第2話 魔王後継者

 ……。ここは?

 僕は暗闇の中を彷徨う。どこにも光がなく真っ黒な空間を歩いていた。


「あれ…?確か試験を受けて……竜みたいなのと戦って…」


 そこからの記憶がない。自分は死んでしまったのか?ここが死後の世界と言うのか。


「……ん?う、うわ!」


 何も考えずに歩いていると自分の足が急に闇の中に沈んだ。沼地の中に足でも突っ込んでしまったかのような気持ち悪さと共に体が沈んでいく。

 もがいても、もがいても、体の沈みは止まらない。このまま得体のしれない闇の中に入っていくのかと思うと……恐怖が生まれた。


「う、うあああああ!!」



 アストはバッと起き上がった。そこは暗闇などではなく……病室のベッドだった。自分はまだ死んではいないことがわかって少しだけ安堵した。


「あれ?なんで…」


「目が覚めた?」


 横から声。振り向くと……僕の師匠、ベルベット・ローゼンファリスがそこにいた。


「ベルベット……」


「おはようアスト。あなたは魔力欠乏で倒れちゃって…ここ、アーロインの医務室に運ばれたのよ。……ところで起床してすぐに見る美女の顔の味はどうかしら?ねぇどう?どう?」


 ベルベットはポーズを取りながらこっちにウインクを飛ばしてくる。言ったら悪いけど若干ウザい。

 それにベルベットは見てくれは美女っていうより美「少女」の方が合っている気がする。自分よりも身長低いし顔もちょっと幼いし。って、そんなことはどうでもいい。


 魔力欠乏というのはその名の通りで魔力を消費しすぎて体に負担がかかってしまう症状のことだ。

 自分の持っている魔力全てを使っても死にはしないが体の力が抜けてしまったり気を失ったりなど戦闘が不可能なレベルに陥ってしまう。


「ベルベット。僕、試験は…?」


「511ポイントでぶっちぎりの合格よ。さっすが私の弟子~♡」


 満面の笑みで頭を撫でてくる。試験を受けた自分よりも嬉しそうにしているのがなんとも可笑しいが…


「僕、試験のことをよく覚えていないんだ。511ポイント……ってことはあの黒い竜を倒したってことだよね?」


「そうよ。映像見る?」


 ベルベットはそう言うと指から魔法陣を出現させる。すると自分の頭にとある映像が流れ込んで来た。

 これは術者が見た映像を直接相手の頭に流し込む魔法。名前はない。ベルベットが創ったオリジナルの魔法らしい。


 流れ込んで来た映像には……紫の焔のようなものを纏う自分が黒竜に立ち向かう姿。斧を振りその竜を両断。

 そして最後に……その竜の魔力とも言うべき力を吸収している自分の姿が見えた。


「なんだこれ……これが僕?」


「これについて話さないといけないわね。あなたに隠してたこと―『魔王後継者』と呼ばれる者について」


「魔王?後継?」


 ベルベットは急に真面目な顔になる。その真剣な空気は今から言うことは聞かなければいけないと思わせる。とても大事なことを告白するようにも思えたから。


「魔王後継者の話に入る前にまず、確認しておくことだけど……魔人の魔法に対抗して人間が何をしたか。それは知ってるわよね?」


「うん。確か……神に祈ったんだよね?『魔人に対抗できる力が欲しい』って」


「そうよ」


 昔、人間は魔人が持つ力—「魔法」を手に入れようと考えた。同じ力を使えば苦戦せずに戦えると思ったからだ。人間は研究を重ね、それを実現させようとした。

 しかし、それは失敗に終わる。話は簡単。魔法に通じる者が人間側にいないということがあまりにも痛すぎた。


 誰も「魔力」がどういう物か知らない。「魔法」がどうすれば使えるものなのか知らない。

 それを知っている者は自分達の敵になっている。教えてはくれない。倒した魔人を解剖しようが調べてみようが既存の知識では何もわからない。

 だからこそ魔法を知る術が1つもなかったのだ。そんなことでは魔法など使えるわけがなかった。


「魔法の力が手に入らないと困った人間達。そこで取った行動はただ祈るだけ。神に祈り、魔人の殲滅を願った。藁にも縋る想いでただひたすらに祈り続けたってわけ」


 一見すると愚かに見える。けれどこれにはちゃんと理由があった。ちゃんとした理由と言われると少し疑わしいところもあるが……。


 今まで「神」という存在は一部の信心深い人間にしか信じられていなかった。

 ほとんどの人間が空想上の存在、人が生み出した偶像でしかなかった。

 ……魔人が現れるまでは。


 魔人という人間にとっては摩訶不思議な存在が出現し、もしかしたら神もいるのではないかという考えに至った。人間は最早祈るしかなくなり苦しみを神に訴え続ける。


「けど人間の運は良かった。これがいたのよね~。本当に神という存在が」


 光に包まれたその光輝な存在が地上へと降り立った。それは魔人の出現と同じく突然に。

 人々の願いを聞き続けた神は人間に力を与えた。魔法に対抗し得る力―「異能」を。


「異能を手に入れた人間はすぐさま『ハンター』という名の対魔人機関を結成した。エクソシスト、ヴァンパイアハンター、魔女狩り一族。魔を滅する者は集まって力を集結させた。真に魔を払う力を手にして」


「そして今の時代は『魔法』を使う魔人と『異能』を使う人間の争いになったんだよね?」


「そういうこと。それで話を戻すわ。あなたが試験中に使っていたあの力について」


 そうだ。あの謎の力。

 傷が治ったり、バハムートの力を吸い取っていたり。聞きたいことは山ほどある。


「あれは魔法でもなければ異能でもない。この世界のタブーともされる第3の力。それこそが……『魔王の力』よ」


「魔法じゃなくて……異能でもない?」


 わからない。人間と魔人が争っているのがこの世界じゃないのか?なのに3つ目?

 困惑しているアストをベルベットは予想通りという顔で続きを話す。


「神が人間に異能を与えた。そこまでは良かった。……いや、魔人にとっては最悪なことだったんだけど。それだけじゃ終わらなかったの。日があるところに影があるように……神という究極の日がいれば、究極の影とも言うべき存在―『魔王』もいた」


「魔王……?」


 何か胸がざわつく。この世界の裏側を見ようとしている。そんな気がする。


「この世界とは別の次元にいた魔王は神が異能を与えるのを見て面白がった。自分も誰かに力を与えて人間と魔人が争う様を見たいと思い始めた。でも、どちらに力を与えるか。そこが問題だった。せっかく均等になったパワーバランスが崩れかねなかったから」


 確かにそうだよな。どちらも未知の力を使う種族同士。さらに謎の力を手に入れてしまえば厄介極まりない。


「だから……それも均等にした。自分の魔王の力をいくつかに分割して人間と魔人の両方にそれを渡した。その力を手にする者は生を受けた瞬間に決まることになっているの。その者が死ねばまた誰かが…っていう風にね」


 変な話だな。こっちは命がかかっている話なのにその魔王とやらはただ笑いながらそれを見ているということか。神が人間に「異能」という力を与えたのも似た理由なのかもしれないが。


「今から数百年前…第二次種族戦争の時にその存在は現れた。人間側に1人だけその力を持った者がいたの。魔人側にもその力を持っている者はいるはずなんだけど名乗り出なかったか、それともまだ力が覚醒していなかったのか。ともかくそのせいで魔人は敗北した」


 ベルベットの話によると「魔王の力」を持っている者は第二次種族戦争から何百年も経った現在も人間側に1人だけで魔人側はまだ変わらず0人らしい。

 今になってもまだ0人ということは間違いなく誰にも見せずに隠しているのが濃厚。理由はわからないけど。


「そしてその力にあなたも選ばれた。魔王の力の1つ―『魔王の心臓』を持っているの」


「魔王の……心臓」


「その力は……『支配』」


「支配?なに……それ?」


「自分が降した相手の力を取り込むの。そうね……あの試験でバハムートの魔力を支配して取り込んでたから……あの竜を召喚とかできるんじゃない?私も詳しくは知らないけど。あくまで噂程度で聞いたことだから」


 知らんのかい!と言いたいけどそれだけ謎な力ってことだよな……。正直話についていくので精一杯だ。今でも自分にそんな力があるのも信じられないし。

 でも、1つだけ聞いておきたいことがあった。


「ベルベットは知ってたの?僕がその魔王の力を持っていたこと。まさか……知ってるから僕を拾って?」


「それは違う!あなたを拾う時は知らなかった。生活していく中で気づいたのよ……信じて」


 ベルベットの涙で潤む目を見てそれ以上責める言葉は出なかった。僕だってさっきの言葉は本心からの言葉じゃない。ちょっと意地が悪かった。


「そういえば戦っている時、意識を失ってたんだよね…。あれはなんで?」


「それは魔王の力をまだコントロールしきれていないからかな?うーん。ちょっとそこもわからない。でもあっちのアスト、カッコよかったわよ?」


「冗談じゃないよ……。じゃあまた力を使えば別人格みたいなのが出てくるってこと?」


「そうかも。それとおそらく『魔王の心臓』の力が解放される条件は……致命傷を受けた時ってところね」


 瀕死状態になるとまたあんなことになると…。良いことなのか悪いことなのか。もうわからないことだらけだ。


「その魔王後継者っていうのは全部どれくらいいるとかわかるの?」


「噂では6人って言われてるわ。けど人間側でも正体を明かしているのはたった1人なわけだしほとんどの魔王後継者が力を隠しているのよね。バレれば監視されたり戦争に使われたり良いことないし当たり前だけど」


「そっか……」


「だからその力、あんまり見せないようにね?試験で見せちゃったけどどうせわかるやつにしかわからないだろうし。使うにしても慎重に使うこと!」


「はぁ……わかったよ」


 この力のおかげで試験に突破できたわけだが……よくわからない力だしよっぽどのことがない限りこれに頼ることはないだろうな。使うとすればそれこそ命が危ない状況くらいかもしれない。


「話すことは話したわ。その力とどう向き合うか。それはアストが決めて。そ・れ・よ・り・も!」


 ベルベットは一気に空気を切り替える。重かった沈んだ空気を明るい空気へと一変させる。


「本当に試験突破おめでとー!はい、これアストが住むことになる寮の部屋の鍵ね。私が代わりに受け取っておいたの。部屋番号は450だから」


 僕の手にチャリ……と鍵が手渡される。あ、そうか。アーロインに入る生徒は全員寮に入る決まりだった。


「じゃあしばらくベルベットとはお別れになるんだね……」


「だーいじょうぶ!私、ここの先生になったから」


「はい????」


「先生になりたいなーってお願いしたら先生になっちゃった♪てへっ」


 ベルベットは自分の手をコツンと頭に当てて舌をペロッと出す謎ポーズ。非常に可愛いが言ってることはとんでもない。


 ベルベットはこう言っているが実はあの試験の後、ガレオスから「魔王後継者であるアストの面倒はお前が見ろ」ということで教師を無理やりやらされることになったというのが真実だ。




  ♦



 そんなこんなで医務室を出た。そして自分の荷物(ベルベットがまとめてくれていた)を持って向かった先は……


「ここが……今日から自分の部屋か」


 ベルベットが言うには今日から自分の部屋である450号室の前に立つ。鍵穴に受け取った鍵を入れ、回すと……


(鍵、開いてる……)


 なんと鍵が閉まっていなかった。不用心だなと思いつつドアを開ける。でもよく考えてみれば鍵が閉まっていないということは誰かが中にいるということだ。まさか空き巣…?学校の寮を!?


「お、お邪魔しま~す……」


 中に入って靴を脱ぐ。やはりと言ってか他の人の靴がある。それを見て僕は疑問を感じる。


(ん?女の人用の靴だ…)


 そこにあった靴はショートブーツ。レディースのシューズだった。


 これは余談だが魔法使いが履く靴も人間の物とは少しだけ違う。

 見た目はまったく同じなのだがこれも魔法道具の1つ。物によって色んな効果があったりして中には空を飛んだりできる物まであるとか。


 ちなみに見た目が人間の物と同じなのは魔法使いが人間の中に紛れる時に身に着けている物で怪しまれないため。

 魔法使いは他の魔人と違って人間と姿が同じなために潜入などといった仕事があるのだ。


 話を戻すがなぜレディースブーツを見て疑問を感じるのか。それはここが「魔法騎士用の寮」だからである。


 事前に調べていたから知っていることだけどアーロインの寮も「魔女」「魔工」「魔法騎士」で分けられている。コースが違う者同士で不都合があっては困るということで。まぁ他2コースの寮も目と鼻の先にあるんだけどね。


 そして重要なのは魔法騎士はほとんどが男で、女の魔法使いは何か特別な理由がない限りは魔女の方に行くということ。だからこそこのレディースシューズに疑問が生まれたのだ。

 しかし、それはまたすぐに1つの答えを導き出した。


(あ……まさか)


 僕は知っている。女で魔法騎士になりたいと受験してきた者を。1人だけ。

 僕は奥に進み扉を開く。答え合わせをするために。


「遅かったわね」


「やっぱり……カナリアさん」


 ブラウン色の髪にツンとした表情。備え付けられてある机の椅子に腰かけていたその女の子は試験の時と同じ軍服のような服を身に纏っている。

 やはり何度見ても容姿の可愛さと服のカッコよさが不思議とベストマッチしている。


「あんた『ファルス』だけ使ってなんで魔力欠乏なんか起こすのよ。どんだけ魔力少ないの」


「あはは……それは本当にね。なんでだろうね」


 これはよくわからないんだけど僕は他の魔人と比べて魔力が異常なほどに少ないらしい。ベルベットは理由を知っているみたいだけど聞いても教えてくれない。

 教えてくれないなら別にいいやと片付けておいた問題だったけど……やっぱり周りの目から見て明らかなほど少ないんだな。


「それより……カナリアさん―」


「そのカナリア『さん』ってのやめてくれない?なんか痒い」


 ギロリとこちらを睨んでくる。僕もこれから同じところで学ぶ同学年に対してできれば敬称はつけたくなかったのでちょうどよかった。


「じゃあ……カナリア。なんでカナリアがここにいるの?ここ、僕の部屋なんだけど」


「見てわかるでしょ。ほら」


 カナリアが顎をしゃくって備え付けてある家具類を示した。机、ベッド、クローゼット。それらはなぜか……2セットあった。

 しかも入って気づいたことだが寮の1部屋にしてはかなり広い。それはまるで……2人用を想定しているかのような。


「アーロインの寮は全部屋が相部屋なのよ。で、あたしとあんたが同じ部屋。以上」


「以上で済ませられないでしょこれは……」


「あたしだって嫌で抗議したけど『決まったことだから仕方ない』って言われたのよ……。ほんと試験でバハムート出したりメチャクチャだわここ」


 カナリアは嘆息する。すっごい嫌そうだ。それもそうだろう。男と女がこれから共同生活するのだ。普通に考えてうまくいくわけがない。


「………ちょっとシャワー浴びるわ。なんかこれからのこと考えたら疲れた」


「え!?なんで今から!?」


 わざわざ一番男女間で問題になりそうなことを僕がやってきて最初にやらなくてもいいでしょ!


「あんたが来る前にシャワー浴びるなんてそれこそアウトでしょ!何も知らなかったあんたと出てきた時に鉢合わせしたら……!!」


「ごめんなさい。どうぞごゆっくり……」


 それもそうだった。何も知らない僕がここに入ってきてシャワーから出てきたカナリアとバッタリ出会ったらそれこそ終わり。

 カナリアはそれを危惧して僕が来るまで我慢してたんだな。なんだか申し訳ない。


「わかってると思うけど覗いてきたら殺すから」


「そんな……これから同じ学び舎の仲間なんだから殺すなんて……」


「なに?それは覗く気があるってわけ?」


「ありません。絶対にここから動きません」


 カナリアはふんっと機嫌悪そうに部屋を出ていきシャワールームに入っていった。

 この間に自分の荷物を出しておこう。もうカナリアとの共同生活は回避できなさそうだ。なら早いとこ慣れるしかない。


 本棚も僕とカナリア用で2つ用意されていた。その内の1つはもう色々と本が置かれているので空いている方が僕のということだな。僕も自分の本を置こう。

 自分の本……というのは僕が気を失っている間にベルベットが用意してくれたであろうここの教科書。

 「魔法学」「魔人の歴史」「魔術演算」等々の魔人関係の授業の教科書だ。

 さらには人間の世界に溶け込むために人間が学んでいる「国語」「数学」「人間の歴史」等の授業の教科書もある。


 人間のことを学ぶのも魔法使いならではといったところだ。他の種族の魔人はここまで人間に溶け込んだことをやらないらしい。

 そもそも魔法使いは生活のほとんどを人間と同じにしていたりするのでさすがにやりすぎなくらいだが。

 実際、人間に親近感を湧きすぎて人間の世界で暮らしちゃってる魔法使いもいるみたいだし。


 今の時代では人間を見つけたらすぐに殺すなんて魔人は減ってきている。

 「攻撃してこなければこっちも攻撃しない」という考えの魔人が増えてきたのだ。

 それでも争いがあるということは……察してほしい。こっちにも、向こうにも、憎しみが強い人はたくさんいるってことだ。あくまで「減ってきている」という程度である。


「……あ、これ」


 自分の本を収納していく中でふとカナリアの方の本棚にもたれるように立てかけられていた……剣が目に入った。

 試験の時にも見た水色で綺麗な人魚の装飾が入ったレイピア。多分、水魔法の補助をしたりする魔法武器。それが気になった僕はカナリアの許可なく触ってしまう。


「すごく綺麗だな……」


 抜いてみると美術品のような美しさと武器としての危うさが融合していて言葉が出ないほどに目を奪われた。

 僕はまだ魔法が上手く使えないから魔法武器が必要という段階にすら入っていないため、持っていない。試験の時に使っていたのもただのロングソードだ。


(羨ましいなぁ。いつか僕もこんな魔法武器を持ってみたいよ……)


 僕の中で魔法武器を持つことは1つの夢みたいになっている。

 それはすなわち魔法が使えているということでもあるからだ。魔法騎士にとって魔法武器は自分の命の次に大事な物でもある。何を使うかは重要だ。


「って……命の次に大事なそれを勝手に持ったらダメじゃないか」


 僕はすぐにレイピアを収めて本棚に立てかけた。バレないように元の位置に。


「試験の時に剣は無くなっちゃったし代わりの剣も用意しとかないとだな」


 ベルベットの魔法で試験時の僕の様子を見せてもらった時、バハムートの攻撃を受けて剣をダメにしたのを知ったので新しい剣を手に入れておかなければと思った。

 でも前に使っていたのはベルベットに貰った物なのでまたお願いすればすぐに届きそうだしそこは心配しなくて大丈夫かな。


 自分の荷物を整理し終わって、一休みということでベッドに腰かける。ちなみにベッドも2セットとは言ったが…なんと2段ベッドである。


「なんか実感ないよな。僕があんな竜を倒したなんて。それにあの時に頭の中で響いた声はなんだったんだろうか……」


 僕にもう一度戦う力をくれた女の子の声。

 立って、前を向いて、決意しろ、そうすれば戦える、と僕を鼓舞してくれた。

 あの言葉がなければ立ち上がることなんて無理だった。不思議と力が湧いてきたんだよな。


「記憶が戻れば全部はっきりするのかな……」


 色んな疑問が湧いてはそれがわからないで終わるのはすごく気持ちが悪い。モヤモヤとしたのがどんどん残って溜まっていくようだ。

 それからベッドに寝っ転がって考え事をしていたのだが…そこで気になったことが1つ。


(カナリア遅いな……)


 荷物の整理が終わって考え事をしていても一向にシャワールームから帰ってこない。荷物を出していた時はシャワーの音が聴こえていたのだが今は聴こえてこないしもう浴び終わっているはずだ。

 様子を見に行こうかと思ったが……来たら殺すと言われているし動けない。こういう時にもしカナリアの身に何かあったらとか思って行こうとすると破滅を生む。どう考えたってシャワー浴びてるだけで危険なんかあるわけないんだし。


「……くしゅんっ!」


 ……。ん?今、くしゃみが聴こえてきたような。あー、待って。なんかわかった気がする。まさか…。

 僕は思い当たってカバンからゴソゴソとある物―「バスタオル」を取り出した。 扉を少しだけ開けてそれをシャワールームの前あたりにポイっと投げる。


 すると…シュバッ!!とそのバスタオルが中に吸い込まれていった。


 やっぱりか。カナリアはシャワー浴びたはいいがタオルを持っていくことを忘れていたんだな。ここに入って初日だから頭から抜けていたんだろう。無理もないけどバスタオルが無いならそう言えばいいのに。


 少ししてカナリアが部屋に入ってくる。水色で水玉模様のパジャマを身に纏っている。

 髪はまだ濡れていたがシャワーを浴びたというのに湯気は立っていない。本気で自然乾燥でもしようと考えていたのか。


「バスタオル、洗って返すわ」


「いいよ別に。新しいやつだからそのまま使いなよ」


 バスタオル1枚くらいどうってことない。これから一緒に生活するんだからタオル1枚絶対返せなんて意地の汚いことはしない。それに女の子が使ったやつなんて洗濯しても使いづらいよ……。


 カナリアは椅子に座って一息ついた。男の僕と2人で同じ部屋なのが落ち着かないのかどこかソワソワとしている。

 僕も同じだ。ベッドに寝っ転がったまま言葉が出ない。もうこのままずっと寝てしまおうかとも思う。


「……ねぇ」


「な、なに?」


 カナリアはこの静寂を破る。いったい何を聞いてくるのかと思えば……


「試験の時、あんた力を隠してたの?ブラックウルフ相手に手こずってたあんたと、バハムートを斧の一振りで倒したあんた。どっちが本当なの?」


「それは……」


 それは医務室でちょうどベルベットから聞かされたことに関することだ。

 「魔王の力」と呼ばれる魔法とは違う謎の力。これは誰にも気軽に言ったりするなとベルベットから言われている。


 このカナリアの反応から分かるようによっぽどの魔法使いでない限り僕が試験で使った力が「魔王の力」とは気づかないというのは本当のことなんだな。

 噂で知ってはいるけど魔王の力というものを見たことがないからわからないってことか。


「前者の方かな。僕、魔法をそこまで使える方じゃないし」


「……? あんた得意な魔法は?」


「『ファルス』かな」


「そういうことを聞いてるんじゃないわよ!そもそもそんな初歩魔法、得意不得意とかいう以前の問題よ!あんた得意なこと聞かれて『呼吸』って答えるの!?」


 うぅ…嵐のように責めたてられる。すごいブチギレてる……。


「得意魔法って聞かれたら普通は自分が使う『属性魔法』のことを言うでしょうが!」


「属性魔法……か」


 魔法使いが使う魔法は「無属性魔法」と「属性魔法」とに分けられる。


 「無属性魔法」とは努力次第で誰もが使えるシンプルな魔法のこと。

 例を挙げれば身体強化魔法『ファルス』、移動魔法『ラーゲ』とか。イメージとしては無色を想像してほしい。


 逆に「属性魔法」とは魔人が生まれながらに1種類だけ使える特別な魔法のこと。

 魔法には様々な属性がある。「炎」とか「水」とか「雷」とか。今挙げた3つ以外にもたくさん。

 そしてそれらのように属性が付与されている魔法は遺伝だったりで魔法使いによって使えるものが決まっている。

 イメージとしては魔法使いそれぞれに「色」があると思ってくれていい。


 カナリアは水魔法が得意だ。生まれた時から水魔法が得意で、これはカナリア・ロベリールという魔法使いは「水魔法が使える魔法使い」と最初から決まって生まれたからということ。

 このように生まれた時から自分が何の魔法が得意なのかははっきりとする。


 逆に言うと他の属性の魔法をカナリアは使えない。これは無属性魔法のように努力でどうにかなるものではない。


 さっきも言った通り魔人が使える魔法の属性は1つだけと決まっているからだ。


「と言っても……僕『ファルス』しか使えないしなぁ……」


 「属性魔法」……これもアストにとって憧れが強いものだ。それを手にすることこそが魔法使いたる証でもある。

 『ファルス』を初歩魔法とは言ったが魔法使いにとって本当のスタートラインとは自分の「属性魔法」をマスターすることなのだ。それをすることで初めて魔法使いを名乗れると言っていい。


「『ファルス』しか使えないって……。やけに連発してるなと思ってはいたけど……」


 カナリアは眩暈に襲われているような顔をする。そんな魔人見たことも聞いたこともないからだ。


 何度も言うが魔人にとって魔法とは「普通のこと」。誰もが持っている力なのだ。持っていない方がおかしい。


「じゃあその話はいいわ。あたしがもっと聞きたいのはバハムートを倒した時のこと!最後にあんたバハムートの魔力を吸収してなかった?」


 またもや魔王の力に関することだ。ベルベットはそれを「支配」と言っていた。僕の中にあるという魔王の力の1つ、「魔王の心臓」の能力であると。


 具体的にどういう効果があるか詳しくはベルベットにもわからないというので僕の口からは「伝えない」というより「伝えられない」というのが正しい。なにせ当の本人である僕がわかっていないのだから。


「あ~、ちなみに『相手の魔力を吸収する魔法』とかって……あるの?」


「そんなのない!聞いたこともない!両者の合意の下で魔力の受け渡しができる魔法があるにはあるけど、倒した相手の魔力を強制的に奪うなんて知らないわよ……」


 そうだったのか……。それなら尚更僕が怪しく映るわけだ。そんな見たことも聞いたこともないことを目の前でやったから。


「正直、答えられることなら答えたい。カナリアには試験とはいえブラックウルフの群れやバハムートから助けてくれた恩もあるし。けど、わからないんだ。自分にも」


「……自分でも制御できない魔法ってこと?」


 すごく察しが良い方なのかかなり核心に踏み込まれてる気がする。詳しくは魔法ではないけどその認識で間違いはない。僕は頷く。


「なるほど、ね。……まぁいいわ。なんにしてもあんたはバハムートを倒した。試験を突破した。それは事実。どうしてそんなに強いのかを聞きたかったんだけど……無理ってことね」


 カナリアはもう僕に興味を失くしたのか本棚から教科書を取り出して机に置き勉強を始めた。メガネまでかけて完全に勉強モードに入った。


「授業は明日からだよ?」


「予習よ。それくらい普通でしょ?」


 普通なんだ……。すごいな。まだ授業が始まってもないのにもう自習を開始してるなんて。勉強好きなのかな?


 また静かになった部屋。ただ今度はカリカリ……とシャーペンをノートの上に走らせる音だけが聴こえる。


 魔法使いなのにシャーペン?って思ったかもしれないがちゃんと魔法道具である特別なペンも存在している。むしろそっちが主流。


 しかしもう察していると思うがこれも人間の世界に溶け込むためのもの。あっちの世界でシャーペンの使い方もわからないと一発で人間ではないとバレてしまう。 だから魔人の中で魔法使いだけは幼少期から魔法道具以外に人間の道具の使い方も一緒に学んでいる。


「カナリアって努力家なんだね」


「いきなり何?」


「ブラックウルフの群れから助けてくれた時、すごいと思ったんだ。才能あるんだな…って。でも、才能だけじゃなかった。ちゃんと努力も皆よりしてるんだなって」


 僕が抱いていた気持ちを言葉にして吐き出すと……その時、シャーペンの芯がバキッと音を立てて折れた。カナリアの方を見ると唇を噛んで悔しそうな顔をしていた。


「……あの試験であたしは一番じゃなかった。あんたがそうだったでしょ?あたしは450ポイントで2位だったのよ」


 よ、450……!どれだけの魔物を狩ったらそんなポイントに達するんだ……!?

 ブラックウルフで言えば450体分だ!いや、その例えはなんかおかしいか。


「それでもすごいよ。そんなにポイント稼いでいたなんて……」


「でも、あなたはあのバハムートを倒した。あたしはあんたみたいに正面から立ち向かうことなんかできなかった。1回魔法を撃っただけで戦意喪失。それが2位よ。笑えるわ」


 まだその話続いてるのか。だからあれは僕の実力ってわけじゃないないんだけど……。

 どうやらカナリアはかなりこういったことを引きずるタイプみたいだ。


「バハムートってそんなにすごいの?」


「人間、魔人、魔物にはそれぞれE~A、そして最高ランクのSを入れた6段階レートが定められてるの。あんたが倒したのは試験用に弱められていたとしても推定BもしくはAはあるわ。この時点でベテランの魔法騎士でも単騎じゃなくてチームを組んだりしないと勝てないレベルよ。ちなみに試験用じゃなかったらSランクの魔物」


「ごめん。なんか色々難しすぎてよく分からなかった……」


「メッチャ強い。以上」


 カナリアは呆れながらまた机に向かう。もう話しかけるなってオーラがすごい。僕、敵視されてる…?


「僕もシャワー浴びてくるよ」


「……」


 無視された……。





 その後はお互い話すこともなく、僕はお先に眠ることにした。眠ってしまえば僕とカナリアは何も気にしなくて済む…し……zzz………zzz

 

 ピピピピ!!ピピピピ!!


「んん……ん?あ、朝か……」


 これは自分が7時にかけておいた目覚ましの音。8時から授業が始まるので僕はベッドから起き上がる。そこで気づいたが……


「カナリア……もう起きてたんだ?」


「1時間前くらいにわね」


 カナリアは僕より先に起きていて……しかもまた机に向かって予習していた。

 1時間くらい前ってことは6時に起きたのか。はやっ!ベルベットなんて昼まで寝てる時あるのに……。


「早起きできない魔法使いに優秀なのはいないわよ」


 あーあー。言われてるよベルベット。あ、ベルベットで思い出したけど……


「なんかよくわからないけど昨日から僕の師匠がここの先生になったらしいんだよね」


「ふーん。あんたの魔法の使えなさからその師匠の実力もたかが知れてるわね」


 あーあー。またまた言われてるよベルベット。


「ベルベット・ローゼンファリスって人なんだけど……知ってる?」


「へー、ベルベッ………ベ!?ベル…ベ、ベルベルベル!?!?」


「どしたの!?」


 カナリアは急にテンションがおかしくなった。まるで壊れた機械のよう。ベルベル言い出して気でも狂ったのかと思った。


「ベルベット・ローゼンファリス様っていえば魔法使い最強……いいや!魔人最強とも言われる存在なのよ!?あんた本当に間違ってないのそれ!?」


「う、うん……。名前一緒だし」


「同姓同名?でも他に同じ名前の魔人なんて聞いたことないし……。嘘でしょ……この学校にベルベット様が?」


 カナリアは目がグルグル回って興奮している。そんなにすごい存在だったのか。 確かにたまーに自分のことを「最強魔法使い」だとか「超すごい英雄」って言ってたけど全部嘘だと思ってスルーしてたよ。


「……ん?じゃあなんであんたは魔法使えないのよ。そんなすごい人が師匠にいて」


「それに関しては僕がダメなのかなぁ……。飲み込み悪いし」


「……とにかくこれはすごいことだわ。今日の授業が楽しみでたまらないわよ」


 すごく楽しそうだ。勉強を楽しめるなんて羨ましい。ベルベットの館でも勉強は教わっていたがそこまで楽しくなかったから自分はあまり気分が乗らない。


「朝食はどうする?授業が始まる前に各自で食べておかないと」


 アーロイン学院にちゃんと食堂はある。けど開放されるのは昼から。昼食と夕食の時のみにしか使えない。朝食はどこかで買って食べなければいけないのだ。学内に購買も存在するため心配はいらないが。


「もうあたしは食べたわ。冷蔵庫に食べきれなかった分のサンドイッチがあるから食べていいわよ」


 そう言われて備え付けられてある冷蔵庫を見ると……ある。サンドイッチが2つほど。タマゴとハムが挟んであるものだ。

 これは人間が作った物ではなくちゃんと魔人が作った物。魔人も食材を自分で手に入れて自分で製造しているのだ。

 

「あたしはもう行くわよ」


「あ!ちょっと待って!僕もすぐ準備するから」


 カナリアはカバンを持って出ようとする。僕はすぐにサンドイッチを食べると制服に着替える。


 青を基調としたブレザータイプの制服だ。

 ネクタイの色で学年が分けられていて1年は赤。2年は青。3年は緑だ。女子の方はリボンの色がさっきの通りに分けられている。


 僕とカナリアは部屋を出る。そこから校舎の方へ。

 校舎に着くと、入口の前では何やら集まりができていた。


「どうしたのかな?」


「クラス分けでしょ。能力が優秀な者から順に1組から3組に分けるのよ」


 クラス分け……か。僕はどこに入るんだろ。魔法がほとんど使えないからやはり3組?それとも試験の結果から見て1組?どうなっているのか気になる。


「あたしは確実に1組ね。むしろそれ以外が想像できないわ」


「そりゃそうだろうね。僕は不安しかないからちょっと確認してくるよ……」


 なんとか集団の中に入り込み、入口のところに貼りだされている紙を確認する。それを見ていくと……


『アスト・ローゼン 3組』


 と書かれていた。


「やっぱり3組なのか……」


 自分の無能さが最高の試験結果を覆すという最悪な内容だった。

 バカでかい竜を倒したとしても魔法が満足に使えないとはそれほどのことなのだ。この枷は大きいな。大きすぎる。


「あとは…カナリア………え!?」


 自分の名前だけでなくカナリアの名前も探してみた。本人は1組確定だろうと言っていたが………そこに書かれていたのは信じられない結果だった。


『カナリア・ロベリール 3組』


 そんなバカな。自分が3組というのは理解ができる。さすがに戦う術が無いに等しい自分が文句を言える立場ではない。

 だがカナリアは違う。魔法も使える。属性魔法である水魔法の威力も大したものだ。魔力の量だって同年代に比べたら多い方だろう。戦いのセンスも十分。試験結果も優秀。なのになぜ……?


「こんな結果、もしカナリアが見たら……ってうぉわっ!」


 カナリア、横にいた!!


 やはりなんだかんだ言ってもちょっと不安になったのかクラス分けを見に来ていた。

 しかし、結果を見て愕然としている。信じられないといった顔をして俯いているぞ。


「カナリア……えっと……」


「何かの間違い。そうでしょ?ねぇ……」


 間違い。そう言ってあげたい。けれど僕はこの真意を知らない。

 カナリアに何か問題があるのかもしれないし、本当に間違いなのかもしれない。今の僕にはなんとも言えない。


「とにかく……教室行こっか」


「………」


 カナリアは教室に着くまで俯いた顔を上げることはなかった。




  ♦




「そろそろ元気出しなよ……」


「あんたわかってないわね……3組って底辺なのよ?」


「始まったばかりなんだから気にしないでいいと思うけどなぁ……」


「あんたはそれでいいわよ。あたしがダメなわけ。ってかなんであたしの横に座ってんのよ。どこか別のとこ座りなさいよ」


 教室に着いて椅子に座ってからはずっとこの調子で僕が宥めて、カナリアがそれを否定しての繰り返しだ。


 アーロイン学院では基本的には席は決まっていない。長机と椅子がいくつも配置されていて好きなところに座っていいということになっている。人間の世界の「大学」という場所を真似ているのだそうだ。


 横に座るなとは言うが放っておいたら勝手に帰りだしそうな雰囲気を出しているので放っておけない。


「でも良かったね。これからある1限目の授業の『魔法学』、3組の担当教師は偶然にもベルベットだったし」


「それがなかったら今頃教室にはいなかったわよ……」


 人間の学校では「入学式」というものがあるらしいが魔法使いの学校にはそんなものはない。即授業だ。

 さらにここでは担任の教師というものはいないのでホームルームという活動も存在しない。

 基本的には生徒達が時間通りに自分の教室に行き授業を受ける。そこでは教科別に担当教師というものが設定されている。もちろん優秀な組には優秀な教師がつくことになっているのだ。


 ベルベットは実力こそ最強らしいけど教師としては新米なので一番弱い3組に配属されたと考えられる。この事実だけがカナリアを教室に引き留める1本の細い糸になっていた。


 頼むベルベット。ちゃんとした授業をやってくれ。そうじゃないとカナリアのメンタルは本格的にやられてしまいそうだ……!



 教室に3組の生徒達が全員が座り、始業時間が来る。……が、しかし。ベルベットはまだ来ない。


 (うぅ…予想通りだぁ……!!)


 ベルベットは何か用事がない限り昼くらいまで寝まくる。3度寝4度寝余裕だ。そしてベルベットは基本的に面倒くさいことは忘れて寝ることが多い。


 この2つから考えられることは……まだ寝ているということ!






~30分後~


「うぁ~い……おあよう~……」


 ガラガラと扉が開いてそこから超眠気眼でボサボサの髪にヨレヨレのトンガリ帽子を被った……というよりちょこんと乗っけただけのベルベットがのっそりと入ってきた。もうすでにダルそう。


「先生ってこんなにしんどい仕事だったの……?もう辞めたいんだけどぉ……。朝起きるの辛いよぉ……朝ごはんも食べてないし……」


 ベルベットは初日からもうグロッキーになっていた……ただ早起きするのが辛いというだけの理由で。

 どう考えても新米教師が口にする言葉ではない。あと朝食食べられなかったのは自分の寝坊のせいだ。


 まだベルベットが入ってくる前、周囲の生徒は期待していた。

 かの偉大な魔女が先生になるのかと。もしそうなら3組というハンデをもひっくり返せるのではないかと期待したのだ。

 これに関しては彼女の担当外になっている1組、2組の生徒の方が羨んでいたほどだ。

 

 だがどうだ。出てきたのは偉大な魔女とは到底思えない女。そんなものを見せられては期待が崩壊してしまうのも無理はない。


「おいおい……あれがベルベット様?」


「魔法使いの英雄が……えぇ……」


「そんな……誰かの間違いじゃないのか?」


 あぁ……教室に絶望が伝播していく。もうベルベットのことを英雄なんかと思っている生徒はいない。

 横にいるカナリアなんか開いた口が塞がっていない。顔が青ざめてガクガクと震えている。どうやらトドメをさしてしまったみたいだ。


「あっ!アスト~!」


 こっち見ないで……。恥ずかしいから。周りもこっちに注目してるし。

 ちゃんとしてる時に知り合いと思われるのは別にいいけど今のアレと知り合いと思われるのは絶対に嫌だ。


「ふっふっふ。よ~し!アストもいることだし。ちょっとカッコイイところ見せちゃおうかな……」


 ボソッととんでもない公私混同を口にしながらベルベットは教壇の前に立つ。もう誰もがあまり期待をしていない状況でベルベットが言ったことは……


「今日の魔法学は~うーんと……『ファルス』について教えよっか」


 身体強化魔法にして僕が唯一使える基礎の魔法の『ファルス』。それを教えると言い出した。


 魔法学とは魔法の知識を深めたり、強力な魔法を覚えたりといったまさに魔法についての授業。

 魔女コースに進んだ者、すなわち魔法で後方支援や戦闘を行う者にとってこの授業は最も重要なもの。

 アスト達は魔法騎士コースだが魔女と同じく魔法を戦闘に使う者でもあるためこの授業も必須となっている。もちろん魔女と魔法騎士では使う魔法が少々違うが。


「『ファルス』って……」


「初歩中の初歩じゃん……」


「何を今さら学ぶって言うんだよ」


 周りの言葉は厳しい。それは当たり前だ。

 さっき言った通り魔法使いにとって必須の授業。それはつまり皆がこれを必要と思って学びに来ている。それこそ何を学べるのか楽しみにしている生徒だって多い。

 そんな生徒に対して歩いたり息をするのと同じような初歩魔法について教えると言ってはさらに期待を落としてしまうことは想像に難くない。


(僕でも使える魔法っていうのはありがたいけどね。……まさかそれで?)


 アストはそんなことを考えてしまう。

 アストは『ファルス』以外の魔法が使えない。「=他の魔法の感覚がわからない」ということでもある。基礎を応用した魔法を教えられても基礎がそもそもわからないのだ。

 だからアストはこの魔法学においてそれこそ絶望的なハンデを背負っているのだが『ファルス』となれば話は別だ。ベルベットがそこに気を遣ったのではと。


「誰か『ファルス』について説明してくれる?え~っと……じゃあそこのアストの横に座っている子。お願い」


 ベルベットは復習のように魔法の説明を生徒にお願いした。当てられたのは僕の横にいるカナリア。

 なんかまた僕の名前が出て来たけどこの先生ほんと公私分けなさすぎでしょ。さっきから僕の名前ばっかり出てきているじゃないか。


 カナリアは初歩魔法の説明ということで呆れつつも仕方なく立ち上がる。周りの生徒はここでまたザワザワと騒ぎだす。

 なんで?と思ったけど……そうか。そもそも魔法騎士では女子は少ないんだった。


「『ファルス』は魔法使いにとって初歩となる身体強化魔法。魔力を放出して自分の体の一部分に集中させることでその部位の力や耐久力を上げることができます。使い慣れた魔法使いなら一部分ではなく体全体を対象にして発動もでき、現代の人間との戦闘においてはそのレベルでの練度が必須となっています。また、さらに練度を上げれば持続時間や強化量が向上したりといった効果が見られます」


 まさに教科書通りの満点回答だ。今ちょっと教科書を覗いてみたがその通りに書かれてある。


 魔人は魔法が使えるとはいえ人間よりも身体能力は高い。だが魔法使いだけはその例外で人間と比べてもあまり変わらない身体能力なのだ。

 それどころか魔法に甘えてしまって魔女なんかは人間よりもその面は劣っていると言っていい。『ファルス』の熟練が必須となっているのはそういう理由からだ。


「うんうん合ってる。合ってるんだけど~ブブー!!ちょっとだけ違いま~す」


 ベルベットは子供みたいに両手で×を作ってカナリアをバカにしていた。メチャクチャイラっとする顔だ。あ、今カナリアちょっと舌打ちした。


「『ファルス』は身体強化魔法じゃなくて、強化魔法なの」


「? それのどこに違いが?」


 カナリアはムッとなって反論する。でも確かにそうだ。何が違うんだ?ただ「身体」というワードを抜いただけだ。

 ベルベットはカナリアの言葉を聞き、フフン♪と得意気になる。


「別に自分の体を対象にしなくても使えるってことよ。例えば……無生物にも使える」


「無生物に?いったい何のこと……」


「見せてあげるわ。……『ファルス』」


 ベルベットは自分の体に『ファルス』を発動。そして……


「とー!ベルベットチョーップ!!」


 自分の目の前にある教卓に向かって手刀を振り下ろす。

 ズドーン!!と教卓は真っ二つどころか粉々に粉砕された。

 これはベルベットが自分の体の力を強化した結果だ。耐久力も上がっているので怪我も負っていない。


「と、まぁこれが皆知ってる『ファルス』の使い方。親や師匠からもそう教わっていると思う。けれど真実はそうじゃない」


 ベルベットは粉々になった教卓の破片をトン、トンと指でつつく。次の瞬間にはその教卓の破片達が勝手に合わさっていき、元通りに直ってしまった。


「え……何今の魔法……」


 カナリアや他の生徒達はその魔法自体に驚いていたがベルベットはその生徒達の反応に構わず話を進める。


「本題はここから。『ファルス』」


 今度は教卓に手を添えて発動。光の粒子が教卓の周りを走る。これは『ファルス』が教卓にかかった証拠だ。この時点で生徒達から声が上がる。


「そして自分にも……『ファルス』。アーンド、ベルベットチョーップ2発目!」


 自分の体にも使い、またもや手刀を振り下ろす。しかもさっきよりも振りかぶりながら……!


 ゴオォォォーン!!とハンマーでも振り下ろした音が教室中に響き渡る。若干グラグラと揺れたような気もした。だが……!


「壊れて……ない……」


 カナリアはその光景を見て声が出てしまう。

 なんとさっきよりも明らかに威力が強かったベルベットの手刀を教卓はしっかりと耐えていた。それどころか傷一つついていない。


「これでわかったでしょ?皆は『ファルス』を自分の身体限定だと思っているからこういう使い方は知らなかったんじゃない?この魔法は物体の耐久度を上げることもできるの」


 魔法にもちゃんと覚え方が存在する。魔力を纏うことを「『鎧を着ている』とイメージする」という風に。

 『ファルス』を覚える際は「力を振り絞るのをイメージする」だ。でも、そう言われれば「この魔法は自分の体に使う魔法なんだ」と考えるのは当たり前。さっきベルベットが見せた効果に気づくことは難しい。


「教科書にもこれは『身体強化魔法』と書かれている。それはなぜか?……その方が覚えやすいからよ。魔法はイメージが大事。それが全てと言っていい。だからこそ覚えやすさを重視しすぎて本来の効果はとうの昔に葬られてしまったの」


 自分の体を強化する魔法と思えばイメージはとても簡単だ。その簡単さこそ『ファルス』が初歩魔法とされる理由でもあるわけだが。


 けれど物に対しても効果があると言われるとまったくイメージが違ってくる。「力を振り絞る」という風には考えられない。

 ゆえにこの魔法自体の難度が増してくるわけだ。だが身体能力強化は誰もが使えないと人間との戦闘に困るもの。


 では、どうするか?


 今ベルベットが言ったような「物に対しても有効」という情報を消し去った。

 あくまで『ファルス』という魔法は自分の体を強くするものだよと教えることで全体の早期習得を目指したのだ。そしてそれは見事に成功した。


(代わりに有能性を切り捨てて……!)


「今では『ファルス』は初歩魔法とされているけど昔はそうじゃなかったのよ?今あなた達を教えている教師の中にそれを知っている人がどれくらいいるのか知らないけど」


 時代が進むことで効率化され、失うものもある。ベルベットはそう言った。そしてそれは「魔法」という分野にとって象徴されるものでもあった。


「『ファルス』だけじゃない。あなた達が知っている魔法の常識の多くは間違った知識で固められている。全部そっちの方が効率が良いという理由で。魔法の可能性の多くを切り捨てて習得だけを考えてしまった代償よ。私の授業ではそれを正してあげる」


 ベルベットがそう言い放つと生徒達は歓喜の声を上げた。一気にベルベットを見る目が変わる。


 「胡散臭い大魔法使い」から「正真正銘の偉大な魔法使い」へと……!


「知らなかったわ……全然、そんなこと……」


 カナリアは力が抜けたように椅子に座る。

 突きつけられた真実に震えていた。自分が気にする必要もないと断じていた初歩魔法にそんな効果が隠れていたのかと。

 人間の言葉には「目から鱗が落ちる」という言葉があるらしいが……まさに今のカナリアを表すに相応しかった。


「ベルベットって……本当にすごかったんだな」


 僕は歓声に包まれているベルベットを見る。ベルベットはそれに気づくとパチン!とウインクを飛ばしてきた。それで一瞬ドキッとしてしまった。






~休み時間~


「すごかったね……ベルベットの授業は」


「すごいなんてもんじゃないわよあれは。知ってる魔法の深さが別格よ。魔法という物を知り尽くしてる……」


 魔女というのは魔法で戦う者という姿の他には魔法を創り、魔法を研究する者の姿もある。ベルベットが魔法についてよく知っているのは当たり前のことだった。


 けれど授業で話された内容は現代の魔女では知ることのないこと。

繰り返された改善によって葬られた魔法の真価。それをベルベットは生徒に明かしたのだ。


「常識がひっくり返されたわ。そもそも物体の強度を上げる魔法自体が他に存在してるのよ?それが『ファルス』だけで良かったなんて……」


「へー。でも、『ファルス』しか使えない僕にとっては貴重な情報だったよ。魔法武器も持ってないから戦ってると頻繁に自分の武器が壊れるしさ」


 魔法武器は通常の武器よりも壊れにくい。それを持っていない自分が使っているのは普通の剣だ。試験の時もそうだったがよく自分の武器を壊してしまう。


「とにかくクズの3組でもこんな授業が受けられるなんて最高だわ」


「クズって言わないでよ……」


 僕がカナリアの言葉に肩を落としていると……


「ア~ストっ!」


「あ、噂をすれば…」


 ひょっこりとベルベットが現れてこっちに近寄ってきた。超眩しい笑顔で。


「どうだった?ねぇどうだった?私の授業は」


「すごかったよ。さすがベルベット。とってもかっこよかった」


「きゃ~!嬉しー!教師やって良かった~!!」


 褒めてあげるとベルベットは感涙を流しながら眩しい笑顔になった。なんだその顔は。

 本当は最後に「いつもと大違いだよ」って付け加えたかったけどこういう時くらいは褒めるだけにしておこう。頑張ったご褒美は大事だ。………師匠と弟子の立ち位置が逆な気がするけど。


「先生がまだこんなところにいてもいいの?」


「担当がこの組だけだから暇なのよ。今日は1限だけしか入ってなかったし」


 逆に1限だけしか入ってなかったのに最初から頑張ることはできなかったのか?というツッコミはしないでおいた。た、耐えろ僕。ここでツッコんだら拗ねて明日から来なくなりそうだから。


「あ、あのっ!」


「……ん?」


 カナリアはベルベットを見ると挙動不審に立ち上がる。緊張しているのか体はガチガチだ。


「か、かかか、カナリア・ロベリールと言います!さっきの授業素晴らしかったです!」


 あれ…僕の時と全然態度違くない?僕の時なんかいつもゴミを見る目なのに……。


「カ・カカカ・カナリア・ロベリール?ぷっ、変な名前」


「い、いえ!カナリア・ロベリールです!」


 カナリアは緊張で噛みまくったのを恥ずかしがりながら訂正した。ベルベットは絶対わざとだな。そんな名前いるわけないでしょ……。


「ロベリール……。へ~、なるほどね」


 ベルベットはカナリアの家の名を聞くとなぜか面白い物を見たような顔をする。なんだ…?


「水魔法が得意で……その……水魔法について教えてほしいんですけどお昼休みとか……時間は大丈夫でしょうか?」


「うぇ……もうこの後は1日中寝ようと思ってたのに……」


 カナリアは授業前の暗い顔から一転、キラキラと輝いていたが今度はベルベットが吐き気でも来たのかという顔をする。

 しかもカナリアには聞こえないほどの小さい声でなんか言ってるし。起きてからまだ30分くらいしか経ってないよね……?


「カナリアは僕の友達なんだ。僕からもお願い」


「は?いつあたしがあんたの友達になったのよ。気持ち悪いこと言わないで」


 加勢してあげたら背後から言葉の棘で思い切り刺された。僕何か悪いことした?まさかまだ試験で1位になったことを根に持ってる?


「……別に教えてもいいけどあなたの実力がどれくらいかわからないからそれを見てからね。じゃあお昼空けとくから。……はぁ」


 しっかり最後に溜息をつくあたりマジで働くの嫌だったんだな。今すぐにでもベッドに突撃したそうだ。






   ♦



 ってことで昼休み。




「さて……どうしよっかな~」


 魔法の演習などに使う広い部屋を1つ借りて僕達は集まった。僕までついてきたのはただ単純に気になったからだ。

 カナリアの実力を見るとは言ったもののこれからどうするのか。もし模擬戦などを行うのならそれを見るだけでも自分にとっては貴重な経験になるだろう。


「じゃあ今から軽く魔法でも撃ち合ってみよっか。お互いに魔法を当てての力比べ」


 ベルベットが提案したのは魔法使いがよくやる1発勝負のようなもの。

 お互いに攻撃魔法を1つだけ放ち、それをぶつける。その勝負ではもちろん強い魔法の方が相手の魔法を突き破る。



 ここで重要なポイントは2つ。「どれくらいの強さの魔法を使うか」と「自分と相手の属性魔法の相性」だ。



 魔法にも強さは存在していて「上位魔法」というものがある。

 試験の時に使ったカナリアの魔法で言えば多数の水の弾を撃ちだす『ウォーターハウル』よりも地面から激しい水柱を出す『ウォーターガイザー』の方が威力は上である。

 ここではお互いに魔法をぶつけるのが目的なので下から攻撃する『ウォーターガイザー』は使えないのだが……普通に考えて自分が持っている中で一番強い魔法選べばいいじゃないかという考えが出ると思うが実はそうではない。


 「詠唱」という存在が問題になってくるのだ。


 簡単な魔法なら詠唱なんかは存在しないが魔法は上位になればなるほど基本的には詠唱が長くなる。

 『ウォーターハウル』は3節で、『ウォーターガイザー』は5節といった風に。


 この勝負は魔法の早撃ちという面もあり基本的に相手の詠唱は待たない。「より早く強い魔法を撃った方が有利」なのだ。

 だから詠唱が長い魔法は強いのだが詠唱途中で相手の魔法が当たる可能性があるので選びづらい。




 次に属性の相性。実はこれが一番重要と言ってもいい。


 属性魔法には相性がある。順序で言えば相性があるからこそ属性魔法という名前がついた。


 誰でもわかると思うが炎魔法は水魔法に弱い。威力が半減以下になったりしてしまう。実際に上位の炎魔法でも威力が劣る水魔法に破られたりすることもあるのだ。


 戦う相手が使う魔法はどんな属性なのか。非常に大切な情報だ。これを知っているか知っていないかでこの勝負は大きく差が出る。


 「無属性魔法の攻撃魔法」というのも存在するので相手が自分に有利な属性魔法を有していた場合はそっちで勝負するのが得策だったりする。

 しかし無属性魔法の威力は属性魔法に劣るので不利な面が少し減るだけだが。


 あらかた今からやる勝負のセオリーを紹介したのだが……そこでベルベットが放った言葉は衝撃的なものだった。


「あなた、水魔法が使えるのよね?じゃあ炎魔法で相手してあげよっか」


「………え?」


 炎魔法は水魔法相手に弱い。それはみずから勝負を不利にするようなこと。だが、それ以上にとんでもないことを次に言い放った。


「ベルベット様が使える属性魔法は炎魔法なんですか?」


「ううん。炎魔法も使えるってだけよ」


「それって……ど、どういう……?」




「私、属性魔法は複数使えるから」




 魔人が使える属性魔法は1つだけ。そして何が使えるかは生まれた時から決まっている。魔人にとっては絶対のルール。

 ベルベットが言ったのはそのルールを根本から破壊するものだ。複数の属性魔法が使える……?


「え……え!?あ……まさか、それも今の魔法使いが知らないことなんですか!?元々魔法使いは属性魔法を複数使えるものだったみたいな……!」


 またもやベルベットが話した驚愕の真実にカナリアは期待の声を上げるが……


「それは違う。私がちょっと特別なだけだから♪」


 なんか笑顔ですごいこと言い出したぞ。自分で特別とか言わないでよ……。


「もしかして最初から複数使えてたんですか?」


「最初は1つしか使えなかったけど……色々とね。世の中知らない方が良いこともあるわよ?」


 その時、一瞬だけゾッとする笑顔を向けてきた。それ以上聞かない方がいいよと言うように。それでカナリアは口を閉じる。


「じゃあ……やろっか」


 ベルベットは虚空から杖をポン♪と出す。カナリアもそれに合わせて杖の代用品となる魔法武器のレイピアを抜いた。


「合図、お願いしていい?」


 カナリアは僕の方を見て勝負の合図をお願いしてきた。カナリアとベルベット以外にここにいるのは僕だけだし……仕方ないか。


「えっと、勝負……始め!」


 その瞬間、勝負の火蓋が切って落とされる。


「水の精よ力を与えたまえ 敵を討つ矢となりて 放たれよ水の連弾 『ウォーターハウル』!」


 カナリアが選んだのは試験で使った『ウォーターハウル』。


 しかし、今回は多数の水の弾ではなく、一発のデカイ弾だった。大きさは体1つを丸々覆うことができるくらい。こんな使い方もできるのか……!


 ちなみに『ウォーターハウル』は水魔法の中でもそこそこの強さの魔法である。わかりやすく10段階で言うとすると……3くらい。

 3と聞くと弱いと思われるかもしれないがこの戦いにおいてそのあたりの強さの魔法がちょうどいいのだ。詠唱も少なくて済むからすぐに撃てる。


 対するベルベットが使ったのは……


「炎よ出でよ 『ファイアーボール』」


 ベルベットがかざした手から魔法陣が現れ、そこからボッ…!っと拳ほどのサイズの小さな火の弾が出てくる。


 使った炎魔法は『ファイアーボール』という魔法。

 詠唱の少なさからわかると思うが……最底辺炎魔法だ。10段階で言うなら威力は文句なしの1。炎魔法では基本中の基本のものである。


 ただでさえ相手は水魔法で威力が弱まるのになぜそんな弱い魔法を…?と、思ったのだが……


「え!?」


 そこにあった光景は信じられないものだった。


 ぶつかる小さな炎の弾と大きな水の弾。しかし、水の弾は……



 ジュウウウゥゥゥゥゥゥ…!!!!



 と音を出して蒸発していく。

 火の弾が水の弾の中を抉っていくかのように中へ中へと進んでいき……貫通した!!それと同時に水の弾は崩壊し完全に蒸発して霧散する。


 火の弾はカナリアに向かって突き進む。さっきの光景が信じられなくて立ち尽くしたままのカナリアは回避が遅れる。


 このままじゃ……魔法が当たる!


 僕がそう思った時、ベルベットはパチン!と指を鳴らした。

 すると火の弾はカナリアの前から一瞬にして消え失せる。ベルベットが魔法を解除したのだ。


「……筋はいいよ。でも、もうちょっとかな」


「—ッ!」


 圧倒的な力の差を見せられカナリアは悔しそうな顔をする。

 仕方ない。それほどの差だった。本来有利である水魔法を使い、さらには威力はこっちの方が上だったのだ。それなのに負けたということは……


 魔法使いとしての力量や魔力があまりに違いすぎる。


 それを突きつけられたカナリアは自信を消失してしまう。カナリアは同年代の魔法使いの中でも強い方だ。それこそ試験結果がそれを語っている。


 だがそれはあくまで同年代の中では、だ。魔法使いの中で言えばまだまだ話にならない。なんせ僕達はまだ学生なのだから。プロには敵わない。

 そんなことは当然。でもそんな当然のことでもカナリアにとっては悔しいことだった。


「もっと強くなった時に色々教えてあげる。今は急ぎすぎずにちゃんと力をつけること。わかった?」


「……はい。ありがとうございました」


 ベルベットは僕にバイバ~イと手を振りながらこの部屋を去っていった。

 カナリアは立ったまま無言でずっと悔しそうにしている。僕は何も言えない。すごく気まずいし僕がいればより惨めになってしまう。だから僕もすぐに部屋を出ることにした。


 カナリアがこの部屋を出たのは、それからかなり後のことだった……。




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