第45話 天空の騎士

ミノルが倒れた。

エレナリオの迎賓館で歓待を受けている最中、彼は突然悶え始めたのだ。

あの様子はただ事ではない。

離れた位置からでも判るくらいに、酷く苦しそうにしていた。



「流行り病の目もあるかもしれませんが、問題ありません。きっと疲れが出たのでしょう」



若いメイドが安心させようとするけれど、それはどこか気味が悪かった。

柔和な笑みで、落ち着いた口調で気遣われたけど、心に響きはしない。

むしろ『白々しい』とさえ思ったくらいだ。



「ミノル……ミノル……!」



あれから1度として彼に会わせては貰えなかった。

何度も繰り返し抗議したけれど『我らにお任せを』との一点張りだ。

今の私は余りにも無力で、こうして涙を流す事くらいしかできない。



「姫さまぁ。お辛いですか……?」


「シンシア……ミノルは大丈夫かな?」


「あのお方なら平気ですよ、きっと」


「そうだと良いのだけど……」



心を開けるのはもはやシンシアだけ。

いつぞやの様に、敵中に2人きりとなってしまった。

そして極めつけはこの扱い。

私たちは有無を言わさず、2階の部屋に押し込まれた。

部屋のすぐ外には見張りの兵。

これでは監禁と変わらないではないか。



「姫さま、そんなに心配しないでも大丈夫ですよ。天空の騎士さまはもう、すんごいお方なんですから」


「天空の……騎士?」


「あー。ひょっとして下々の者だけ知ってる伝承ってやつですかね? こんな唄を聞いたことありませんか?」



そう言うとシンシアは、子守唄でも聞かせるかのように、甘く柔らかく歌いだした。

透き通るような美しい声が、私の荒れ狂った心を次第に和らげてくれる。



ーー東の空より騎士来(きた)る。

天駆け悪を討ち果たす。

地に降り人を安らげる。

西を目指して騎士は行く。

ひととき眠りを得たならば

再び東の空より出(い)ずる。



初めて耳にするものだ。

記憶の中をしばらく潜っても、その片鱗すら見つける事は出来なかった。

彼女の言う通り、庶民の中で語り継がれている唄なのかもしれない。



「天空の騎士さまは、ミノルさまは、この世界を救ってくれるんです。声なき声に応じて、悪い奴らを全部やっつけてくれるんです。そんなお方が、簡単に死なれるハズがありません!」


「シンシア……」



彼女の両手が私の手を包んだ。

それは、僅かに震えている。

シンシアだって不安で、恐ろしくて、すぐにでも泣き出したいくらいだろう。

私は自分の心を持て余すばかりで、傍の人の心痛まで思いやることが出来ていなかった。



「ごめんなさい、シンシア。私ばっかり泣いちゃって……!」


「良いんですよ姫さま。それよりも、涙でキレイなお顔が台無しです。これではミノルさまに手だしして貰えませんよ?」


「え、いや、私はそういうんじゃないから! そりゃ国のためを思えば彼を掴んでおきたいけども、これは違うから!」


「そうなんですかぁ? 全然そうは見えませんけど……。まぁ、姫さまがお好きじゃないなら、私がもらっちゃいますね」


「ちょっとシンシア! それはダメよ! 何ていうか、こう……ダメなの!」



お互いに少しだけ笑う余裕が出てきた。

こんな状況でクヨクヨしていても事態は改善しないのだから。

それならせめて、明るい気持ちで消耗を抑えよう……と思っていたのだけど。



ーー全体、止まれ!



外が騒がしくなった。

2階の窓から外を見下ろすと、騎馬隊に巨大な馬車が見えた。

私たちが大森林から乗ってきたものよりも遥かに立派で、上等なものが。



ーー陛下、大変お待たせ致しました。足元にお気をつけください。



馬車の中から小柄な男が降り立った。

それなりの年齢で、グランドより少し若いくらいか。



「誰か来たんですか?」


「彼は確か……エレナリオ王よ。前に2回くらい会ってるわ」



馬車の傍で何か会話がされている。

どうやら騎士の男が報告をしているようだ。

それがひとしきり続くと、王はこちらの窓を見上げた。


……ゾクリ!


経験した事の無い悪寒が襲ってきた。

何だろう、この怖気は、嫌悪感は?

僅かな吐き気を感じつつ、両手足が痙攣したように震えだした。



「姫さま、どうしました!? 大丈夫ですか?」


「わからない、私にも理由が……」



何が見えた、何を知った。

無情な現実か。

それとも卑劣な罠、汚濁に塗れた欲望か。

とにかく何かを感じた。

酷く無慈悲で、救いようの無い何かを。



「陛下に敬礼!」


「ご苦労。レジーヌは中に?」


「ハッ。一歩足りとも外へ出してはおりません!」


「うむ。引き続き励め」


「ハハァッ」



扉が開く。

ズル賢さを隠そうとしない口もと、蔑むような眼差しに、尊大に上向くアゴ。

快い面をひとつも持たない男がやってきたのだ。



「レジーヌよ、久しいな。多少は女らしくなったようで安心した。青臭いガキなんぞ抱く気にはならんからなぁ」


「突然何を言い出すの? 仮にも王という立場なのに、失礼にも程があるわよ!」


「随分と強気なものだ。そうだ、前もって言っておくが、貴様を護る騎士なら死んだよ。呆気なくな」


「死んだって……そんなの嘘よ!」


「手下どもより報告が入ったぞ。故に私はやってきたのだ」



ミノルが死んだ……?

信じられない、いや信じたくなかった。

だけどそれを真っ向から王の目が否定した。

この揺るぎない自信は、何か確信の持てる情報を持っているからか。


ーーズシリ。


胸の奥が唐突に重くなる。

まるで奈落の底にでも突き落とされたように、心が沈んでいく。

ミノルは死んだ。

その言葉が延々と頭を駆け回り続けた。


視界が白む。

息が詰まり、動悸が止まない。

胸元を両手で押さえることで、なんとか耐えようとした。



「子供を抱く趣味などないが、それなりに育ってくれたか。この程度の見た目であれば我慢もできよう」



男の手が私のアゴ先を目指して伸びる。

まるで調度品でも見定めるような眼差しだ。

体が強ばって上手く避けられないでいると、目の前をシンシアが遮ってくれた。



「や、止めてください! 姫さまに何をするんですか!」


「何だお前は……下賎者の分際で邪魔立てするな!」


「キャアーーッ!」


「シンシア!?」



男が短い鞭を振るった。

固そうにしなる動きから、相当な威力があるように見える。



「この私に楯突くか! 女のクセに、女のクセに、女のクセにッ! 貴様ら無能な女どもは奴隷と変わらん! 望まれるがままに子を産み、死ぬまで男たちの機嫌を取るだけの存在だと思い知れ!」


「ゲフッ! ガハッ!」


「やめて! シンシアに乱暴しないで!」


「ほぉぉ? こんな下女1匹がそんなに大事かね? いやはや、有情なる姫君だなぁ」


「どうだって良いでしょ……とにかく手を出さないで!」


「まぁどうしてもと言うのなら、聞いてやらんでもないがなぁ」



見開かれた目は狂気に染まっていた。

残忍で、冷血で、信義の欠片もないもの。

それはあまりにも醜悪で、私は再び身体を強張らせてしまった。



「服を脱げ。そして私に慈悲を乞え」


「何ですって!?」


「一糸まとわぬ姿になり、ひざまづいて懇願せよ。『どうか私をお傍に置いてくださいませ』とな」


「そんな事出来るわけが……!」


「それなら別に構わんよぉ? こんな汚い下女など、たとえ100万人死んだとて心は痛まないのだから!」



頭上に振り上げられる鞭。

シンシアは気を失っている。

彼女を守れるのは、大切な友達を守れるのは誰か。



「やめて!」


「やめろ、とは?」


「言う通りにするわ。だからもう、シンシアを傷つけないで!」


「ふむ。それは『お願い』が上手に出来たなら、という条件になるが」


「分かってるわよ。だからその鞭をしまいなさい……!」



胸元のボタンがうまく外れない。

他人の指にでも差し替えられたように、言うことを聞かずに震えている。

怒りか悔しさか、それとも恐怖か。

判別のつかない感情の塊が心を黒く染め上げている。



「早くしたまえ、私は気が短いんだ。そうでなくとも、これからやるべき事は多い。そう……タップリとなぁ」



絡み付くような声が私をなぶる。

状況を打開する策なんか無い。

この先に待ち受けている未来。

それはどうしようもなく惨めなものになるだろう。

私に想いを託した父様とグランドには、ただただ申し訳なかった。



「ごめんなさい。私は……父様の夢を叶えるには、あまりにも未熟でした……」



ボタンは全て外した。

ブラウスを脱ぐ。

次はスカート。

背後で鞭が空を裂く音がする。

腰のボタンに手をかけた、その時。


ーードォォオオオン!


火山の噴火でも起きたかのように辺りが大きく揺れた。

室内の調度品が狂ったように踊り、いくつもの家具が横倒しになった。

窓の外からは『敵襲、襲撃だ!』と叫ぶ声がする。



「なんだ、何事だ! 警備のものどもは何をしていた!」



エレナリオ王がヒステリックに叫ぶが、人がやって来る気配はない。

正確に言うと、王の頼れる配下が来る事は無かった。

扉が開く。

そこに現れたのは……。



「エレナリオの王さまー。遊びに来たぜぇー。歓迎してくれよなぁ?」



不遜(ふそん)で、気怠げで、ちょっと口の悪い人。

でもすごく真面目で、頑張り屋で、誰よりも心が温かい人。

シンシアの言った通りだ。

天空の騎士は悪人を懲らしめるために、こうしてやってきてくれた。



「ミノル! 無事だったのね!」


「き、貴様がミノルか!?」


「そうだよーお前が殺し損ねたミノルさんだよーよろしくね。ああ、別に仲良くする必要はねえのか」


「衛兵! 敵だ! 今すぐ捕らえ……」


「お仲間さんなら全員寝てんぞ。お前んとこの兵士クッソ弱いな」


「何だと!? 警備責任者め、何という怠慢だ! このような脆弱な護りで私を……ムガッ!?」


「うっせえ男だな。このままアゴを砕いてもいいんだよ?」



本物だ。

見間違えようもなくミノルだった。

そう思った瞬間に体は動いていた。

地面を駆ける足が、彼との距離数歩が煩わしい。

両足を地面から離し、身を委ねるようにして彼の背中に飛びついた。



「良かった、生きててくれて本当に良かった!」


「お、おう。そーかね?」


「ミノル? ちょっとよそよそしくない?」


「ううん、気のせいだーね?」


「そう……ともかく、お帰りなさい」



私は彼を力一杯抱きしめた。

もちろんこんな細腕ではビクともせず、筋肉の逞しさと体温が感じられるばかり。

そして僅かに漂う匂いが、私の心を高揚させ、同時に安らぎも与えてくれた。


もう2度と離れない。

たとえ女として愛されなくても、構いはしない。

今後ミノルから決して離れる事はない。

そう、心に強く誓うのだった。

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