EPISODE #05 狂騒のエディット
#023 世界が生まれた日
これは本校の関係者なら知らぬ者など存在しない周知の事実であるが、重要なのは彼女が【副】会長という役職であることだ。
もっとハッキリ指摘すれば、「会長じゃないのか?」というツッコミは多々ある。
もちろん彼女が副会長である以上、【会長】は別にキチンといるのだ。
名前は
むしろ、悪目立ちがすぎる副会長のほうが問題だろう。
で、この閑院門先輩であるが、正直に言うと存在感ははなはだ薄い。ほぼ、『ない』と断言しても差し障りがないレベルだった。なぜなら、学校にはあまりいないから。
別に不登校がどうこうといった問題を抱えているわけでない。いささか体が弱いので、よく体調不良で欠席しがちなだけだ。さらに実家がこの地方で多くの関連企業を抱える有数な名士であるため、放課後は”帝王教育”と称した個人レッスンを受けるために長居は出来ないらしい。
――ではなぜ、そのような人物が【生徒会長】という要職に?
当然の疑問だが、この街で暮らす人間であれば『閑院門』と聞けば、とまどいは確信に変わる。理由はその名前を持つものは時や場所、男女の
なので、新入生が入学してまだ間もない一学期に行われた生徒会選挙。そこで彼が有力な候補者として立候補した時、高校生活にまだ疎い一年生であっても、他にだれも対立候補が現れなかったことに違和感は湧かなかった。
かくして信任投票となってしまった生徒会会長戦ではあるが、閑院門家の名声と名誉がかかっている以上、単に受かれば十分ということではなさそうだった。
具体的に言えば、圧倒的信任を得なければ示しがつかないわけである。
「自分がこの学校の生徒会会長となった暁には、ひとつだけ約束する。それは、副会長に石神千景さんを指名し、彼女に全権限を委託する事。自分と同格の立場を与えるので、みなさんどうか安心してください」
全校集会で会長候補として登壇し、軽い挨拶のあとに述べられた選挙公約は色々な意味で前代未聞だった。
そもそも自ら責任者に名乗り出た人間が開口一番にすることが第三者への権限の付託であり、ましてやそれを約束事項に掲げるというのは意味不明だ。
入学間もなく、まだまだ校内の人間関係に詳しくなかった自分としては、
――何が何やら。
事態の推移を見極められない単なる一新入生としては言葉の意味を真っ直ぐに受け止めるしかなかった。
それから、そそくさと後方へ退いた閑院門先輩に代わり、ひとりの女の子が登場した。
長い髪が邪魔にならぬよう濃い色のカチューシャを頭に着け、真っ直ぐに背筋を伸ばした姿勢で人々の前に現れた立ち姿は一切の誇張なく美しかった。
「……あれが石神先輩?」
噂程度には聞いていた。
この学校にはとんでもなくキレイな女生徒が在籍していると。
個人的には、たかだが十代の少女で『カワイイ』ではなく、『キレイ』だと称されている状況は少々、胡散臭く感じていた。話半分で聞いておくのがいいだろうと。
しかし、初めて目の当たりにした【石神千景】の美貌は間違いなく噂通りであった。
正直、綺麗すぎて視界に映る人物が本当に実在しているのか自分の目を疑った。整いすぎた容姿は却って人を遠ざける。”
「石神先輩……」
呆けたような声が近くから聞こえてきた。
目を向けると、隣に立っていたクラス委員長の山口さんがまるで憧れの存在を
眺めるような真っ直ぐな瞳を演台の上級生に向けている。
正直に告白すると、このとき先輩が応援演説で何を喋ったのかはまるで記憶がない。のちの『暴言女王』にしては、あまりにも無難な発言に終始していたからだろう。いまから思えば、あれが【外向けの顔】であったのは疑いようもないのだ。
こうして閑院門先輩は無事、圧倒的多数を持って生徒会会長に信任された。
だが、当然のようにひとつの疑問は残る。
”なぜ石神千景は自ら生徒会長として立候補しなかったのか?”
という謎だ。彼女であれば、様々な諸事情を考慮しても有力な候補者として多くの支持を集めただろう。結果として『ほぼ生徒会長』のような立場と権限を手にしたわけだが、だからと言って現在のような地位に甘んじているのは、端的に表現すると”柄に合わない”のだ。
「石神さんの御両親は閑院門家と深い関係の企業に勤めていて、彼女はそうした”大人の事情”から立候補を諦めたのだ」
なぜなら、本人たちがこの件については一切、口をつぐんでいるから……。
「結果として、【独裁者】の誕生を阻止できたわけなので、これはこれでよしとしよう」
副会長の本性を見抜いていた、ごく一部の生徒たちは安堵のため息とともにそう語っていた。
閑院門先輩の立場と、見た目と能力は文句のつけようのない有能な副会長がコンビとなって学校行事を取り仕切る新体制は、在校生たちを安心させる判断材料となっていたのだろう。だが、その希望はすぐに打ち砕かれる結果となる。
選挙の翌週に行われた、生徒たちをグラウンドに集めての全校集会。
そこでは新しく組織された生徒会メンバーがお披露目がてらに自己紹介を行う予定であった。
「あれ?」
せっかくのハレの日であるのに、肝心の生徒会長の姿がどこにも見当たらない。
代わりに威風堂々とした様子で副会長がステンレス製の演台に登った。
凛とした表情で一段の高みから下々を見下ろす光景は、まさに【女王】の風格で満たされている。
「本日は生徒会長が『病欠』したため、わたしが会長代理として皆様にご挨拶いたします。まず、われわれ生徒会を信任していただきまして誠にありがとうございました。今日よりわたしたちは生徒の皆様の学校生活がより良く行われるよう
とここで一拍、間が開いた。
瞬間、心がざわつく。麗しき副会長のご尊顔がほんのわずか歪んだような錯覚を受けたからだ。あれはおそらく『悪い予感』というやつだろう……。
「……ですが、わたし自身はみなさまの【奉仕者】として本役職に仕えるつもりは一切ありません。今日より一年間、この学校で生徒たちが規律正しく過ごしていけるように、わたしがあなたがたを【統治】いたします」
まるで帝国主義、華やかなりし頃の第三世界植民地へ赴任した新総督である。
満を持した副会長の【宣告】に上級生の男子たちからはざわめきが起こり、女子の間からはなぜか歓声が上がった。この辺の反応の差が男女の違いか?
「千景さま……」
またも近くから呆けたような声が聞こえてきた。
あわてて視線を動かすと、すぐ隣に立っていたクラス委員長の山口さんが今度は胸の前で両手を組み、涙をこぼさんばかりに
その表情は信奉する神への愛を隠そうともしない狂……
彼女がいかなる心理状態であったのか、ぼくには理解はおろか想像さえ遠く及ばない。
だが、ひとつだけ間違いないのは、【石神千景】を好意的に捉えている人間たち。一部ではファンクラブを自称している者たちは、まるで教祖のように彼女を崇めているという現実だ。
集会の場で興った歓呼の声援は、映画で見た古代ローマの凱旋将軍を称える兵士たちの姿を
”副会長、『石神千景』はこの瞬間から、自分の立場を【
この日の様子を煽りに煽った文章で伝えている校内新聞。掲示板に張り出された新聞部の記事を目にしたとき、思わず苦笑してしまった。
――そこまで言うか?
表現は多彩を通り越して過剰に装飾され、いささか美文調にかぶれている。
書いた人間の心象をストレートに描こうとしていて、結果的にわけがわからない。
多分、あの日の状況をリアルに経験していなければ、何が書いてあるのか予想することさえ難しいだろう。だが、長いルポルタージュの最後に記された締めの一文。
”そして彼女は君臨した――――。”
知らない者にはなんのことだかサッパリだろうけど、その光景を直に見ていた自分にはやけに納得できる一言だった。
――そう。確かに彼女は君臨した。この小さな『学校』という世界の新たなる女王として。
きっと誰もが心の中ではこう思ったはずだ。
この日、ぼくらの世界が何もかも新しく生まれ変わったのだと。
◇◇◇
などど悦に入っていられたのもせいぜい一学期の間までだった。
夏休みを過ぎ、二学期が始まるといよいよ先輩は本性を露わとした。
まずは手始めとばかりに生徒会の組織改変に着手し、普段は単なるクラスの取りまとめ役に過ぎない学級委員長を新たに創設した『自治委員会』のメンバーへ編入した。
その下に風紀、環境美化、保健衛生と言った各委員会が活動を強化する。
またたく間に校内は『管理社会』の様相を見せ始めた。
”段階的な組織構造で効率よく生徒たちを指導する支配体制”
上位層に属する生徒たちは、そこへ加われない口さがない人たちから【親衛隊】と呼ばれ、さらに口が悪い連中からは【秘密警察】と陰口を叩かれた。
つまりは、表立って文句を言える雰囲気ではなかったというわけである。
「”自治委員会”というアイディアは先輩の発想ですか?」
文化祭の準備期間中、ふと思いついたことを隣に座る副会長へ尋ねた。
それまで比較的、自由を謳歌していた生徒たちは彼女の施策に対して、密かに悪態をつき始める。
『茨の女王』という呼び名が定着し始めたのは、その頃だった。
「この学校にそうしたシステムを導入したのはわたし自身の思いつきだけど、手法としては昔からよくある分割統治のやり方よ。【羊飼い】が上手に家畜の群れを操るのは、彼らが振るう杖に魔法がかかっているわけではないわ。鈴の音と身振り手振りを見た忠実な飼い犬たちが安全に羊たちを囲っているからよ。少数による多数のしは……安全な社会構造を維持するには、市民の中から選抜された指導者層に統治の責任と判断を委ねてしまうのが一番、効率的なのよ」
事なげに語っているが、要は
七つの海を制覇したパクス・ブリタニカの帝国主義者とやり口は同様である。
「……文句をつける人はいなかったのですか?」
つい不安になって問いかけた。
この学校にだって声の大きい人は確実にいる。
そうした人間たちの鬱屈した不満が爆発してしまわないのか心配だった。
「いたけど所詮は少数派ね」
「あ。やっぱり、いるんですね……」
「当たり前よ。百人の人間がひとりの例外もなく、まったく同じ考えに染まっていたとしたら、それは完璧な洗脳社会だわ。東堂君、わたしはね、この学校をより良く【管理】したいと思っているだけよ。すべての生徒を支配下に置こうとまでは思っていないわ」
思っていないだけで、決して『出来ない』わけではないのか……。
言葉の端々から溢れてくる先輩の自信に少し気圧される。
「そういった人たちの声はあえて無視するのですか?」
「声を荒立てて持論を展開しても効果はないわ。【
「……つまり、言いたいやつには勝手に言わせておけと?」
「吠える犬に反論する人間はいない。ただ、それだけよ。噛み付こうとしない限り、番犬程度に思っていればいいの」
醒めた態度と冷たい口調で反抗分子の行動を容認する。
つまりはそういった人たちに”ガス抜き”の役割を与え、不満のはけ口を用意しているわけか。【寛容】という言葉の本当の意味をぼくは初めて知った。
「毛皮の色が『黒』でも『金』でも別に構わないわ。自分が【羊の群れ】の一頭であることを忘れなければ何も問題はないのよ」
かくして
だが、ぼくたちは忘れていた。
いかに圧倒的な力を誇示しようとも、先輩は【副会長】なのである。
どれだけの
ただでさえ牝馬のほうは気性が荒いのに……。
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