第1話 王の誕生
「フッ!……フッ!」
広大な草原の中で少年が1人。少年は木剣を振っていた。それは日々の鍛錬の1つでありこの少年は体を鍛えているのだ。
その鍛錬のおかげか体はかなり鍛えられている。ただ少年はかなり細身なので服を着ればかなり痩せて見える。ゴツゴツとした印象はまったくない。この少年が童顔なのもそれの一助になっているのかもしれない。少年自身はそれに悩んでいるのだが。
「よし!今日の分は終了!」
少年が毎日鍛錬をすることには理由があった。
一番大きな理由は生きるため。今の世界はかなり物騒で「人間」と「魔人」という種族間での争いが絶えないと聞く。自分の身は自分で守れるようにならないとダメなのだ。
「さて、そろそろ帰らなきゃな」
少年は木剣を持って帰路につこうとした。
自分の師匠にあたるあの人が心配しているかもしれない。前に鍛錬に集中しすぎてずっと家に帰らずやってたらわざわざ探しに来たこともあったし。
「アスト。もう終わった?」
「あ……ベルベット」
と思ったらその本人の声が背後からかけられる。後ろを振り向くと自分の師匠である「ベルベット・ローゼンファリス」がいた。
大人の落ち着いた雰囲気がありつつもどこか少女のような無垢な可愛さを持つ女性。見た目は自分と同じ16歳か少し下くらいに見えるのだが本人はもう数百年は生きていると言っている。今でもそれは信じられない。
毛先にウェーブがかかっていてフワフワとした金髪は綺麗で手入れが行き届いているのか芸術品のようだ。朝日に照らされてより綺麗に見える。
発育は……うん。それでも胸は服の上からでもしっかりと……ゴホン。師匠に性的な目線を向けるのはこれくらいにしておこう。
僕とベルベットの出会いは2年前。僕が記憶を失って倒れていたところを助けてくれたんだ。
そして教えてくれた。この世界のことや生き延びる術を。
魔法と呼ばれる力のこと、自分達魔人の敵である人間のこと。それを聞いた僕は魔人の中でも「魔法使い」という一族にいるベルベットの教えの下で魔法を習得しようとしているのだ。
しかし、僕に素質がないのか……二年経った今でも魔法はほとんど使えない。
「アスト、この後は家で魔法の練習よ。大丈夫?」
「まだまだいけるよ。早く色んな魔法が使えるようになりたいしね」
僕とベルベットは家に帰る。家に帰ると言ってもスタスタと歩いていくわけじゃない。ベルベットは魔法使い……魔女なんだ。
「『ラーゲ』」
ベルベットは一言そう呟く。すると僕とベルベットの周りに幾何学模様のサークルがいくつも浮かび上がった。
これは「魔法陣」と呼ばれるもので魔法を使う際に発現するもの。主に魔法の座標などを決める役割を持つ。
魔法陣から光が発せられ、その眩い光に思わず目を閉じた。
そして目を開けると……場所は草原から一気に屋内へと変わっている。ここはベルベットの館。つまりワープしたのだ。
移動魔法『ラーゲ』。効果は対象物の転移。対象物の数や規模を魔法陣で認識し、それをあらかじめ設定してある場所に瞬時に移動させる魔法だ。
これは誰でも使えるような魔法ではなくかなり難しい魔法。僕には使えない。
「ん~!ただいま、と♪」
家に戻るとベルベットは伸びをする。
女性が伸びをすると目のやり場に困る。僕は目を逸らして見ないようにする。胸とかそういうのをガン見なんてしてたらさすがにヤバイ。
家に戻るとすぐベルベットの前にメイドの姿をしている女性が出てきた。
「お帰りなさいませベルベット様」
「ただいまキリ。今は…9時か。昼食は2時間後に取るわ。その時に用意して」
「かしこまりました」
この人は「キリール・ストランカ」。ここ、ベルベットの館のメイドをやっている人だ。
キリールさんもかなり実力のある魔法使いだとベルベットから聞いている。実際、僕はたまにこの人からも魔法、それ以外にも剣術なんかを教わったりしているのだ。
メイド、でわかると思うがベルベットの館は豪邸みたいにデカイ家。執事やメイドなどの従者もキリールさんだけじゃなくてたくさんいる。
「キリールさん。僕も何か仕事を手伝った方が良いですか?」
僕はベルベットの弟子…ということになっているが拾ってくれた身分のためここの従者と同じような扱いでもある。さすがに拾ってくれたのに僕がキリールさん達をこき使うのはおかしい。ちゃんと働かなければ。
「貴方はこれから魔法の練習なのでしょう?なら仕事を手伝ってくれなくても結構です」
「でも…」
僕がまだごねているとキリールさんはチラリと僕の横―ベルベットを見る。僕もベルベットの方を見ると…
「………」
「あ……ごめん」
ベルベットは頬をプクーッと膨らませてツーンとしていた。今から魔法の修行だというのに僕がそっちのけで仕事の方へと行こうとしたのがよほどショックだったのか……。
「仕事を気にする余裕があるなら魔法を少しでも使えるようになってください。貴方はまだ『ファルス』しか使えないのですから」
「うっ…そ、それは……」
『ファルス』。それは魔法使いが最初に覚える初歩魔法の1つ。効果は「一時的な身体能力の上昇」。
これを使えばまったく鍛えていない女性でも屈強な男性を軽々と吹っ飛ばせるほどに力が強くなる。故に魔法使いにとっての力比べとはこの魔法の練度比べのところが大きい。
アストは2年間も魔法の修行をしているがまだこの魔法しか習得できていない。……というのも自分の中にある魔力をなぜか上手く使えないのだ。
(「魔人」ならば魔力の使用なんて息をするのと同じくらい簡単なはずなのになぁ…。記憶と一緒に魔力の使い方まで忘れちゃったのかな?)
「せめて魔力を纏うくらいはやってください。それができなければ戦闘すらままなりません」
「は、はい…」
魔人は基本的に戦闘時には魔力をその身に纏って戦う。魔力を纏うことで軽い防御になるのだ。
軽い、と言ってもそれは魔人にとっての話。人間にとってはこれは鎧に等しい防御力になる。
その魔人の魔力の多さや強さによるのだが平均的な魔人の魔力でも通常の剣や銃弾はまず通さない。これは人間にとって非常に厄介なものなのだ。
逆に言えばこれができないということは人間とほとんど変わらないということでもある。僕は記憶を失っているのだが魔人であるはずなのにそれができないことが少し恥ずかしくもあった。
「そう言わなくてもいいじゃないキリ。いずれ私がアストを最強の魔法使いにしてあげるわよ」
ベルベットは自分の胸をドンと叩きながら胸を張る。ベルベットはアストの方を見るとパチンとウインクを飛ばした。
「2年経って赤ん坊レベルのこの程度では偉大な魔法使いになっている頃にはアストさんはくたばっていますよ」
「うぐぐ……言うじゃないキリ」
キリールの冷静な言葉にベルベットは言葉を失う。
ベルベットは魔法使いの中でも最強の部類に入る。そこで弟子になっているのに2年で赤ちゃんレベルにしか育っていないとなると自信が揺らぐことでもあった。ベルベットは若干ショボーンとしている。
「くたばるだなんてそんな…。魔人は人間の何倍も長く生きるんですから。さすがに僕も何百年か学んでいれば立派な魔法使いになれますよ!」
プライドを従者にへし折られるという一番痛烈な展開に晒される師匠を助けようと弟子の自分が前に出る。
人間は平均して80年ほどしか生きられない。だが魔人は何百何千と生きるのだ。2年くらいどうってことない。
「………そうですね」
「あ、ああ……うん」
ベルベットを励ますつもりでいたのだがどうにも微妙な反応だ。まぁいいや。僕だってずっと初歩で止まっているつもりはないんだから。
「いつもの部屋で魔法を練習するんだよね?先に行ってるね!」
「わかった……すぐ行くわ」
魔法を練習するための専用の広い部屋がベルベットの館にはある。そこをいつも使っているのでアストは迷わずにその部屋へ向かうことができる。
アストが走ってベルベット達から離れていく。もう見えなくなったところでキリールはベルベットに話しかける。
「ベルベット様。まだ話していないのですか?アストさんが『人間』であるということを。もう2年ですよ?」
「話してないわ。ここにいる間は魔人として育てるって決めてるもの」
「よく2年の間に記憶を取り戻さなかったですね。取り戻せば即アウトです。アストさんは元々魔人を討つ一族『ハンター』。ここの場所を人間にバラされれば一網打尽ですよ?」
キリールの意見は正しい。アストは人間。記憶を失っているのをいいことに「あなたは魔人なんだよ」と言って魔法使いに育てようとしているのだ。もし記憶を取り戻せば魔人を討つ一族としての力や仲間を思い出しベルベット達にも牙を立てるかもしれない。
「そのことだけど。アストの記憶喪失は衝撃なんかじゃなくどうやら何者かによって封をされてるような状態なのよね」
「魔法……ですか?」
「いや、魔力は感じなかったけど……おそらく人間側の力か、未知の何かか……」
魔人が「魔法」を使うように人間にも「異能」と呼ばれる力がある。そのことについてはまだ魔人側が解明できていないことが多いので語ることはできないけれども魔法と同じく超常的なことを起こせるのは確かだ。
「つまりアストさんが記憶を失っている原因は人間の方にあったということですか」
「そういうこと。人間側に帰ることも難しいかもね。だから私が面倒見てあげてるのよ!」
「そんなこと言ってベルベット様がアストさんを気に入っているだけじゃないですか?」
「そーとも言うー」
ベルベットは子供みたいにそっぽを向いた。
最初は人間の子に魔法を、と面白がっていたこともあったが……時間とは恐ろしい。アストにどんどん愛着が湧いてきてしまったのだ。
アストの昔の性格は知らないがとにかく今のアストは無垢で可愛かった。
笑顔で用事についてくる時は子犬に見えるし、他の従者のように自分のことを「様付け」で呼ばない。そのおかげでとても話しやすいしよく話し相手にもなってくれる。
魔法が中々成長しないのは「人間」であるというのが一番大きい理由だが、もしかしたら大事に大事にと優しく扱っているせいもあるのかもしれない。
「ですがそろそろアストさんも『学院』に行かせるのでしょう?甘くやっていては……冗談抜きで死にますよ?」
「わ~かってるわよ」
ベルベットは手をヒラヒラと振ってキリールと別れた。
♦
「アスト、集中して。『ファルス』が使えるってことはちゃんと魔法は使えてるってことなの。なら魔力を纏うことは簡単よ」
「うん……」
僕は目を閉じて体内にある魔力を感じ取ろうとする。魔力を纏うには自分の持つ魔力の存在をしっかりと感じ取らなければできない。僕はこれが大の苦手で1年くらいここでストップしている。
心を落ち着けて…感じ取る。けれど、何もわからない。
「『ファルス』を使う時は力を振り絞るイメージのはず。魔法にとってイメージはとても大切なものなの。……鎧をイメージして。盾ではなくて、鎧。身に纏うイメージ」
「………」
う~ん。鎧をイメージしているけど……ダメだ。そもそも鎧なんて着たことないし。
「ダメ?」
「……うん。ごめん」
「謝らなくたっていいのよ。自分のペースで強くなればいいんだから」
ベルベットはニコニコとしている。でも急がなくてはいけない理由があった。
「もう少しで『学院』に行くんだよね?それなのに魔力を纏うことすらできないなんて……」
「アスト……」
実は魔人の中でも「魔法使い」だけには育成機関がある。普通はそんな余裕はあり得ないことだ。そもそも魔人は人間から隠れて生きているのだから。
しかし、「隠れる」という意味が少し違う。魔人は何もコソコソと人気のないところで暮らしているわけではない。……「結界」を張っているのだ。
「結界」はその中にあるものに魔法的効果を及ぼす。魔法使い達は自分の国を覆うほどに大きい規模の「隠蔽効果」のある結界を張っている。
「隠蔽効果」の結界はその範囲内のものを人間から認識されないようにする効果がある。それを使って1つの国ほどの生活圏を確保できているのだ。
そしてそれが魔法使いだけが住んでいる国で、そこは「マナダルシア」と他の魔人から呼ばれている。
話を戻すがその養成機関には将来優秀な魔法使いになるために魔人の少年少女が通うのだ。アストは近日中にそこに通うことになる。近々ある入学試験に突破できればの話だが。
「魔力を纏えなくたって入学試験なんかアストなら楽勝よ楽勝!」
「えぇ…」
ベルベットは楽観視すぎる言葉をかけてくる。けれど、それはすぐに自分を元気づけようとしている言葉なのだとわかった。
いくら学校に通う魔法使いの卵だって魔力を纏うことくらい朝飯前だし、なんならそれぞれ得意な特別な魔法だって持っている。そう考えるだけで……僕は焦ってしまう。
「ともかく試験の日まで練習あるのみ!」
「そうだね。やれることをやるだけだ」
それからいつもの通りに魔法の練習……というか魔力の扱い方の練習を続けた。
~数日後~
「準備は済ませた?」
「うん。役に立つかわからないけど……剣。お金も持った。後の荷物は試験に受かったら運ぶよ」
これから行く魔法使い養成学校である「アーロイン学院」では生徒は寮に住むことになる。それでも試験に受かる前から自分の荷物をあれこれと持ち運ぶわけにはいかないため必要最小限だ。
しかし、お金は持っておかなければならない。この魔法使いの国「マナダルシア」には店もたくさんある。
魔人と言えど生活は人間に似ているところが多い。魔法使いは魔人の中では人間に最も近いせいか生活の様子がとても似ている。魔法があるおかげで人間よりかは遥かに良い生活をしているが。
「じゃあ行くわよ。……『ラーゲ』」
ベルベットはパチンと指を鳴らす。それと同時に魔法陣が展開。ベルベットとアストは虚空へ姿を消した。
―アーロイン学院―
「さ、着いたわ」
「うわ……すご」
瞬間移動してやってきたアーロイン学院の前。目の前にはバカでかい建物。お城みたいな様相で、試験に受かったらこんなところで学ぶことになるのかと少しビビってしまう。
その入口では数多くの魔法使いが出入りしている。今日が試験日ということもあるのだろうが多すぎてまたもや気圧されてしまう。
「あ、そうそう。魔法使いにはコースが3つあってね。1つは『魔女』。魔法使用や魔法創生に特化した魔法使い。2つ目は『魔工』。杖や魔法道具の製作専門の魔法使い。3つ目は『魔法騎士』。武術と魔法の2つを使った戦闘特化の魔法使い」
「それは知ってる。ベルベットはその中でも『魔女』なんだよね?」
「そうよ。実は『魔女』って男でもなれるのよ?男がなった場合は『魔女』じゃなくてそのまま『魔法使い』って名乗ることになるんだけど」
ちなみにこれはキリールさんに教えてもらったことでもあるけど『魔女』コースに男と女は実は3:7くらいはいて、『魔法騎士』コースにはほとんど男しかいないらしい。魔工は半々。
魔法騎士はやはり戦闘……対人間を想定しているコースでもあるから男が多いのも無理はない。
「僕は『魔法騎士』かな。魔法得意じゃないから他2択は無いも同然だし。まぁ魔法騎士に関しても危ないけど」
「いいわね~!カッコイイわよ魔法騎士!!」
ベルベットはウットリした目になっている。未来の僕でも想像してくれているのかな?まだ試験にすら受かってないんだけど…。
「じゃあ行ってくるね」
「うん。試験は見学できるから上で観てるわね」
うわ……これじゃ不甲斐ないところを見せられないな。いや、違う違う。自分はそんなことを考えるレベルにもないんだ。とにかく自分にできることを精一杯やらないと。
僕はアーロインの中に入る。すぐに受付があってそこを通ると受験番号をくれた。番号は「444」。縁起悪っ!
衝撃の受験番号にゲンナリとしながら待合室に行く。8つの部屋が合って扉にはそれぞれ番号が振られていた。「400~」は番号4の扉という風に。
「お邪魔しま~す」
ソロソロ~と扉を開けて中に入る。中にはすでにたくさんの魔法使いの方々が。やはり聞いた話の通り魔法騎士のコースを受ける人は男ばかり。怖いよぉ……。
近くにあった席に座る。話すやつなんていないから黙りこくったまま俯く。
(きっと皆すごい魔法使えるんだろうな……。それに比べて僕は結局魔力も纏えず仕舞いだ)
こういう時にネガティブになってはいけないのはわかる。けど、どれだけ気を付けてもどうしてもネガティブになってしまうのだ。
自分が本気で頑張って身に着けている唯一の魔法の『ファルス』でさえ魔法使いの基礎中の基礎と言うのだから絶望してもおかしくはない。
僕がハァ…と溜息をつくと、
「ちょっと。溜息なんかつかないでくれる?」
「あ、ごめん。……え?」
僕は驚いた。声をかけられたことにじゃない。その声自体に驚いたのだ。
その声は……女の子のものだった。ここは「魔法騎士コース」。ほとんどが男という中に女というのはとても珍しい。この4番部屋の中でその子は紅一点ではなかろうか。
声に反応して振り向くと…まったく気づかなかったがその子はなんと僕の隣に座っていた。
髪型はハーフアップで後ろの髪をまとめている黒いリボンがブラウンの髪によく映えている。服装は軍服のような服にスカート。女の子なのにその格好なのが魔法騎士になりたいという想いをひしひしと伝えてくる。
「何ジロジロ見てんのよ」
「なんでもないです…」
ただ……性格がキッツイ。刺々しいというかなんというか。可憐な見た目から睨まれると想像以上にダメージがくる。
「どうせあんたも……変だって思ってるんでしょ?」
「え?」
「魔法騎士になるのは大抵男だもの。あたしみたいな女がこんなところに何しに来てるんだって思ってるんじゃないの?普通はそうよ」
なるほど……。言われた通り、そう思ってしまっていた。なんでこんなところに女の子がって。でも、そう思うのは間違いだよな。誰が何になろうなんて自由だもん。
「君、名前は?」
「は?なんであんたに名乗らなきゃいけないの?名前を聞くときはまず自分から名乗りなさいよ」
ぐっ……。それもそうだ。この子は何も間違ったことは言っちゃいない。
「アスト。アスト・ローゼン」
「アスト……ね。あたしは『カナリア・ロベリール』」
「そっか。じゃあ……カナリアさん。本当にごめん。僕は女の子の君がいることを不思議に思ってた」
「ふん……。別にいいわ。そんなの慣れっこだし」
カナリアさんはちょっと恥ずかしくなったのか頬を赤くする。さすがに人前でこんな堂々と謝られるとは思わなかったんだろうな。
「それにしても……疑問なんだけど。あんた魔力少なすぎない?そこらへんの赤ちゃんの方がまだ魔力あるんじゃないかってくらいよ。何?力隠してるの?だとしたらとんでもない実力者になるわけだけど」
そ、そこらへんの赤ちゃんの方が魔力ある…?嘘でしょ……。赤ちゃんレベルとは言われたことあるけど比喩じゃなくて!?今試験前ですよ?これ以上ネガティブになる情報を与えないで……
「何この世の終わりみたいな顔してんのよ」
「べ、べべ別に!?それより、そ、そういうのって見ただけでわかるの?」
「は?普通分かるでしょ。魔力をどんくらい纏ってるとかで」
「あ、あ~はいはい。そういうことね。うんうん。わかるわかる」
嘘です。全然わかりません。見えません。そもそも魔力纏えません。見栄張って嘘ついちゃったよ。
「すごいわね。魔力をまったく纏わずに生活してるだなんて。平常時でも少しは纏うっていうのに。多分あんたくらいよ?」
うっわ……。それ本当に?とんでもなくヤバイやつじゃないか僕……。わかってたことだけども。あとカナリアさんは何かを勘違いしているのか僕に恐れなんか抱いているし。
「試験ってどんなことやらされるのかな……。筆記とかならまだ良いんだけど」
「……あんた何も知らなすぎでしょ。ここの試験はいつも決まって討伐試験よ。広大な空間の中で『魔物』が多く放たれてそれを倒していく試験」
魔物……。修行以外であまり外に出ることは少ないためそんなものは見たことない。けどベルベットから話では聞いたことがある。
この世界の空気中にある魔力という成分によって人間や魔人以外の動物等の生き物が変貌、そして進化し続けた結果の産物。
その結果、最早何がベースになっているのかわからないものもいるほどに多種多様な魔物と呼ばれる生き物がこの世界にはいるのだ。
思わずゴクリと喉を鳴らす。緊張から一気に恐怖に変わってしまった……。
その時、
『4番の部屋にいる試験生はAルームに集合してください』
放送の音声…?部屋にそれらしい機械は存在しないが部屋中にその声が響き渡った。これも魔法なのか?
「来たわね。ま、頑張りなさい。あたしは絶対受かるけど」
「う、うん。頑張るよ……」
そうだ。ここまで来たんだ。もう迷うのはなしだ。やってやる!
僕達はAルームという部屋に入った。集まった試験生は80人くらい。試験生全体の一部とはいえ結構多くいるため部屋はいっぱいだ。
こんな少し動けば誰かの攻撃が当たってしまいそうな場所で魔物とやらと戦える気がしないぞ。本当に討伐試験なのかな……?
「今から試験内容を説明する!!」
受験生がざわついている中、突如として大きな声がする。その方向に全員が向いた。
「おい……あれってガレオス様だよな!?」
「『マナダルシアの大英雄』…!」
「あの人が教師やってるのか!?マジかよ……」
そこには存在感を感じさせる大きな体に将校のような服を羽織っている男が立っていた。片眼には眼帯をしておりそれがより凄みを醸し出している。
男の名は「ガレオス」。「マナダルシアの大英雄」と呼ばれている魔法使い。第三次種族戦争の時から魔人の最前線で戦っている戦士にして未だ現役の魔法騎士だ。
彼の武勇伝は誰もが知っている。
「人間100人を相手に単騎で戦い続けた」や、「戦争中何度攻撃を受けようとも一度も倒れなかった男」、「敗北したことのない男」等々。
まさに大英雄に相応しい実力を持っている魔法騎士なのだ。
英雄と言えば僕の師匠であるベルベットもそう呼ばれている。あまり詳しくは知らないけど。本人もそれについて喋らないし。
「今からお前達を別空間へと移動させる。そこは学院側が試験用に用意した魔物がそこら中を闊歩している空間だ。制限時間は1時間。お前達にはそこにいる魔物共を討伐してもらう!」
その言葉でザワザワ…と慌ただしくなる。動揺ではない。やはり…という空気だ。僕もさっきカナリアさんから聞いてたから同じ。どうやらいつもと試験内容は変わっていないらしい。
「そこにいる魔物は強さによってポイントが決められている。強い魔物なら高ポイントだ。力に自信が無い者は弱い魔物を数多く倒してポイントを稼げ。逆に自信のある者は強い魔物を倒し、その力を示せ。……もちろんポイント上位の者から合格を考える。以上だ」
少ない説明。でも十分だった。
強い魔物なら数体倒せば一気に合格を望めるほどのポイントを手に入れられるのだろうけど、弱い魔物でも大量に倒せば合格の希望を掴むことができるということだな。
ここで見られているのは力の強さではない。弱いやつでも入学してから強くなればいいからそんなものは関係ないのだ。
あくまで戦えるのかどうか。魔法騎士になるのに最低限の力を持っているかどうかを見られている。
「では、準備はいいか?始めるぞ!『ラーゲ』!!」
ガレオスは魔法を発動する。ベルベットも使っていた移動魔法『ラーゲ』。しかし、この部屋にいる80人ほどの受験生全てを対象にしたとんでもない規模だ。
「………ここは…!」
眩い光に思わず目を閉じる。
……目を開けるとそこは広大な大地だった。多分、魔法で造られた空間だから外に出たというわけではない。
だが上を見ると綺麗な大空、どこまで広がっているのかと聞きたくなるほどのフィールド。ゴツゴツとした岩や風景に至るまで本当にどこか別の世界に連れてこられたかのようだ。
我に返った者から一斉に走り出していく。魔物を探し始めたのだ。自分もハッとして剣を抜いて走り出す。
「とにかく弱い魔物を探していかなきゃ…」
自分は受験者の中で最底辺に位置するほどの魔法使いだろう。それはわかりきっている。だからこそ戦い方はもう決まっている。弱い魔物を狩りまくってポイントを稼ぎまくるんだ。
「い、いた…!あれが……魔物!?」
岩陰からヌルッ…と闇が零れるように現れた黒い狼。グルルル…と鋭い牙からヨダレを垂らしている。目はこちらを捉えており「標的」にされていることが一目瞭然だ。
その魔物をよく見てみると体からブウゥゥン…と文字が浮かび上がる。
それを読むと「ブラックウルフ 1ポイント」と書かれている。学院が試験生のために魔法で魔物の情報を表示してくれているのだ。
戦闘となった瞬間に肌がひりつく。まるで空気が矢となって肌に刺さっているような。
きっと普通の魔法使いからすれば雑魚なんだろうな。1ポイントがその証拠だ。瞬きする頃には倒しているほどの相手。しかし僕にとってはそうじゃない。命のやり取りをする相手だ。
アーロインの入学試験では命の保証はされていない。そこで命を落とすのはその者の実力不足とされる。
とは言っても命を落とす者なんていない。誰もが魔力を纏って致命傷となるダメージなんか受けないし相手との実力差を分析して自分が倒せないと判断すれば退くからだ。
でも、僕は……!!
「行くぞ……!」
僕は走り出す。攻防どちらにも動けるように剣を構える。
「グルオオオォォ!!!!」
ブラックウルフはタタッタタッ!!と素早いスピードでこちらとの距離を詰めてくる。獰猛な獣が近づいてくるのは本当に恐怖を湧き立たせるものだ。
だが、恐れてはいけない。恐れはそのまま死に直結するとベルベットが教えてくれた。
(カウンターだ!)
ブラックウルフが口を開け、鋭い牙で噛みつこうと飛びつく瞬間、その口めがけて剣を突き出した。
「『ファルス』!!」
身体能力を上げる魔法—『ファルス』を唱え、ただの刺突を必殺の突きへと昇華させる。
剣はブラックウルフの牙に少し当たりながらギャリリッと耳障りな音を響かせ、
グシュッッッッッッッッ!!!!!!!
確かな手ごたえ。ブラックウルフの体は一度跳ねて……そこから動かなくなる。するとシュウウゥゥ…と体が蒸発するように霧散していった。
(倒せた。こんな僕でも……倒せたぞ!)
自分に自信が無かったせいか魔物を倒せたということで力が抜けて地面に座り込んでしまう。
息も荒くなる。たった一匹。しかも1ポイントの雑魚というのにこれだ。この様子を見ていた周りの受験生もププッと笑っていた。
(確かにダサいよな。でも……敵を倒すってこういうことなのか)
命を摘み取るということ。とても恐ろしいことだ。でもそれをちゃんとわかっていないといけない。それでも仲間を守るために敵へ剣を向けるということを。
それが魔法騎士。人間と戦う……魔法使いの刃。
「よし!まだまだ!!」
僕は立ち上がり、地を駆けた。
試験説明を終えたガレオスは別室で試験の様子を見ようとしていた。
この試験は保護者や受験生の師匠、他の魔法使いも見学できるモニタールームがある。ガレオスはそこに向かっていたのだ。
部屋を開けると多くの魔法使いがいた。受験者の中の誰かの保護者だったり師匠だったりだけではなく来年受けにくる子の保護者というのもいるだろう。
ただその中にいる1人の女性にガレオスは驚くように目を見開いた。
「ベルベット。なぜお前がここに来ている」
ガレオスはその女性―ヨレヨレのトンガリ帽子を深く被っていて顔を見られまいと隠していた者に声をかけた。
「ん?あ、ガレオス?久しぶりね~!元気してた?」
その者―ベルベット・ローゼンファリスはガレオスを見るとパッと笑顔になる。声がデカすぎて周りの魔法使いの注目を浴びてしまったがそれでも話を続けた。
「そんなことはどうでもいい。なぜお前が…」
「うわっ。固いのも変わってないわね。相変わらずノリ悪~」
ベルベットは面白くないなという顔をする。
ベルベットとガレオスは学生時代からの仲間だったこともありお互いのことをよく知る仲だ。当然ガレオスが他人にノリを合わせる器用ではしゃぐような者ではないことも知っている。
「ふざけるな。お前がここに来る理由などないだろう。何しに来た」
「それが、あるのよね~」
ベルベットは鼻歌交じりにガレオスに1枚の書類を渡した。それはアーロイン学院に提出する用のアストのプロフィールだった。
「お前……弟子を取ったのか?」
「そう♪そこに書いてるけどアストって言うの。私が名付けたのよ。綺麗な名前でしょ?」
「名付けた……?拾った子か?」
「正解。記憶失くしてたところを私が助けてあげたのよね~。で、今はアストの試験を見学してるところ」
ガレオスはアストのプロフィールをマジマジと見つめる。
(む…?確かさっきの説明の時にいたような……。極端に魔力が感じられないと思っていたが。まさかベルベットの弟子だったとはな)
魔人は魔力を感じられるからこそ相手の魔力の量を計ることもできる。相当な実力者なら隠すこともできるので単純にそのまま実力とは言えないが。
ガレオスほどになるとあの部屋にいた全ての魔人の魔力の量を一目で判断することもできた。
さっきの部屋の中であまりにも平均から下回っている者が1人いるなと思って顔を覚えてしまっていたのだ。
「ねぇねぇ。どうせならあなたの口利きでアストを学院にねじ込んでくれない?無理?」
「無理も何もそんなことをするつもりはない。……お前の弟子と言うなら試験くらい軽くパスできるはずじゃないのか?」
「う~ん。そう言いたいんだけどねぇ……。ちょっと理由があって魔法を上手く使えないのよ」
「理由?」
理由と言ったところでガレオスは少し反応したがベルベットはシカトして喋らない。その様子にガレオスは溜息をこぼす。
ガレオスはこの部屋にあるモニターを見た。その中の1つにアストの姿が表示されているモニターがあった。
アストはブラックウルフに剣を一突き。身体強化魔法の『ファルス』を使ってのお手本のような戦いではあったが…
(ブラックウルフごときにあれではな……。弱き者のためにポイント制にしているがこの調子では試験は通らなさそうだ……)
ガレオスはベルベットの方を見ると、彼女はワクワクとした少女のような顔でそのモニターを見ている。何か楽しいことでも待っているのかというほどに。
「アスト・ローゼン……か。残念だが無理そうだな。これといって見どころがない。魔法が満足に使えないのであれば剣術で……と言いたいがそれも普通だ」
「まぁ見てなさい。絶対面白いことになるから」
ベルベットは黙って見ていろと言う。結果は不合格でわかり切っているはずなのに。何かに希望を持っていたその目に押し負けてガレオスはモニターに目を戻すことにした。
「早く魔物を見つけないと…」
アストは走っていた。自分が倒せる手ごろな魔物を見つけるために。
だが中々見つからない。というのも1ポイント程度の魔物など試験を受けに来る者ならば息をするように倒せる。だからか一瞬のうちに倒されるせいでいなくなってきているのだ。
視界にデカいゴリラのような魔物が入る。表示された文字は「ガイアビートコング 50ポイント」。
ダメだダメだ。あんなのと戦ったら死ぬまでボコられる。
さっきからこれの連続だ。強い魔物を見つけては避けるの繰り返し。強い魔物しか残っていないんだ。これじゃポイントを稼ぐことができない。
「……へ?うわっ!!」
考え事をしながら走っているせいで道の先が坂になっていることに気づかなかった。ズザザザ!と滑り落ちる。
「痛っ…」
そこはデカいクレーターみたいになっていて、僕はそこに落ちてしまったみたいだ。そこまで深くはないので上がることは困難ではないのだが……
「あ……」
なんとここにブラックウルフの群れがいた。数は30ほど。
なるほど。ここに隠れることで誰からも見つからなかったのか。僕にとっては嬉しいことだけど……
「やれるのか?僕に……」
いくら1ポイントでも全て倒せば30ポイント。しかし1体相手でも駆け引きをしてやっと倒せた自分が30も……。
(やるしか……ないだろ!)
僕はウルフの群れに向かって駆ける。剣の柄を握りしめ、歯を食いしばる。込み上げる恐怖を抑え込むように。
「ぐうぅ……あああああ!!」
剣を振る、振る、振る。がむらしゃに振っているわけではない。戦闘の中で考えることをやめればそれは死。正確に相手を狙って斬撃を繰り出すのだ。
かといって手数を少なくしては物量で押される。格好悪く見えてもとにかく動くんだ。
……。
…………。
血が舞う。これはどちらの血なのか。もうわからない。何体倒すことができたのかもわからない。
「はぁ…はぁ……はぁ…」
一旦距離を取って端にもたれ掛かる。そこで敵の数を確認する。
(まだ……20はいる。体感で半分は倒せたと思ったのに……)
体力と手に入ったポイントが見合わなすぎる。このままではこっちが潰れてしまう。もうすでに肩で息をしている状況だ。
(どうする……。もう逃げるしかないか……?)
こちらが弱っているのがわかったブラックウルフは静かに、少しづつ距離を詰めてくる。一斉に襲い掛かってくるつもりなのか。
「グルルルアアアア!!」
一匹のウルフの叫びを合図に、群れは動いた。その獰猛な牙をこちらに向けて襲い掛かってくる!
ま、マズイ……!!
「『ウォーターガイザー』!!」
自分の頭上から鈴のような声が聞こえた。その次の瞬間、バキバキバキィ!と自分がもたれ掛かっていたところから地面に向かって亀裂が走っていく。その亀裂はウルフの群れの先頭のところまで走っていき……
ピシッ!!
地面が裂け、そこから水流が溢れ出る!!
パアアアアアアアアアアァァァァァンン!!!!
勢いよく水柱が発生し先頭のブラックウルフの体がバラバラに散った。後続のウルフ達は足を止める。
こ、これは…?
「あんた、こんなところで何してんの?えっと……アストだっけ?」
再び頭上から声。見上げると……そこにはカナリアさんがいた!
「カナリア……さん」
カナリアさんはピョンと飛んで僕の横に着地。その時にフワリとスカートが浮いてこんな状況なのにドキッとしてしまう。
手には水色の細剣―レイピアを持っていた。それは綺麗な人魚の装飾が施されていて、武器としてではなく美術品として飾っていてもおかしくないほどに美しいレイピアだった。
「こんなところにまだ狩られてないウルフがいたことにも驚きだけど、ウルフにこんだけ手こずってるやつがいたことにもっと驚きよ……」
「正直助かったよ……。死ぬとこだった」
「は?」
カナリアさんは僕の言葉にギョッとする。そしてジーッと見つめてきた。
「あんた……まだ魔力纏ってないの?嘘でしょ……死にたいの?」
「死にたくはないよ……」
やっぱりこんなところで魔力を纏わずに戦っているやつはヤバイやつなのか、カナリアさんは驚きを通り越して呆れている。
「このウルフの群れ貰っていい?あんた1人でやれないでしょ?」
「それは………」
僕は言葉に詰まる。ブラックウルフは僕の絶好の相手だ。それが絶滅レベルにまで狩られている中、これを見過ごしてもいいのかと思った。
けど、今さっきやられそうになっていたのに「それはダメだ」なんて言えない。
「悪いわね。向こうがもう待ってくれないみたいだわ」
ウルフの群れは再び動く。こちらの動きがなかったことで警戒心を緩めたのだ。カナリアさんはそれを見るとレイピアを構えた。そして詠唱を紡ぐ。
魔女が魔法に杖を使うのは基本的に魔法の補助や威力向上のため。杖にはそういった能力が付与されている。
魔法騎士にも杖術に覚えがある者は杖を使うこともあるが…そういった例を除けば魔法騎士ではカナリアのように魔力を込められた特別な武器—『魔法武器』を杖代わりにしている者がほとんどである。
「水の精霊よ力を与えたまえ 敵を討つ矢となりて 放たれよ水の連弾 『ウォーターハウル』!!」
3節の詠唱を紡いでいくと人間の頭と同じくらいの大きさの「水の弾」が空中に生み出されていく。
その数が2…6…9……15…と増えていき、20まで達した時、一斉に放たれた!!
ダダダダダダダダダダダダダダダ!!!!!!!!!
水の砲弾が全てのウルフに1発ずつ当たっていく。ウルフ達は体に穴を開け、空中に霧散していった。
「20ポイントゲット……っと。ウルフ程度でもこんだけやれば点数もマシになるわね」
す、すごい。これが魔法……!剣でやっと倒していた僕なんかと違いすぎる。これが真の魔法騎士の姿と言うべきなのか。
「ところであんた今何ポイント?」
カナリアさんは僕を方に向き直りそんなことを聞いてくる。ええと…
「11……ポイントかな?」
「はぁ!?11って……この中できっと最低点よ?あんたやる気あるの?雑魚でもまだ30は取ると思うけど…」
き、傷つく!雑魚でも30は取るって…。
「……あんた、向いてないわよ。やめときなさい。見たところ魔力もろくに纏えないみたいだし……」
「そ、それはっ!……できない。やめられない。僕だってこれでも頑張ってきたんだ」
「そこまでして魔法騎士になりたい理由でもあるの?」
「……」
僕には、記憶が無い。ベルベットに拾ってもらってから色んなことを教えてもらったけど……それでも知りたかったことは自分の過去のことなんだ。
ある時ベルベットは言った。過去のことを知りたければ戦うしかないと。答えはその先にある、と。
僕はそれから魔法騎士になるために頑張ってきた。結果はついてこなかったけど……それでもサボらずにここまでやってきたんだ。面倒を見てくれたベルベットのためにも、ここで退くわけにはいかない。
「……ま、いいわ。人それぞれ事情はあるものね。けど、死んでも知らないわよ。裸で戦場に来てるってことを忘れないことね」
「ああ……わかってる!」
僕とカナリアさんは進む。また魔物を探すために。
♦
モニタールーム。そこでベルベットはプクーッと頬を膨らませていた。
「なんだあの小娘……!アストの相手を横取りしたなー!」
ベルベットはカナリアがウルフを全滅させたことに怒っていた。このままではアストがポイントを手に入れることが難しい。
せっかくのチャンスを失わせたカナリアに向けて陰湿な目線を向ける。
「勘弁してやれ。助けがなければあの少年は死んでいた」
「何を~!アストがあの程度で死ぬわけないもん!」
ベルベットは抗議してくるがガレオスの目では間違いなく死んでいたと判断できる。
反応は悪くないがいかんせん攻撃力が無さ過ぎるせいで対応できていないのだ。魔力が少ないせいで唯一使える『ファルス』すらも満足に使えていないようにも見える。
「にしても……この試験ちょっと簡単すぎない?さすがに見てるこっちがつまらなくなってくるわ。出てくる魔物も雑魚ばっかだし」
ベルベットはガレオスに問う。この試験、まだ何かあるんじゃないかと。ガレオスはその視線から逃げるように目を閉じた。
「時期にわかる。この試験は残り15分になってからが本番だ」
「ん?残り15分?」
ベルベットは部屋の中にある時計を見る。
「もうその残り15分じゃない。一体何が……」
その時だった。モニターからその咆哮が聞こえてきたのは。
『グギャガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!』
「! これは……!」
ベルベットはその鳴き声に目を見開く。それは……
♦
「なんださっきの鳴き声……」
地面が震えていると錯覚するほどの力ある声。それを聴くだけで生物として敵わないと思ってしまうほどに……恐ろしい。これは……?
「……!」
よく見るとカナリアさんですら恐れている。僕が、ならわかるが実力があるカナリアさんでさえ?
「……行くわよ。何が現れたのか確認しなきゃ」
「……うん」
一緒に行動するつもりはなかったけど何か異変が起きたのなら別行動しない方が良い。何が起こったのか。僕も気になってしまった。
「あれは…!」
少し歩いて、目に映ったものは……竜だった。バカでかい、黒い竜。
翼を広げ、鎧のような鱗は見るからに堅そうだ。
爪は全てを斬り裂きそうでどんな剣ですらちっぽけに思える。
そしてブラックウルフなんて可愛く思えてくるほどの牙、口からボッ!ボボッ!と火を吹きだしている。
「そんな……!?『バハムート』が出るなんて聞いてないわよ!」
「『バハムート』……?」
アストはその竜に魔法で表示された文字を見る。
「バハムート 500ポイント」
ご、500……!?
♦
「あれはバハムート!?いつあんなの捕まえてたのよ!伝説級の魔物よ!?」
ベルベットはモニターに映されたその竜を見てガレオスに向かって吠えた。ガレオスは依然として目を閉じたまま。眠っているわけではない。そう言われるとわかっていたからだ。
「まだ若い個体でな。数年前から学院側が隠していた」
「若いって言ったってそれでもまだ試験生には荷が重すぎるでしょ。下手すれば全員死ぬわよ?」
「安心しろ。魔法で攻撃力は落としてある。通常のバハムートなら魔力を纏っていようが構いなしに貫通させてくるが……あの試験用のバハムートは魔力を纏っている相手にはまともにダメージなど与えられないようになっている」
「そうは言ってもバハムートは防御力も高い。チンケな攻撃なんか通らないわ。それこそ受験生レベルの魔法じゃ傷なんかつくわけない!」
バハムートは爪の攻撃、炎のブレス。それ以外にも鱗による防御力も目を見張るものがあった。
圧倒的な攻撃と防御。それがバハムート。魔物の中でも最強と評されるに相応しい力を持っている。
「私はバハムートを倒せとは一言も言っていない。これは戦力差を見極める練習のようなものだ」
つまりバハムートという勝てない相手に対してどう行動を取るか。それがこの試験の本番のテーマ。
「なるほどね……。500ポイント、か~」
ベルベットはガレオスに反論していたが、顔を手で覆い隠した後にニヤリと笑った。
あれを倒せば一気にトップになれそうだなと。
(アスト。あなたならやれる。さぁ見せて。あなたの……力を)
目を開けてそのベルベットの笑みを見たガレオスは怪しみ再びモニターを睨む。その先に映っているアスト・ローゼンの姿を。
(なぜだ…胸騒ぎがする。あの少年に何があると言うのだ?)
♦
「やらなきゃ……500ポイント。もうあれしかない……」
アストは歩く。バハムートがいる方向へ。その目はバハムートを見据えていた。
「やめなさい!確実に死ぬわ。あれはバケモノよ。あんたみたいな魔力を纏ってもいない雑魚なんかちょっとかすっただけで死ぬわ!」
カナリアはアストを制止させる。絶対に勝てないから。どう転んでも勝てるわけがないからだ。
「カナリアさんはいいんですか?500ポイントですよ?」
「あたしはもう合格に十分なポイントを集めてる。だから……狙う必要なんかない」
カナリアさんは一瞬だけ迷う素振りを見せながらも自分は安全圏と言えるほどのポイントを確保していることを明かす。
「そうですか。でも……僕は違う」
もうブラックウルフはいない。それにちょっとポイントが高い程度の魔物を倒したところで合格には遠く及ばない。ならば……
(あいつを倒すしかない……!)
アストは再び歩を進める。
「ちょっと!これはきっと討伐だけの試験じゃないわ!絶対勝てない敵が出てきた時の対応を見られてるのよ!ここは逃げるのが正解のはず……」
「だとしても!逃げたところで僕は終わりだ。終わらない道は……あそこにしかない」
焦っていないと言えば完全に嘘になる。今まで強い魔物をスルーしてきたからこそ今になってこんな絶望的な状況になっている。どこかで勇気を出して戦うべきだったんだ。
アストは走り出す。カナリアによる制止などまったくといってアストには効かなかった。
「あれを倒さなくても合格は確実……だけど」
カナリアは遠ざかるアストの背を見つめる。自分がなぜ魔法騎士になるのか。それを頭の中で巡らせる。
「ああもう!やってやるわよ……。あたしだって、こんなところで逃げるわけにはいかないのよ……!」
自分が持っているレイピア【ローレライ】を握りしめて歩を進めた。バハムートがいる方向へ。
「おいおいこんなん無理だろぉ!」
「なんで試験なんかにバハムートがいるんだよ!伝説の魔物だぞっ!?」
「逃げろおおおお!」
逃げ惑う魔法使い達。だがそれとは違い逆走する影が1つ。
「おおおおおおおぉぉぉぉ!!」
たった剣1本でデカイ竜に向かう男。アスト・ローゼンは魔力という鎧を纏わずに立ち向かう。
(相手は飛んでいる。それなら……)
「『ファルス』!!」
魔法を使って身体強化。その強化された足で近くに立っている岩壁の上に飛び上がる。そしてさらにそこから飛んでいるバハムートに向かうように岩を蹴る!!
「うおっと…!やっぱ魔法ってすごいな……!」
なんとアストはバハムートと同じくらいの位置まで飛び上がった。足の骨も折れてない。下を見ると受験生達が小さく見えた。
(よし、これなら…!)
今や手が届くところにいるバハムートを持っている剣で落下しながら引き裂く!
ギャギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギ!!!!
火花を散らし、甲高い音を響かせていく。手ごたえと肉を斬り裂くような音じゃない時点で気づいた。この魔物、見た目通り防御力も半端ではない!
そのままアストは落下。地面に着地する。普通なら下半身の骨が折れたりするだろうがそこは身体強化魔法『ファルス』のおかげ。体は無事だ。
「グギャアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
安心する暇はない。今の一撃はまったく無意味と言えるものだったがバハムートを怒らせるには十分すぎた。
バハムートは低空飛行する。地上にいるアストにその巨体が近づいていく。ブラックウルフが接近してくるのとはまったくレベルが違う威圧感だ。
「うあ……ああああああ!!」
地面を破壊しながら襲い掛かってくる黒の暴竜。それと共に体を吹き飛ばすほどの旋風も。徐々に距離が近づき相対的に恐怖も膨れ上がっていく。
(剣で防げるわけない!どうすれば……くっ、クソ……!何か防御の魔法が使えたら……)
いや、防御の魔法が使えるかなんか関係ない。どうしても本能が叫んでいる。どうやっても無理だと。
「水の精霊よ我に力を 悪しき魂に今こそ罰を 勇気ある魂に祝福を 忌まわしき心を洗い流す 敵を撃ち抜け断罪の水流」
そこに詠唱を紡ぐ声が。逃げるアストの前に立つ少女が1人。
『ウォーターガイザー』!!」
大きな牙がアストを斬り裂こうと迫る……が、寸前で地面から発生した水柱がバハムートの顎に直撃する。その巨体ごと空中へ吹っ飛ばした。この魔法は……
「カナ、リ……ア……」
「はぁ…はぁ……無茶、するわね。剣1本で戦う、とか……はぁ……」
レイピアを構えて魔法を発動していたカナリアは激しく息をつきながら地面に座り込む。空中に吹っ飛んだバハムートを確認すると……ダメージは0。まったく効いていなかった。
(最大出力で放ったのに無傷って……。低いところを飛んでいる時がチャンスだったけど……もう無理ね)
カナリアの息が荒いのは魔法を使ったから。そうは言っても普通に魔法を使う分にはここまで消耗はしない。では、なぜか?
簡単に言うとすれば今撃った『ウォーターガイザー』はカナリアの手持ち魔法の中でもかなり高威力の魔法。そしてそれを「全力」で撃ったから。
魔法使いの魔法にも使う魔力を調整することで「加減して撃つ」、「全力で撃つ」等の力加減が存在するのだ。
魔法は詠唱と同時に必要とする魔力を杖または魔法武器に注ぎ込むことで発動する。その時に注ぐ魔力の量で魔法の威力を変えられる。
カナリアはさっきの魔法にかなりオーバーに魔力を注ぎ全力で魔法を放った。それでもなお、ダメージを与えることはできなかった。
これはカナリアの魔法が弱かったというよりもバハムートの防御力が強かったという方が正しい。この竜は魔法に対する防御力もトップクラスに高いのだ。
「こんなのどうしろって言うのよ……!」
カナリアはこれでバハムートが倒れてくれればと思っての一撃だったために戦意がかなり削がれてしまう。それでなくとも魔力を消耗したことでもうあれ以上の攻撃力を持つ魔法なんて使えないことから絶望は必至だった。
「攻撃を続けることが勝つための道だ……。やめればそこで終わる……」
アストは残り時間を気にする。この試験では制限時間は1時間と言われているが今どこまで時間が経過したのかは確認できないことになっている。そのため次の瞬間には時間が尽きていて試験終了が告げられるかもしれないのだ。
(まだ僕は何もできていない。まだ終われない!)
再びバハムートに向かって跳ぶ。身体強化された力がアストをまた空へと誘う。
「ああああああああああああ!!!!!」
通らないとわかっていても剣を振り下ろす。堅牢な鱗とぶつかって耳障りな音を響き渡らせるがやはりノーダメージ。
「グガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」
「あ…………」
黒の暴竜はその鬱陶しい小さき存在を2度も逃さなかった。
本来、空中では翼がある方に分があるのは誰でもわかること。翼が無い方に動きが大きく制限されることもわかりきっていることだ。
勝ち目など、ないことも。
大きさが何十倍も違う相手に向けられる無慈悲な暴力。手加減など一切感じさせない野生の一撃。空中で乱れ咲く鮮血の華。
バジュッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!
バハムートが繰り出した爪撃がアストの体を斬り裂いた……!!
「アスト!!」
カナリアは悲鳴のような声を上げる。戦いを遠巻きに見ている受験生達も悲鳴を上げた。アストの体は勢いよく地面に打ち付けられる。
……。
…………。
え?どう……なった?
空中で何かが自分に襲い掛かってきたのは見えた。でもそれを認識した瞬間にはもう自分は地面に落ちていた。
意識も抗うことすらできず一瞬で手放してしまった。いったいどれくらい気絶していたのかわからないが暗闇から目覚める。
「アスト……!あんた大丈夫なの!?生きてる?」
「あ、……あ、か、り、…あ」
うまく声が出ない。大声でも出して安心させたいのに。力が入らない。声を出すのに「力が入らない」なんておかしなことだ。声を出すのに力なんてそこまでいらないだろうに。
でも今のアストにはそれすらも重労働だった。
アストの体には痛々しい、大きく斜めに斬り裂かれた傷が2つできていた。
膝の部分は先が少しだけ削り取られて血がドクドクと流れ、胸のところにはまさに「抉られた」という表現が正しいほどに真っ赤な斜線が走っていた。
地面に打ち付けられた時の傷か、頭からも血が流れている。
重症なんて話ではない。このままでは確実に死ぬ。
これも普通の魔法使いならここまでの重症なんか負わない。魔力を纏っていれば試験用に用意されたバハムートの爪の攻撃はほとんどダメージが入らないように設定されているからだ。
だがアストは他の試験生とは違う。あるべき鎧がない。それがここでは致命的だったのだ。「試験用の魔物の一撃」という温い言葉もアストにとっては何の意味もない必殺の一撃だった。
「おい……なんだよあの受験生。魔力纏ってなかったのかよ……」
「集中してなかったってことか?」
「いやいや、魔力を纏うのに集中も何もないだろ…」
遠くからそんな声が聞こえる。「鎧」を着ることが当たり前にできている者の声。それは暗になんでそんなお前がここで戦っているんだと言われているようで辛かった。
自分だって魔法が使いたかった。努力だっていっぱいしたのに。言われたことは全部やったのに。
魔人であるなら当然の武器を身に着けていない自分は疎外感を感じることだって少なくなかった。ベルベットの下で修業する時間が長くなるほどに辛い気持ちも増えていった。
それでも自分の過去を知るために全てを押しとどめて頑張ったんだ。なのに……なのに……!
もう、終わるのか……?
♦
「終わり、だな」
モニタールームでガレオスが呟く。
ここでも悲鳴は上がった。今までのアーロイン学院の試験で死人なんて出ていない。今回が初となるからだ。
「ベルベット。お前には悪いが……これが良い例となった。人間と戦うため、死をも恐れぬ必要がある魔法騎士。それになるということにどれほどの力と覚悟がいるのかというな」
ガレオスは少しだけベルベットの心配をしてやりアストの死は無駄ではないと言ってやる。声音はいつもとまったく変わらない無機質なものだがこれでもまだ心配している方だった。
魔法使いの世界では弟子を取ることは珍しくなく、むしろよくある。
けれどもベルベットは弟子なんてものを今まで取らなかった。ガレオスと同じく色んな魔法使いから慕われる存在でありながら、堅苦しいことが大の苦手であることから面倒なことはやらなかった。
でも、アストは弟子に取った。初めての弟子だったのだ。それが死んだとなると……悲痛も計り知れないだろう。ガレオスはベルベットの顔を覗き込むと……
その魔法使いの顔は、女神のように微笑んでいた。
「ベルベッー」
「アスト。まだ、やれるわよね?」
ガレオスの声を塗りつぶしてベルベットは声を発する。変わらずベルベットの目はモニターに映る血にまみれて倒れたアストに注がれている。
「大丈夫。あなたならやれる。……あなたの力を見せて」
ベルベットはここにいないはずのアストに話しかける。ガレオスはその光景に言葉が出なかった。
(あの少年はもう終わっている。いったいこれから何を…)
ガレオスはモニターに目を戻す。これから起こることを見逃しはしないと。
♦
(最初から、無理だったんだ。魔法を使えない自分が、こんな……)
アストは絶望の淵にいた。瀕死の状態になってようやく諦めがついた。自分はここに来るべきではなかったんだと初めて自覚できた。
先ほどからカナリアは自分の体に魔法をかけてくれている。おそらく傷を治癒するような魔法だろう。けれども顔色を見るだけで上手くいっているかどうかなんてすぐにわかった。
(もう……終わり、か)
アストは自分が握っていた意識の命綱というようなものを手放してしまおうかと思った……その時、
―もう、諦めるの?
(え?)
頭に声が響いた。それはベルベットのものではない。カナリアのものでもない。ベルベットの館に住むようになってから聞いた声でもない。
自分の知らない少女の声だった。
知らない……はずなのに。なぜか懐かしいと思ってしまう。もしかすると過去の記憶の断片なのだろうか?
—諦めそうになった時、まずは立って。どれだけ痛くたって、体が千切れそうになったって、自分の脚で立って。
その声は立てと言ってくる。それは浸透するように自分の頭に広がってあんなに諦めていた自分がなぜか早く立たなきゃと思うようになった。
「ぐ、あ、あああ……があああああ……!」
「アスト!?まだ動いちゃダメよ!あんた傷が……」
僕は体を起こす。横でカナリアさんが何か言っているけどそんなことよりも立たなければいけない。今、僕の頭の中ではそれしか考えられなくなっている。
僕は立ち上がる。血をボタ…ボタタッ!と流しながらも、ブチブチ…!と体の中で嫌な音が聴こえてきても。自分の体に鞭を打つ。
—立つことができたなら、今度は前を向いて。下を見ていても何もできない。前を向いて……敵を見て。自分が倒すべき敵を。
僕は引き続き声に従って前を向く。そしてその先、斜め上の空中にいるバハムートを目で捉えた。黒い暴竜もこちらを睨んでいる。
—前を向けたなら、今度は決めて。自分がやるべきことを。その敵をどうしたいの?貴方は何のために戦うの?
「僕、は……あい、つを倒す。そして、魔法……き、騎士に、なる。いっしょ、に……いてくれた……ベルベットの、ため、に……」
アストは弱々しくも頑張って言葉を紡いでいく。魔法の詠唱と同じように。自分に言い聞かせるように。
「……過去を、知りたい……じ、自分の……ために…!!」
それを口にした時、頭の中で少女の声が響く。
—そうすれば、ほら……貴方はもう一度、戦える。
その声が頭に響いたのと同時、ドクン…!!と心臓が強く鼓動する。
(な、なんだ…?)
ドクン、ドクン、ドクン、ドクン……
心臓の音は止まない。徐々に強くなる。自分を内側から支配していくかのように。
ドクンッ!!!!!
(―ッ!)
一際強い心臓の鼓動と共に、アストの意識は闇に塗られた……。
―さぁ、舞踏会は開かれた。……踊りましょう。
最後にはそんな少女の声が、聞こえた気がした
「アスト!あんた、だいじょう―……え?」
カナリアは立ち尽くしているアストの様子を心配していると……信じられないものを見た。
アストの体から紫の炎のようなものが溢れ出る。それはアストの体を包み込み……バハムートにつけられた傷を急速に治癒していった!
みるみるうちに傷は無くなっていき……わずか数秒で綺麗に全ての傷は完治した。
「嘘でしょ……治療魔法?いや、そんなのじゃない……。魔法なんかじゃない……!これはいったい……」
「やつを、倒す」
カナリアは聞こえたそれが、誰の声か一瞬わからなかった。それほどに底冷えする声だった。
「バハムート、『俺』はお前を……倒すッ!」
アストは地面に落ちていた自分の剣を拾い、そのままバハムートに向かって走る!
「『ファルス』」
そう一言唱えて身体強化の魔法をかけ直し、アストは地を蹴った。空中にいる竜に向かって砲弾と化す。剣を構え、バハムートの体を狙い……向かっていく勢いのまま斬り上げていった!!
ギャギギギギギギギギギギギギギギ!!
「グギャギャアアアアアアアアア!!」
またも火花と甲高い音を出すが、ダメージは通るわけがない。ノーダメージだ。
バハムートは2度目の時と同じく空中で満足に移動ができないアストに向けて必殺の爪撃を放つ!
また空中に鮮血の華が咲き誇る…と思われたが、
「くだらんな」
なんとアストはその爪撃を斜めに構えた剣で軽く受け流した。
ガガガガガガガガガッ!!と激しい音が響くも爪はアストの体に当たらず。
「グガアアアアアアアアア!!」
バハムートの爪撃、2発目。無傷のままで落下していたアストに向けて再び爪の一撃を放つ。
……しかし、またも
「……ふん」
ガギッッッッ!!
激しい音と共に受け流す!!アストの顔は涼しいまま。
そのままアストもダメージを受けず地面に着地した。
攻防を見ていた受験生のほとんどが驚愕していた。空中で竜を相手にあそこまで立ち回れる者がいるのかと。
いくら試験用のとはいえプロの魔法騎士の中でもバハムートを軽く相手にできるものなどいない。むしろまともに戦える魔法騎士すら少ないのだから。
「……!」
だが、さすがに竜の爪を受けるには不相応だったか。アストの剣は崩れ落ちるようにバラバラに砕けた。
「使えんな……」
アストはそれを見ると柄だけになった剣をポイッと捨てる。
「あ、アスト…?あんた……」
カナリアは急に動きが良くなったアストに声をかける。
「………」
アストは、何も答えない。カナリアの方を見てもいない。気に留めてもいなかった。ただその目は……バハムートの方へ。
「……倒すには武器が必要だ」
アストは周りに目を向けた。その中で探す。やつを倒すのに十分な武器を。
「!」
アストは目当ての物を見つけて、瞬間移動と見紛うほどのスピードでそこに移動した。
「ひ、ひぃ!なんだよぉ……」
移動した先は1人の受験生の前。その受験生は……斧を持っていた。それも魔法武器。通常の斧よりも丈夫で一撃の重さもありそうだった。アストはそれを……
「貸せ」
奪い取る。持ち主の許可など聞く前に。まるで王が自分のために用意されていた武器の中から好きなものを選んでいくかのように自然にそれを奪い取って、バハムートへの殺意を再始動させる。
体からはゆらゆらと紫焔のオーラのようなものが発生していた。魔力のようで魔力とは違う何かをアストは纏っている。それはこの世の何よりも禍々しく恐ろしいものと見ている誰もが感じた。
「……行くぞ」
アストは駆け抜ける。紫焔を纏う幽鬼となって。
「グギャガアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
バハムートは……恐れた。「それ」は小さい姿であっても持つ力は尋常ではないとすぐにわかった。
4度目の飛翔。アストは斧を振り上げた体勢のままバハムートの至近距離に跳び上がる。
それに対してバハムートはアストに向けて自分の2つ目の武器―ブレスを放とうとした。
灼熱の炎を喉元から装填。一切合切を焼き捨てる地獄の業火。これを受ければ魔力を纏っていないアストなど全てが掻き消える。
しかし、その炎が彼を焼くよりも早く―
「『ファルス』」
アストは身体強化の呪文と共に………斧を、振り下ろした。
バガアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァンン!!!!!
空間が裂けたと錯覚するほどの音が世界を包む。衝撃波は計り知れず見ていた受験生はその余波で吹っ飛ばされていた。
バハムートの体は上半身と下半身で破れた雲のように真っ二つに両断される。いくら身体強化魔法の『ファルス』を使ったとはいえ、斧のたった一振りで。
アストは着地し、一振りすら耐えられなかった斧は粉々に崩れていった。
アストはゴミと化した斧も地面に捨てると……今度は同じく地面に落ちた両断されたバハムートに向けて右手をかざす。そしてそこから黒い魔法陣が現れた!
「天空を暴れる漆黒の竜王バハムートよ。今からお前を………支配するッ!!」
魔法の詠唱か何かと思われたその言葉を吐いた瞬間、バハムートの体から魔力と思われる光の粒子が放出され、アストのかざした右手から出現した魔法陣へと流れていく。
それは誰からの目にもアストがバハムートの魔力を吸収しているように見えた。敗北した者に科す死刑……そんな表現がこれを見た者全員の頭に浮かび上がる。
魔力を全て吸い上げるとバハムートの体は虚空へ霧散した。同時にアストは気を失って崩れ落ちる。
『1時間が経過しました。試験を終了します』
機械など見当たらないこの魔法で造られた荒野のような世界でどこからかアナウンスが流れる。それは受験生に試験の終了を告げた。
『トップの成績は………アスト・ローゼン、511ポイント』
その言葉はバハムートが討伐されたことを証明していた。受験生達は叫ぶ。
とんでもないものを見た歓喜か、バハムートをたった1人で討伐したアストへの恐怖か、未来の魔人の英雄としての期待か。
「アスト……なんなのよあんた……」
カナリアはまだ見たものが信じられないと呆然としている。
アスト・ローゼンがバハムートを単騎で討伐するのに使ったのは大魔法でも竜を屠るほどの超絶剣技でもない。
ここにいる誰もが使える初歩の身体強化魔法『ファルス』それだけ。
けど、あれは『ファルス』で出せるような斬撃の威力ではなかった。バハムートの鱗をも破壊する初級魔法など聞いたことがない。まだ何か圧倒的な斬撃の魔法を使ったんだと言われた方が信じられる。
「もう……訳わかんないわ…」
カナリアは眠っているアストの顔を見て溜息をこぼした。
♦
「どういうことだベルベット!」
ガレオスはアストの異常な力を見るとすぐに横にいたベルベットの肩を掴んで問いただす。
「あれは……あれは……『魔王後継者』か!?」
ガレオスの言葉を聞くとベルベットは嗤った。正解、と言うように。
ベルベットは口を開く。
「私の弟子なんだもの。特別なのはわかりきってるでしょ?」
世界に「王」が現れる時、それは時代が進む時。
「彼の名はアスト・ローゼン。この私、ベルベット・ローゼンファリスの弟子よ」
その言葉は、偉大なる魔法使いとその弟子の物語の始まりを告げる号砲だった……
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