先輩助けて! 私の涙腺は崩壊寸前だ。

「やめて! やめてのり君!」


 植草さんの悲鳴が小さな公園に響き渡る。

 私は彼女に逃げてと言いたいのに、襲ってくる痛みに唸るしかできなかった。


 私は一旦逃走を図ったが結局のり君に捕まってしまった。

 そして今現在、のり君によって再度地べたへ引き倒されて髪の毛を思いっきり引っ張り上げられているところに植草さんが登場したってわけ。

 おい、風紀はどうした。DV野郎のいる場所に一人で来るなんてどうかしてるよ!


【ブツッ、ブチッ】

 ちょ、頭がブチブチ言ってるんですけど。

 本当に痛い! ハゲたらどうしてくれるんだ!


「紅愛…反省して俺のところに戻ってくるって言うならこの女を解放してやる」

「え…っ」

「今までのこと、許してやるよ。……俺のこと好きなんだろ?」


 なんとこいつ、私を人質にして植草さんに脅しを掛け始めた。なんて奴だ。

 そんなことで助かっても私は嬉しくない。植草さんがよりを戻してもまた同じ目に遭うだけだ。


 こんな最低な野郎にボコボコにされてすごい悔しいんだけど、私はとてつもない恐怖を感じている。

 タカギの時の比ではない。だってあの時は亮介先輩がすぐに駆けつけてくれるって安心感があったから。

 認めたくはないけど、一応タカギら不良は女相手に多少の加減はしていたと今ではわかる。

 やってることが最低なのは変わらないが。


 こいつは加減のかの字も知らないとばかりに容赦なく攻撃してくる。

 やばい。こいつはやばい。

 眼の前で植草さんは青ざめ、震えながら涙を流していた。そんな様子の彼女が意に染まぬ決断をしそうな雰囲気を感じ取った私は声を張り上げた。



「植草さん駄目だよ! こんな男の口車に乗せられちゃ!」

「せ、せんぱ…でも」

「おい! あんたね、高校生がたっかい指輪なんて贈ってんじゃないよ! どうしても贈りたいならねぇ、自分で稼いだお金で贈りなさいよ! 好きな人からの贈り物なら安物でも嬉しいんだから! あんたはその根本から間違ってんのよ!」 


 髪を引っ張られたままなのでちょっと格好はつかなかったが、私は奴に言いたいことを言ってやった。

 そりゃ世の中にはブランド志向の女子はいるよ? でも私なら親のお金で買ったものよりも、その人が稼いだお金で買ってくれたもののほうが価値があると思う。

 親のお金だよ? それで彼女に指輪買ってあげるって情けないと思わない? バイトして安物でいいから高校生らしいものを買いなさいよ!

 

「あんたみたいなクズ、植草さんに相応しくない!」


 こんな暴力男よりももっといい男がいるはず。植草さんを大切にしてくれる誠実な男の子がいるに決まってる!

 

「…この…クソババア…! 調子に乗りやがって! 今なんつった!?」

「い゛っ…!」

「あやめ先輩!!」


 私の髪を先程よりも強く引くのり君。更に増した頭皮の痛みに私は呻き声をあげる。

 髪を後ろの方向に引っ張られ、空を仰ぐ体制にさせられた私の視界にのり君の怒りに満ちた表情と、振り下ろされる拳が映った。

 スローモーションのようにゆっくりと固く握られた拳が私の顔に叩きつけられようとしていた。


(殴られる…!)


 迫りくるそれにギュッと目を閉じた私だったが、「ギャア!」という悲鳴が聞こえたと同時に私の髪を引っ張り上げられていた手が外れた。

 何が起きたのかがわからない。

 私は状況を確認するために痛む頭皮を手で抑えながらそっと目を開けたのだが……そこにはのり君の腕をひねり上げた亮介先輩の姿があった。


「せ、せんぱい…!」

「…お前、今何をしていた……」

「いだい! いだいはなせよぉ!」

「答えろ……力の弱い女相手に何をしていたと聞いている…!」


 憤怒の形相をした亮介先輩は力の加減ができていないのか、のり君の腕をギリギリと握りしめていた。のり君は先程の様子から一変して半泣き状態で痛みを訴えている。

 さっきまでの強気はどこに行ったんだろうか。さっきまで恐怖を感じていたはずなのに、今ではちっぽけな少年の姿に思えてきた。


 だけど私自身に与えられた暴力の恐怖はまだしっかりと残っている。私は無力だった。足掻いても藻掻いても力が敵わず、無様にもボコボコにされてしまった。

 痛いし、悔しいし、とても腹が立つけど、私の感情の中で最も突き出ているものは恐怖だった。

 絶対に殴られると覚悟していた私だったが、先輩が来てくれた。先輩が助けてくれた。

 何故先輩がここにいるんだろうかとかはちょっと思ったけど、そんな事よりも先輩が現れたことで安心してしまい、私はボロボロと涙を流していた。


「いだいー!! 俺にこんな事していいと思ってんのかよ! お父さんに言いつけてやるからなぁ!」

「言えるものなら言ってみろ。この場合どちらが悪いかなんて調べればわかるんだからな」


 びゃーびゃー騒ぎ出すのり君の脅しにしては情けない言葉に、亮介先輩は険しい表情はそのままで鼻で笑い飛ばし、迎え撃つ姿勢を見せた。

 のり君を掴む先輩の手はブルブル震えており、何かを我慢しているかのように見えた。のり君は先輩に拘束された状態で芋虫のごとくぐねぐねと暴れているが、剣道有段者であり、普段から鍛えている先輩には力が敵わないらしい。情けなくみっともない悲鳴を上げていた。


「……橘君、ここは俺にちょっと任せてくれないかな?」


 そこへヌッと植草兄が登場してきて先輩の肩をそっと叩いた。

 なんで二人は一緒にいるのだろうか。不思議な組み合わせなんだけど。

 大体任せるって何を。警察に届けてくれるの?

 先輩は植草兄の言葉に渋る様子を見せた。


「…ですが」

「俺もかなり腸煮えくり返ってるのよ。大丈夫。あやめちゃんの分まで仇はちゃんと討つからさ。……ちょっと遊んだらちゃんとお家に帰しておくよ」


 顔こそ笑っているが、目は全く笑っていない。

 …一体何をするつもりなんだ。

 植草兄はのり君の首根っこを乱暴に掴み上げると引きずりだしてどこかへと連れて行く。

 ギャアギャア騒ぐのり君の文句なんてシカトだ。公園の出入り口に乗り付けていた車の後部座席に放り投げると、植草兄も運転席に乗車した。

 乱暴な運転で車が去っていくのをぽかんと見送っていた私だったが、いつの間にか先輩が私の側で膝をついていた。


「…遅くなって悪かった」


 亮介先輩は悔しそうな顔をしてそう言った。

 どうして謝るのだろうか。謝るのはこっちなのに。

 私はお礼を言おうと口を開いたが、口から溢れ出したのは嗚咽だった。


「…うわぁぁぁぁん!」


 泣くのをずっと我慢していた。

 いつも先輩に注意されていたのに、こんな事に巻き込まれてまた迷惑を掛けてしまった。

 自分が情けないし、本当に申し訳ない。

 子供のようにギャン泣きする私に先輩は驚いたようだったが、そっと私を抱き寄せてくれた。


「…怖かったな」

「う、う゛ん…こわがったぁ!」

「もう大丈夫だから泣くな」


 そうは言われても急には涙は止まらない。

 私が先輩のシャツに世界地図を作り上げている間に、植草さんの姿はどこかに消えていた。風紀の面々と引き上げたのだろうか。

 少し落ち着いた私に先輩が、今日のデートは延期にして今日は家でゆっくりしていろと言ってきたのを私は断固拒否した。

 とはいっても私の格好はひどい状態だ。土に塗れ、化粧はドロドロ、髪はボッサボサ状態だ。デートどころじゃない。


「やだぁ、先輩と一緒にいる。一緒がいい」


 駄々っ子よろしく泣きながら訴える私に先輩は困った顔をしていたが、仕方ないなとため息を吐いて私の手を引いた。


 私の姿が人に見えないようにさり気なく体で隠しながら電車で移動して連れて行かれたのは先輩の部屋。

 部屋に着くなり先輩は私にカッターシャツを脱げと言われた。


「…すいません、今日はちょっとそういう気分じゃ…」

「そんな意味じゃない。土で汚れてるから洗うんだよ。それで家には帰りにくいだろう?」

「あ、そういうことですね」


 学校の制服のシャツの洗濯中は先輩のTシャツを借りる事になったのだが、おっきいな先輩の服。スカートまですっぽり隠れてしまったよ。

 ありがたく洗濯をさせてもらっている間、私はピットリ先輩にくっついていた。今はなんだかこうしていないと落ち着かない気分なのだ。

 特に会話もなくしばらく二人でテレビのお昼の情報番組を眺めていた。先輩が口を開くまでは。


「……俺は全然お前を守ってやれていないな」

「…え?」

「…守ってやれなくて悪かった」


 何故か謝ってくる先輩に私はぎょっとしてブルブルと勢いよく首を横に振った。


「そんなことない! ちゃんと助けてくれたじゃないですか!」

「だけど」

「私こそ、いつも助けてもらってばかりで。先輩を心配させないように大人しくいようと思っているのにまたトラブルに巻き込まれて…」


 ごめんなさい…とつぶやいて項垂れる私。

 だめだ、私全然進歩してない。

 自分の力量もわかってないのに正義感で突っ走って…ほんと馬鹿だ。


「…お前が、傷つく所は見たくないが、知らない所で傷つかれるのも嫌なんだ」


 するり、と私の頬を撫で、ゆっくり顔を持ち上げる先輩の大きな手。

 この手は私を守ってくれる。私の大好きな手だ。

 顔を上げると亮介先輩と目が合ったのだが、彼はまた悔しそうな顔をしていた。


「…祖父に憧れて始めた剣道だったが…生まれてはじめて武道を習っていることを後悔している」

「…先輩、素人同士でも捕まるんですよ?」

「知ってる。だけど、そういう問題じゃなくて」

「だめです。先輩の手は人を守る手なんですから。人を傷つけるのだけは駄目です」


 先輩の大きな手を両手でぎゅっと掴むと手の甲にキスを落とした。

 なんかやってることが中世の騎士かよとツッコミが入りそうだが、こうしたかったの!

 きっと先輩は自分の手でのり君に制裁を下したかったと言いたいのであろう。だけど駄目だ。武道ができる人のそれは凶器。どんな理由があるにしても先輩が不利になってしまうのだから。

 私の為なんかに前科を作ってほしくない。私は先輩の夢の足枷になんてなりたくない。


「…守る手か」

「はい! 警察関係のお仕事に就くんですもん。先輩は将来、人を守る人になるんですから」

「………」


 先輩が両手を大きく広げたかと思えば私を掻き抱いた。いつもならこんな熱烈なハグはキューンと来るはずなのだが、その時私の背中と肩に激痛が走った。


「…いったーい!」

「!?」

「せんぱ、すいません痛い、身体が痛い」

「………」


 痛みに喘ぐ私を見て何を思ったのか先輩はTシャツを思いっきりめくり上げた。


「ギャーッ! 先輩のエッチ! 私そんな気分じゃないって」

「…何だこの怪我は! …アイツか!」

「え? 怪我? ……あーそういえば…ギャア!」


 私が着ていたTシャツは半ば強引に脱がされ、上半身キャミソールという姿に晒された私は色気のない悲鳴をあげた。

 だが先輩はそんな事気にも留めずに私の左肩の青アザを見て血相を変え、更には全身の怪我を確認するためにキャミソールまで脱がそうとした。


「すいません。大丈夫、背中は踏まれただけなんで!」

「いいから脱げ」

「やめてぇぇぇ!」


 何だこの色気のない応酬は。

 私は結局キャミソールまで捲りあげられてしまったのだが、背中の患部を見た先輩は息を呑んでいた。そんなにひどいのだろうか。

 それで即「病院に行こう」と言い出して、止めようにも母さんと番号の交換をしていた先輩によって母さんの知るところになった。

 その後先輩同行のもと、整形外科デートとなったのである。


 先輩に怪我を隠してたことを怒られ、ついでに単身で突っ込んで行ったことも怒られた。学校に居たんだから風紀委員達に助けを求めたら良かったじゃないかと私の短慮で向こう見ずな行動についてクドクド説教される羽目になる。

 さっきまで優しかったのに何で思い出したかのように説教モードになるの。過去のタカギ事件まで掘り下げられて怒られた。

 すいません、本当にすいません。

 家に帰った後も母さんにまで危ないことに顔を突っ込んだことを怒られ、なんというかしょっぱい気持ちになった。

 

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