#020 人と獣の境界線

「やっぱり、おかしいわね……」


 顔を上げた副会長が形の整った眉根を寄せ、小さく疑問を口にする。


「何がですか?」

「このラーメンは一度、口にすればそれで納得してしまえる観光地のたいして味が濃くない看板メニューみたいなものよ。まずいわけではないけど、忘れられないからと週に何度も通い詰める街のラーメン屋のようなジャンク的存在ではないわ。まして、やってくるのはほとんどがなんらかの部活に所属している生徒ばかり。目的は何……?」


 褒めているのかけなしているのか判断に迷いそうな先輩のレビュー。

 だが、言わんとするところはなんとなくわかる。

 料理研究部が考案した『野菜の旨みを活かすためにうっすらとした味わいの塩ラーメン』というメニューは、その名が示すとおりの普通に美味しいラーメンなのだ。よく言えば家庭的、つまりはお金を出してまで食べたくなるようなシロモノかと問われれば首をかしげたくなる。そこへ連日、飢えた獣のような男子高校生が群がるように押し寄せてくる不思議。理由がわからなかった。もっと有りていに語ってしまえば、せっかくお金を出すなら街のラーメン屋のほうが少し高くても満足度は多分、高いだろう。


「夏川さん、ちょっと訊いてもいいかな。ここ一週間のうちに個人で複数回やってきた人はいる?」


 ぼくはひとつの可能性に思い至って、同級生の女の子にそう問いかけた。

 クラブとしてはバラバラだけど、個人として何度が訪れた人がいる可能性を思いついたからだ。


「あー……そうね。結構、サッカー部の西村先輩をよく見かけるかな? 他の部活の人たちに混じって来てくれている感じ」

「どれくらい?」

「今週だけで三回かな。月曜、火曜と来て、今日で三日目」


 西村……。そう言えば、入り口付近で佐々原さんとあいさつを交わしている上級生を見かけた。


――ああ、そうか!


 ぼくが覚えた違和感の正体は、彼の口から「今日もおいしかった」という声が聞こえてきたからだ。なるほど、今週に入って三回もここへやって来ているから、あのような感想を伝えたわけか……。もはや、このJKラーメンの立派なジャンキーである。


「ほかに繰り返し来ている人はいないの?」

「うーんと……。ちょっと待ってね。あっ! 野球部の鈴木先輩。あの人も先週の金曜日と今週は水曜、木曜で来ているわ。それ以外は……みんな、一度きりかな?」


 ふむ……。こちらも週をまたいでの三回か。そして、複数に及んで再訪している人物はこのふたりだけだという言質げんちも取れた。さてと……。


「とりあえず、この両名は重度のラーメンフリークですかね?」


 自分から聞き出しておいてあれだが、情報の相関性がまるでつかめなかった。

 ぼくの的外れな見解に副会長は心なしかあきれたような視線をこちらに向けている。そして、神妙な顔つきを作ってから集められた情報の整理を開始した。


「ありがとう、夏川さん。あなたの正確な記憶のおかげで状況がおおよそ理解できたわ。少なくとも各曜日にひとり、率先してこの場所を訪れている人物がいる。不自然なほど多くの人たちが集団でやってくる理由は、彼らが扇動者としての役割を果たしていたからね」

「せ、扇動者ですか?」

「そうよ。通常、仲間内で出かける際に構成される単位グループは四人から五人がもっとも安定する人数で、それ以上の集団を形成する場合には全体を統括するリーダーが必要になってくるの。団体行動を引っ張る水先案内人ね。その人物が多くの他者を集め、全体を一個の『群れ』として目的地に引率する。これが放課後のバーバリアンの真相と言ったところかしら……」


 自校の男子生徒を”蛮族バーバリアン”扱いするのもどうかと思うが、確かにあの豪胆な食べっぷりは山賊も顔負けだ。となると、あの惨状は自然発生的なものではなく、何か別に隠された意図があるのだろうか?

 ぼんやりと自分自身の考えをまとめてみた。


「たくさんの人を集めた理由は、料理研究部のメニューをみんなに知ってもらいたかったからですか?」


 それっぽい答えを頭に思い浮かべて、取りあえず口にする。

 どうにも首謀者たちの行動原理がぼくにはあやふやだった。


「それもあるわね。でも、きっと本当の目的はもっと別のところよ……」

「別?」

「そうよ。十代男子の分際で”野菜の味が滲み出しておいしい”などと、ジジむさい……枯れた表現で料理を評価するのは東堂くんくらいなものだわ」


 驚いたことに彼女が自分自身の発言を自ら訂正した。

 さすがにひどい言い草であると反省したのか、もしくはぼくが気落ちしないように気を使ってくれているのか。いずれにしたって珍しいこともあるものだ。あるいは、これも一種のツンデレ状態というやつなのだろうか?

 どちらにしろレベルが高すぎて、さほど有り難くはない……。


「男子高校生なんて特殊な例を除けば、味についての感想を求められても『おいしかった』以外は『もっと食べたい』か、『まだ食べ足りない』くらいの語彙ごいしか持ち合わせていないものよ」


 後半が味とまるで無関係なのは、もはや冗談の域である。


「……そうね。男の子ってよく食べるけど、あんまり意見は出してくれないのよ。口に出すのは『おかわり』のただ一言だけだったり」


 しみじみと佐々原さんがつぶやいた。


――マジかよ! 男子、サイテーだな……。


 なんて思ったりしたが、かえりみれば自分だって街のラーメン屋で食事をする時、その店の大将と気さくに会話を楽しむ余裕はない。せいぜいが食べ終わったあとに『ごちそうさまでした』と短く伝えるくらいだった。

 今日だって、”なにか感想を言ってほしい”と請われたから、下手くそながらに食レポまがいの感想を口してみただけだ。求められてもいないのに、あれこれと語れるほど普通の男性は饒舌じょうぜつでもない。大概の男の子は無骨で不器用で普段は寡黙な存在なのだ。


「きっと事情があるのよ。何度も通いつめたくなるような切実な問題が……」


 含みを持たせたような副会長の声。

 

――はてさて、そのように問われましても?


 ぼく自身が無愛想で無自覚でデリカシーの無い男子であるから、即物的なものの捉え方しかできない。


「よっぽど、お腹が減っていたのでしょうか?」


 ようやくと絞り出した可能性に先輩が冷たいまなざしを寄越した。

 どうにも今日はあまり選択肢の選び方が良くないみたいである。


「東堂くん。どうもあなたには”情緒的な感性”というのが欠落しているみたいね。人間は欲望や欲求に忠実な存在だけど、獣の本能をさらけ出せるほど野生的な生き物ではないのよ。神にもなれないし、野獣にも堕ちない。それが人間の『当たり前』なの……」


 副会長は諭すような口調でぼくの未熟さを指摘した。

 人の気持ちが読めないと責められるなら単に社交性の問題だが、心がないと喝破されるのは人間性の欠如だ。悲しいことに自分は大人か子供以前に、人として完成していないようである。


「すいません、精進いたします……。ですが、副会長。ぼくにはもうひとつ納得いかない事実があるのですが」

「……何かしら?」


 ちょっとばかり、こちらの様子が挑戦的に映ったのか、彼女は怪訝けげんそうな態度を見せた。たとえ思考がどんなにAI的であろうとも予測された事態と実際の現実に齟齬そごが生じれば、それを取り上げて追求するのが自分のやり方である。


「西村さんが足繁くここへやって来る理由があるならば、なぜ水曜と木曜には来なかったのですか? 特に水曜日は自分が所属しているサッカー部が主要な人員となっています。わざわざ他のクラブのメンバーに声をかけて人を集めるよりはよほど来やすい条件だと思うのですが……」


 自分が感じた疑問点を思うままに問いかけていく。来たい理由がなんであるかはわからなくても条件が整っているのに、なぜその日は避けたのかが不思議だった。せっかくのチャンスをみすみす逃すのは、人としても獣としても腑に落ちない行動なのだから。


「その日は来なかったのじゃないわ。来れなかったのよ……」

「え?」


 副会長がいつの間にか片手に携帯を握りしめていた。

 こちらが夏川さんに今週の来訪者を聞き出している間、なんらかの情報を確かめていたのだろう。


「サッカー部の今月の行事予定をさっきデータで確認したわ。各部の活動スケジュールは生徒会でも把握しているの。水曜と木曜には他校との練習試合が組まれているのよ。さすがに試合がある日はよその部活に顔を出している余裕は無いみたいね」

「……え? でも水曜日にはサッカー部がここを訪れていますが」


 説明と食い違う現実に異議を唱えた。


「水曜日は遠征試合だったのよ」

「遠征……。相手の学校へこちらから出かけていったというわけですね。あれ? だとすると料理研究部に来たのは……だれなんですか?」


 話が見えない。

 夏川さんの記憶が確かならば、水曜日にここへ来たのはサッカー部のメンバーだ。でも、その時に彼らは校外へと出かけていたことになっている。


「夏川さん。月曜と水曜にやって来たサッカー部のひとたちはどちらも同じメンバーだったのかしら?」

「いいえ。サッカー部つながりだったけど、顔ぶれはまるで違いました。二日目は一年生が大半を占めていましたよ」

「やはり、そうなのね」

「何がですか? ぼくにはサッパリ事態が読めませんが……」


 自らが睨んだ通りの展開に先輩が小さくほくそ笑む。

 他者の心理と行動を読み切った際の笑顔はこれ以上無いほどに『悪女』の顔だ。


「単純な話よ。サッカー部はわが校でもっとも部員の数が多いクラブで、対外試合に出かけられるメンバーはそのうちのわずか数十人。残ったひとたちは監督もいない中で早めに練習を切り上げ、前に聞いた料理研究部のラーメンを食べにいった……。こんなところかしら? どうせなら一年生も一緒にね」

「なぜ一年生を?」

「あとで叱られるかもしれない悪いことは、どうせならみんなでやっておいたほうがいいからよ。一蓮托生ね。そして、西村くんはレギュラーとして一軍の遠征に帯同していたから水曜日は来られなかった……。木曜日は他校を迎え入れる立場なので、余計なことをしている時間的余裕はない。だからこそ、この二日間は来たくても来られなかった。彼は可能であれば本当は毎日でもここへ足を運びたかったのではないかしら……」


 得意げに語る副会長はなんだか妙に上機嫌であった。

 この一件に関して何か好意的な印象を受けているみたいだ。


「えっと……。来たくても来れなかった事情はよくわかりました。でも、ぼくにはまだ理解が及ばない点があります」

「東堂君にしては珍しいわね。……何?」

「そうまでして、ここに通いつめようとする理由です」


 真顔で尋ねたぼくの顔を信じられないといった形相で副会長が見つめ返している。

 きっと彼女にとっていまのぼくは、人でも獣でもない異形な怪物にでも見えているのだろう。


「……そう言えば、西村先輩っていつも佐々原部長に絡んでますよね」


 ボソリと夏川さんが意味深長な独り言を口にした。その小さなつぶやきは水面みなもに広がる波紋のように周囲のひとたちの心をざわつかせたようだ。みなの視線がただ一点に集中する。


「世の中には、よくできた偶然なんて早々あるものではないわ。大抵は何者かが裏で糸を引いているたくらみだったり、周到に準備された舞台の上で当人だけが知らずに演じている三文芝居のくわだてに過ぎないのよ……」


 先輩の心なしか人をからかうような口調になぜか部長の佐々原さんが顔を赤らめている。周りの部員たちも瞳をキラキラさせながら彼女の様子を見守っていた。

 どうやら、この空間で唯一、事態を把握できていないのは自分ひとりだけという有様のようだ。世の中は実に理解不能な出来事で満ち溢れている。


「あなたが口にした、『自分が作った料理をおいしそうに食べてくれる男の子ってなんだか可愛い 』という印象は一体、誰を見ながらの感想なのかしら?」


 追い打ちをかけるように副会長が佐々原さんの言葉を意味深に用いてみせる。その声も聞いて、ようやくぼくも面倒くさい人間関係の一端をついに理解した。

 つまりはたまたま入った街の定食屋。そこで働く女の子を気に入ってしまい、主人公は期せずして足繁く店に通い始めるという、ベタな物語の典型なのだ。男は口下手で自分の気持ちをうまく伝えられず、仲間を集めてそれを口実に連日、彼女のもとを訪れる。周りもなんとなく空気を察して首謀者に付き添っていく。でも、当の本人はいまのいままで相手の気持ちに気づいていなかったというわけか……。


「え! そ、それはその……」


 追求に声をつまらせてうつむく佐々原さん。

 異性の視線や関心に第三者から指摘されるまで、まるで無頓着だったり警戒心を表に出さない立ち振る舞い。それが却って男心をくすぐるのか?

 小柄な体を一層、小さくして羞恥に身をこわばらせている年上の女の子を見ながら、ボンヤリとらちもないことを考えていた。


「だったら、わたしはどうしたらいいの? に、西村くんのことは別にき……嫌いじゃないけど、このまま文化祭の準備が進まないのはやっぱり困るわ。み、みんなにも迷惑をかけちゃうし……」


 部長としての立場と個人的問題の軋轢あつれきに声をつまらせながら訴える。

 その様子をなんだか嬉しそうな表情で見守っている先輩がここぞとばかりにひとつの提案を口にした。


「だったら、いい考えがあるわ。あなたならきっと問題なくやれるはずよ」


 繊細せんさいな心の機微が求められる恋愛相談に、もっとも似つかわしくない【暴言女王】が何やら自信ありげな態度でアドバイス授けようとしている。


――おいおい、本当に大丈夫か?


 女心のひとつも解せない分際で、クソ生意気にもぼくは一抹の不安を覚えてしまった。

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