EPISODE #04 放課後のバーバリアン
#017 野菜の旨みを活かすためにうっすらとした味わいの塩ラーメン
時間は少し巻き戻る。
それは、ぼくが副会長から絶望的な宣告を受けるちょっと前。うちのクラスの企画がいかに無謀で馬鹿馬鹿しく、非現実的であるのかを毎回、実行委員会の方々より指摘という名の叱責で説かれていた頃の話だ。
「あの、副会長。ちょっといいですか?」
各クラブから回収してきた申請用紙のファイリング作業。そのかたわら、ふとした拍子で他クラスの企画書が目に入った。書かれていたのは『手作りカレー』の模擬店……。
「これは誰が書いたものですか? ものすごく、よくまとまっているのですが……」
書類を手元に引き寄せ、隣の席の女性に問いかける。
ぼくらは机を並べての事務作業中であった。
「ああ、これはね……」
ペンを走らせる手を休め、こちらをのぞき込むような勢いで顔を近づけてくる。
濃い色のカチューシャで前髪を押さえた、よく整った目鼻立ち。ひとつ年上の先輩は、ぼくが感じた疑問に俄然、興味を示してきた。
肩がぶつかりそうなくらいに互いの距離が近づく。
自分から話を持ちかけた手前、そこから離れるわけにもいかずに、ただどぎまぎとしてしまった。すると、こちらの動揺が伝わったのか彼女は急に探るような視線でぼくの表情を確認した。
「どうかしたのかしら?」
「い、いえ。別になんでもありません……」
動揺を隠して……隠したつもりでそう答える。
自分の返答に何かを確信したのか、副会長が声の調子を変えて意地悪くつぶやいた。
「そうなの? 真面目に仕事をしていたつもりが、ついつい女の子と二人きりだという絶妙なシチュエーションに気づいてしまい、頭では否定しても逸る心に精神の均衡を妨げられ、潜んでいた恋心を思わず意識してしまったのかと思ったわ」
「……別にそのようなことはありません」
空気を読まずに真顔で答えてしまった。
多分に先輩は雰囲気が気まずくなると、ボケてその場をごまかそうとするクセがある。ここ数日のやり取りでなんとなくその傾向はつかんでいた。
「……相変わらず、可愛げのない反応ね」
すねた様子でこちらの態度に注文をつける。
そう言われても自分には空気に合わせて上手に演技をしてみせる余裕がない。かと言って、相手の思惑を華麗に裏切るような賢いムーブも思いつかなかった。結果として、冗談を受けて真顔で返す面白みのかけらもない塩対応となってしまうのだ。
”東堂くんと一緒にいても楽しくない”
子供時代にまわりの同級生からそう陰口を囁かれるたび、声には出さぬまま胸のうちだけで強く叫んでいた。
――ぼくの人生はあなたを楽しませるためにあるのではない。
もちろん、口にしてしまえば一瞬ですべての人間関係が破綻してしまう。結局はその人物も他者を引き合いに出して、別の誰かとつながっていたいだけなのだ。なので聴こえないふりをしてすべてを聞き流してきた。
「まあ、面白いからいいけど。本当に不思議な子ね、あなたは」
彼女は事無げもなしに語ってみせた。なるほど、立場が変われば見える景色も違ってくるわけか……。
ぼくが時折、見せる反抗的な態度も先輩にしてみれば、いつもは従順な人間が周りを取り囲んでいる中、珍しく毛を逆立てながら威嚇してくる模様の変わった子猫のようなものかもしれない。
「そんな東堂くんの疑問を解き明かす鍵はこれよ」
先輩は事務机の一番下の大きな引き出しを開いた。中から一冊の青いファイリングを取り出す。背表紙に黒の油性マジックで記されたタイトル。手にしたのは、去年の文化祭の企画書をひとつにまとめたものであるのがわかった。
「これを見て……」
中を開いてこちらに向ける。
示された箇所をのぞきこむと、いま自分が手にしている今年の計画書とまったく同じ内容の文章がいたるところで散見された。違うのは書いた文字の形や大きさだけである。
「どういうことですか、これは?」
意味がわからず問いかけたぼくを先輩が愉快そうな顔つきで眺めていた。
つくづく意地の悪い人である。
「東堂くんは、だれがこの企画書を書いたのか気にしていたようだけど、その答えは簡単よ。ようするにだれも書いていない。前年度までの似たような趣旨の申請書から参考になりそうなものを選んで丸写ししただけ。カレーの模擬店なんて文化祭の定番だから探せばすぐに見つかるわ。他もクラスも大体は似たりよったりね。時々、オリジナル要素として少しアレンジが加わる程度よ」
「つまりは、ぼくらのクラスのようなまるで前例がない出し物を一から始める大馬鹿者はいないというわけですか?」
「それもどうかしらね。ここに残されているのは、あくまでも実際に行われた企画だけよ。申請の段階で実行委員会から跳ねられたものは結局、記録に残らないもの……。もしかしたら、過去にも似たようなアイディアを持った人がいたのかも知れない。でも結局、ひとりも実現は出来なかったようね」
ああ、なるほどな。なんとなく話の全貌が見えてきた。
つまり、高校の文化祭というのは極めて【マニュアル化】された擬似的な社会体験なのだ。普段は『学校』という枠の中で大切に守られている生徒たちに、その一日だけは外部からの無遠慮で
過度な配慮は締付けであり、同時にまだ孵らぬ卵を守るための堅牢な檻。
動物園は危険な野生生物から来場者を守るために鉄格子を施しているのではない。
高価で希少な動物たちが俗人のイタズラによって傷つかないための施設なのだ。
「ぼくらは根本的に何かを勘違いしているのでしょうか?」
突きつけられた現実に思考の沼へと
「どうかしら……。まだ、わたしにはあなたたちの考えていることがどういう経過と結末をたどるのか予想がつかないわ。でも、そうね。東堂くんは現場の実際と現実の空気を体験したほうがいいのかもしれないわ……」
「現場……ですか?」
正直、何を言われているのかよくわからない。
ぼくらのクラスがやろうとしている、『おもいっきりステーキ』のような頭のおかしい企画が他にもあるのだろうか。
「ちょうどいいわ。料理研究部の部長さんから一度、視察に来てほしいと要請を受けているの。いまから見に行ってみましょう」
「料理研究部ですか?」
「そうよ、彼女たちは文化祭で模擬店、『JKラーメン』を出展するのよ」
JKが【女子高生】の略語であるのは知っていた。
「清々しいくらいキャッチーなネーミングですね」
「自分たちの何がプレミアムとして機能しているのか熟知している証拠よ。見事なまでに唯一無二の存在として衆目の視線を独り占めね」
先輩は感心しきりの様子で料理研究部の企画を褒めちぎった。
確かにフックは効いている。ぼくですら実際にどんなものが出てくるのか自然と興味が湧いてきたのだから……。
こうして副会長とふたり、調理実習室が置かれている実験棟へと足を運んでいった。
◇◇◇
料理研究部の部室兼、活動拠点となっている調理実習室は、実験棟の一階端に存在していた。管理棟三階にある生徒会準備室からは長い渡り廊下を歩いていかねばならず、道すがら副会長を見かけた生徒たちが遠巻きに彼女を眺めている。やはり、先輩はよく目立つ存在なのだ。当然、そのうしろをくっついている自分にも注目は集まるわけで……。
最初は『誰?』、『生徒会のメンバー?』と言った感じのもっともらしいつぶやきが聴こえてきた。だが、次第に発想はより過激な方向へとスライドしていく。【使用人】【侍従】などと、明らかに見た目だけで判断したような声が漏れ聞こえてきた。しまいには、【奴隷】という単語がどこからか興った。もうメチャクチャである。
「副会長……。みんながぼくを見ているのですが?」
不穏当な空気にいたたまれず、前を行く先輩に小声で訴えた。
「自意識過剰ね。電線の雀がさえずっているとでも思いなさい」
「雀は人の姿を見て、『男よけのためのカカシ』などと言いません……」
ぼくの声に美しき副会長はクスリとも反応せず、なおも堂々とたくさんの人影が存在する廊下を歩んでいく。まるで、自分を引き連れて行進する意味を人々にこれでもかと見せつけているようだった。
「ここですか?」
そして、ようやくと調理実習室前に到着する。周囲には食欲をそそる、おいしそうな匂いが空気に紛れ漂っていた。
「東堂くんはここに来たのは初めて?」
「そうですね。男子の場合は総合学科の選択科目にもこの教室を使用する授業は含まれていませんので……」
「そういうものよね。学校には知っていても三年間、一度も足を踏み入れることのない場所というのがあるわ」
「……自分にとっては少し前まで、『生徒会準備室』などがまさにそうでしたが?」
「文化祭が終わる頃には、きっとホームベースに変わっているわよ」
まるで預言者の宣託である。もしくは魔女の呪いか……。
先輩のたわむれに窮していると、調理実習室の開け放たれている扉の内側からひとりの女生徒が姿を現した。
首元から腰までを白の割烹着で包み込み、頭には髪を隠すように頭巾をかぶっている。女の子の背は小さく、一見すると中学生と見間違えてしまいそうだった。
「あら、石神さん? 来てくれたのね」
女性がぼくらふたりに気づいて、副会長の名前を呼んだ。
「こんにちは、佐々原さん。準備の方はどう? はかどっているかしら」
様子から察するに両者は顔なじみのようである。
「本番用のレシピは一応、完成したわ。いまは試作品で味を確かめている最中なの。……ところで、石神さん。うしろの人は?」
佐々原さんと呼ばれた女子がぼくの方を見て問いかけてくる。
先輩との絡み方を見る限り、ふたりは同学年のようだ。
「彼は一年生の東堂くん。文化祭の実行委員で、いまは生徒会に協力して各クラブとの調整役を引き受けてくれているの。こちらにも顔を出すと思うから、今日は紹介がてら着いてきてもらったのよ」
ああ、そういうことか……。
先輩がわざわざぼくを伴ってここまで来たのは、様々な文化系クラブが一同に会しているこの実験棟が今後、自分の担当区域となる。そのためにあえて衆人環視の中を進み、この人物が生徒会関係者であることを
――悪名は無名に優る。
一瞬、”炎上商法”という単語が脳裏をかすめた。
「東堂くんね。わたしはこの料理研究部の部長をしている二年の佐々原よ。一年生ということは、滝口さんか夏川さんと同じクラスなのかな?」
思ったとおり、彼女は上級生だった。見た目よりもどこか落ち着いた印象を受けたのも納得だ。さらに聞かされたふたりの人物の名前。夏川というのは正直、記憶もおぼろげだが多分、別クラスの女子だろう。滝口さんの方はよく見知っている。同じクラスの女子でコロコロとよく表情が変わる快活な女の子だ。当然、ぼくのような日陰者とは住む世界が違うわけで、入学してからこれまで記憶に残るような交流は一切、なかった。
「滝口さんとは毎日、同じ教室で顔を合わせていますよ」
嘘はついていない。事実として、一日に一度くらい顔を見ることもあるのだ。
「やっぱり、そうなんだ。彼女が『目立たないけど頭のいい優等生』だって話していたのを思い出したわ」
女子というのは、つくづく他人の噂話をするのが大好きな存在らしい。
自分のような意図して教室の風景に埋没し、息を殺して毎日を過ごしているような人物さえ話のネタにするとは……。
「そ、そうですか。知りませんでした」
「……ねえ、東堂くん。あなた、ラーメンは好きかな?」
唐突な質問に思わず面食らう。
とはいえ、一般的な男子高校生でラーメンが嫌いというのはおそらく少数派だろう。
御多分に洩れず、自分も嫌いではない。むしろ好きだと言っても差し支えはなかった。
「えっと、人並みには……」
表現を抑えて返答する。それでも佐々原さんの表情が一瞬で嬉しそうに変わった。
その笑顔は、つい惹き込まれそうなほどの魅力にあふれている。
自分のような根本的に女性不信気味の人間でもそのように感じるのだから、ごく普通の男性にとって彼女の存在はかなり魅力的に映るだろう。
「頬が緩んでいるわよ。シャキっとしなさい……」
すぐ隣に立つ副会長が凍てつくような冷たい声を出した。
何か失礼があったのかと、思わず身構えてしまう。
「よかったら、うちの試作品を味見してくれない? 色々な人の意見を参考にしたいの。石神さんも一緒にどうかな?」
佐々原さんの提案を受けてぼくは直接、答えずに先輩の方を見た。
すべての判断は上司の許可を得てからである。わずか数日ですっかり教育されてしまったのだ。
「……少しだけならいただくわ」
副会長の返事に場の空気がこころなしか和んでいくのを感じた。
それから佐々原さんが調理実習室の方に向き直り、中にいるはずの部員たちによく通る声でオーダーを伝える。
「”野菜の旨みを活かすためにうっすらとした味わいの塩ラーメン”をふたつお願いね。片方は半盛りで!」
JKラーメンどこいったの?
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