#022 三文芝居
急いで立ち上がり、差し出された用紙を上田さんから受け取る。
「あの、すいません……。ひとつ、余計なことをうかがってもいいですか?」
自分より少しだけ背の低い上級生を前にして、気にかかったことを尋ねようとした。
緊張で思わず声が震える。
「あら、何かしら? 悪いけど、文化祭の企画の方は佐々原さんに任せきりで私は細かいことをよく知らないのよ……」
言われて書類に目を落とした。
几帳面な文字で内容が記され、そこには料理研究部が取り組んできた新メニューのことが書かれている。
”大豆が薫る鶏ガラベースの芳醇な味わいの醤油ラーメン”
またも長ったらしい名前の商品名が見て取れた。
佐々原さんから意識高い系ラーメン屋のセンスがそれとなく漂ってくる。
屋号を親しみやすい『JKラーメン』にしてみせた夏川さんの経営手腕に脱帽だ。
「いえ、お尋ねしたいのは廊下に控えている同伴者のことです」
「え? も、もしかして聞こえていたのかしら……」
恥ずかしそうに頬を赤く染めた上田さんは率直に言って可愛らしかった。
「すいません。聞き耳を立てていたわけではなかったのですが……。もしかすると、外にいるのは野球部の鈴木先輩ですか?」
「うそ……。どうして、そこまでわかったの」
驚いた上田さんには申し訳ないが、ぼくの予想は当たっていた。
鈴木という名はよくある。この学校でも一学年に二、三名くらいは散見するほどだ。だが、野球部でしかも二年生となれば、きっと該当する人物はただひとりだけだろう。そう考えて相手を特定した。理由は……。
「放課後、料理研究部へ足繁く通っていたもうひとりの人物だからです」
「あ……」
「さらに言えば、鈴木さんは週替りに放課後、西村さんが通うようになってから慌てるように自分も連日、通い始めた。なぜでしょうか? ぼくはその理由をちょっとした勘違いと焦りのせいだと推理しています」
こちらが伝えようとしていることを完全に理解したのか、上田さんは困ったような表情でこちらを見つめている。
そういう顔を向けられると……参ったな。別に意地悪をするつもりではなかった。ただ、過日に学んだことを活かして自分なりに他者の行動原理の根幹を確かめてみたい。そう思っただけなのである。
人間は勝手に事態を想定し、有りもしない幻想に踊らされて誤解と失態を繰り返す。それはときに手痛い失敗となって青春の苦い思い出に変わるが、ごく稀に”勘違いから始まる恋”というものが実現するのか知っておきたかった。ぼくには、まだわからないことだから……。
「……他の子にはまだ黙っていてね。実は西村くんが私を目当てに連日、調理実習室へ通っていると思ったらしいの。馬鹿ね、そんなことあるわけないのに」
照れくさそうな表情で上田さんは短く語った。”そんなこと大有りですよ”と答えかけたが、いよいよ次はナイフで刺されてしまいそうなほど邪悪なオーラを背後から感じた。
何が先輩をそうまで駆り立てているのか、まるでサッパリ全然ぼくには理解できない。だが、命の危険であることだけは本能で悟った。なので、上田さんには愛想笑いだけを返してお茶を濁す。
「それじゃあ。お邪魔みたいだし、私はこの辺で失礼するわ。石神さんも頑張ってね」
――頑張る? 何をだ?
上田さんがぼくを飛び越して後方の副会長にエールを送った。
意味不明な女の子の同士のやり取りに頭を悩ましている内、彼女は早々と
廊下から人の気配が遠ざかるのを確認して、ぼくは手にした用紙を上司に渡すべく机のそばに近づいた。
「副会長は上田さんと個人的な親交がお有りなのですか?」
思いついて個人的な質問をぶつけてみる。
「いいえ。まともに声を交わしたのが前回が初めてよ」
「では、何を応援していたのでしょうか? 文化祭の準備ですかね」
「東堂くん。あなたは常に合理的な判断とそれに基づく帰結点を探して思考を深めていく。その姿勢はわたしが必要としている優れた資質であるのは間違いないわ。でもね、この世にはあえて不条理な答えを求めて無様に振る舞う人間がいることも疑いようのない事実なのよ……」
先輩がやけに観念的な世界観を口にした。
正直、言われたことのほとんどが理解できない。ただ、いつもの
「……それで、あなたが胸に抱えているモヤモヤは何かしら?」
ぼくが差し出した用紙を受け取った後、急に彼女がこちらを見上げて問いかけてくる。
「え……。ど、どうして?」
「顔を見ればすぐにわかるわ。よく見ているもの……。上田さんの返事を聞いて、まだ納得いかないことがあるのでしょ?」
「少しだけ心に引っかかることが残っただけですよ」
予想は当たった。だからこそ、いま自分は別の事実に頭を悩ませている。
好奇心から興味本位で検索してしまったとある情報だ。
「わたしでは役に立てないのかしら」
「……いえ、きっと副会長ならぼくの求める答えにたどり着けると思います。だけど、そこには倫理的な問題が立ちふさがります」
「倫理? ずいぶんと大袈裟ね」
「ぼくの自分勝手な都合で副会長に重大な法律違反を犯させるわけにはいきません……」
珍しく先輩がぼくの言葉に驚いた表情を見せた。
「法律違反……。具体的には?」
「個人情報保護法です」
個人を特定可能な各種情報を扱うものは私的にその情報を利用したり、許可なく第三者へ開示することは許されないという一連の法令群である。これらは主に営利事業者が商業活動において顧客等の個人データを私的利用しないように求めるものだ。しかし、近年ではプライバシーに関してのより慎重な取扱が大きな社会問題化している世相と相まって、法の拡大解釈が進められている。
つまり、本人の同意なくのぞき見や公表を行うと非常に困ったことになるぞという法律なのだ。
「なるほどね。あなたの疑問を解決する【鍵】はこの中にあるというわけね」
察しの良い副会長が手にした携帯をかざしながらこちらに訴えかけてくる。
ここへ通うようになってしばらくしてから教えられたが、当該のガジェットは先輩の私物ではなく、役員のみが使用可能な学校側の業務用情報端末であるらしい。
つまり現生徒会の中でも書記長以上のごく限られた人間にしか持たされていないというわけだ。それだけに取扱いは一際、慎重とならざる得ない。事は学校の信用問題に直結しているのだ。
「もちろん、わたしも情報には人一倍、気を使っているつもりだけど……」
当然である。それだけ個人に関するデータとは重要なのだ。
「ようするに第三者へ漏れなければいいだけよ」
「え? いや、でも……」
「いいから、東堂くんの懸案事項をわたしに吐露してご覧なさい。特定個人の情報は確かに守られるべきだけど適切に運用、保護されれば利用すること自体は別に問題ないわ。要は使い方の問題よ」
自慢げに語ってみせる先輩の様子はやけに強気だった。
彼女の言い分を平たく直せば、手に入れた情報をもとにモニターの画面上へリターゲッティング広告を打つことは違法でも何でも無いという論法だ。
まあいいや。副会長が言うのであればこれ以上、自分がああだこうだと気に病む理由もない。最終判断はお任せして、とりあえず事実をあるがままに伝えよう。
「あれから気になって、ネット上で検索をかけました。なので、これはみなが知ることのできるオープンな情報です」
「イリーガルな手法は使っていないわけね」
「わが校の近辺で個人経営の製麺所はただ一軒、”鈴木製麺所”という名前が出てくるだけでした」
こちらの声に先輩がよく整った眉毛の端を小さく動かした。
示された情報と先程の幸せそうな上田さんの様子には何かしらの関連性が存在するのか。ぼくが気になっているのは、ふたつの事実の相関関係の有無である。
「……鈴木なんてよくある名前ね。単なる偶然の一致である可能性は排除できないわ」
「ぼくもその可能性を考慮して、法務局に情報の開示請求を行いました」
「は?」
「日本国内に存在する法人については所管する地方法務局に届け出された法人情報について、第三者が情報を入手閲覧することが可能です。主に信用情報の確認のために企業が行政書士を介して利用しています」
「……えっと、あなたは行政書士の有資格者なのかしら?」
「まさか! 受験することは可能ですが、そのつもりはいまのところありません。でも、公的機関のサービスの利用は万人に広く認められた権利ですから」
ぼくの返答に副会長が若干、引き気味な表情を浮かべた。
別に自分としては特別なことをしているという自覚はない。すべては合法な手段であるのだ。
「ま、まあ。使えるものはなんでも使うべきよね……。いいわ、それで何がわかったの?」
「いえ、特に注目するような事項は別に。入手できたのは代表者と役員の住所氏名程度なものでした。一応、法人化はしていましたが……」
「まあ、製麺所のおばさまの名前が判明してもしょうがないわね」
先輩がいささか呆れ顔で携帯端末を操作し始めた。
多分、『鈴木製麺所』の位置情報を地図上で確認し、生徒会役員以上がアクセスできる全校生徒のデータベースから、野球部の鈴木先輩の住所を照合しているはずだ。彼女はあの日、調理実習室で語った。
”よく出来た偶然など滅多にありえない。ほとんどの事象は誰かが裏で糸を引いている三文芝居に過ぎない”のだと……。
「……やっぱりね」
何かを得心したように短くつぶやく。
「だから、わたしが言ったとおりだったのよ」
画面上から目を離し、得意げな調子で自らの見解を褒めそやす。
先輩が語っているのはあの日、調理実習室で”なぜ個人経営の製麺所が得にもならない仕事を引き受けたのか”という命題への答えだった。
――きっと鈴木先輩の住所を確認したことで、その証明が果たされたのだろう。
同時にぼくが抱え込んでいた疑問も氷解した。つまりはそういうことだ。
生徒のプライバシーは寸分も漏らさない。ただ、彼女が笑顔をひとつ見せてくれただけ。
「しかし……」
「どうかしたの? まだ、納得いかないことがあるのかしら」
「いえ、製麺所のおばさんは、どうして息子の想い人がわかったのでしょうか? そんなことを思春期の子供が親に相談するはずもないでしょうし……」
続けたぼくの言葉がよほど思いがけなかったのか、先輩が不意をつかれたように好相を崩した。
多分、自分の質問がかなりトンチンカンに聞こえたのだろう。笑い声を必死になって堪えながら、人間性の乏しい後輩に世の
「馬鹿ね。年頃の子供がまともに会話をしてくれなくても、様子を見ていればなんととなく察してしまえるものよ。特に上田さんは小さな頃からの顔見知りみたいだから、二人の関係性の変化にはきっと敏感に反応できたのね。顧客の顔を見るのが大事な仕事のご商売だもの。その辺を察することには慣れているはずだわ」
なるほど……。一般的な親子関係の話ではなく、職業上の経験値も加味しての判断か。
だったら、それなりに理解できる。先輩は多分、単純な人間関係のしがらみだけでは自分が納得しないと予想して、製麺所を営む鈴木先輩のお母様の接客術を取り上げたのだ。
――つまりはそれくらい、ぼくの頭の中身を読み切っているというわけか……。
あらためて彼女の優秀さに敬服した。
そして、不意に見せられた無邪気な笑顔に一瞬だけ気持ちが動揺した。
絶対に秘密にしておこう。何を言われるか、わかったものではないから。
◇◇◇
つい今しがたまでの変調がなんだったのか。
ぼくとの談笑を経てからの副会長は一転して、いつものテンポでテキパキと雑務をこなしていった。
そして外回りの人員がまもなく戻ってくるタイミングで、受け持ちの作業が完了したぼくは生徒会準備室を辞した。
無駄に長居するのは却って迷惑だし、何より手持ち無沙汰になると落ち着かなくなる。かと言って、正式な生徒会のメンバーではない現在の立場ではやれることも限定的であったのだ。
――もし、自分が生徒会に入ったら、もう少し先輩の役に立てるのだろうか?
埒もないことを夢想しながら階段を降りていく。
三階から二階、そして一階へ続く折返しの踊り場に足を着けたとき。
「――東堂……?」
名前を呼ばれて声がした方向を見上げた。
二階の廊下に現れた人影。短い髪、痩せた体型。そして、情熱的な輝きを秘めた
――どうして、彼がこんなところに?
不思議に思ったが、落ち着いて考えれば答えはひとつしかない。
自分が放課後、生徒会の手伝いをしていることはクラス中に知れ渡っている。故に、あらぬ二重スパイの疑いまでかけられているのだ。そして松阪くんの思いつめたような硬い表情。
――彼は、ぼくを探していたのだ。
結論はすぐに出た。
「よかった。文化祭の実行委員会の場所を知らなかったんだ。それで生徒会の準備室に行ってみようと思って……」
「どうかしたのか?」
挙動がわずかに震えている。話す言葉遣いにも
「お願いだ、東堂。おれに力を貸してくれ」
そして、ぼくはこのあと、”もっとも信頼していた身近な存在が女王を裏切る”というよくある三文芝居の片棒を担ぐ羽目となる。ただひとりの友達の願いを叶えるために……。
EPISODE #04 END
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