あとがきに代えて(時代小説/西部開拓時代)

『君主論』『カモシカ』『ヤギ』『ビル』

 アメリカ陸軍とモルモン教徒、野生のワイルドジャガーが三つ巴になって争っていた頃のソルトレイクは、常に血と硝煙の臭いに溢れていた。無風の日には半哩ハーフ・マイル先も覆い隠す、赤黒いスモッグが漂う。軒先に七面鳥ターキーを吊るせば、翌朝には燻製になっていた程だ。


 だからユタのタフなガンマン達は、空気を濾すためにバンダナを口に巻き、煙から目を守るためにテンガロン・ハットを被った。これは今日こんにちのガスマスクの原型だと言われており、SWATの耐ガス訓練がソルトレイクで行われるのも、その名残だ。


 そんなソルトレイクで唯一の酒場サルーン七面鳥ターキーと干し柿がタペストリめいて提げられた小さな店。


「邪魔するぞ」


 ガタン、と両開きのスイング・ドアを押し開けて入店した一人のガンマンが、カウンター席に着く。

 店中の客が、その纏う死の匂いに一瞬息を飲み、そしてまた、何事もなかったかのように会話を再開した。自分がそのガンマンの注意を引いてしまわぬように。


 彼は尋常のガンマンではなかった。彼の技巧や実績にも特筆すべき点はある――今も両肩に担いでいるジャガーの死骸からも明らかだ――が、よりシンプルに、その外見によって。


 頬や手の甲には爬虫類を思わせる迷彩色の鱗。テンガロンハットの陰から覗く瞳は黄色く、瞳孔は縦長に割れている。

 何より目立つのは、革製のジャケットの裾にある、あの何かびらびらした暖簾みたいな奴を割って地面まで伸びる、大蛇のごとき尾。コンドルの群れを思わせる独特の縞模様は、被捕食者に本能的な警戒心を与えた。


 そう。彼はネイティブ・アメリカンの秘術で蛇の因子を身体に植え付けた、強化ガンマンだったのだ。


 彼の名はジョナサン。人呼んで、ガラガラヘビのラトルジョニー。


「ご注文は?」

「フルコースを」


 店主マスターはその姿を一瞥すると常通りの質問を投げ、ラトル・ジョニーも常通りの答えを返した。


 当時から今日こんにちに至るまで、ユタはアルコールを禁ずるモルモン教徒の支配下にある。そのため、大きな酒蔵は存在しない。

 店舗で提供される数少ない酒類は、個人で細々と作っている物か、他の州や準州から馬車で運ばれてきた物だった。前者は量が少ないし、後者は当然、その大半が輸送中に酢になってしまい、酒として供されるのは馬車一杯仕入れた中のごく一部。


 だからこの店の売りもまた、酒ではない。料理だ。


「前菜、『芽キャベツのおひたし』です」


 前菜というよりはと言うべき品を見て、ラトル・ジョニーは「ううむ」と小さく唸る。


「芽キャベツなんてあまり食ったことがないが、旨いのか?」

「何でも良いんですよ、そこは。野菜は上に乗ってる鰹節を食べるための、食べられる皿みたいなもんです」

「そういうもんかね」


 ラトル・ジョニーの疑問に軽く答える店主マスター店主マスターの答えに軽く首を捻るラトル・ジョニー。


 そのまま箸でひとつまみ取って口に入れると、芽キャベツはほろりと解け、鰹節の香りが鼻腔に広がる。

 成る程確かに、鰹節の味しかしない。ユタの荒野で育った野菜は無味無臭になるのかもしれなかった。

 美味しい鰹節美味しい。言ってみれば、それだけの料理だ。


店主マスター、この料理のテーマは?」

「確か【気になるあの人】で小品を作れとか、そんな感じでしたかね」


 この店の料理には、いずれもテーマが定められている。

 これは店主マスターが自分で決めたのではなく、彼が料亭での修業時代に、指導員メンターから「こういう物を作れ」と言われて即興の雰囲気ででっち上げたのが、それぞれの料理となっている。



 ラトル・ジョニーがお通しを掻き込むと、間を置かずに次の料理が出て来た。


「続いてスープ、『カモシカをカモシカで煮たやつ』です」


 カモシカの原産国はアジアだが、ユタでは乗騎として育てられていた。崖や急勾配の多い北アメリカにおいて、カモシカの機動力は馬を遥かに凌駕する。ラトル・ジョニーは強化ガンマンであり、生半な獣に騎乗するよりも走った方が速度も出るため、実際にカモシカに乗ったことはなかったが。


 供されたスープは、カモシカの血でカモシカの骨を煮てカモシカの出汁を取り、カモシカの肉とカモシカの皮を煮込んだ物だった。

 味としては一言、


「カモシカだな」

「はい、カモシカですね。テーマは正直全然覚えてないんですけど、帳面を見直すと、どうも時期的には【新しい〇〇】て奴みたいですね」


 カモシカをカモシカで煮込む不気味さはあるものの、世の中には豚の腸に豚の挽肉を詰めた料理や、小麦粉を小麦粉で包んで揚げた物を小麦粉で挟む料理なんて物も存在するのだ。それらと比べれば、それほど異常な物でもないだろう。



「続きまして、『ヤギの焼いたの』です」

「フルコースなら、次は魚料理じゃないか?」


 店主マスターの言葉にジョニーが問い返すと、


「ヤギは魚です」


 という返答があった。確かに、やぎ座の下半身は魚として描かれるし、ヤギが魚だと言われても全く不自然な所はない。ラトル・ジョニーは深く納得し、皿の上に意識を戻した。


 前菜やスープに比べると量が多めで、胃もたれを起こしそうな感に思えたが、実際に食べてみるとその通りだった。主人公がイケメンに監禁される系の味、とも言えるが、ヤギの癖が強すぎる。

 そう言うと、店主マスターも頷いた。


「【立場逆転】がテーマの恋物語風料理、ということだったんですがね」


 どうも一般受けはしないらしく、完食されないことが多いとのこと。

 ジョニーとしても、コースとして出すより単品で出した方が、ユタの風には合っていたように思う。



 ラトル・ジョニーはヤギ料理を飲み込むと、店主マスターが次の料理を出す前に声を掛けた。


「ビールを」

「承知いたしました。どうぞ、『ソルトレイクの地ビール』です」


 店主マスターは流れるような動作で酒を注ぎ、ジョッキを置いた。

 【夏が来た】というテーマを感じさせるそれは、一応、順序としてはこの酒場サルーンで最初に生まれたメニューだった。アルコールの禁じられたユタ、その中心都市ソルトレイクに店を構えているにも関わらずだ。


「この店を開く時、店舗外装の改修工事をしてもらったんですが、壁のぐるりを足場で囲われ、何ヶ月も延々続いて窓の外も見えませんでね。自棄になって醸したのがこいつです」

「確かに、自棄になったような味がするな」


 ラトル・ジョニーは度数の低いビールを呷り、飲み干す。流し込むように、一息。


「さて」


 薄い気泡が喉奥を刺すのを感じる。


「コースの続きを頼む」


 チロリ、と先の割れた舌が揺れた。

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