#014 放課後レッスンタイム

「東堂くん、大切なことはあなたの言うことが正論かどうかではないの。あなたの発言に耳を傾けてくれる人間がその場に何人いるのかということなの」


 開口一番、身も蓋もない語り口でこの世の真実をハッキリと知らしめてくれた副会長。ありがたくて涙が出そうだった。


「片手で指が余ると思います……」

「知っているわ。だからこそ、どうすればいいのかをこれからふたりで考えるのよ」


 慰めの言葉もなく、ただただ端的に事実を直視していく。

 頼もしいのと同時に恐ろしくなった。


「ですが、実際にはどうすればいいのでしょうか? お恥ずかしいですが、ぼくはクラスの中でも友達はひとりもいな……少ない方です。そんな自分の言うことを信じさせるなんて……」

「別に日常でボッチかどうかなんて、相手の判断になんの影響も及ぼさないわ。むしろ、普段から仲間とつるんで面白おかしく過ごしている人たちの言うことのほうが、いざという場合、そこから距離を置いている中間層にとっては眉唾まゆつばに感じるものよ」

「そ、そうですか……」


 少しだけ見栄を張ったぼくの告白に、副会長はじつにあっさりと現実的な認識を示した。

 普段はひとりでいることになんの不自由も感じてはいないが、いざ他人からそのように指摘されると情けなくて、ついつい別のだれかにすがりたくなる。


――もしかして、先輩はこちらの恐怖心を煽ることで自身への依存度を高めようと考えているのではないか?


 疑心暗鬼が邪推となって心に渦巻いていく。


――いけない! 彼女はいま自分のために必死でどうすればいいのかを思案してくれている最中なのだ。


 ぼくも余計な雑念は振り払い、真摯に相手の言うことを聞かなければならない。

 心を戒めた自分にそっと副会長が語りかけてくる。


「では、そんな普段はひとりきりで孤独に過ごし、お昼休みには購買でパンを買い込んだ後、居場所が見つけられない教室から遠く離れて人目につかない校舎の片隅で時間を潰しながらパンをかじっている東堂くんでもクラスのみんなの意見を変えられるよう、具体的な手法を考えていくわよ……」


 この人、本当にぼくの味方なんだよな?

 と言うか、どうして自分の日々の生態がこうもあからさまになっているんだ……。


「や、やっぱり自分から積極的に声をかけていくことが大事なスタンスなのでしょうか?」


 萎えた勇気を振り絞り、悩んだ末に可能な限りのポジティブな姿勢を現していく。

 そんなぼくをまるで出来が悪い教え子に口述試験の結果を伝えるような冷たい視線で見つめている先輩の顔が見えた。


「あなたがお休みの日に街へでかけ、一日を楽しく過ごす目的で道行く女の子達に無作為で声をかけ続ける勇気と根気があるなら、その意見を尊重してあげてもいいわよ……」

「すいません。想像しただけで吐きそうになりました……」

「出来もしないことをその場の勢いで口にすると、やる気以上に人間性を疑われる結果となるわよ。他人に信用してもらいたければ、行動とともに言葉もよく選びなさい」

「……肝に銘じておきます」


 厳しく諭され、のっけから会話の主導権を完璧に握られてしまう。

 まあ何をどうしようと、最初から先輩の言うことにぼくが異論を唱えることなど出来はしないけど。


「まず重要な点は説得を試みる場合、常に個別の対象を特定して語りかけるということよ」


――ん? それって、さっきぼくが口にしたことと同じでは……。


「不満が顔に出ているわよ。わたしが言っているのは違う前提条件に基づいた話よ」

「前提条件ですか……?」 

「そうよ。必要なのはこちらからアクティブに語りかけるのではなく、相手から自分に声をかけてくるように誘導することなの」


 いきなり随分とハードルが高いことを言い出した。

 それが簡単にできれば苦労しないと思うのだけど……。


「なので必要なのは見出しで釣って相手の興味を惹きつけ、駅で降りた後に本を開かせる、『電車の中吊り広告』と同じ手法よ。具体的には朝の短いHRで計画の存在を匂わせ、細かい内容は放課後に話すと予告しておけばいいわ」

「それだけですか?」

「それで十分よ。少なくとも興味を抱いた人間は放課後を待ちきれずに東堂くんのところへ詳しい話を聞きに来るはずだわ」


 自信たっぷりに先輩は語るが、果たして本当に大丈夫だろうか?

 若干の不安が頭をもたげる。何よりもだ……。


「訪れた人に対して一体、どのような態度で接したらいいのでしょうか?」

「ああ……。まあ、いつもどおりでいいわよ」

「い、いつも通りと言われても自分ではよくわかりません」


 この辺の【ぼっちコミュ障】が他人と接する際の泣き所である。

 相手と触れ合う場合の自分自身の姿を客観視出来ないのだ。


「だから、わたしと会話するときのようにちゃんとこちらを向いて、真面目な表情を崩さずに自分の気持ちを語りかければいいのよ。間違っても女子を相手にするとき、くだけた態度で好意を惹きつけようなんて考えては駄目よ」

「な、なぜでしょう?」


 熱のこもった先輩の態度に気圧され、たじろぐように訊き返す。


「いいこと。女子高生の半数は、これまでに読んだ漫画や小説のような素敵な出会いが、いつやってくるのかと夢想しながら日々を過ごしているおめでたい……可愛らしい生き物なのよ。普段は画面越しでしか見たことのない芸能人を基準にして、背の高さや眉毛の形に異性のプライオリティーを置きながら、いざ男性と二人きりになると脳内で自動的に恋愛模様を想起して、相手の容姿やスタイルがたとえ人並であったとしても自分に対して真剣に語りかけてくる存在を見て、『真面目で優しい人』などと勝手に評価を加点しながら、ここから恋が始まるのではないかと都合のいい……運命の出会いを求めてしまうピュアな子がほとんどなの」

「まるで、ご自身が経験したような話しぶりですね?」

「う、うるさいわよ! そういった、相手の揚げ足を取るような物言いが純粋な女の子の心にささくれた感情を生み出すの! 余計なことは考えない、望まない、口に出さない。以上の点をくれぐれも深く胸に刻んでおきなさい!」

「はあ……わ、わかりました」


 頬を紅潮させながら、怒涛の勢いでこちらを責め立てる副会長。

 やはり、自分にとって女の子というのは実に摩訶不思議で理解不能な存在である。


「副会長、もうひとつ質問があるのですが……。女子に対してはいまのような態度で臨むとして、男子の方はどうしたらいいのですか?」


 ふと思いついた疑問を口にする。

 ぼくの言葉に先輩はしばし考えを巡らせた後、見極めたようにこうつぶやいた。


「男の子は学校の文化祭で行うクラスの企画なんて興味もないし関心も薄いわよ。わざわざ話を聞きに来る人もいないでしょう。だから放っておいても問題はないわね」

「……な、なるほど」


 言われてみれば納得するしかない。

 実際、ぼく自身も実行委員という役割を与えられなかったら、興味はおろか関心すら示さなかったであろうと思う。こういうのはクラスの上位層が取り仕切るものだと、最初から決めつけていたからだ。


「まあ、そうね。どういう態度を取るべきか迷って相談に来た人がいたら、投票を棄権するように進言すればいいわよ。立場の弱い人間は自分を守ることに専念してもらった方が後で問題にならずに済むから……」

「味方を増やさなくてもいいのですか?」

「外交戦略の基本は味方を増やすことではなくて、中立的な立場の存在を敵に回さないことよ。敵の敵は味方だなんて考え方は十九世紀以前の大陸内部でのつばぜり合いがすべてだった古い時代のなごりに過ぎないの。現実は”敵の敵は一周回ってやっぱり敵”なのだから、あてにならない身内や味方とするには危険すぎる相手には中立的立場を維持してもらったままの方がいいのよ。決着は当事者間の実力だけで競い合い、それを周りが見届ける。結局、戦いに白黒をつけるには、どちらの訴えがより正当性を持つのか第三者によって判定してもらうしかないわ」


 たかが学校の文化祭で国際関係論を引き合いに出されても正直、反応に困る。

 結論として理解できたのは男の方は極力、無視して、可能な限りクラスの女子を味方につけていく。そのためには、ぼくが自らひとりひとりに語りかけ、彼女たちを口説き落としていかねばならないのだ……。いや無理だろ。どう考えても。


「副会長、非常に申し訳ないのですが、自分はクラスの女子とプライベートな会話を交わした経験が有りません……」

「そんなの気にする必要はないわ。女の子がプライベートで口にする会話なんて今週、口にしたお菓子の感想と、動画で見た新型コスメでメイクを決めている有名人の話だけよ。聞いていて人生の得になることは一ミリもないし、話している当人たちだって口にしながら、五秒後には手にした携帯のSNSのタイムラインで頭がいっぱいなの。女子がたとえ単なるクラスメイトに過ぎないとしても、異性と直接に言葉を交わす場合はプライベートでもなんでもないのよ。全力全開で自分が可愛く見えるようにセルフプロデュースを施している最中だわ。その時の東堂くんの反応は姿見に映した自分自身の理想の形で、ミラーが口にした言葉なんて一文字も頭に残らないわ」

「そこまで決めつけるのは、いかがなものかと思いますが……」


 鏡扱いされた自分としては精一杯の反論である。


「いいこと。人が他者の考えに賛同を示すかどうかは、対象の人物を好ましく思うかどうかが判断の分岐点なの。どれほど破綻した論理でも相手に好意的であれば、その主張を黙って支持するし、嫌いな存在だったらとにかく難癖をつけて提案を退ける。ほとんど人間は相手の発言の真偽を見極めるすべを持たない普通の存在よ」

「誰かの意見を参考にするという可能性は?」

「だとしたら、今度はその第三者への好悪によって評価が変動するわ。結局、どこまで突き詰めても【理念】や【理屈】に人は影響されないし、それだけでは納得も出来ない。だとしたら、用いるべき方法はただひとつよ」

「……つまり、ぼくたちはどうすればいいのでしょうか」

「数の力で相手を【屈服】させるの。多数派を形成して、中間層に同調圧力を求めれば孤立を恐れる多くの愚……大衆は自ら思考を停止して暗黙のうちにこちらの意見を受け入れてくれるわ。株式会社の総会でも最後に勝敗を決めるのは、白紙の『委任状』をどちらがたくさん握ったかよ。いい、東堂くん? 人間はね、その判断が自分自身にとって重要であればあるほど他の誰かの意見にすがりつき、その人を盲目的に支持してしまうの」

「どうして、そうなるのですかね」

「自分が責任を負いたくないからよ。たとえ自分自身の人生であったとしても」


 短く答えた副会長の声には、うっすらと皮肉っぽい響きが含まれていた。

 誰も彼もが迷い道の岐路に立てば、案内図を探して指示通りの道を歩む。どれほど道のりが遠くても途中で引き返そうとは考えない。ここまで進んできた努力を無駄にしたくはないからだ。

 ならば今回の件も同様である。松阪くんたちのグループは、ぼくがいくつ問題点を指摘しても絶対に自分たちの計画を諦めるつもりはないだろう。それはこれまでの自分たちの理想を否定する結果となるからだ。

 それを覆すには、いままで傍観者を気取っていた他のクラスメイトによってどちらの道に進むのが合理的であるかを直接、判断してもらうしかない。

 無責任な第三者の意見を最大限に尊重することがクラスにとって唯一の希望となる。悲しいが、これがクソみたいな現実のありのままの姿だった。

             

 ◇◇◇


「どうなんだよ、東堂。おれたちにはすでに計画しているクラスの出し物がある。それを途中で止めてまで、生徒会の活動に手を貸す必要はあるのか?」


 田中が背丈と同じく堂々とした声でさらに壇上のぼくを問い詰めようとする。

 彼が訴えていることは一見すると正論のように聞こえた。

 だが、その主張を受けれることはすでに出来ない。

 彼らは実行委員会の改善要求を受けてもなお、自らの努力を放棄し、現状として企画の推進を滞らせてしまった。

 事態はもはや計画の実現性を疑われるレベルであり、明らかに時間的な猶予を失っている。現場レベルでいかに正当性を主張しても管理責任者である実行委員としては次善の策を講じるより他に解決方法はないのである。


「悪いけど、現在の計画は委員会が求める安全基準をどうやっても満たせそうにない。いまのうちに企画内容を全面的に改め、自分たちに可能な選択をするべきだと思うよ」

「それをなんとかするのが、お前の役目だろ。自分の力不足を棚に上げて、おれたちに責任を押し付けるなよ」


 彼らには彼らなりの理屈と言い分がある。

 それは互いの見解の相違というやつだ。だからこそ、意見はぶつけ合わなければならない。たとえどれほどに苛烈であったとしてもだ。


「そうやって都合の悪いことからずっと目をそらしてきたんだ。だから結局は何も進まない。いつまでこのままでいるつもりなんだ? もう時間はないよ」


 ぼくが口にしたその一言で教室内の空気が俄然、ヒートアップした。

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