#019 男の心を鷲掴みにする唯一の正しい方法

「そ、それはちょっと……」


 先輩の容赦ない一言に料理研究部部長の佐々原さんがとまどいもあらわに提案を拒んだ。


「なぜ? 彼らが毎日のようにやってくるから、あなたたちは対応に忙殺され、文化祭の準備も思うように進んではいないのでしょ」

「ど、どうして……」


 置かれた状況をすべて見透かしたように畳み掛けていく。


「隠す必要はないわ。あなたたちが提出した企画申請書には”複数のメニューを用意する”と書かれていた。なのに現状ではひとつのスープを利用した一種類のメニューしか提供できていない。新メニューを開発しようにも、その日のうちに用意した分をすべて彼らが食べてしまうからでしょう」

「こ、ここの設備で確保できる食材では一日に作れるスープは大鍋一杯分が限界なの……」


 迫る副会長に気圧されながら消え入りそうな声で切ない事情を訴える。なのに先輩は一切の妥協を許さず、さらに佐々原さんを責め立てた。


「別にすべての試食の提供をやめろとは言っていないわ。新メニューの開発が一段落するまでは彼らに遠慮してもらえばいいだけよ。なぜ、そうまでしてあの人たちを優先しなければならないの?」

「だ、だって……」

「なに?」

「自分が作った料理をおいしそうに食べてくれる男の子ってなんだか可愛いから……」


 うん、その発想はなかった。モジモジと自分の口に手をあて、恥ずかしそうにしている佐々原さんはまさに母性の象徴だ。そのつぶやきを耳にして、今度は夜叉の形相を浮かべている先輩の顔が見えた。


「あなたのような人が歳を取ってから近所の野良猫に餌を与えて、周囲から白眼視されるのよ……」


 言い得て妙な例えを持ち出す。

 なんとも伝わりにくい嫌味を告げられ、料理研究部の部長さんは固まったままだ。

 案の定、こうなるのではないかという予感があった。女王様は本日も絶賛、情緒不安定である。


「あの……。ちょっと疑問があるのですが、毎日ラーメンを提供して材料費はどうなっているのですか?」


 ふたりの会話に割り込んで疑問を呈する。このままでは副会長がさらに暴言を撒き散らし、収拾がつかなくなると思ったからだ。


「まさか無料でサービスしているわけ?」

「え? う、ううん。そんなことないわよ……」


 疑念に大きく首を左右に振り、手元に握っていた茶色の封筒を掲げてみせる。


「それは?」

「代表者が、みんなからお金を集めてくれているの。ひとりワンコインで……。最初は無料で出していたんだけど、二回目からは迷惑をかけるわけにはいかないからって自主的に集金してくれたの。これってやっぱり問題だよね?」


 困ったような表情で佐々原さんが副会長に問いかける。後方では黙って会話を聞いていた部員のひとりが透明なチャック付き食品保存袋を両手でつかんでいた。中には鈍く輝く銀色の大きな硬貨がどっさり入っている。百枚近くはありそうだった。


「東堂くん。店舗経営の観点から、損益分岐状況がどうなっているのか、あなたの見解を述べなさい」


 予告もなしに先輩がフードプランナーっぽい分析をぼくに要求してきた。

 そうは命じられてもな……。つたない知識を総動員して、なんとなく話をまとめてみるか。間違っていたとしてもそこは認識の違いだ。


「一般的な個人経営の外食産業。その中でラーメン店の場合、もっとも負担なのは店舗の賃借料、人件費です。ただし、今回の場合はそれら管理運営費を度外視します。ここは学校で、作っているのが生徒ですからね。なので純粋にスープと麺、具材にかかる材料費および調理費が焦点です。そうすると、いまもっとも多く提供されているのはおそらく豚の骨を長時間、煮込んだ『とんこつ』スープであると予想しますが、このケースですと【燃料費】が全体の中で一番大きな比重を占めています。ラーメン店の一杯の値段はガス代が左右すると、よく言われていますね」

「それで? この塩ラーメンはワンコインでお釣りが出る内容なの?」


 実に難しい判断を求めてくる。単に食材費用だけで考えるとしても、作れば作るほど一杯の単価が下がるのは外食産業の基本であるからだ。


「あの……。麺は市販品を利用しているのですか?」


 ひとつ気になったことを問いかける。麺を口にした瞬間の味わいは普通のラーメン屋で出されているものと遜色なかったからだ。いまどきは自家製麺でなかったとしても、中小の製麺工場でその店のスープによく馴染む形で粉の配合を求めることが出来る。これもオリジナルブレンドかと思ったが、たかだか高校の料理クラブに専用の麺を卸してくれるのだろうか?


「あ……。麺の方は上田さんが知り合いの製麺所で特別に作ってもらっているの」


 小さく片手で該当の人物を指差し、質問の回答を寄越してくれた部長さん。

 示す先には料理研究部最後のひとりと思われる女性がいた。ほどけば長いであろう黒髪をうしろでひとつにまとめ、柔和な表情を浮かべている。少しおっとりとした印象を受けるが、何より彼女が他に抜きん出て存在感を示しているのは割烹着の上からでもハッキリとわかる胸の大きさ。きっとこの場にいる五人の中でもっとも恵まれた体つきだろう。…………いやまあ、自分も健全な男子高校生であるわけだから、気にならないと言えば嘘になる。


「別に商売上で利益となるわけでもないのに、わざわざ女子高生のクラブ活動に協力して日毎ひごと、少数のロットで製麺を受け持ってくれる……。なんだか下心が透けて見える事案ね」

「そこは未来の顧客に対する先行投資と読み取ってあげてもよろしいのでは……」


 鋭い観察眼といくばくかの邪推を匂わせ、副会長が醒めた口調で職人さんの気持ちを考察した。


「いえ、その製麺所のおばさんとは小さい頃からの顔なじみで今回は特別な計らいをしていただきました……」


 即効で推理が破綻した。


「もしかすると数年先に跡取り息子の嫁に迎え入れようと、いまから画策しているのかも知れないわ」


 ああ言えばこう言う……。

 時々、相手への敵愾心てきがいしんからポンコツになるのは一体、どういう条件なのだろう?

 つくづく不思議な人である。


「えっと、そういうことなら麺は安く手に入るわけですね。あとはスープの材料を毎日、購入するとして……。まあ、良くもないけど悪くもないという程度ですかね。人件費まで考えると完全に足が出る感じです」

「まあ素人のやることだから無駄が多いのは仕方ないわね。むしろ、利益が出ていないのは助かるわよ」


 ぼくの適当な収支予想に先輩が安堵の声を上げる。


「そう言えば、顧問の先生はどうしているのですか? この騒ぎにまったく姿が見えないようですが」

「先生は……。最後に火元の確認くらいは見に来てくれるけど、通常は放任気味なの」


 ため息混じりに佐々原さんがそう答えた。

 なるほど、事態に拍車をかけているのは監督者の不在も一因か。


「教職員というのは放課後も色々と用事が立て込んでいるわけだからしょうがないわね。最低限の監督さえしておけば、あとは生徒の自主性に期待するというのも立派な教育方針よ。とは言え、さすがにいまの状態をそのままにしておくのは放任主義を超えて無責任な気がするわ」

「一応、週の前半に相談はしてみたの。でも先生は『いまのうちにしっかり男の胃袋を捕まえる手段を覚えておきなさい』とか語って、あんまり真剣に対応してくれないのよ……」


 気弱な表情を見せながら、部長さんが苦しい胸の内を訴えた。

 顧問の教師が校内の課外活動である生徒のクラブ活動について、どこか距離を置いた態度を示すのはよくある話だ。

 その中で、どれだけ成果を残しても評価されるのはごく一部の優秀な成績を残した場合のみである。ましてや、そうした見込みもなければ日常業務の片手間となってしまうのも仕方がないことだろう。大人というのは大抵、時間に追われているのだから。


「予想と現実が見事に乖離かいりしているわけね……」


 不意に先輩が短くつぶやいた。教室にいる人間は、ぼくも含めてひとりも言葉の意味を読み取れず、不思議そうに彼女を見つめている。


「顧問の先生は、さして話題になるとは考えずに最初から放置を決め込んでいる。どのタイミングで? きっと、試作品を口にした瞬間で見極めてしまったのよ。わたしたちと同じように……。だから放って置いても問題はないと判断したのだわ。でも実際には連日、客足が途切れることもなく盛況を示している。それはなぜ……?」


 更に考察を深めていく副会長。漏れ聞こえてくる声に耳を傾けている内、ようやく自分にも一体、何を問題視しているのかわかってきた。


「部長さん。今週に入ってから、だれが放課後、ここへやってきたのか覚えていますか?」


 先輩の推理を補足するため、情報収集を試みる。


「え! そ、それはどうかな。わたしたちも接客に必死でひとりひとりの顔まではよく見ていないから……」

「そうですか……」


 これはしょうがない。確かに連日、あのペースで一時いちどきに人が集まれば、いちいち相手の顔を確かめている余裕もないのだろう。しかも期間はまだわずか一週間だ。


「あたし、だれが来たのかわかりますよ!」


 とまどう佐々原さんに助け舟を出す形でひとりの部員が大きく手を挙げる。

 全身で快活さを示すような明るい様子。一年生の夏川さんだった。


「上級生だと名前までは怪しいけど、どの部活のグループなのかはある程度、把握してます」

「それはどういう意味なのかしら。なぜ、部活単位?」


 下級生の発言に副会長がさらなる説明を求めた。


「初日はよくわからなかったけど、二日目からは見知った顔と座席のグループ分けでなんとなく全体の関係が見えてきたんです。最初は先週の金曜日で野球部がメインの集まり、以降はサッカー部、陸上部と水泳部、次にもう一度サッカー部、バスケ部とバレー部、それからさっきの集団は剣道部と柔道部の人たちでしたね……」

「よく覚えられるものね。なにか秘訣でもあるのかしら?」

「あ! うちの両親、港のほうで食堂をやっているんです。お店の手伝いで小さい頃から水差しや注文を受けていたから、お客さんの顔を覚えるのは結構、得意なんですよ。東堂くんみたいな人にやさしくしてあげると時々、内緒でお小遣いをもらえたりするから……。まあ、日も高いうちからコップ酒をあおっているような人たちだらけでしたけど」


 さり気にろくでもない自身の未来予想図を提示され、つい暗澹あんたんたる気分に陥る。

 いや、わかっているのだ。港の近くということは主要な顧客は早朝の漁を終えた地元の漁師たちだろう。彼らは朝が早い分、昼過ぎには時間を持て余し気味になってしまう。なので、昼間からでもアルコールを摂取してしまうのだ。

 若い子にお小遣いを渡すのは……。世の中には自らの謝意や好意を金品でしか伝えられない不器用な人たちがいる。自分と同じように。それは決して傲慢ごうまんではない。


「さすがね、夏川さん。相手の顔を瞬時に覚えるのは立派な対人スキルよ。となると、一週間のうちにリピーターとしてやってきたのはサッカー部だけなのね……。これでわかったわ。あなた達の料理にはひとつ致命的な弱点がある!」

「…………弱点?」

「そうよ。だからこそ、たくさんの男子が日替わりでやってきているのに、繰り返しここを訪れる人間は現れない。それがこのラーメンの問題点よ」

「で、でも食べてくれた人たちは、みんな美味しかったと言ってくれたわ?」

「残念ね、佐々原さん。原因は味の良し悪しではないの。そう、あなたたちのラーメンは【男】を満足させることができていないのよ!」


 好きに喋らせると高確率で相手を誤解させるような暴言を撒き散らす。

 そろそろ満足しただろうという頃合いを見計らって、ぼくは横から口を挟んだ。


「すいません。副会長が主張していることを要約します。みなさんの作ったラーメンが非常に優れた味わいなのは間違いない事実です。ですが、いま指摘している事柄は彼らが部活の練習を一段落した状態であるという点です」

「何が違うの?」


 気づいていないのか……。いや、きっと知識としては彼女たちも修めているのだろう。ただ、現実として顧客を満足させるにはある種、過剰な盛り付けという『演出』が必要なのだ。味のバランスが悪くなるようなテイクアウトコーヒーの【トッピング】や様々な追加オプションがあるラーメン屋の【マシマシ】もすべてはお客さんに満足してもらうためのものである。『顧客満足度』という項目は、現在の外食産業においてもっとも留意すべきデータのひとつなのだ。


「彼らはたくさんの汗をかいて、ここへ来るときには体中のミネラルが激しく失われている状態です。それを補うために必要以上の塩分や脂質を求める。実のところ、ドンブリ一杯のスープで満足できないのは、逆説的に考えれば味気が足りていない証拠なんですよ……」

「……やけにみんながお代わりをするのは、味がもの足りないからだったのね」

「でも、それが悪いわけではありませんよ。文化祭本番のときは普通の生徒や一般のお客さんがほとんどのはずです。そうした方々にはいまの味付けでも十分ですよ。どうしても心配なら各テーブルに塩コショウなどの調味料を置いて、味を自分で調節できるようにしておけばいいと思います」

「つまりはそういうことね。ご苦労さま、東堂くん」


 ぼくにさんざん補足説明をさせておいて、さもすべてが自分の考えであるかのように振る舞う副会長。これが下僕の生きる道かと諦めにもに似た感慨が、ふと頭をよぎった。


「でも、だからこそせない謎が残るのよ……」


 難しい顔で先輩がふたたび表情を険しくする。

 そう。だからこそ顧問の先生は事態を楽観視していたのだ。さほど多くの人がやってくることは無かろうと高をくくっていた。ぼくらも同じような印象を抱いていた。なのに、たくさんの男子生徒が連日に渡って料理研究部のもとを訪れている。彼女たちは対応と接客に追われ、別メニューの開発に支障をきたすほどだ。

 なぜだろうか?

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