしておいで!」


 そういうと室戸さんはにっこり笑った。笑った口元から前歯が覗くとハムスターみたいで可愛い。

 妹萌えってこんな感じなのかな。弟とはまた違った感じで可愛い…




 駅前で室戸さんとアプリのIDを交換を済ませると、彼女とそこで別れた。私はそのまま電車に乗ったが、自分の家の最寄りではなく別の駅で降りた。

 …とある目的のために。


 今日こそ、先輩の働く姿を撮影するために…!

 今頃はまだバイト中だろうから今度こそバレないように撮影して待ち受けにしようと思うのだ! 自然な姿を撮影したいからね。

 そこ、それって盗撮じゃんとか言わない。私は純粋な気持ちで先輩を写真に収めたいだけなんだよ。悪用はしないから。


 春休みに入ってまたガソリンスタンドで働き始めた先輩は、職場の人にも気に入られているようで、長期休みだけと言わずに学校始まってからもシフト入らない? と誘われているんだって。

 大分仕事も板についてきて、車のことも少し詳しくなったそうだ。


 ガソリンスタンド付近に到着すると私はスマホのカメラをあらかじめ起動しておいた。

 そしてジリジリ近づいていくと、そこに先輩はいた。接客中なのかドライバーと何やら会話をしているようだ。


 カメラに先輩だけを入れて撮影しようとしたが、何度シャッターを押しても客である知らないおっさんが映り込む。ズームして先輩に焦点を合わせてみたがおっさんの手が映り込む。

 何が何でも映るつもりかおっさん。…後で加工して先輩だけ映っている画像にしよう。思う存分撮影が出来て満足した私は撤収しようと踵を返した。

 

 ガシッ


「…またお前はこんな所でなにをしてるんだ?」

「…何故バレたんですか」

「挙動不審だからだ。客が不審がってたぞ」

 

 私の肩を掴む大きな手によって、この場から立ち去ろうとした私の足は止まった。その手の持ち主は先輩である。

 …あのおっさんちくりやがったな。先輩にバレないように去るつもりだったのに余計なことを…


「邪魔するつもりはなかったんですよ。すいませんもう帰りますから」

「全くもう…」


 先輩に溜息を吐かれてしまった。

 私はスマホを先輩に取り上げられないようにギュッと両手で守るように握りしめ、先輩に慈悲を乞うた。


「個人的に写真の中の先輩を愛でるだけなので許してください」

「…言えば写真なんていくらでも撮らせてやるから…隠し撮りなんてするんじゃない」


 隠し撮り…隠し撮りねぇ……

 先輩がそれを言える立場だとでも?


「……先輩、私、気づいてるんですよ? 先輩だって私の事を隠し撮りしてるの」

「……何のことだ」


 私の指摘に先輩は素知らぬ顔をしていたが、私は気づいているのだ。

 この間の二次試験二日目の後……私が先輩の部屋のベッドで微睡んでいる時、静かな部屋の中でシャッター音が聞こえたのを。

 住み慣れた自室を撮影するなんてあまりないでしょ。間違いなく眠っている私を撮ってたよね。


「こないだ…私の寝顔撮ったでしょ…受験後だから酷い顔してたのにひどいです……」

「………」


 スッ…と先輩が目をそらした。

 肯定の合図だな。…そっちも隠し撮りだよね。先輩だって人のこと言えないよね。

 元気な時ならまだしも、やつれた寝顔を撮影されるなんて……いやそれ以前に私の寝顔マヌケだから撮らないで欲しいんだけど。

 隠し撮りならどっちのほうが罪深いと思う?


「あー…もうすぐ上がりだからちょっと待ってろ」


 先輩はそう言って逃げてった。

 隠し撮りされたあの時、起きて先輩を注意しても良かったけど、それよりも眠気が勝ってしまってそのままウトウト寝入ってしまったんだ。

 上手いこと言ってデータを消せないかな。ついでに私の黒歴史のエセ花魁写真も。私は自分の隠し撮り行動のことを棚に上げて、先輩のスマホの写真フォルダについて言及する気満々でいた。


 だけどすっかり忘れていた右手の甲の怪我のことを指摘されて、隠し撮りの話どころじゃなくなった。

 お守りを蛯原から投げつけられたので拾おうとしたら手を踏まれたと説明すると、先輩は顔をしかめていた。でもね先輩、不可抗力だから。私は突っ込んで行ってないんですよ今回。

 話の流れでその時一緒にいた紅愛ちゃんが庇ってくれた話をすると「…お前の悪い所の影響を受けてしまったなその後輩は…」と嘆かれた。ちょっとそれはひどくないか?


 蛯原から取り戻したお守りはなんとなく嫌な感じがするから、神社に返納したらどうかと先輩に提案された。

 確かに蛯原の悪意という悪い気を吸い込んでそうだし、そうした方が良いかも。

 近いうちに神社に行くことにするよ。


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