#021 ありふれた話の結末
あれからしばらくの時が流れた。
その間にぼくは副会長から言葉巧みに誘導され、教頭先生に絵画の問答を挑んだり、他にも副会長に煽られてクラスのみんなを前にして、文化祭の企画を無理やり変更したりした。よくよく考えると、あの人は自分にとってのメフィストフェレスの悪魔である。地獄への道は『善意』という罠で舗装されているのだ。
そんな慌ただしい日常からようやく解き放たれた、ある日の昼休み。
――今日の昼食はここで摂るとするか。
購買で買い込んだパンを手に、ぼくは人影のない場所へ到着した。
ここは校内でもめったに人が訪れない静かなスポットであり、自分では密かに”
「あ、ここなら誰もいないわよ。西村くん」
感じた人の気配と聞こえてきた声に慌てて壁際へと身を隠した。
このような予期せぬバッティングが時折、起こるせいで、そのたびに居場所を変える必要があるからだ。大体は付き合い始めたカップルなどが人目を避けて逢瀬を楽しむためであり、先客がいるなどとは夢にも思わずにズカズカと乗り込んでくる。一度などは同性同士のふたり連れがやって来て、心ならずも興味津々となってしまった。しかし、いま姿を見せたのはどうやら付き合い始めたばかりの男女であり、クラスメイトや友人たちにからかわれるのを恐れて人のいないところにやって来たという辺りだろう。
「ちっ、リア充め……」
「いつも、すまないね。佐々原さん」
聞き覚えのある名前に思わず体が硬直した。
それから物陰を利用して、やって来た二人組の正体を静かに伺う。
男の方は記憶の片隅にボンヤリと浮かぶ程度だったが、女性の方にはしっかりとした見覚えがあった。あれは料理研究部部長の佐々原先輩だ。となると、相方はサッカー部の西村さんか……。
そして、ぼくは女の子が両手に抱えたふたつの包みを視界に認めて、なんとなくふたりがここを訪れた理由を察した。
「副会長が言ったとおりになったわけか……」
ちょっとした感慨に浸りながら壁に預けていた背中を起こし、足早にその場から退散する。他者の幸せを
「ここもしばらくは使えないな」
両手にパンと飲み物を持ったまま校内を幽鬼のようにさまよい歩く。またどこか人気のない場所を見つけ出すために……。このようなとき、パン食というのは実に便利だ。なぜかと言えば、手にしているのがサンドイッチなら”購買の帰り”という言い訳も成り立つが、弁当だとそうはいかない。男子というのは女子とは違い、仲が良い別のクラスのお友達とわざわざ待ち合わせて一緒にランチを食べるような生き物ではないのだ。そもそも昼休みまでに弁当を平らげていないやつは到底、男とは呼べない。
そのような悪しき風潮が残る学校内で弁当を抱えながらウロウロとしている男子生徒など、彼女と
――なので、自分は絶対にお昼ご飯はパンを食べると心に固く誓っている。
こうした頑迷な思い込みは往々にして取り返しのつかない失敗につながるわけだが、このときの自分は全くと言っていいほど、その危険性に無頓着であった。
◇◇◇
そして時間は放課後となり、場所はいつもの生徒会準備室。
「昼間、料理研究部の部長さんを見かけました」
かたわらに座る美しき副会長を横目にしながら、数時間前の光景を話題のきっかけとした。
「料理研究部……。ああ、佐々原さんね」
大して興味を示す気配もなく、彼女は軽く相槌を返すのみ。
「そう言えば別メニューの開発を進めると聞かされたきり、
続けて声にしたのは業務上の懸念事項である。過ぎたことにまるで気を止める素振りを見せないのは、この人の『過去をいちいち振り返らない』という
「副会長がアドバイスした通りの展開となっているみたいでした……」
「アドバイス……? ひょっとすると、例のお弁当のことかしら」
自分から提案しておいて、淡白この上ない冷めた反応。まあ現場で聞かされていたときには、ぼく自身もちょっと半信半疑であった。確かに『妙案』ではあるが、奇を
『手作りのお弁当を作って、それを首謀者である男子生徒に食べてもらう』
これこそ先輩が自信たっぷりに語った問題の解決方法であった。
◇◇◇
「お、お弁当……?」
「そうよ。食べに来られるのを待つよりは、こちらから食事を用意して届けに行けばいいの。先制攻撃は戦術的優位を確立するための第一条件よ」
させようとしていることは可愛いのに、やろうとしている動機が邪悪すぎる。【恋は戦争】というフレーズはあくまでも比喩的な表現であって、リアルに戦闘戦略を語るような話ではない。
「で、でも……。特定の男の人に自分が作った料理を食べてもらうなんて全然、自信がないわ」
先輩の発案に不安の色を浮かべた佐々原さん。
本格的に料理を勉強しているからこその心配だろうか?
しかしである。こういうものはノリと勢いで始めてしまうのが本当は正解なのだ。『料理は愛情』などとまことしやかに語られてしまうのは、作る方のスキル不足を
「では、男の子の代表に訊いてみればいいわ。東堂くん、もし君が大好きな異性から『昼食を用意したので食べてほしい』と言われたら、どう対応するのかしら?」
唐突にぶっこんできた。しかも、これ以上無いくらい解りやすくだ。
ならば、ぼくの答えは最初から決まっている。せいぜい、
「胃袋を前日から空っぽにして待ち構えておきますかね……。まあ、たとえ満腹だったとしても気合で平らげてしまうと思いますが」
取ってつけたように大げさな態度で答えてみせる。
馬鹿らしくも必要なのは利害関係が希薄と思われる第三者の客観的意見なのだ。
人はこれを【サクラ】と呼ぶ。
「ということらしいわ。女の子が作るお弁当なんて、まずくなければ出来の方はどうでもいいのよ。大切なのはシチュエーション。男性がデートに選ぶ”雰囲気がいいお洒落なお店”と同様で、重要なのは誰と食べるかなの。味付けなんて口に入れば、それ以上は求められないわ。安心なさい」
料理研究部の面々を前にして、世界中の料理人に喧嘩を売るような許されざる所業。まさに【暴言女王】の面目躍如である。だが悲しいかな、副会長が語った内容は外食産業におけるひとつの王道パターンであるのだ。どんなに値段が高くても、それに似合う『感動的な体験』を享受できれば人は満足して対価を支払ってしまう。某タイヤメーカーが主催するレストランの格付け本だって、評価項目は料理の質と店舗の内装とサービスの良し悪しである。美味しい食事を心から楽しむにはテーブルに盛られた皿の上だけでは不十分。必要なのは【演出】という名の特別な調味料なのだ。
いつどこでだれと食べるかで舌の上の味は変わる。恋は絶妙なスパイスとなって人体に大きく作用を及ぼすのだろう。
「あなたがこれ以上、クラブのみんなに迷惑をかけたくないと思うのなら、明日からは一時間早く起きて二人分のお弁当を用意することね」
最後にハッキリとした口調で取るべき行動と果たすべきミッションを料理研究部部長へ伝える。つまりは”手作りのお弁当で釣って、ふたりきりとなる状況に誘い込め”というわけだ。なるほど、それなら放課後に徒党を組んでここに団体で押し寄せてくる必要はなくなる。むしろ、その他大勢は邪魔なのだから……。
自らのアイディアを得意げに語ってみせた先輩はやけに楽しそうだった。
恋が始まる前の高揚感は、たとえそれが赤の他人であっても女の子の心を強くときめかせてしまう魔法のような効果があるのだろうか?
自分には何もかもが理解不能な世界であった。
◇◇◇
「それにしても、よくあんな奇策を思いつきましたね」
あの日の出来事を思い返して、いまさらながらに感嘆したぼくは副会長に向かって短く告げた。
「別に驚くようなことではないわ。恋に焦がれる年頃の女の子だったら、誰もが一度は考えてしまうことよ。まして、彼女は料理研究部所属。これまでに似たような案が出てこなかったほうがおかしいのよ」
努めて冷静に自身の見解を語ってみせる。こちらとしては、そうした年相応の可愛らしい発想から、この人はもっとも縁遠い存在だと勝手に決めつけていた。なので、先輩の口からこぼれてきたことに驚きを禁じ得ないわけなのですが……。
「コホン……。ところで、東堂くん」
「はい。なんでしょうか?」
わざとらしく咳払いをしたあと、姿勢をこちらに向けて先輩が居直るように語りかけてきた。
な、なんだ? また何かよからぬ罠に自分をはめるつもりだろうか。
警戒心が露わとなるのを懸命に押さえつけ、彼女の続く言葉を待つ。
「あなたはもし誰かから、”お弁当を作ってあげる”と提案されたら一体、どう答えるつもりかしら?」
「え……」
突然、ありえないシチュエーションを告げられ、思考がフリーズした。
そして思い起こすのは今日の昼休みの一件である。
「申し訳ありません。お昼にはパン食をいただくと固く心に誓っているので、お弁当はNGです」
「そ、そうなの……。どうしてもかしら?」
珍しくも食い下がってくる相手を真正面に見据え、不思議な思いにとらわれる。しかし、ぼくの答えはとっくに決まっていた。
「すいませんが、これは信じた神の教えと同じようなものです。自分は異端者と叫ばれるのは慣れていますが、
男の身勝手な理屈を並べ立て、相手の反論を一方的に封じる。
これだからコミュ障は話が弾まないのだと、自分でもつい嫌気が差した。
けれど、これは自らのちっぽけなプライドを死守するため最低限、必要な条件なのだ。アホの極みであると冷静になってみれば死にたくなる。
「わかったわ。だったら、しょうがないわね……」
先輩はそうつぶやいたあと、心なしか落胆したような表情を見せた。
――何か失礼があったのだろうか?
女心以前に上司の意向さえ、まともにおもんばかることが出来ない無為無能なぼくには、女性の心情を察するなど不可能に等しい。
結局、副会長はそのまま姿勢を机に戻し、しばらく無言のままで書類に筆を走らせていた。ところが妙な雑念が彼女の邪魔をしているらしい。珍しく書き損じを幾度も繰り返し、終いには紙を丸めて
――先輩でも調子の悪い時があるんだな……。
滅多には拝見できそうにもないシーンに、ぼくはちょっと驚いた。
そもそも何が彼女のペースをかくも乱しているのか、自分にはちっともわからない。声を荒げることもなく、ただただ静かに情緒不安定となっている副会長。いつもとは随分、様子が違うその姿は、これまで遠くから眺めているだけでは決してお目にかかれない不思議な光景だった。
「ごめんなさい。ちょっとだけ、ここで待っていてくれるかしら。鈴木くん」
沈黙が支配している室内。
静寂を突き破るように出入り口の向こう側から女性の声が流れてきた。
聞き覚えがある口調に聞いた記憶のある名前。脳裏にひとりの女性の顔が思い浮かぶ。すぐに扉を叩くノックの音が響いた。
「どうぞ、開いているわ」
物音に反応し、顔を上げた副会長が閉ざされているドアの外の人影に入室を促す。その声に続けて扉が大きく開かれ、廊下から制服姿の女の子が姿を現した。
割烹着を着ていても目立っていたスタイルの良さは、制服だとさらに際立って見える。あの時はうしろでひとつにまとめていた流れるような長い髪をいまはゆるく解いていた。
「こんにちは、石神さん。うちの佐々原から言付かった企画申請書の変更届を持ってきたの」
料理研究部に所属するもうひとりの上級生、上田さんだった。彼女は片手に小さな書類を持ちながら、こちらに歩み寄ってくる。途中、すぐ隣の机に腰掛けていた自分に気づき、
「あら、東堂くん……だったかしら? 今日も生徒会のお手伝いなのね、ご苦労さま」
あまつさえ名前を覚えていて、やさしく語りかけてくれた。
女神か?
「東堂くん。ボンヤリしていないで、上田さんから書類を受け取りなさい」
背中から突き刺すような冷たい声が耳を
原因は……。
きっと、眼の前の上田さんから放たれているピンク色の幸せオーラのせいだろう。
なぜだろうか。いまの彼女はとてもキレイに見えた。まるで恋する女性のように。
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