携帯は命綱。私含め現代人は携帯に依存している気がする。
あの後迫りくる睡魔と戦い、ようやく授業を終えた私はさっさと家に帰ろうと下駄箱からローファーを取り出した。
するとひらりと落下するノートの切れ端。靴の上に乗っかっていたらしい。
地面に落ちたそれを拾い上げて読んでみる。
「…ん?」
【4F社会科資料室まで来い】
…うわぁ…めっちゃ怪しい。
罠の匂いしかしない。
「田端さん」
「! ま、朝生さん…?」
そのメモを疑いの眼差しで眺めている私に声をかけてきたのはなんと朝生真優。山ぴょんの元カノである。
文化祭前のアレ以来話すことがなかったのだが一体どうしたのだというのだ。
彼女は不安そうな表情で私に問いかけてきた。
「スズちゃん知らない?」
「すず? …林道さんのこと? 昼休みに会ったけどそれ以降は知らない」
「そっか…」
真優ちゃんは私の返事を聞くなりしょぼんとした。
林道さんがどうしたというのか。そして違うクラスの私に聞いてどうしたいというのか。
私の顔に疑問が浮かんでいたのだろう。真優ちゃんが説明してくれた。
「あのね、五時間目が始まる前にスズちゃん、一年女子に呼び出されていたの。…それから戻ってこなくて…鞄も教室においたままだし、携帯もその中みたいで連絡も取れなくって」
「…………。」
あ、なんか心当たりある気がする。
私は額に手を当て、手に持っているノートの切れ端をグシャリと握り潰した。
「あー…私探しておくよ。朝生さんはもう帰りなよ」
「でも」
「今回は私も責任があるというかないというか…とにかく大丈夫だから」
オロオロする真優ちゃんに帰るように促し、私は下駄箱から引き返し、このメモどおりに四階に上がろうと階段に向かったのだが、そこで下校途中の橘先輩とすれ違った。
先輩は私をみるなりキョトンとしていた。それはそうだろう。だって下校時間なのに私は階段を登ろうとしているのだから。
「田端、どうした忘れ物か?」
「あっはい! お弁当箱を」
「……お前、今日食堂で食べてたのにか?」
「あ、早弁です! 空腹過ぎてお昼前に食べちゃったんです!」
私はアホか。
教科書って言えばいいのになんでお弁当箱と言ってんだ。今日一緒に食堂で定食食べたでしょ!
しかも乙女として好きな人に言う言い訳としてどうかと思ったけど、今は橘先輩に迷惑をかけたくなかった。
だってセンター入試まで後一週間を切っているのだ。
私はヘラヘラ笑いながらそう誤魔化すと、橘先輩は眉間にシワを寄せて私を見つめてくる。どうやら信じてくれてない様子だった。
私信用がないな。
「ほらほら先輩! 勉強! 勉強しなきゃ!」
そう言って下駄箱まで先輩の背中を押し出した。
いささか乱暴に両手でドスドス押している気がするが、橘先輩は痛がる様子がなかった。
三年の下駄箱がある場所まで押し出すと、私は元気よく挨拶をした。
「橘先輩さようなら!」
「……」
私は営業スマイルバリの笑顔で先輩をお見送りして差し上げた。
橘先輩は最後まで疑いの眼差しで見てきたが、私はそれに構わずに四階まで階段を駆け上がったのである。
資料室にたどり着くと、鍵はかかっていなかった。
恐る恐る資料室に入ったのだけど、中は真っ暗で辺りは埃と紙の黴びた匂いが漂っていて私は顔を顰めた。
「…林道さん?」
もしかしてここにいるかもという思いで来たけど、いないのであろうか。
ーーピシャン! ガチャリ!
『きゃはははは!』
「マジで来たよ」
「ばっかじゃないの?」
資料室の外から甲高い笑い声が聞こえた。
私はしまった! と思ってドアに手をかけたが、鍵をかけられてしまってドアは開かなかった。
「ざまーみろ」
そう言って彼女らはくすくす笑って立ち去っていった。
私はまさかこんな少女漫画あるあるな嫌がらせを受けるとは思わずに呆然とそこに突っ立っていた。
…カタリ、
その時、資料室の奥の方から気配がして振り返ると目をこすりながら立ち上がる人影。
私は探していた人物を目に映し、ホッとしたのも束の間で呆れていた。
まさかこの人。
「あれ…あやめちゃん…?」
「…林道さん」
「あっ! そうだ私閉じ込められて…」
「奇遇だね。私もつい今」
「……」
「林道さん、寝てたでしょ」
「だ、だってぇ…」
林道さん曰く、五時間目前にあのキラキラ一年女子に連れ出されたかと思えばここに閉じ込められて、大声を出して助けを求めていたものの、四階のこの辺は人気がなく誰かに助けてもらうことは出来なかったそうな。そうこうしていたら段々眠くなってきたので寝ていたと。
真冬だよ? 下手したら凍死するよ? と注意したんだけど「私厚着してるから」と返ってきた。
だめだこりゃ。
「まず助けを…うわ! 充電ヤバッ」
私は鞄からスマホを取り出して液晶を点けるとぎょっとした。だって電池残量が10%切っていたから。
あ、そうだ昨日充電してたけどいつの間にかコンセントから充電器のプラグが外れてて充電できてなかったんだよ…やらかした…!
私は大急ぎで電話帳を開く。
そして橘先輩の名前をタップしようとして…止めた。
受験の大事な時期。頼る訳にはいかない。
私は弟に電話をかけた。
丁度今頃道場で稽古中だろうから電話に出ることはなく留守電に繋がったが私はそれにメッセージを吹き込むことにした。
「…もしもし和真? 私だけど…今学校にいるんだけどね…私今日帰れないかも。悪いんだけど明日朝イチで四階の資料室来てくれないかな?」
そして両親には心配をかけたくないので「友人の家に泊まることにしたから」と連絡をして電話を切る。
林道さんにも電話使うか聞いたら、親の電話番号を覚えてないと返ってきた。それなら仕方がないな。
今の時点でスマホは見た事のない最低電池残量になっていた。
私は資料室の扉付近に人気はないかと耳を澄ませたが、まぁ静かなものである。
仕方なくドアから離れて資料室の壁伝いに探っていると電気のスイッチを見つけて点灯した。
「…電気は着くね。暖房はないけど」
電気を一晩中付けてたら…と思うけどここは窓がない。奥まった場所にあるので、外からも明かりが届かない場所である。
誰かに気づいてもらう方法は諦め、このまま資料室に泊まることを覚悟したほうが良さげである。
「あやめちゃん…もしかして私達今晩ここで過ごすことになるのかなぁ」
「そうだね」
「そっかぁ…」
「…和真のファンは過激でしょ? 今度から呼ばれてもついていかないほうが良いよ。姉である私でさえこんな仕打ちなんだから」
床に座るのを少々躊躇ったが、埃がないことを確認すると座り込む。
床付近は冷えるなぁ…あ、ダンボール見っけ。敷いとこう。
私の行動を終始眺めていた林道さんは眉を八の字にして困ったような表情で尋ねてきた。
「…あやめちゃんもしかしてこういうの慣れてるの?」
「和真が生まれて16年、姉やってんだから当然でしょ。…でも馬鹿だよねぇ。私が和真にチクらないとでも思ってんのか」
私が鼻で笑うと何故か林道さんはビクリと怯えていた。
どうしたの? 怖がらせるつもりはなかったんだけど。
「和真も大変だよねぇ」
なんとなしに私はそう呟いたのだが、林道さんは何かを考え込んでいるようだ。
どのくらい沈黙が続いたかわからないが、林道さんは1人納得した様子で頷いていた。
「…私ようやくわかった気がする」
「え?」
「和真君がゲームとちょっと違うのはあやめちゃんの存在があるからだって」
「ん? …まぁ、ゲームのあやめと私違うからね。多少は…」
「私が好きなのはあやめちゃんを姉に持つ和真君なんだ。だってあやめちゃんは良いお姉ちゃんだもん」
そう言って林道さんは柔らかく微笑んだ。
その笑みは恋をしているんだなとひと目で分かる綺麗な笑みで、私は一瞬見惚れてしまったが、私が見惚れてどうするんだと首を振って正気に戻る。
「…林道さん……褒めても協力はしないからね」
「そういうつもりで言ったんじゃないもん!」
人がいなくなった学校は静まり返り、夜の闇が深くなると増々冷えだした。私は寒気を感じて小さく震えた。
私と林道さんの長い夜は始まったばかりだ。
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