#024 羊たちの暴走

 その日は珍しいものを見た。

 いつものように生徒会準備室で仕事を進めていると、外から扉をノックする音が響く。

 隣に座った先輩が応答するよりも早くスライド式のドアが開かれ、見慣れない人影が視界に現れた。


「……会長」


 驚いたような彼女の声。それほどに意外であったのだろう。実はぼくも同様だった。

 姿を見せたのは、この学校の現生徒会長・閑院門秀峰かんいんもんひでみね先輩。


――生徒会長が生徒会準備室に顔を出すのがそんなに珍しいことなのか?


 と問われれば、迷いなくイエスと答えられる。

 事実、自分がここに通うようになって今日、初めて会長さんをこの場所で見た。

 ある日など冗談混じりに先輩から、「生徒会にやってきた回数はすでに君の方が上回っているわよ」と伝えられて目を丸くした。

 続けて、「ご褒美に今日は会長の席で仕事をしてもいいわ」などと勧められたが断固として辞退する。下手すると、【予約席】になってしまいそうな悪寒を感じたからだ。


「珍しいですね。なにか御用ですか?」


 心持ち上ずったよう声で先輩が尋ねた。

 すごいものを見たぞ。『茨の女王』が慌てている。

 だが、そもそも前提がおかしい。この部屋の主は本来、生徒会会長である閑院門先輩なのだ。


「い、いや……。大したことじゃないんだ。こ、これを預かってきたから、渡しておこうと思って。きょ、今日も予定があるから悪いけど、後のことは石神くんと東堂くんのふたりにお任せするよ……。い、いつものように、うまい感じで処理しておいてくれないかな?」


 たどたどしく用件を伝達する生徒会長。手にした一枚の紙をこちらに向かって差し出す。椅子から立ち上がった先輩が用紙を受け取るまでの間にサッと目を走らせた。

 自分が見慣れない様式の書類。一番最初に書かれていた文字列は【講堂利用申請書】。

 平たく言い直せば、体育館のステージを使うわけか……。

 文化系クラブとしては確か午前中に吹奏楽部と演劇部が例年通りに公演を予定していた。

 両者とも長い歴史と伝統に彩られた王道中の王道を往く部活である。ぼくのような新参者があれこれと気を回す必要はない。すでに実行委員会との連携や必要書類の整備は完璧に終わっている。


「これって、午後からの有志の発表会ですか?」


 書類を手にした先輩が中身を確認した後、閑院門先輩に問いただした。

 やはりそうか。この時期になって、個別の案件として申請を届け出るパターンはひとつしかない。

 文化祭当日の午後から二時間の予定で執り行われる有志によるステージ発表。

 要は個人で活動しているバンドやダンスユニットがこの機会に日頃の成果を見てもらおうという催しなのだ。そして、午前中に行われる演目がどちらかと言えばお堅い内容であるのに対して、こちらは断然、サブカルチャーに偏った構成となっている。つまりは、その時代の流行りものを素人同然の生徒たちが次々に繰り広げるのだ。

 下手の横好き……。などと評するのはさすがに厳しいが、故に楽しい。

 なんと言っても気軽に楽しめるから。


「すでに舞台の組み合わけと順番は決定済みですよ。関係者間の調整はしているのですか?」


 珍しくも鬼気迫る形相で閑院門先輩に迫る副会長。

 さもあらん、すでに二時間の舞台はワンステージ十五分、計六組でプログラムされているからだ。残りの三〇分は前後の入れ替えのための準備時間である。これは困難な調整作業の末にようやく決定された時間割なのだ。


「調整? い、いや……ぼ、ぼくはよくわからないんだ。なにせ、上級生の先輩から無理矢理にこの用紙を手渡されただけなので」


 実にあっけらかんとした表情で悪びれもせずに会長さんはそう答えた。事態の深刻さを一ミリも理解していない証拠である。

 なにせ、出たい人間は山ほどいる。だが、チャンスは年に一度きりでステージに立てる人数には限界があるのだ。必然、そこには【調整】という名の”年功序列な力学”が作用する。基本的には三年生が優先だ。一年生はよほどの人物か、他の上級生に混じって舞台に上がるくらいしか機会はない。


”この時期の三年生がそんなに浮かれていて大丈夫なのか?”


 という疑問には、出れるのは推薦等で進路が確定している者だけとされている。


「と、とにかく、ややこしい問題は君たちに一任するよ。そろそろ下に迎えの車が到着するから、ぼ、ぼくはこのへんで……。それじゃあ、頑張ってくれ給え」

「あ! ちょっと、会長……」


 自分が伝えたいことだけを伝えると、閑院門先輩はそそくさと扉を抜けて出ていった。あとに残されたのは、絶望に打ちひしがれたような顔色の副会長とその美しい横顔に思わず見とれてしまったぼくだけである。


「どういうつもりなのよ、一体!」


 ふたりきりにもどった瞬間、先輩は手にした用紙を机の盤面に叩きつけた。

 ドン! という激しい物音が起こる。視界には荒々しい文字で記されたステージ使用の申請内容が読み取れた。


――――――――――――――――


講堂利用申請書


学年クラス 3ーA


申請者 長谷川比叡汰


発表内容 フリースタイルMCバトル


――――――――――――――――


 書かれている項目を確認して、ひとつ気になることがある。


長谷川はせがわ……なんと読むのでしょうか、この名前は? ひえいた?」


 昨今の個性的な人名はもはや一読した程度では判別不能なケースも珍しくない。

 書かれている漢字をそのまま口にしてみたが、自分でも違和感は十分に覚えていた。


「長谷川比叡汰ピエタ。素行にいささか問題がある三年生よ」


 さすが先輩。在校生の名前くらいは完璧に把握できているわけか。それにしてもだ……。


「母親の名前は”聖愛マリア”でしょうかね……」


 いわゆる【キラキラネーム】というものに反応し、思わずつぶやいてしまった。

 ピエタというのは、キリスト教文化圏における宗教的モチーフのひとつで日本語にすると『聖母子図』となる。具体的には、はりつけにされて昇天したキリストの遺骸を母マリアが悲しみに暮れながら抱きかかえている構図だ。これらは絵画や彫刻の代表的な題材として多くの作品群が残されている。もっとも有名なものは、ミケランジェロによる大理石像だろう。

 それにしたって、息子の名前に子供と死に別れた母親の悲劇を表す言葉を付けるのもすごいな……。まあ敬虔なクリスチャンである可能性がないわけでもないが。


「保護者の名前まではあいにくと覚えていないわ。それよりも東堂君、この申請書の中でわたしに理解できない単語が含まれているの。きみの博識に頼ってもいいかしら?」

「意外ですね。どの部分ですか」

「ここよ」


 指先で示した箇所には”フリースタイルMCバトル”の文字が記されていた。

 なるほど。先輩には興味も関心もなさそうな世界である。

 さてはて、どう説明すればうまく伝わるだろうか。なにせ、ぼく自身も特段に造詣ぞうけいが深いわけではなかった。あくまでも一般論としてどのようなことが行われているのか、概要を収めているに過ぎない。


「ええっと……。簡潔に述べると、流れてくる音楽に合わせて複数の演者が互いの主張を交互にぶつけ合い、より強いメッセージ性を感じさせた方が勝者となるゲーム的要素を持った出し物ですね」

「つまりは大喜利?」


 なぜ、そのような発想に至ったのか、これがわからない。

 時々、ぼくの予想の斜め上を行くのが彼女の才能である。


「き、基本はDJより流れてくるトラックに合わせて、先攻と後攻の奏者がそれぞれ八小節の歌詞を二から三ターン付けて歌います。この際、重要なことは相手をDISる……ディスリスペクトによって器用に対戦者をやり込めたほうがオーディエンスの支持を受けて勝利するという点ですね」

「やっぱり大喜利じゃない。【緑】と【紫】の丁々発止のやり取りを観客がひと笑いした後、司会進行役がどちらかの座布団を一枚、取り上げてその日の勝者を決めてしまう流れと同じだわ」

「そう言われると返す言葉が見つかりませんね……」


 何故に彼女が長寿を誇る日曜夕方の演芸番組にそこまで拘泥こうでいするのか真意はつかめない。が、その感想があながち間違っているとも思えなかったので、まあ良しとしよう。細かいところにあれこれこだわっていると話が進まない。


「それで、このネタの所要時間はどれくらいなの?」


 ネタ、言うな。完全にお笑い番組のノリである。


「先程、説明した一連の流れが一ラウンド。最短だと二ラウンドで決着が付きますが、両者の実力が拮抗している場合などは三ラウンドに及ぶことも珍しくはありませんね。平均的だと……一〇分から一五分と言ったところでしょうか」

「やっぱりステージ一組分くらいは必要なのね」

「機材として、スクラッチ可能なターンテーブルかCDやデータをMIXできるDJ及び、それらを加工するミキサーの搬入等もありますから、準備にもそれなりの時間がかかります」

「……ますます絶望的だわ」


 こちらの解説に顔をうなだれながら、やるせない思いを吐き出す副会長。

 気持ちは自分にも十分、わかる。実際、ステージの構成をいまさら変更することなど不可能に等しいのだ。出場希望者を交えての企画会議で各方面の難しい調整を行った上、現状のプログラムは完成している。もう一度やれと言われても、無理な相談だった。


「各組の持ち時間を三分づつ削って、もう一枠を確保するわけにはいきませんか?」


 建設的に妥協案を提示してみる。まずはブレインストーミングだ。


「それを考えないわけでもなかったわ。でもね、現状のプログラムですら実際には遅れてしまう可能性が高いのよ。わたしの予想では、一〇分ほど終了時間を延長すると見ているわ」

「では、やはりだれかに辞退してもらうしかありませんか……」

「そういうことね」


 こちらが提示した次善策に意を決したような表情で答える先輩。

 まあ、それが現実的な解決方法であることはまったくの同感だ。


「しかし、いまさら出場を取り止めてほしいと言われて、素直に応じてくれる人がいるのでしょうか?」


 一抹の不安を口にする。

 そもそも後から割り込んできた人間のために席を譲れという方がおかしいのだ。世の中には【道理】というものがあるのだから……。


「そんな無法がまかり通るようでは世も末よ。少なくとも、わたしは決して認めないわ」

「え? で、でも、だれかに舞台へ上がるのを諦めてもらうのですよね……」


 背反はいはんする副会長の方針にしどろもどろとなりながら聞き返した。


「諦めてもらうのは、この人よ」


 もう一度、机の上の用紙を指さし、宣言する。え……?

 あー。うん、それが【正道】であることは間違いない。割り込みをかけようとした不埒者ふらちものに掣肘を加え、大人しく順番を待つように教導する。

 それは立派な方針だ。だが……。


「しかし、会長が一旦、受理したものを副会長が覆すことなど実際に可能なのですか?」


 この世には【特権】というものがある。

 面倒なルールや手続きを一切合切、無視して、無理矢理に条件を成立させてしまう超法規的手段。キレイに表現すればトップダウン方式だが、あげつらうように語れば、単なる”ワンマン”だ。だが、現実には時としてそうした即断即決が必要な場面も多々ある。

 問題は権利の恣意的な行使だ。濫用とも言えよう。今回のケースなどは、その最たるものだ。しかし、権利は権利である。一度、発令されたオーダーは組織が強固であるほど愚直に遂行されてしまう。それがいかなる悲劇につながろうとも……。


「わたしは執行権限については会長から全てを委託されているから問題はないわ」

「相手にその理屈が通じるといいのですが……」


 心の中で密かに感じていた懸念材料を口にする。

 申請者である長谷川さんは、まさに現生徒会における権力の二重構造を巧みに利用してきたのだ。事実として、会長と副会長の職務上の役目はもはや両者とも見分けがつかない。一部では「わが校に”生徒会長”などという人間は存在しない。居るのは【名誉生徒会長】と【実質的生徒会長】たる副会長だけだ」と囁かれているのだ。

 確かにぼくもそう思う。


「とにかく、ぼんやりとしてはいられない。この時間帯なら、まだ生徒たちも校内に残っているから直接、会いにいってみるわ……」


 状況を確認し、対策を検討し、果敢に行動する。

 リーダーとしての資質をこれ以上無いほどに発揮する先輩はまさに生徒を代表する存在だった。


「けれど最上級生が相手では、交渉も一筋縄とはいきませんね……」


 もう一度、椅子から立ち上がった副会長を見上げ、前途の多難さを憂いた。

 同級生や下級生に対してならば先輩はいつもの調子で敵を圧倒してしまうだろう。

 しかし、ひとつ年上の三年生となれば、事情が違ってくる。歳月を重ねた上での年齢差ではないのだ。必然、ただ先に生まれたというだけで発言力には雲泥の違いが出てくる。まあ、ぼくがいつも先輩にやり込められているのは、ほかにも原因があるけど……。

 それほどまでに一〇代の少年少女にとって、『先輩後輩』という間柄は容易に埋めることも超えることも適わない深い深い溝なのだ。よほどの【覚悟】と【勝算】が無い限り。


「ひとりでは不可能でも、ふたりだったら何か突破口は見つけられるわ」


 もはや当然と言った感じで同行を求められる。まあ、わかっていたし、放ってもおけないので、こちらとしては手間が省けた格好だ。言われなければ志願してでも付いていっただろう。


「会長自らのご指名よ。覚悟を決めて付いて来なさい。あたもいよいよ生徒会に馴染んできた証拠ね」

「…………そうですね」


 先輩のからかうような声に、ぼくは少しだけ声を詰まらせた。

 彼女はそれをいつものように自分がとまどっているのだと思ったのだろう。

 特に気にする素振りもなしに勇んで部屋を出ていった。

 羊を巡る冒険がいま始まったのである。

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