#016 革命と私的制裁
「本当にそれでいいのか、松阪?」
仲間の返答に岡本が再度、問いかけた。
「構わない……。元はと言えば、おれが後先考えないずにやりたいことを始めてしまったせいだ。田中も岡本も、他の連中もそんなおれのバカな気まぐれを聞いて、放っておけずに付き合ってくれただけなんだろ。すまなかったな、ありがとう……」
段々と小さくなっていく松阪くんの声。
胸にこみ上げる切ない思いに突き動かされたゆえの述懐。クラスのみんなも黙ったまま、その声に聴き入っていた。
――ぼくは彼のことが決して嫌いではない。
高校生ともなれば自己を主張するために、多くの男子生徒が様々な格好良さを模索し始める。その中にあって、別に規律にうるさい運動系の部活に在籍しているわけでもないのに、松阪くんはあえて短い頭髪を維持していた。理由は家業の手伝いをする時、邪魔にならないようサッパリとした髪型を選んでいるらしい。その一点だけを取り上げても、彼が周囲の大人たちの信頼を勝ち得る十分な素養の持ち主であることが推察できた。
そんな松阪くんだからこそ、通常なら一笑に付されて終わりそうな、文化祭で『ステーキハウス』を運営するという常軌を逸した企画を大真面目に考えたのだ。
何よりも恐るべきは、肉の仲卸を営む彼の父親を介した多彩なコネクションである。普通の高校生には、吸引ダクト付きの『炭火焼き無煙ロースター』を複数台用意することは絶対に適わない。プロパンガスを用いた鉄板焼きグリルの当初案に、実行委員会からボンベを室内に配置する危険性を指摘され、代替案として彼が持ちかけてきたのだ。もちろん、ぼくは絶句した。ガスでなければ大丈夫だと判断した単純さと、ダクトを教室の窓から伸ばして煙を屋外へ排出しようとしていたことだ。
「二階にいる先輩たちは焼き肉の煙で
ぼくが思わずつぶやいた懸念に松阪くんは一瞬、とまどうような表情を浮かべて、いつものような苦笑いを見せた。
「やっぱり、叱られるかな?」
それ以前の問題である。
こうして彼が突拍子もない思いつきを披露するたび、ぼくは委員会との折衝における板挟みで精神を
「クラスのみんなも申し訳なかった。後のことはすべて任せるから、全員で結論を出してくれ。おれは外に出ているよ」
そう言って席を立ち、田中と同じように教室のうしろの扉から廊下へと出ていく。
松阪くんの存在が完全に遠くへ消えた頃、所在なさげにしていた岡本が不意に立ち上がった。
「それじゃあ、ちょっと松阪の様子を見てくるとするかな……。おれの一票は【棄権】扱いにしておいてくれ」
「田中くんは放っておいたのに?」
「あいつはひとりにしておいた方がいいんだよ。でも、松阪にはせめて誰かが胸の内を聞いてやる必要があるだろ。あれだけ頑張ってきたんだ。お前がどう思っているか知らないが、おれにとっては田中も松阪も大切なクラスの仲間だからな……。まあ、ここから先はお前が責任持ってクラスを引っ張っればいいさ。せいぜい、恥をかかないようにしておけよ」
こちらの態度が気に入らないのだろうか。岡本はふてくされたように警句を告げた。その声に応えて、ぼくも相手に言付けを託す。
「松阪くんに、ぼくの方から『済まない』と伝えておいてくれないかな……」
「テメエはおれの友達じゃない! 言いたいことがあれば自分で伝えろ!」
鋭い視線を自分に向かって投げかけ、捨て台詞を残しながら岡本は教室を出ていった。残されたぼくは返す言葉もなく、そのうしろ姿を見送るだけだ。
――別にいいさ。クラスの人間すべてと打ち解けられるほど、自分は聖人君子でもない。
きっと岡本とは致命的に相性が悪いのだ。
そういうものだと思って諦めるとしよう。
「他に意見がある人は挙手してほしい……」
こちらの求めに手を上げる人はもうだれもいなかった。
「では、審議は尽くされたと判断し、決議を取りたいと思う。委員長、お願いしてもいいかな?」
前方の席に座っているクラス委員長の山口さんへ司会を引き継ぐ。
全員の意思を確認するのは自分の役割ではないからだ。
そして、立ち上がった山口さんがぼくの提案した文化祭の出し物の変更案について、賛同する人たちに挙手を求めた。
教室のあちらこちらから、おずおずと片手を上げる光景が広がっていく。
最終的には一〇名前後のメンバーを除いて、過半数を大きく超えた人数が生徒会との協力体制を良しとした。
欠けているのは、ここにはいない何名かの男子と比較的、仲が良さげなグループだった。その人たちは結局、ぼくの言うことを信じられなかったのだろう。
「では、賛成多数として本案は了承されたことを確認します」
山口さんがおごそかに投票結果を全員に告げる。
こうして、ぼくは自らの意思でクラス全体の計画を大きく軌道修正することに成功した。けれど、少しも嬉しいとは思えない。代わりにひとりのクラスメイトをひどく傷つけてしまったからだ。
◇◇◇
次の日、中身を大きく書き換えた申請書を
手にした用紙には、すでに文化祭実行委員会から計画変更を許可された【了承印】が
この頃には、すでにぼくの存在は副会長の私設秘書として周囲から認知され始めている。中には【二重スパイ】とあからさまに
そんなわけで本日も変わらずに生徒会準備室の扉をノックする。
スチールドアの表面を軽く二回叩くと、間髪入れずに内側から返事が聞こえてきた。
「開いているわ、どうぞ」
いつものように来訪者を招き入れる副会長の声。
「ごきげんよう、東堂くん。今日は少し遅かったわね」
扉を開けると、机の上の書類に視線を落としたまま、先輩がぼくに向かって挨拶をしてきた。
「ええ、ちょっと。先に実行委員会の方を伺っていたので……。それにしても、よく音だけでぼくが来たとわかりましたね?」
「あなたの扉を叩くリズムと音階はすでに頭の中で……。そろそろ頃合いだと思っていたのよ。君はいつも同じようなタイミングでここを訪れるから」
口にしていることが明らかに矛盾している。
一体、何を動揺しているのか……。あっ!
「遅れた理由はそれだけ?」
机から顔を上げ、真剣な眼差しでこちらに迫ってきた。
「……副会長が心配しているほど、悪い展開ではなかったですよ」
「という限りには、予想は現実に変わったということかしら?」
「お恥ずかしながら言われた通りになりました」
昨日、取りあえずの報告を先輩に行った後、彼女からとある警告を聞かされた。
自分がクラスのみんなを扇動し、文化祭の企画を変更したことで一部の人間が逆恨みから凶行に走る可能性があると……。
ぼく自身はその行為になんの意味があるのか、およそ理解が及ばずに半ば聞き流していたのだ。
ところが今日の昼休みにいきなり人気のない場所へ呼び出された。
もっとも、当人たちは先に現場で待ち受けている必要があるため、代わりに他のクラスメイトが無理やり、自分を連れてくるよう彼らから強要されたらしい。
それなのに肝心のぼくが人目のつかない場所で昼食のパンを食べていたせいで、探し出すのにかなり苦労したようだ。息を切らせながらふたりが体育館倉庫の裏で待っていると教えられる。その時点で午後の授業開始まであと十分を切っていた。
「で、何をされたわけなの?」
「着いたら、いきなり携帯の電源を落とされました」
「いまどきは簡単に動画や音声で証拠が残せるもの。標的のガジェットをあらかじめ沈黙させるのは常套手段よ。それで?」
なおも副会長の事情聴取は続く。随分とこの件に関して、ご執心だな……。
「大柄なクラスメイトに胸ぐらを捕まれ、早口で何かをまくしたてられました。調子に乗るなとかなんとか……。かなり焦っている様子でしたよ。おそらく、次の授業まで時間がなかったからだと思います……」
「せっかく他人の目が及ばない場所へ誘い出し、相手の機材を使えなくしたのに、みんな揃って遅刻したら何があったのか簡単に想像できてしまうわね。下手に悪知恵が働く分、演じる醜態が
「ええ、まあ……」
短く答えながら胸元のポケットより細身のICレコーダーを取り出す。これは、いざというときのため制服に忍ばせておくよう、先輩から渡されていたものだ。
「うまく撮れるか心配でしたが、わざわざ向こうから顔を近づけて来てくれたので録音レベルが大きすぎるくらいでした。それにしても……」
事件の一部始終が収められたレコーダー。銀色の小さな筐体を副会長に返しながら、心に残る疑問点を小声でつぶやきかけた。
「どうかしたの?」
「いえ……。ちょっと不思議に感じただけです。証拠が残るのを恐れてすぐに携帯を押さえた相手が、さらにちょっと調べればすぐにわかりそうなレコーダーには存在すら疑わなかった。なぜでしょうか?」
実のところ、自分を呼び出したふたりに挟まれた時、すぐに気づかれると思っていた。特に岡本の方は自身に火の粉が及ぶのをあれだけ恐れていたのに……。授業開始の
多分にこの一件を主導したのは体が大きい田中の方であり、岡本はそれを断りきれず付き合っただけという構図だろう。
「落とし穴に相手を引っ掛ける一番の方法は『穴の上に金貨を置く』ことだと昔、読んだ本に書いてあったわ。でもね、すべての人間が我欲に溺れた扱いやすい存在ではないのよ。中には鋭敏に罠があることを嗅ぎつけ、慎重に落とし穴の周りを探り始める狐もいる。そんな時は、どうしたらいいと思う?」
「え……。ど、どうしましょうか。物陰から大声で驚かして、足を踏み外すように仕向けてみるとか……」
「正解は落とし穴の近くに別の罠を張っておくことよ。注意と視線をひとつに集中させて、片方の仕掛けを意識の外側へ誘導する。枯れ葉で罠を隠すより、目立つ餌で気持ちをそちらに集中させるほうが確実なの。特にターゲットの携帯を最初から無効化してしまおうと考えるような相手には……。パターン通りの動きでありがたいくらいよ」
余裕をうかがわせる表情でレコーダーを操作し、中のデータをPC上で解析し始める副会長。手慣れた様子に驚いたぼくは感心しつつ、思いがけずにつぶやいた。
「録音データは一体、何に使うのですか?」
「そうね。個人情報を特定されそうな箇所は加工を施し、残りはどこか適当な我が校のSNSグループに流しておくわ」
「……問題になりませんかね?」
「むしろ、顕在化してくれた方が学校側も無視できないから、わたしとはしてはありがたい感じね」
一切の容赦を感じさせない険しい声で先輩は暴漢者たちを厳しく追い詰めようとしている。ぼくとしては確かにろくでもないクラスメイトだが、そこまでの反撃は考えていなかった。せいぜい、互いに無視できればそれでいいかなと思っている程度だ。
「心配しなくても校内での揉め事というのは、必ず何者が穏便に処理してしまおうと働きかけるものよ。この件も伝えたい人間には重要なメッセージとしてきっと届くわ。後は向こうの出方次第だけれど……まあ、【攻撃】と【警告】の違いくらいは分別が着けられる相手のようね。期待しておきましょうか」
ときに激しいまでの冷酷さを発揮する副会長。何が彼女をそこまで焚きつけるのか、自分には到底、わからない。
「よくそんな意地の悪い……あ! いやいや、姑息な手段を……違う、用意周到なやり方をご存知ですね?」
「助けてもらった割には随分な物言いね? 恩を着せるつもりはないけれど、一応はあなたのことを考えての処置なのに」
「すいません、そんなつもりではないのです……。ただ、少しだけ驚いたので」
明らかな動揺がつい口に出てしまった。謝罪と同時にいそいで頭を下げる。
「……そんなに慌てなくても、もう怒ってないわよ。これはあくまでもわたし個人の意思。東堂くんはいつもどおりにしていればいいの」
「ま、まあ……そういうことでしたら」
「生徒会になんて属していると、良くも悪くも色々な話が聞こえてくるものよ。そこから様々な対応策を自然と身に着けているだけ。後のことはもう大丈夫。君にこれ以上は害が及ばないよう、こちらで対応しておくから……。ご苦労さま。疲れたでしょうから、今日はもう帰っていいわ」
機嫌を直した先輩が一転、やさしい声でぼくに退室をうながした。
できるだけ平静を装っていたが、彼女にはいまの自分がどこかおかしく見えたのだろう。無理もないと言えばその通りだ。ぼくは荒事が得意ではない。修羅場に居合わせた経験すらなかった。やはり、疲れていたのだろう。なので素直に引き上げようとして出入り口に向かった。
「あの……。本当にありがとうございました、副会長。ぼくはこの学校に入ってから初めて自分の意思で自らの居場所を造ることが出来たような気がします。これもすべてあなたのおかげです」
去り際にうしろを振り返り、自らが思うところを先輩に語りかける。
ぼくの声に彼女はこちらを見つめたまま、特に何も答えなかった。
驚いてしまったのか、返す言葉が見つからなかったのか。きっと両方だろう。
だから、答えを待つことなく足早にその場から辞した。
――――――――
閉ざされた無機質な扉をじっと見つめる。
少女の姿は、まるでそこにはもういないはずの人影をまだ視界に認めているようだった。
怒りは狂気を掻き立て、狂気は妄執を生み出す。
「大丈夫よ、東堂くん。あなたはわたしが守ってみせる……」
誰も聞く者がいない部屋の中、小声でつぶやいた彼女は姿勢を戻してPCのモニターへ向かった。それから、情報の海の中へ毒入りの瓶を流し込む。
狂おしいほどの激情が少女を変えた。恋は人を狂わせる。
EPISODE #03 END
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