第4話

やがて、周囲の風景が流れ行く様は、さらに速度を上げた。






「つきひ」で二度目の春を迎えるころには、人々の動きは残像すら見えず、


人の気配を感じる事もできなくなった。


目の前の木々が様々な色に染まる様子まで感じることができる。


雲を眺めていると、あまりの速さにクラクラする。





金井教授との会話もできなくなった。





教授の姿も他の人達同様に、僕達の目には捕えられなくなった。


ルミの努力も色あせてしまった。






食事には困った。


食事の最中に食べ物が腐らないよう、乾燥物や水を急いで口に入れた。


一度、体内に取り込めば、その養分は僕達の時間になじむようだった。


僕とルミは、乾パンなどの非常食を集めた。


そして、少しの間座って周囲の変化を眺めた。


周囲の人達は、僕達の事をなんと言っているだろう?


僕達にどんな病気の名前を付けただろう?





「望夫石」という石の話を聞いたことがある。


海に漁に出た夫の帰港をいち早く見つけようと、


毎日幼い息子を背負い丘に登って海を眺めていた妻が、やがて石になったという。


僕達は、「望夫石病」とでも呼ばれているかもしれない。





僕達は無力感に囚われたまま、ただ周囲を眺めていた。


自分には、もうできることが何も無い。


それが心苦しかった。


ただ、救いはその瞬間、彼女が僕の肩に頭をもたれかけていたことだった。








太陽と月が代わるがわる昇っては沈み、明るくなってすぐ暗くなった。


世界は点滅している。






そして、ある瞬間、世界は完全に無音になった。




世界のたてる音すべてが、僕達の可聴域を超えたのだろう。







「時間が、私達を置き去りにして去っていった・・・。」





ルミは明るく振る舞おうとしたが、絶望は僕達の心の深くに侵食した。



僕達は完全に時間に見放された。


そのことは、僕達に暗い影を落とした。






「金井さんも、もうとっくにこの世にはいないんだろうな。」





ルミは寂しそうに言った。


僕もとても寂しくなった。



僕は、返事もできずに黙々と必要な物を集めた。


少しして、ルミも笑顔のまま泣いているような表情で手伝ってくれた。




僕達は、少し眠ることにした。


起きた時には数年過ぎたようだった。


目には見えないが、活動の痕跡から推測すると、施設の人も随分減ったようだった。


壁や天井がボロボロと禿げ落ちている。


施設の建物がどんどん老朽化しているようだ。


不思議なことに、僕達は出会った時のまま、ほとんど年をとっていなかった。






僕達は荷造りをすませ、施設を出た。







ルミと僕を除いた世界が崩れ去る予感があった。


僕達は、山の中にある洞窟に行くことにした。


その洞窟は数百万年前からあるという。


その洞窟で長い眠りにつくことにした。


次に目を覚ましたら、数年か、数十年の時間が過ぎているかもしれない。


その次に眠りについたら何百年も経っているかもしれない。


二人で洞窟に出入り口の扉を付け、内部を居心地よく整えた。


その間に何度も雪が降り溶けていった。


世界は壊れた照明のようにチカチカ点滅していた。


ふと、ルミが尋ねた。




「大丈夫?」



「うん。僕は君と一緒ならどこでも大丈夫。」




実際、僕はルミと温もりを分ち合えるなら、場所などどこでもよかった。


目を覚ました時、世界はどのように変わっているだろう。


僕達はお互いの温もりに寄り添い、深い眠りについた。


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