#026 アンサーとパンチライン
翌日の昼休み、ぼくと先輩はふたたび三年生の教室が連なる教科棟三階へとやってきた。
目指すは竹中さんが在籍しているB組の教室。まだ放課後ではない昼の校舎なので、廊下を行き交う生徒たちも多い。昨日以上に奇妙なふたり連れは人々の奇異な視線を集めていた。
そんな衆人環視の網を先輩は気にする素振りなど、おくびにも出さず闊歩していく。どうやら一晩が経過したことで、いつもどおりの精神状態を取り戻したようだ。
かと言って、前回のような出会い頭にメンチの切り合いをするような態度では、うまくまとまる話もまとまらない。
――ここはひとつ、自分が釘を刺しておかねば……。
「あの、副会長……」
「どうしたの?」
「今日はまず、最初に自分が話をさせてもらってもいいですか?」
後方からおずおずと提案する。思わぬ言葉に先輩が前を往く足を止めて、こちらを振り返った。
「随分と積極的なのね。何か心境の変化かしら?」
探るような視線と、ぼくの心をのぞき込むような問いかけ。瞬く間に挙動不審を引き起こしそうになる。
「え……いや、その……。男同士のほうが話がしやすいというか……。スムーズにことが運ぶと思いましたので」
間違ってもここで、”あなたが心配だから自分に頼ってほしい”などと思い上がった発言をしてはいけない。この人は何よりも同情されることを嫌うからだ。
”君主は
現代にも通じる
後の世に『
「わたしが前に出すぎると、却って揉め事の種を撒き散らすから?」
「あまり相手を刺激したくないという理由からです。人間は根本的に自分たちを管理する偉い存在が嫌いなんですよ。副会長個人の性格や振る舞いが問題ではありません。あなたの立場が相手を警戒させるのです」
表現を和らげて先輩に誤解されないよう説得を続ける。何より重要なのは彼女が率先して前面に立とうとするのをどうにか思いとどまらせることだ。
喧嘩の芽は早めに摘み取る……もとい、面倒を避けるには何事も穏便に入っていくのが一番。有り体に言えば低姿勢を維持するという話だ。それが可能なのは自分だけなのである。
「……あなたがいつまで経ってもわたしに懐かない理由のひとつをいま知ったわ。つまりは面倒な交渉事は東堂君に任せて、こちらは後ろでふんぞり返っていればいいわけね?」
「まあ、そういう感じで差配していただければ自分としてもありがたいです……」
努めて冷静に状況への対応を優先する。結局のところ、世の中は適材適所なのだ。似合わぬ役割に四苦八苦するくらいなら、誰かにその使命を自分に代わって担ってもらえばよろしい。それが処世術というものだ。
「……構わないわ。きみがやりたいようにやればいいの。そうすることが、わたしの望みよ」
先輩が鷹揚に答えて自らの度量を示した。
君主にとってもっとも必要な
やはり彼女は生まれながらの王者であるのだ。努力や経験の積み重ねだけでは到底、たどり着けない運命の星のもとに生を受けている。
「わかりました。では、ぼくが
互いの役割分担を確認した後、三年B組の教室へと向かう。
閉ざされていたスライドドアに手をかけ、なるべく音をたてないようにゆっくりと扉を開いた。静かに広がる視界の中でこちらを気にかける人影はごくわずか。これでいい。無用に注目を集めてしまう必要は微塵もないのだ。
「すいません。生徒会の関係者ですが、こちらに竹中先輩はいらっしゃいますでしょうか?」
入り口近くの席に腰掛けていた女子生徒に声をかける。
向こうも突然、やってきたクラス外の人間に驚いていたようだが、
すぐに教室内を見渡して、名前の上がった人物を見つけ出したみたいだ。
「竹中くん。生徒会の子があなたに会いに来てるよ」
よく通る声で
みな、すぐに視線を戻し、つかの間の休息をくつろいでいく。
そんな中、窓側の席から立ち上がったひとりの男性がこちらを目指して歩いてきた。
短めの頭髪に浅く色づいた肌。ガッシリとした体格。精悍な顔つきは武闘家の
――あれが
ぼくの想像どおりの外見でちょっと驚いた。昨日、生徒会準備室にもどってから先輩に教わった情報では結構、地元で有名なヒップホップのラッパーとして活躍しているらしい。
さまざまなイベントにも積極的に顔を出して、徐々に人々の注目を集めているとも……。
「自分が竹中だけど……おや?」
すぐ近くにまでやってきた竹中さんがぼくの方を見ながら自己紹介をした。その途中、後方に控えている副会長に気がついて視線を移す。
「やあ石神さん、久しぶりだね。……ということは、君が噂の副会長のボディガードかな?」
こちらの返答を待たずに、いきなりやって来た珍客の正体を探り当ててみせた。
そして、ビックリしたことにぼくを普通の人間扱いする常識人であったのだ。長谷川さんと発言の中身は同様だが、表現がまるで違う。もうそれだけで”いい人”確定であった。
あ、副会長は……。
悪い人間ではない、ただ自分の気持ちに正直なだけで……。
「ご無沙汰しております、竹中先輩。今日はちょっと、お伺いしたい用件があって突然にやって参りました。失礼の程、どうかお許しください」
「ん? なんだろうね……。まあ、特にやることもないから時間は気にしなくてもいいよ」
「恐れ入ります。では詳細はこちらに居る文化祭実行委員の東堂くんからお聞きください」
流れるようなあいさつの後、先輩がぼくの名前を告げるとともに対応を一任した。
さて、お膳立ては無事に整ったわけだが……。
「文化祭の実行委員……。一体、何かな? 今年はパフォーマーとして参加する予定はないはずだけど……」
開口一番に出鼻をくじかれた。話がまるで噛み合わない。
どういうことなのだ?
「体育館で行われる有志のステージ発表には出場しないのですか?」
「ああ、そのつもりはないよ。自分は去年の文化祭で舞台に登った。だから今年は遠慮したんだ。それにいまは色々な場所でステージに立たせてもらっている。だから今回は他の人たちに最初から譲るつもりだったんだ」
なんという人格者!
まあ素人と言っても、広く活動している現状ではいまさら学校の文化祭に無理して出る必要性もないのだろうけど……。
しかしだ。これは明らかに長谷川さんの主張と矛盾している。どういうことだろう。
ん? そう言えば……。
『JINKにもそう伝えておけ、いいな!』
昨日の別れ際、長谷川さんの言い残した捨て台詞が頭の中でリフレインする。
ひょっとすると、彼は対戦者に指名した竹中さんの了解さえ取っていないのか!
まさかの展開に思考が
念のために確かめておこう。
「あの……。実は、いま同じく三年生の長谷川先輩が急に自分も文化祭に出ると主張して、少しばかり対応に苦慮しています。その計画には竹中先輩の名前も挙がっていて、どういった事情なのか直接、お話を聞きに来たわけなのですが……」
「長谷川? ああ、【ピエ太郎】か」
随分、冷えそうな名前だなと思った。
イヤ、違うのだ。わかっている、これはステージに出てパフォーマンスを行う際、アーティストとして名乗るラッパーネームなのだろう。竹中先輩が本名の一部をもじって”JINK”と付けたように、長谷川先輩も自分の名前を少しだけいじったのだ。
――それにしても、意外と茶目っ気があるんだな。
予想外のセンスについ我が耳を疑った。
「長谷川さんの企画は、竹中先輩と一騎打ちでラップバトルを行うというものでしたが?」
「……すまないが、まるで知らないな」
やはりか……。結局、今回の騒動は一から十まで長谷川さんがひとりで勢い任せに物事を進めようとしていただけなのだ。
では次に、その原因を調べる段階となったわけだが……。
「あの、つかぬことをお聞きしますが、竹中さんは長谷川さんとどういったご関係でしょうか?」
「特に……。同好の士という以外に接点はないよ。同じステージに立った経験もないからね。正直に言うと、友達ですらないな」
プライベートな人間関係に踏み込むのはいささか気が引けるが、聞いてみた印象としてはなんと言うかそっけない。いや……。明らかに該当の人物を忌避している様子がうかがえた。なぜだろう?
「音楽の話もされたことはないのですか?」
「三年間、一度も同じクラスになったことがないからね。それに……彼とはちょっと性格的に合わないかな」
なんともバツの悪そうな表情を見せた竹中さん。
うーん……。これはもしかすると、もしかするのかな?
チラリと視線を動かして先輩の顔を見やる。互いの目が合った瞬間、彼女が小さくうなづいた。
はいはい、わかっておりますよ。この辺で、いよいよ核心に迫れと言いたいのですね。
しょうがないか……。いつかは触れなければならない問題だ。ここまでの質疑応答でおおよその答えは見えてきた。あとは直接に確かめるだけだ。
「竹中先輩。ひょっとすると、あなたは長谷川さんがなぜ文化祭のステージに出ようと思いついたのか、心当たりはありませんか?」
その質問に三年生の表情が不意に
手応えありだ。思わず息を呑んだのが、ぼくの視界にもハッキリと見て取れた。
「それは……。いや、駄目だな。事はすでに自分たちだけの問題ではなくなった。きみたちがここへ来たのが明らかな証拠だ。悪かったね。確かに自分と長谷川の間にはひと
重い口を開いて竹中さんが述懐する。これで原因はわかった。あとは細かい事情をなんとかして聞き出したいところだが……。
「ようするに単なる『ビーフ』ということなの?」
唐突に先輩が口を挟んだ。むしろここまでよく我慢したと褒めるべきだろうか。
ちなみにビーフというのは、ヒップホップシーンにおけるスラングのひとつで、演者が舞台上のみならず様々なシーンでお互いをディスっていく様相を指している。
まあ、つまりは……大人のガチ目な口喧嘩だ。
某有名ハンバーガーチェーンの攻撃的コマーシャル手法に由来を持つこの単語には、心なしか喧騒を
まだヒップホップというものが本場のアメリカでも強い地域性を帯びていた時代、東西を代表する伝説的なカリスマMCが激しい衝突の末に両者がともに殺害されたという悲劇を繰り返さないためだ。
「まあね。だが、自分としては彼の相手をするつもりはないよ。いまはもっと大きなステージでたくさんの経験を踏ませてもらっている。いまさら学生同士の小競り合いに巻き込まれても正直、迷惑だ……」
「JINKという名前のミュージシャンが近頃はライブハウスのステージに立っていることは調べてすぐにわかりました。正直、酒類の提供を行っている場所に未成年が
「ぜひ、そうしてもらえるとありがたいね、副会長殿」
先輩が言葉巧みに最上級生の懐柔を試みていく。
昨日までは何も知らなかったのに、わずか一晩で界隈の事情や歴史に通じてしまっている。見た目には古風な印象を漂わせる女性だが、実態はデジタルガジェットを使いこなし様々な情報にアクセスする極めて現代的な女の子だ。
「それに、わたしたちであれば、いま現在あなたの心を悩ませている厄介事に対処することも可能であるはずです。よければ、もっと詳しい話をしていただけませんか?」
いよいよ真相に差し迫る。本当に対処可能な事態であるのか、ぼくにはちっとも見当がつかない。ただ、先輩の自信あり気な態度を見ていると、つい
魔女とは人の心の弱みに付け込んでいく存在なのだ……。
「……わかったよ。君たちの力を借りよう。実は一週間ほど前、長谷川から突然に呼び止められて因縁を付けられた」
因縁とはこれまた物騒だな。
きっと長谷川さんのことだ。例のあの調子で竹中さんにも迫っていったのだろう。
その時の光景がありありと思い起こされる。
「なんでもあいつのファンである一年生の女の子に、自分がちょっかいを出しているとかなんとか……。もちろん、こちらにそんな事実は毛頭ない。だからと言って素直に聞き入れてくれるような人間ではないのは君たちも知ってのとおりだろう。なので自分としては相手にもせず全部、無視しているわけだよ」
ちょっと疲れたような表情で抱え込んだトラブルの詳細を語っていく。
なるほど、だからいつまで経っても埒が明かない状況に
ようやくと事の全容がわかりかけてきた。
しかし、原因となったのが一年生の女の子とは……。とんだ
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