ちょっと待て。お前何故ここにいるんだ。
週が明け、期末テスト期間に入った。テスト期間中は基本的に昼で学校は終わる。高校によってはテスト期間が異なる場合があるので帰宅時間もずれるはずなんだけど…
初日のテスト後、教室の窓から正門付近を目視してみたが、のり君の姿はなかった。
ちゃんと植草さんの口から別れの言葉を告げたとはいえ、もしや…とは思ったのだが杞憂だったようだ。
「アヤ? 帰らないの?」
「あ、帰るよ」
さっさと帰って明日のテストに備えないと。
帰宅の準備をして正門までユカとリンと歩いているとあの小型のイタリア車が停車していた。私はハッとして車に駆け寄ったのだが、相手は運転席でスマホを眺めていたので窓を叩いて呼んだ。
顔を上げた植草兄がこっちに気づいたので、私は鞄から財布を取り出して小銭を漁る。
「植草さん植草さん、お釣り! この間の喫茶店の」
「え? …いいよ小銭だけでしょ? とっときなって」
お釣りの272円を渡そうとしたけど受取拒否された。お釣りとっとけって…私はタクシーの運転手か。
「えー…」
そんな事言われても困るんだけど…
私は辺りを見渡して目についた自販機に近づくと、適当にジュースとお茶を買ってそれを植草兄に押し付ける。
「じゃあ紅愛ちゃんとこれ分け合ってください」
「あやめちゃん見た目に寄らず頑固だね」
「ほっといてください。それじゃ」
用は済んだのでチャッと手を上げて私は帰ろうとしたのだけど植草兄に引き止められた。
「あ。待って。ついでだから送ってくよ」
「え?」
「紅愛が世話になったからね。あやめちゃんのお母さんにもお礼が言いたいし」
「もうお礼は聞きましたよ? 昨日エレナさんがわざわざお礼の品と一緒に挨拶しに来てくれましたし」
エレナさんというのは植草ママンのお名前である。日曜日だった昨日、ご丁寧にお礼の挨拶に来てくれたのだ。そのついでに植草ママンは私の母さんにもイタリアン式挨拶をかましていた。
母さんが目を白黒させて私と同じ反応をしていたので、ちょっと面白かったのはここだけの話だ。
「俺からは何もお礼言えてないからね。どうせ紅愛乗せるんだし、いいでしょ?」
「ですけど…」
「…田端先輩?」
「あ、植草さん。…テストどうだった?」
「……それは聞かないでくださいよ…」
植草さんはムッと顔をしかめた。テストの出来はいまいちだったらしい。
あんなことがあったので植草さんは以前の明るい雰囲気が一変して暗く陰っていた。だけどここで同情しても彼女を傷つけることになると植草ママンにも母にも言われたので、先輩として今まで通りの態度を取っている。
「あやめちゃんのお母さんにちょっと用があるからあやめちゃんをついでに乗っけてこうと思ってさ」
「…そうなんですか?」
キョトンとする植草さんにじっと見られ、私は否定できなかった。…いつもどおり電車で帰るつもりだったんだけどね。
車って早い。いつもの二分の一の時間で着いたわ。
前もって母さんに連絡していたので、準備をしていた母さんが植草兄妹を出迎えた。
私は着替えとかで一旦部屋に戻ったんだけど、私も下にいた方がいいのだろうか。部屋のドアを開けると、丁度今帰ってきたらしい和真と遭遇する。
「おかえり」
「ただいま。…誰か客来てんの?」
「植草さんとお兄さん。あの彼氏の件でお礼言いに来たんだって」
「……昨日来てたじゃん。あの外国人のおばさん」
「お兄さんは来れなかったから、直接お礼言いたかったんだってさ。シスコンだから気が済まないみたい」
はぁ? シスコン? と意味不明顔をする和真。弟はあれを知らないからそんな訝しむのだろう。
植草兄はサークルクラッシャー女王(美人)より妹のほうがいいとのたまったのだぞ。聞きようによっては危険な発言だと思うんだ。
植草さんは確かに超美少女だし、妹を猫可愛がりする気持ちもわからんでもないけどさ。
「…せんぱーい?」
「え、あ、どうしたの?」
意味ワカンネとボヤいて部屋に入っていく和真を見送っていると、階段の下から不安そうな植草さんの声が聞こえてきたので私は階段を降りていった。
…気のせいかもしれないんだけど、植草兄の私に対する態度が軟化した気がする。
ようやく私が植草さんのモテ力にあやかる人間という誤解が解けたのだろうか。
★☆★
【午後の講義が休講になったから学校まで迎えに行く】
「えへへっ」
「なーにーだらしない顔しちゃってー」
「先輩が迎えに来てくれるって〜」
全教科の期末試験を終えた日の帰りのHR前にスマホを確認すると亮介先輩からそんなメールが来ていた。
それを読んでいた私の顔は直射日光のもとに置かれたバターのようにデレデレに溶けていたらしい。ユカが冷やかしてくるが私はニヤける顔が抑えられずにヘラヘラ笑っていた。
ここ一週間ほど勉強に集中するためしばらく会えなかったんだもん。それに連絡も最小限。
私は猛烈に亮介先輩不足なのだ。
早く会ってイチャイチャするんだい!
担任がなかなか教室に来ないので、鞄から化粧ポーチを取り出して化粧直しをはじめていると、それを見ていたリンが背後に立って私の髪を櫛で梳き始めた。そして手慣れたように編み込みをしてくれた。
「わぁー可愛い! ありがとう!」
「どういたしまして。そういやアヤ、最近髪染めないね?」
「卒業までは封印することにしたの」
先輩の卒業式以降、私は黒髪のままである。
美容室に行ってもカットとトリートメントをするだけだ。お金が飛ぶからっていうのはあるけど、色々と手間と時間がかかるので、今年はその労力を受験勉強に費やそうと思ったのだ。
鼻歌交じりに色つきリップを塗っていると担任が入ってきたので化粧品を仕舞った。
恒例の受験生の心得的な説教を拝聴した後、解散を告げられたクラスメイトらが教室から解き放たれた。
私はというと、先輩が迎えに来るまで教室待機がてらノンビリしてようと思っていたのだが、教室の窓際にいた男子が「え、なにあれ」「やばくね?」と窓に張り付いて口々にボヤいていた。
それが気になった私も窓際に寄っていったのだが、男子たちの視線の先を見た瞬間、私は踵を返して机の上に置いてあった鞄を持ち上げると教室を飛び出した。階段を駆け下りて、急いで靴を履き替えると帰宅をする生徒たちの間を縫うようにすり抜けて駆けていく。
正門前では他校の男子生徒がうちの高校の女子生徒の腕を掴んで引きずって連れて行こうとしていた。
女子生徒は口でも態度でも抵抗の意を示していたが、男子生徒はそんな事気にも止めずに力任せに女子生徒の腕を引っ張っていた。女子生徒は痛みを訴えているというのに。
「いいから来いっ!」
「いや! 痛い離して!」
「何してんのあんた! 植草さんに近づくなって言ったでしょ!」
私はそこに割って入った。
のり君は私を見るなり嫌そうに顔を歪め、植草さんは涙目で私を見てびっくりした顔をしていた。
少々乱暴になるが、のり君の手首を力をこめてチョップして叩き落とすと、植草さんの腕を掴んでいた奴の手が離れた。その隙を逃さず、素早く彼女を私の背に隠した。
「イッテェ…何すんだよババァ…」
「やかましいこのおこちゃま男子。口の聞き方に気をつけな」
まさに一触触発と言っても良い。
私とのり君は睨み合いをしていた。
面の皮が厚い奴だな! どの面下げてここまでノコノコやって来たんだか!
ええい! 植草兄はまだか! 早く迎えに来い!
「植草さん! 校内に一旦避難して! ていうか風紀委員誰か呼んで!」
「えっ…」
私は後ろにいる植草さんを振り返って応援要請したのだが、ガシッと誰かが私の腕を掴んだ。
その相手は言わずもがな、のり君だ。
何故私の腕を掴むのか、訳が分からず私は彼を注視した。
「……マジ…邪魔なんだよお前」
「………!」
なんだろう、こういうの殺意というのだろうか。
去年和真を救出した先で戦ったタカギに睨まれたソレと似ていた。
のり君のその目に、不覚にも私は固まっていた。
だから相手の次のアクションにも反応するのが遅れた。
グイッ
「!?」
「お前が紅愛に余計なこと吹き込んだんだろうが。ほんっと余計なことしやがって…」
ぎりぎりと音を立てて私の腕が握りしめられる。痛みに顔を顰めていた私をのり君はどこかへと連れて行こうと歩き出した。
「ち、ちょっと!? 離しなさいよ!」
「うるっせぇ! こっち来いブス!」
「田端先輩!」
少年といえど男。やはり力が強かった。
私は引き摺られないように踏ん張っていたが、のり君によって連れ去られてしまうことになった。
植草さんには「風紀を呼べ!」と怒鳴っておいた。とにかく誰か呼んでくれ。そして助けてくれ…!
体重をかけて引き摺られないようにしたが、その度にのり君は私の肩の関節が外れるかもしれないくらい強い力で引っ張ってくる。その度に私は躓くように一歩、また一歩と前へ進むことになっていた。
大体なんで私を連れて行くんだこいつ。
意味がわからないよ。
抵抗しながらだったので時間稼ぎは出来たはずだが、風紀の誰かが助けに来てくれている気配はない。
のり君に引っぱられるようにして辿り着いたのは、高校近くのこじんまりとした小さな公園だ。7月の暑い時期だからか全く人気がない。
そこでのり君の足が止まったかと思えば、またもや腕を強く引かれ、私は思いっきりぶん投げられた。
その動きは流石に予測していなかったため、私はどしゃっと地面の上に尻餅をついた。これが土の上で良かった。コンクリートだともっと痛かったはず。
「な、なにするっ…!」
ここで怯えては相手の思うつぼだと思った私は、のり君を睨みあげようと顔を上げたのだけど、相手はまさかの行動に出た。
次の瞬間、ヒュッと風を切る音がしたかと思えば、私の左肩に激痛が走る。
「うっ…!?」
反動で私の身体は地面に倒れ込んだ。
イッタイ! 今の何!?
土の上にへばりつくように倒れた私は今の現状を把握するために起き上がろうとしたのだが、ドスッと背中に強い衝撃。
「…出しゃばらなければ俺だってここまでしないっていうのに」
「ぐっ…」
上からのり君の無感情な声が降り掛かってくる。
私の背中を制服越しにグリッと靴底が踏みつける感触がした。
それで理解した。私は足蹴にされて倒れ込んだところを踏み付けられているのだと。
「お前みたいな出しゃばった女が俺は一番キライなんだよ。女は黙って男の言うことを聞いていればいいのに」
「ふざけ…ううっ!」
私が反論しようとすると、のり君は体重をわざとかけて踏み付けてくる。なんて奴だ。
息が詰まって苦しい。起き上がるにも踏み付けられていて身動きがとれない。
私この後デートの予定だったのに! 先輩が不審に思うじゃないのよ!
……ご褒美デートなのに…制服は土で汚れちゃったし。踏んだり蹴ったりだし。
ジワ、と涙が目に溜まるのがわかったが、こいつの前で泣くのは私のプライドが許せない。だから泣くのを堪えて隙を伺っていた。
「…あいつ…マジ舐めやがって。ちょっと甘い顔するとすぐに女は調子に乗る…きつく躾をしねぇと……」
のり君は私を踏み付けたままブツブツ呟いているが、呟いている内容に私はドン引きしていた。
え、男尊女卑の思想の持ち主ですか。
いやいや暴力で従えるのはDVだって言ったでしょ。ただの傷害罪だってば。
「男に媚び売って依存するしか脳がねぇくせに…おい聞いてんのかこのブス」
「う゛ぁっ…!」
頭皮にピリリッとした痛みが走った。
リンが綺麗にまとめてくれた髪を鷲掴みにして海老反りになる形で引っ張り上げられたのだ。
背中は踏まれたまま、髪の毛は乱暴に引っ張られブチブチという嫌な音が聞こえてきた。
痛みなのか恐怖なのか堪えていた涙がじわりじわりと滲んできた。
だけどここで黙ってやられているだけなんてゴメンだ。私はなんとしてでも一矢報いたかった。
自分の腕は拘束されておらず自由だったので、後ろ手に私の髪を掴む奴の手に思いっきり爪を立ててやった。もうこんな奴に前科とか気にしてやる事無い。
ガリッといい音を立てたので相手の手には血が滲んでいるかもしれない。
「いってーな! 何すんだよ!!」
会心の一撃だったらしい。のり君は手だけでなく私の背中を踏んづけていた足もどかした。
そのチャンスを見逃さなかった私は地面をゴロゴロッと転がってのり君から距離を置いた。
左肩と背中が鈍い痛みを訴えているが、大丈夫。折れたりとかは無さそうだ。
私はもうひどい格好である。なんてザマだ。
女だから、自分より弱い相手だから手を上げているのかこいつは。女ならこういう扱いをしてもいいとでも思っているのか。
植草さんはこんな扱いを受けていたのかと思うと怒りが湧いてきた。ゆっくり立ち上がりながら制服についた砂埃を叩く。
そして、ちょっとしたカスリ傷にぴーぴー騒いでいるおこちゃま男子を睥睨した。
こっちのほうが痛いんだよ! そんなちょっとした傷で騒ぐな!
私はこの後の行動について考えた。
ここには先輩はいない。風紀も来る気配がない。
自分ひとりの力で抜け出さないといけないのだ。
そうなると、こうするしか無い。
私は地面に落ちている鞄を持って……
一目散に逃走を図ったのである。
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