人を妬む前にわが身を振り返れ。ないものねだりほど虚しいものはない。
教師…?
いじめっ子の蛯原が教師を目指しているとな? なにがどうして教師を志しているんだ。
別に勉強を教えるのが好きとか、そういう素振りはなかったよね。むしろあまり勤勉な性格でもなかったし……わからん。
あと私をサンドバッグにするのはいい加減にやめてくれ。
「はぁぁ? あんたが教師? …ありえないわー…あんたが教師になったら子供が可哀想だから、受験失敗して良かったんじゃない?」
「!? 植草さん!」
「だってその人の口振りじゃ大学落ちたみたいな言い方じゃないですか。じゃなきゃ先輩の事妬む必要ないでしょ」
私がフリーズしてたのは一瞬。事の次第を見ていた植草さんが反撃してしまった。
…いや、私もその意見に同意だけど…今の蛯原に対して面と向かって言うのは火に油を注ぐっていうかさ…
沢渡君も第一志望に落ちてしまい、後期試験にすべてを賭けている状況だが、切羽詰まっている様子はない。
その上、友人達の進路が次々決まることを妬むことなく、むしろ祝福を贈るほどの呑気さで、担任の胃をキリキリさせている現状だ。蛯原と彼を比較するのは間違っているかもしれないけど…
だがしかし受験に落ちたそれを私にぶつけて来られても私が困る。
「…うるっさいな……何よあんたには関係ない!」
「ていうかー受験落ちたのってあんたの努力不足でしょ。なんで先輩のこと妬むの。あんたの言ってること全部意味分かんないよ」
植草さんはふるふると首を横に振ると、腕を組んで蛯原を威嚇するようにして睨みつけた。美人だから睨み顔に迫力が増すな。
「大体、あんたに先輩の何がわかるのよ。進学校に進んだ事はあやめ先輩が努力したからだし、格好いい彼氏さんがいるのは先輩が可愛いからに決まってんじゃん」
植草さんに褒められてしまった。恥ずかしい。美人に可愛いって言われちゃった。でももうその辺でいいです植草さん。
「先輩の周りに人が集まるのは、あやめ先輩が人の痛みがわかる優しい人だからに決まってんじゃん。そんな先輩だから周りに人が集まってくるんだよ」
「…だから気に入らない! いい子ちゃんぶってて嫌い!」
いい子ちゃんぶってて…とは。
そんなつもりはないのだが……お人好しと言われることもあるけど、偽善者ぶっているようにも見えるのだろうか私は。
ちょっとショックである。
「それってただの僻みって知ってる? そういう人ってずっとそうなんだよね。人のこと妬んでばっかりで自分はなんにも努力しないの。ホント可哀想」
「なっ…!」
蛯原は目を見開いて植草さんを見上げていた。…その顔が一瞬泣きそうに歪んだのは気のせいだろうか?
「どうせ自分より下だと勝手に思い込んでいた相手が、自分よりも上の位置にいる事に気づいて勝手に焦っているんだろうけど」
植草さんの追撃にカッとなった蛯原。図星のようだ。
でもそうかもしれない。蛯原の今までの発言は私を下に見てる発言ばかりだったもの。優位に立って自分のプライドを守りたいのだろうか。
それは人を傷つけてでも守るべきである高尚なものなのだろうか。大したプライドである。
「植草さん、大丈夫だから」
私はそっと声をかけると、植草さんの腕を引いて蛯原との距離を作った。この流れだとあっちの手が出てくるかもしれないからね。
「…あんたの目的がよくわからないけど、後期試験あるんでしょ? 私に絡む暇があるなら試験勉強したら?」
「………」
私は蛯原を刺激しないようになるべく落ち着いた態度で対応したが、蛯原はこっちを射殺しそうな目で睨みつけてくる。
これって受験の八つ当たりを私にしてきてるってこと? 今頑張れば後期で受かるかもしれないじゃん。人に当たっても受験合格はしないよ! …親とか弟に八つ当たりしてた私が言うのはなんだけど!
こうなれば植草さんと走って逃げるか。
「教師ってさぁ千差万別だよね。あたしが小学生の時もクソみたいな担任がいたことあったけど、その時期一番いじめがひどかったもん」
植草さんはまだまだ口撃をやめない。
植草さんも結構言うね。こんなに弁が立つとは思わなかったよ。
「理由がハーフだからだってぇ。ひどいよねぇ」
「……いじめられる側に問題があるからいじめられるのよ。いじめられる方も悪いでしょ」
「わぁすごい暴論。あんた馬鹿じゃないのー?」
蛯原の眉間にシワが寄る。
…ハーフなのは仕方ないじゃない、生まれ持ったものなんだし。それを理由にいじめを擁護するなんて最低なことだよ。今は差別問題とかにうるさいんだから、教師になりたいと言うなら蛯原はもうちょっと考えて発言をするべきじゃないか?
「ぼ、暴論じゃない! 教師であるあたしの親がそう言っていたのよ!」
「それっていじめっ子の持論じゃん。あんたの親も学生の時いじめしてたんでしょ。やだぁこわい…教師ってさぁいじめっ子だった奴もなれるらしいし…」
「植草さん、それ以上は駄目」
「えー」
蛯原をどんどん煽っていく植草さん。でも相手の親を貶すのはあまり良くないからやめよう? 私がそれされてすごく嫌だったからやめようね。植草さんだって親を貶されたら嫌でしょ?
蛯原の肩がわなわな震えており、怒り具合がはっきりとわかる。本当にそろそろ止めないと…
「何も知らないくせにあたしのお父さんのこと悪く言わないでよ!」
蛯原が癇癪を起こしたかのように叫んだ。顔を真っ赤にさせており、興奮しすぎて鼻息が荒い。
…このままここにいたら更に血を見るかもしれないな…
「将来子供が出来たらあんたがいる学校に入学させたくないから今のうち名前聞いておこうかな? あんた名前なんて言うのー?」
気持ちはわかる、わかるけど神経逆なでし過ぎだって植草さん!
あかん。このまま植草さんを暴走させていたら本当に血を見る。
「植草さん、行こう!」
「えー、もっとこてんぱんにしちゃいましょうよー」
「あなたはいつからそんな好戦的な女の子になったの!? いいから!」
わなわな震えている蛯原はぎりぎり手を握りしめていて、即殴り掛かってきそうだ。本当にこれはまずい。
敵前逃亡と言うな。避難であるこれは。
私は植草さんの手を握ると、その場から逃走したのであった。
逃走先はファッションビルの立ち並ぶ地下街だ。植草さんが先程話していた、たい焼き屋さんに到着すると、私は彼女にたい焼きを奢ってあげた。
「庇ってくれてありがと」
「当然です! だってあたしも先輩に助けてもらいましたもん!」
「でももうあんな危険な事しないで? 怪我したら危ないからさ」
自分がこんなセリフを言うことになるとは。
…もしかして先輩や母さんはいつもこんな心境だったのであろうか。いつもこんなハラハラさせていたのか。
……今更申し訳ない気持ちになってきたぞ。
「すいませーん。あの女の自分勝手な言い分にムカついちゃって、つい口が止まらなくなったんです。…そうだ、手ぇ大丈夫ですか?」
「うーん…もう血が固まってるし消毒するほどじゃないかな。さっき手を洗ったし大丈夫でしょ」
もしかしたら青アザになるかもしれないけど、痕が残るほどじゃない。手を洗ったとき沁みたけど、このくらいならすぐに治るだろう。
気を取り直して、たい焼きを食べながら植草さんとおしゃべりをしていると、ピヨピヨと彼女のスマホが鳴った。
「あ、ママからだ。…先輩、これから家来ません? ママが先輩に会いたがってます」
「…そしたらお邪魔しようかな。お土産にたい焼き買っていこう。エレナさんたちの好きな具って何かな?」
「パパはこしあん派で、ママは白あん派、お兄ちゃんはカスタードが好きですよ」
「好みが見事バラバラだね」
いつもご馳走になってばかりなのでせめてお土産くらい持っていきたい。
植草一家の分のたい焼きを追加購入すると、私は植草さんのお宅へとお邪魔していつものよく効くエスプレッソでおもてなしされたのだった。
あんまり考えたくはなかったが、蛯原はこれからどうするつもりなんだろうか。
私と遭遇する度に私に八つ当たりをするつもりなのか。
バッタリ会ったら今度から走って逃げるしか手立てはないのかな。
だけど私のそれは杞憂であった。
高校卒業した後に知ることになるんだが、家の近所で遭遇した中3の時の同級生であるじゃがいも小僧(坂下)の情報筋によると、蛯原は後期試験の試験中に過呼吸を起こしてしまったらしい。受験辞退をして、浪人生になったという話を聞かされた。
…私には蛯原のことは何もわからないし、事情を知ったところであいつを許そうという気にはなれないけど、蛯原は蛯原でなにか事情があったのかなとその時察した。
嫌いな相手だけどなんとなく、モヤついてしまう結末だった。
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