#015 弾丸論破
「それは一体、どういうつもりだ?」
過熱する室内の空気にあてられた田中が表情を一層、険しくする。
きっと、ぼくのようなクラスでも目立たない存在から指摘を受けたこと自体が許せなかったのだろう。
男の矜持といえば聞こえはいいが、実際には自己の立場を利用して無理難題を他者に強いているだけなのだ。
「言った通りだよ。面倒なことや自分では解決できそうにないことを他人に無理やり押し付け、それを責任という言葉で強要する。クラスの中での分担なら、少しばかり強引な手法を使ってもだれかが我慢すれば問題は表面化しない。でも、文化祭のような学校行事となれば話は別だ。クラスの上には実行委員会があり、生徒たちを統括する生徒会執行部がある。そうした上位の存在に指導を受けて、状況を真面目に改善することが出来ないのなら、ぼくは自身の考えとして現在の企画は破棄するしかないと思っている……」
「なんだ、それは? 生意気、言ってるんじゃねえぞ!」
いよいよ堪えきれなくなったのか、声を荒げてこちらを威嚇しようとする田中。
予想通りの反応だった。
「ちょっと落ち着けよ。東堂だって実行委員としての仕事だからこそ、こうして提案しているだけだ。お前が叫んだってどうしようもないだろ」
「岡本? でもこいつは、おれたちを馬鹿にしたんだぞ、東堂のくせに」
後方から声をかけてきた岡本の方を振り向き、苛立ちを隠そうともせずに訴える。
聞こえるような大きさで口にしたからには、ぼくに対しての挑発行為であるのだろう。
……つくづく面倒くさい連中である。
「いいから、静かにしろよ。お前がそうやって大声出すから、みんなびびってるんだよ。後はおれが引き受けるから……な?」
なだめるような言い方で田中を抑える。
味方の言葉に何かを勘づいたのか、男が慌てて周囲を見渡した。
みな息を殺して机の盤面に顔を向けている。教室内のただならぬ雰囲気に怯えているのだ。
「チッ……。わかったよ、後はまかせる」
しぶしぶと岡本に事後を託し、田中は腕組みをしながら固く目をつぶった。
せわしなく動く指先の様子が内心の怒りを表している。
どうやら、彼らも徐々に気付き始めているのだろう。自分たちが決して多数の支持を受けているわけではないのだという現実に。
「東堂、お前の焦る気持ちもわかるよ。どうせ、実行委員会も生徒会もクラスの現場を確かめもしないで、一方的に要求を突きつけているだけだものな」
岡本が知ったような顔でこちらに同情を寄せた。ただ、その認識は悪いが大間違いである。生徒会と実行委員会はそれぞれひとりづつペアになり、何組かに別れて日々、各クラスや文化系クラブを回っているのだ。
目的は提出された企画書通りに展示が行われているのかを直接、確かめることである。計画はあくまで計画、現実には様々な問題に頭を悩ませ、工夫と努力によって実際の展示が進んでいく。そうした修正作業に合わせて企画書の内容を訂正するのが日課であった。
ぼくが生徒会準備室に顔を出すたび、副会長がひとりで部屋にいたのはその時間帯に他のメンバーがせわしなく校内を巡回をしていたからだ。もちろん我がクラスにも視察の人間は訪れている。岡本が何も知らない理由は単純だ。対応を松阪くんひとりに任せていたから。
生徒会に保管されているコピーされた企画書と、そこに重ねられた視察報告書に記されているクラス側の対応者名を見れば事実は一目瞭然であった。
「だけどな、東堂。実行委員会の言い分をまるまる鵜呑みにする必要はないんじゃないかと、おれは思うんだよ」
自分勝手な理屈で相手の態度に非を鳴らす。
個人の尺度で全体のルールを逸脱しようとする人間はいつだって一定数、存在するのだ。
「と言うと?」
「つまりな。十の要求を突きつけられたら、せめて半分の五で済ませられるように互いの意見をうまく収める。それくらいの踏ん張りは実行委員であるお前に期待しても悪くないんじゃないか?」
やんわりとした伝え方だが、言っていることは結局、ぼくの努力が足りないと注文を付けているだけだ。
どこまでもどこまでも他人任せで自ら働きかけようとはせず、事態が好転するのを待っているだけのどうしようもない人間がここにいる。
「ではまず、ゼロを五にしてみせる具体的な改善案を企画書に書き加えてくれないか。ぼくに渡される用紙には毎回、箇条書きで新たな項目が追加されていくばかりで、肝心の実行委員会に対する返答がどこにも見当たらないんだ……」
「そういうのは実際に作業を進めながらみんなで考えていくものだろ。いますぐ文章にしてまとめろと言われたって、うまくいくわけがない。なにせ初めての作業なんだからな。お前もクラスのみんなの努力を汲んで、実行委員会に強く掛け合ってくれよ」
視界の中で薄ら笑いを浮かべている人物が一体、何を告げているのかよくわからない。だが理解できるはずもないのだ。なぜなら、彼は建設的な意見を述べているつもりで自分の責任を懸命に回避しているだけなのだから。
「君の言葉に従えば、”クラスのみんなで頑張っているから、信じて待っていて下さい”と、実行委員会に伝えるしかない。友達や家族になら、その言い方で通用するかも知れないが企画の安全性に責任を持つ彼らがぼくらの言葉を黙って信じてくれるだろうか? ぼくには疑問だ……」
「それをうまくやるのがお前の仕事だろ。しっかりしろよ」
――先輩、あなたが口にしていた言葉の意味がいまようやく実感できました。
理屈や理論では人の心は変えられない。ただひとつの正しいやり方は相手を屈服させるだけだと……。
覚悟は決まった。
「よくわかったよ。やはり、いまのままでは企画の実現性は極めて危うい。理由は再三に渡って委員会より勧告された安全対策の不備だ。この計画はいつまで経っても許可してもらえないだろう。だからこそ企画の見直しをぼくの最終意見としてクラスのみんなに問いたい。代替案はすでに提示した生徒会との合同企画だ」
「どうしてお前にそんなことを決める権利があるんだよ!」
我慢に我慢を重ねていたと
「ぼくには文化祭実行委員として、クラスの企画を無事に成功へと導く義務と責任がある。その職務上の権限から独自の提案をしたまでだ。何か不満があるのか?」
「急に偉そうな態度を取るのが気に入らないんだよ! 大体、なんでおれたちが生徒会の小間使いみたいな真似をしないといけないんだ?」
田中の発言の前半は単なるイチャモンだった。けれど、後半に関しては疑問を感じているクラスメイトもいるはずだ。なので、ぼくらのクラスが生徒会に協力する意義と利点を改めて解説する。
「この企画が具体的に考え出されたキッカケは、ぼくと生徒会副会長の個人的繋がりであるという噂は本当だ。ただし、クラス全体で参加するという条件にはそれなりの意味がある。通常の年だと生徒会が主催する店舗には生徒の中からボランティアを募って屋台の運営を担当するんだ。そして毎年、たくさんの人が自ら手を挙げて協力を名乗り出る。なぜか? 半日のみの活動だけれど、在籍中の活動履歴にしっかりと項目が書き加えられるからだ。こうした経歴はいずれ三年生になって進路を選ぶ時、きっと無駄にはならない。自分たちの計画を諦めてまで生徒会に協力する現実的な理由がそれだよ。一年生の文化祭という、せっかくの機会をぼくは絶対、無駄にしたくはないんだ……」
「それがお前のやりたいことかよ!」
話を聞き終えた田中が間髪入れずに噛み付いてきた。
彼にとって、いまぼくが口にしたようなさもしい考え方は決して受け入れられないのかも知れない……。だからと言って、クラスの人間がすべて同じような意見であるわけではないのだ。少なくとも自分から直接に話を聞いた女の子たちは、ぼくの考えにかなりの興味を示していた。彼女たちにとって、二年後の未来はそう遠くない現実世界の延長線上であるのだろう。
「馬鹿馬鹿しい! そんなやり方におれはついていかないぞ!」
机に激しく手を置いて、男は椅子から立ち上がった。その行動に教室内の空気がいきなり緊迫の度合いを高める。
「おい、田中! 落ち着けよ。いま、あいつをぶっとばしてもなんの意味もないんだぞ!」
さすがにただならぬ気配を感じたのか、岡本がすぐに声をかけた。
それほどに男が
「心配するな。これ以上、聞いていられないだけだ! クラスの出し物はお前らが勝手に決めたらいい。おれはもう知らん!」
投げやりに叫んだ後、岡本の机の横を通り抜け、教室後方の扉に向かう。
それから乱暴にスライドドアを開け、大きな歩様で廊下へと姿を消していった。
男がいなくなった室内では、いまだ沈黙が空間を支配している。
「あらら、ガチギレかよ。しょうがねえな……」
「追いかけなくてもいいのかい?」
あえて、おどけるような態度の岡本にぼくは小さく問いかけた。
「いいんだよ。いまは頭に血が上っている。ひとりにしておいた方がいいんだ」
「そうか……」
「にしてもだな、東堂……。お前が田中を本気で怒らせるとは思っていなかったよ。それだけ今回の件は本気なんだな」
「まあね。君もやっぱり、ぼくの意見には反対なのかな?」
田中とは真逆に、努めて友好的なやり取りを続ける岡本。でも、その表情はちっとも笑っていなかった。波間を進むヨットのように彼はクラスに漂う微妙な空気を読みながら質疑の応答を繰り広げていく。
「ん? いや、おれも田中とスタンスは同様だよ。クラス全体の意見には従うさ。さすがに協力までは辞退したいとは考えているけどな……。ところで、おれからもひとつ提案してもいいか、東堂?」
「どうぞ……。なんでも遠慮なく言ってほしい」
互いの腹を探り合うような言葉の応酬。彼は田中のような直情的な人間ではない。
むしろ、深慮遠謀を張り巡らす用心深い性格だ。問題は、その頭の良さを自己の保身のみに傾けてしまうことだろう。
「お前が実行委員の立場で新しい意見を主張するってのは理解できるよ。それが自分の仕事なんだからな……。でもなあ、いまやってる企画だってここまで一番、努力してきたのは発案者の松阪だ。それを途中で諦めて、別の計画を立ち上げるのなら一応はあいつの気持ちも確かめたほうがいいんじゃないか?」
事ここに及んで、不意に主導権を松阪くんへ丸投げする。
彼はもうわかっているのだ。いまの計画は一旦、破棄するしかなく、クラスの半数以上の人間は、すでにぼくが提案した別の考えになびいているという現実に……。だからこそ、最終的な決断を松阪くんひとりに背負わせ、自分は安全な場所から静かに成り行きを見守ろうとしているのだろう。
「なあ、松阪! お前も伝えたいことがあるなら、この機会に言っておけよ」
廊下側、壁際の席の中程に身を置いている松阪くん。彼はこれまでの討議で時折、声を発するのみだった。何を思うのか、ただ机の上で両手を組み、じっと自分の指を見つめていた。
「……おれは」
重い口を開いて、ようやく自らの意思を声に出す。
だれもが彼の発言に耳を傾けていた。なぜなら松阪くんこそがクラスの出し物にもっとも力を入れ、ほぼひとりきりで企画の立ち上げと諸々の準備を整えてきたことは、みなが知るところであったからだ。
田中や岡本、その他の取り巻きたちは面白おかしく彼の行動を見ていただけと断じても間違いない。
「みんなの意見に従う。これ以上、おれひとりのわがままでクラスがバラバラになるのは耐えられない……」
思いつめたように自身の気持ちを
何度も言うが、彼は文化祭の企画に並々ならぬ情熱を持って取り組んでいた、たったひとりのクラスメイトだ。
いまのぼくに課せられた使命は、そんな彼の夢を無残に打ち砕くことである……。
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