#027 ホイップカスタードバナナストロベリー

 竹中さんから詳しい話を聞き出した後、ぼくたちは三年生の教室を退出した。

 そのまま階段へ向かい、次なる目的地を目指していく。

 理由は言わずもがなだろう。今回の騒ぎの元凶となった一年生の女子を探すためである。

 しかし、階段を降りていくぼくの足は微妙に重たかった。


「どうかしたの?」


 前を歩いていた先輩が踊り場で立ち止まり、後ろを振り返って問いかけてくる。

 心なしか沈んでいるこちらの様子を不思議そうな面持ちで見つめていた。

 自分はよほど考えていることが表に出てしまうたちらしい。


「実は先程、竹中さんからお聞きした謎の一年生の女子について、少し思い当たるフシがあります」

「あの、”ニナリナ”という女の子を?」


 先輩が本当に驚いたような顔を作ってぼくのつぶやきに反応した。

 他の異性について自分が積極的に話すのはまあ確かに珍しいことだろう。

 だからといって別に興味があるわけではない。単なる偶然だ。だが、偶然も重なれば【運命】となってしまう。それが良くない展開であれば、【因果】と呼ばれるのだ。


◇◇◇


「ひとつ、確かめておきたいことがあります」


 らしくもなく声の調子を一段、落とした先輩がすぐ目の前に竹中さんへ問いかけようとしている。常にも増して真剣だが、より慎重な態度だった。


「なんだい? ここまで話したんだ、余計な遠慮は無用だ」

「そのように仰っていただきますと恐縮です。では……。あなたがこの一件に全く無関係であると主張されるのは間違いありませんか?」


 失礼であるのを承知の上で先輩は再度、確かめた。

 いくら相手の非を鳴らそうとも、一方の主張だけを無条件に受け入れることは公平性に欠ける判断だ。ならばこその念押しだろう。人によっては不信感を抱いてもおかしくはない……。


「石神くんはどんなときでも冷静だね。では、その気持ちに敬意を込めて……。自分にはいま懇意にしている女性が居る。ひとつ年上で隣の市の大学に通っている人だよ。実は卒業したら一緒に暮らそうかとふたりで話しているんだ。こちらの進路も彼女と同じ場所になりそうだからね……。つまりは、まあそういう関係だよ」


 これは驚いた。いや、というか圧倒された。

 さすがは卒業を春に控えた最上級生である。世界観が大人だ。……大人すぎる。


「え、えっと……。それはおめでとうございます」


 珍しくも先輩が言葉に詰まりながら、おかしな返答をした。

 やはり彼女にとっても竹中さんが自身の潔白を証明するため言い出した未来予想図は、想像の範疇を大きく超えていたのだろう。


「素直に信じてもらえたのは嬉しいね。なので、悪いがあいつが文句を付けているような事実はまったくない。実際、自分はその問題の子と会ったどころか、顔すら見たことがないんだ」

「え? じゃあ、長谷川さんはどうやって竹中さんに事情を伝えたんですか」


 まだ固まっている先輩を引き継ぎ、ぼくが両者のやり取りを聞き出す。


「どうって……。廊下で突然に呼び止められ、なんだか訳のわからないうちに一方的なペースでまくしたてられただけだ」


 当時の状況が手に取るようにやすやすと思い浮かんだ。


「では、該当する一年生の名前もご存知ないのですか?」

「まあそういうことだな。ああ……。でも、『これが証拠だ』とか言い出して、スマホの画面を見せつけられたよ」

「証拠? なにかの画像ですか」


 手詰まり感の漂う中、細い一本の糸がつながる。


「SNSのチャット画面だったな。メッセージの内容までは読み取れなかったが、自分がステージの上で名乗る”JINK”の文字が書かれていた。それと互いのユーザーID、【ピエ太郎】と【ニナリナ】。わかったのはそれくらいだな……」


 おぼろげな記憶を探り出し、かすかなヒントを教えてくれた竹中さん。

 結局、それ以上の情報は聞き出せず、ぼくらは三年生の教室を後にした。


「まだ時間的な余裕があるから一年生の教室がある一階に降りてみましょう。生徒会の子に聞いてみれば、なにかわかるかも知れないわ」


 先輩の提案に従って校舎端の階段を目指す。

 その間、ぼくの心には言いようのないモヤモヤとした気持ちが渦巻いていた。


――何か大事なことを忘れている。とてもくだらない、でも重要な何かだ。


 わだかまりを胸に抱えたまま階段に足を着ける。次の瞬間、稲妻のように脳裏へ天啓てんけいが舞い降りた。


 ◇◇◇


「どういうこと?」


 踊り場で足を止めたぼくたちふたりは真剣な面持ちで討議を開始した。

 原因は自分が唐突に語りだした一年生の女の子に関する情報である。

 

「SNSのユーザーID、”ニナリナ”というのは多分、うちのクラスの仁科莉奈にしなりなさんのことだと思います」

「ニシナリナ、ニナリナ……。符丁としては確かに近いものがあるわね。でも、それがただの偶然であるという可能性は?」


 単なる思いつきに過ぎないことをやんわりと指摘してくる。やはり先輩を納得させるには、ある程度の根拠を提示できなければならない。

 まあ、なくはないんだよな……。

 問題はそれを語った後の副会長の反応である。


「実は……。教室で彼女が長谷川さんのことを友達と話している場面に居合わせました」

「…………へえ。で、それはどういうシチュエーションだったのかしら?」


 思うこと数秒。そのわずかな時間で先輩はこちらが言い淀んでいるのを鋭く察した。

 うん。半分、笑いかけている表情がすべてを物語っているのだ……。


――――――――――――――――


 ある日の休み時間、一緒に時間を潰す友達のいないぼくは自分の席に着いたまま、机に顔を突っ伏して”寝たフリ”をしていた。

 このようなとき、これみよがしに漫画や小説を読んでいたり携帯をいじっていると、周囲と壁を作って自ら孤立するタイプだと思われてしまう。だが、寝ているなら生理現象に抗えなかっただけだ。ある意味、不可抗力。決して他人との接触が苦手でごまかしているとは気づかれない。

 それでも本当の熟睡ではないから、聴覚は周辺環境音を無作為に拾い続ける。

 聞こえてきたのは一番近くの席に腰掛けていたクラスメイトの女の子の声だった。


「なによ、【冷え太郎】って? 」

「違うよ、【ピエ太郎】。うちの学校にいるんだって、そのラッパーが。結構、有名になってるらしいの」

「そんな、冷却シートみたいな名前の人が格好いいわけないんじゃない?」

「えー。結構、渋い感じの人だって噂だよ……」


――――――――――――――――


 いまようやく、そのとき耳にした会話の内容をあらためて思い起こす。ぼくが竹中さんと言葉を交わしていた最中、長谷川さんのラッパーネームに対して抱いた不思議な感想は、これが原因だったのだ。

 教室の席順に従えば、ぼくの近くにいたのは仁科にしなさんとその友達。声と口調から判断すれば、まず間違いない。会話の内容的に、どうも長谷川さんと竹中さんをこの時点では混同している可能性が顕在していた。


「……よく、そんなことまで覚えていられるものね」


 他人からしてみれば、下らないことこの上ない恥ずかしいエピソード。

 それを聞いた先輩が驚くような、もしくは呆れた様子で複雑な声を上げた。

 きっと、本心では笑いをこらえているのだろう。


「まあ、いいわ。そこまで客観的な情報を持っているのであれば、東堂くんの言うとおりにその子が問題の女生徒みたいね。さっそく、あなたの教室に行ってみましょう」

「……ですが、ひとつ問題があります」


 移動を再開しようとした副会長に向かって、小声で都合の悪い事実が存在することを伝える。


「きみが教室内で普段から居場所を見つけられず、入学して半年が経つのに気さくに声をかけられる女の子のクラスメイトがひとりもいない現実にはこの際、目をつぶっておくわ」

「その点は別に否定しません」

「……………………しないのね」


 居直りにも似たこちらの返答に先輩が思わず絶句しかけた。

 いや、そんなことはいま目の前の問題に比べれば正直、どうでもいい。


「では一体、何を心配しているの?」

「彼女は、ぼくらが潰した文化祭の出し物『おもいっきりステーキ』を企画していたグループの一員です」

「……………………そうなのね」


 こちらの懸念に、さすがの先輩もしばし沈黙した。

 あの判断に間違いはなかったのだと、いまでも自信を持って言える。それでも否定された側の人間からすれば、ぼくらは決して許しがたい存在なのだろう。

 なのに今度は自分たちのトラブルを解決するために力を貸してほしいと請われたとき、果たして彼女は素直に応じてくれるだろうか?

 ぼくが案じているのは単純な善悪の二元論ではない。正義はそれぞれの立場によっていくつもある。仁科さんにとって、ぼくや副会長は明らかに『許されざる者たち』だろう。


「東堂くんの気が重い理由は十分、わかったわ。それでも悩んでいるだけでは現実は変えられない。だったら、わたしは恐れずに前へ進んでいくだけよ……。覚悟を決めて付いてきなさい」


 強気に語って先輩がもう一度、こちらに背中を見せた。

 やはり彼女は王者だ。敵には立ちはだかり、味方には後ろを預ける。

 こうしてぼくらは複雑怪奇なパズルのラストピースを埋めるため、校舎の一階へと進んでいった。


 ◇◇◇


「失礼するわ」


 教室の扉を開け、突如として現れた上級生の姿に室内の視線が一点集中する。


「ち、千景さま……。いえ、副会長!?」


 入り口近くの席に着き、間近に憧れの存在をの当たりとしたクラス委員の山口さんが感極まった声で先輩を出迎えた。


「このクラスの仁科莉奈さんはいるかしら? 少し聞きたいことがあるのだけど」


「に、仁科さんですか……」


 山口さんの視線が教室内を漂い、該当の人物を探した。だが、彼女の目は目的の人物を捉えられず、どこからも呼びかけに応じる気配はない。


「……東堂くん」


 予想外のアクシデントに先輩は子首をかしげて、こちらを向いた。小さくぼくの名前を呼んで現状の追認をしてくる。


「どうやら、教室内にはいないようですね。少し、探しましょうか?」

「そうね。せっかく来たんですもの。無駄足にはしたくはないわ……」


 その方針を受け、後方に控えていたぼくは先輩の手前に移動した。

 人探しは侍従の役割である。


「石神先輩! こちらへどうぞ!」


 不意に山口さんがうわずった感じの声を出した。視界を移すと、自ら席を立って直立不動のまま、空いたイスを憧れの存在に勧めている。

 彼女の座席は廊下側の壁際に位置していた。そこからは室内をあまねく睥睨へいげいするには格好の場所である。


「そうね……。ここにいても邪魔になりそうだし……あなたは?」

「このクラスの委員長をしている山口と申します」

「ありがとう、山口さん。遠慮なく座らせてもらうわ」


 かしずかれることに慣れた様子で先輩は堂々と座席に腰を下ろした。

 直接にお声がけをして頂き、いまにも泣き出してしまいそうな気配の山口さん。

 多分、あのイスはキリストがローマ軍の取り調べを受けた際、腰掛けたとされる聖墳墓教会の聖遺物と同様の扱いを受けるだろう。それくらい常ならば冷静なクラス委員長のテンションがこのときばかりはちょっとおかしかった。

 まあ、女王陛下の歓待は地方の実力者のほまれと聞く。ここは山口さんにおまかせしておこう。


「としてもだ……」


 では次にだれを頼るかで悩んだ。クラスの女子の行方をつかむなど自分には到底、不可能である。ならば他の子にお願いするしかないのだが、当てにしていた委員長があの調子ではそれも難しい。


「滝口さん、仁科さんってどこに行ったか知らないかな?」


 ぼくらを囲むように見つめているいくつもの視線。その中につい最近、深く関わったふたりの女の子を見つけた。色素の薄い茶色の髪に白い肌。彼女は同じクラスの滝口さん。隣には浅く色づいた肌に短めの黒い髪、健康的な表情が強く印象的な女子がいた。ふたりの目立つコントラストは嫌でも周囲の注目を惹きつける。彼女たちは『調理研究部』に所属する一年生の生徒たちだった。


「ニナリナちゃん? うーんと……どこだろう」


 見知った顔に勢いで助け船を求める。だが、反応は大してはかばかしくもなかった。

 しかし、別に明らかとなったことがある。正体不詳な『ニナリナ』とは、やはり我がクラスの仁科さんで間違いなさそうだった。


「あ! うちのクラスで見かけたわよ。ちょっと待ってて、いま呼んできてあげるね!」


 滝口さんと同じ場所にいたもうひとりの一年生が声を上げる。それから弾むような動きで教室の出入り口へと駆け出していった。

 彼女は違うクラスの夏川さん。調理研究部の一年生で他人の顔を一度で覚える妙な特技を持っていた。先輩はその能力を高く評価して、生徒会に引き入れようと画策しているが、現在までうまくはいっていない。


「あら、夏川さん。お久しぶりね、変わりなく元気そうで何よりだわ」


 存在を認めた副会長が自然と微笑みを浮かべて、お気に入りの一年生に声をかけた。

 夏川さんは小さく会釈を返して、教室の外へと姿を消していく。


「相変わらずせわしないわね……」


 キビキビと動く女の子をうれしそうに眺めながらひとりごちる。

 そのつぶやきを耳にしたであろう山口さんが唇を強く噛みしめるような表情を浮かべていた。どうした?


 ほどなく廊下から二人分の足音が響いてくる。

 すぐに入り口を抜けて、夏川さんともうひとりの女子生徒が教室内へとなだれ込んできた。


「あ。本当に副会長じゃない。ウソじゃなかったんだ……」


 前髪を上げた、ゆるいウェービーロング。袖まくりをして着崩した制服。他の人よりもハッキリと短いスカート丈はウエストを中に織り込んでいるからだろう。先輩とは違う意味で目立つ顔つきはうっすらとした化粧のせいだ。

 彼女が仁科さん。クラスの中でも良く言えばマイペース。悪しざまに捉えると自分勝手な

言動が多い子だ。普段のぼくにとっては天敵に近い存在である。

 そして彼女は麗しき副会長の姿を認めると、臆する気配も見せずにズケズケと近寄っていった。


「ちょうど良かった。ねえ、副会長。ひとつ提案があるんだけど、例の屋台をチョコバナナからクレープ屋に変更したいの。どうかな?」

「……随分と急な話ね。でも、クレープなんて簡単に学生が作れるものなの?」

「大丈夫ですよ。クレープ屋なんて実質、ホイップとカスタードクリーム、それにバナナとストロベリーで注文の八割はカバーできちゃうから」


 出会って三秒であけすけに語りかけていく。

 怖いもの知らずと言うか、大胆不敵な提案に教室中が固唾かたずを飲んで成り行きを見守っていた。そうした好機な視線に混じって、クラス委員の山口さんだけはなぜだか様子がおかしい。

 いつもの人格者と名高い笑顔とは違って、このときは見るだけで相手を射殺すような険しい顔つきをしていた。【信者】と言う表現がぼくの脳裏をかすめていく……。

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