バレンタインチョコ事件の裏側では【柿山視点】
「友チョコだからお返しとか要らないから」
同級生の女子からバレンタインチョコなるものを貰った。
友チョコと面と向かって言われたけども、母親以外の女性からバレンタインチョコを貰うのは初めてのため、俺は暫くの間その箱を凝視していた。
これは夢じゃないのか…?
それからどれくらい時間経ったのか…いやそんなに経ってはいないと思うだが、何やら廊下の外が騒がしくなりはじめた。
何事だろうかと腰を浮かせるとスパーン! と勢いよく風紀室の引き戸が開かれた。ドアがミシッと音を立てている。
自分の肩がビクリと震えたことは否定しない。
「…大久保先輩?」
「痛ぇ! 逃げないから離してってば!」
「うるせぇ! 久松てめぇ今日という今日は締める!」
我が校の問題児・久松翔と前風紀委員長・大久保先輩が慌ただしく入ってきたのだ。
俺は呆然とそれを眺めていたのだが、大久保先輩は久松を扉続きの指導室に連行していく。
一体何があったんだ。
服装違反の取締にしては乱暴すぎる気がするのだけども。
「久松! お前は田端姉が嫌がっていたのがわからなかったのか!?」
「初めは皆怖がるものだって。大げさ〜」
「お前のやっていることは無理強いだ! いい加減分かれ馬鹿野郎!」
「えー?」
大久保先輩がキレていた。珍しい。
久松の馬鹿、校内で何しでかしてんだ?
…だけど、大久保先輩がキレるのは仕方のないことなのかもしれない。
頑なに女性と接触することを避けて、委員会と部活に力を入れてるその姿が不思議で仕方がなかったのだけど、前風紀副委員長の橘先輩にその理由を教えてもらったことがある。
彼らが一年の時に起きた校内イジメが暴行へと変わり、それが大きな事件となり…被害者が心病んで退学してしまったことを。
大久保先輩はそれを止めることが出来なかったことを今でも悔いているという。
そのせいか女性と関わるのを避けるようになったとも言っていた。
だから殊更、そういう問題には神経質なのだと言う。
「久松、俺はな、お前は遊び慣れてる女にしか手を出してないと思ってた。決して無理強いするやつではないと思っていたんだ。…だけど、なにしてんだよ? 田端姉は遊ぶような人間じゃないのわかるだろ?」
「だってさぁ…」
久松は反省した様子がない。
なんでコイツ生徒副会長なんだろうな。リコールとか出来たらいいのに。
生徒会長がまともだから生徒会機能してるけど、コイツちゃんと仕事してるのだろうか。
大久保先輩の怒りの形相を前にしてもヘラヘラしている久松は手に持っていたひしゃげた箱を掲げて振りはじめた。中からカラカラと軽い音が聞こえる。
あれ、田端が俺にくれたのと同じ箱だ。
「アヤメちゃん、橘の事好きじゃん? 橘のために作ってきたチョコを三年の女子に踏み潰されてがっかりしてたんだよ」
「…三年女子?」
「一生懸命作ったのに可哀想だし、慰めてあげようと思って。そしたらなんだかムラムラしてきちゃったんだよね」
「………久松ゥゥゥゥ!!!」
「先輩! 大久保先輩! それはまずいです!」
青筋を立てて久松を締め上げようとする大久保先輩を羽交い締めにして止めようとしたが、怒り狂う先輩を抑えるのに自分一人では分が悪い。
ええい! 橘先輩は何処だ! こんな時いつも橘先輩が大久保先輩を諌めてくれると言うのに!
「段持ちが素人に手を上げるのは不味いですって!」
こっちは必死に大久保先輩を止めているというのに久松の野郎は呑気に箱を開けて形が崩れたチョコレートやらクッキーらしき物体の残骸をつまみ始めた。アホか!
おい! コイツの危機管理能力はどうなってる!?
「うま。アヤメちゃんお菓子作るの上手だなぁ」
「お前というやつはァァァー!!」
「……健一郎、コイツ相手にムキになるな。疲れるだけだろう」
背後から呆れた声が掛けられ、自分は強力なストッパーが来たとホッとした。
だけど、それは束の間の安寧だった。
橘先輩が大久保先輩を冷静に諌めてくれたお陰で大久保先輩は少し落ち着いた様子だったけども、不満そうな顔になった久松が口にしたクレーム混じりの話に橘先輩の纏う雰囲気が変わった。
「ていうかーアヤメちゃんがいじめられてるの助けてあげたんだからもっと俺に感謝してほしいよ」
「…田端がいじめられていただと?」
久松の言葉に橘先輩の顔は一瞬で険しくなった。
あ、なんか荒れる予感しかしないんだけど。
なんだけど、ヒヤヒヤしているのはこの場で俺だけらしい。
「橘のことが好きらしい三年女子二人に因縁つけられてたよ? それでこれ。アヤメちゃんが橘のために作ったチョコレートそいつらが踏み潰してさぁ。アヤメちゃんのこと叩こうとしてた」
「…三年?」
「名前知らないけどぉ性格ブッサイクな女二人ー」
名前がわからないなら相手に追求も出来ないな。
橘先輩は女子生徒に人気がある。そんな相手と仲良くしているだけあって田端は妬みの対象だ。
つい先日も根も葉もない噂を流されていたばかりだ。
しかし犯人は橘先輩の叱責によっておとなしくなり、噂は鎮火した。
さすが橘先輩だ。
モテるというのも大変なんだなとこの人を見てて思う。でもやっぱりモテるのは男としては羨ましいけど。
サクサクとクッキーを食べていた久松は何かを思い出したようで、こっちに顔を向けてきた。
「…あ、そういえば、サオリだから諦めたのにーとかぼやいてたな」
「……あぁ、誰だかわかった」
ずしり、と橘先輩の周りの空気が重くなった気配がしたので俺は思わず一歩後ずさった。
あの、橘先輩、落ち着いて?
先輩がこの場で唯一の強力なストッパーなんですから。先輩が冷静じゃなくなったら誰が止めるんですかこの事態。
言っときますけど俺は無理ですよ。
俺、見た目の割にチキンと定評があるんですから。チキンゴリラなんて不名誉なアダ名があるんですからね? サラダチキンみたいでなんか嫌だ。
…ん? サオリ? …なんか聞いたことがあるような名前だな。
ふと聞き覚えがあるようなないような名前に首を傾げていると、久松がふぅ、と満足げなため息を吐いた。
「あー美味しかった。橘〜食べちゃってゴメンねー?」
「………」
「そんな目しないでよ〜踏まれてぐちゃぐちゃになったからアヤメちゃんこれ捨てるつもりだったんだよ〜? 俺はそれをリサイクルしてあげたんだから〜」
久松はヘラッヘラと笑っていた。
ちょっと久松お前、橘先輩が怒ってらっしゃるのに気づかないのか!
喧嘩を売る真似して自分の命が惜しくはないのかお前は!
橘先輩周りの空気はピリピリして今にも爆発しそうだ。
なんでか俺のほうがビビってるんだけど!?
「あ! そうだ! 田端が風紀委員達にって差し入れくれた分が沢山ありますよ!」
「…あれぇ? カッキー、あそこの箱もアヤメちゃんがくれたやつじゃないの〜? これと同じ〜」
「…はっ!」
俺は目の前の箱が夢か幻かと疑い続けて自分の机の上に田端から貰った友チョコを置いたままにしていたのだ。
久松! お前は余計なことを言うんじゃない!
橘先輩の視線もそちらに向かう。
あぁ見られてしまった…。
俺は橘先輩の目が見れなかった。
だけど尊敬する先輩相手に誤魔化すことなんて出来なかった。
だから顔を背けて正直に自供する。
「実は田端から…と、友チョコをいただきました…色々世話になっているからと…」
「…そうか」
「すいません!」
「何を謝っている。貰ったものはありがたく貰うのが礼儀だろう?」
そう、そうなんですけどね!
なんか謝らざるを得ないというか!!
橘先輩は脱走を試みようと椅子から腰を浮かした久松の肩をガッシリ掴んで、椅子へと押し戻した。
久松の顔が歪んでるからアレかなり力入ってんじゃないかな…
「…だが久松、話はこれで終わりではない。じっくり話そうじゃないか」
「えぇー? なんでー? ていうか痛いんだけど!」
久松の不満そうな声を無視するように指導室の扉は閉ざされた。
次の瞬間、風紀指導室から橘先輩の怒声がビリビリとこちら側まで飛んできたのである。
いつも冷静沈着に理詰めで指導するというのに、こんなにも怒りをあらわにした橘先輩の怒声は初めて聞いたかもしれない。
こえぇぇー!
橘先輩、私情挟んでませんよね? こんなに怒ってる先輩初めて見たんですけど。
この怒声の中、大久保先輩は差し入れのチョコを食べながら呑気に備え付けのポットでお茶作ってるし。
大久保先輩、この状況で茶を飲むとかアンタどういう神経してるの。
ていうか俺、この二人を越えられない気がする。
なんで俺が風紀委員長任命されたのかな…
何もしてないけど疲れた。
とりあえず自分が貰った友チョコは目の届かない所に隔離して、橘先輩用に田端の差し入れチョコを数個確保しておいてあげた。
女子からのチョコレートに飢えている風紀委員の面々がこれを見つけたらきっと奪い合いになるであろうから。
…橘先輩…あんだけ女子にチョコレート貰ってるくせに、それじゃ満足できないものなのかね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。